見て、奏でて、巻き込まれて、巻き込んで。
音も身体もぐるぐる回って、すとんと落ちた・・・。
彩の国さいたま芸術劇場のポジティフオルガンを使った「光の庭・プロムナードコンサート」。
ダンスの近藤良平さんをゲストにお招きした「夏休みスペシャル」、たくさんのお客様に囲まれて無事終了しました。
夏休みの週末、酷暑の中、お出かけくださった皆様、本当にありがとうございました。
「私は彼が来るのを見る、僕は彼女が奏でるのを待つ」というタイトルは、公演の約1ヶ月前に近藤さんと初めて打ち合わせをした時に「う〜ん、何にしよう・・・」と一緒に考えながら、その辺にあった本やら何やらを手に取りながら、近藤さんがなにげな〜くポツンと口にされた言葉。
ずいぶん後に実際音を出すリハに入ってから、オルガンが先にスタートするもの、ダンスや動きから入る曲、そしてお題の「即興コーナー」を文字とおり「完全なる」即興にしようと決めたときも、結局のところこのタイトルが全てを語っていたんだなあ、と。
コンドルズ夏公演全国ツァーのスタートまであと1週間という超ご多忙な時期に、まずはお引き受けくださったこと、そして何度も何度も劇場まで足を運んで一緒に作品を作ってくださった近藤さんに、ただただ感謝。
このオルガンがこの劇場に入った頃から企画やら出演やらでちょいちょいお手伝いしていた親しみもあって(確か最初に弾いたのは2001年)、途中自分の留学や劇場側のシリーズ中断を経て、再びこうやって弾く機会をいただけるのは本当に嬉しい。
オルガンソロ、声楽やバロックヴァイオリンとのアンサンブル・・・そして今思えば、その後ずっとライブシリーズを続けることになるコンドルズの石渕さんのマンドリンとの共演もここが発端だった。終演後に受けた取材で「この組み合わせの出会いは?」と訊かれて、たぐり寄せたら「そこだ!」(笑)
8年前に偶然つけたテレビで近藤さんご出演の「情熱大陸」を見た時、まさかこんな時が来るとはもちろん夢にも思ってなかったし。
ひとつひとつが綱渡りのように繋がって、長い長い時間をかけて、多くの人の手に渡されながら、幸せの極致を持って来てくれる。
生きてる実感って、これ、まさにいまこの瞬間なんだって思った。
人の縁、ってほんとにすごいよ。
人智では計り知れない。
この日、本当にギッシリ集まってくださったたくさんのお客様、老若男女どの方との間にも、コンサートの間中、それと同じものがビリビリ飛び交っていて、というか、こちらに向かってくる強い熱を感じて、あ〜やっぱりライブっていいなあ、って全身で感じていた。
近藤さんのようなタイプ(ってあるのか?笑)のダンスとの共演は私にとっても初めての試みで、曲選びの段階からずっと「これでいいのか?」というハテナの連続だったのだけど、いざ作業を始めてみると、まったく何の心配も不安も要らないってことがわかってきて(近藤さんがそうさせて下さったのだと思うけど)、3回目くらいからはもうただただ本番が楽しみで楽しみで仕方なかった。
毎回けして短いとはいえない(笑)会話タイムの中で、吃驚したり納得したり疑問に思ったり感動したり・・・そんなことの積み重なりが、共有して与えられた同じ時間と空間で何かを作るということに自然に流れ込んでいった感じがしている。
尊敬するすごいアーティストたち、どの人にも共通する、ある方向に一心に向かうエネルギーの尋常でない量。一心不乱。エンジン全開。生きてる感。
近距離でそういうものを感じられるのは本当に貴重な時間。
私がどうしても今回弾きたかった「ロバーツブリッジ写本」。
資料としては有名だけど滅多に「演奏」されることのない「鍵盤音楽史上、現存する最古の楽譜集」からのオカシな曲が図らずも「舞曲」であったこと、それを近藤さんがどう踊るのか。
また、シリアスなオルガン曲として、これまたメジャーではないけどとんでもない魔力とパワーが詰まった名曲、ケルル「パッサカリア」や、ヴェックマンの「トッカータ」も。
だけど近藤さんにかかると、あのブルグミュラーの時のように、全ての枷が取っ払われてゼロにリセットされたところから構築されるから、やっぱり全てが目から鱗。
以前このブログのどこかにも書いたと思うけど、私は自分が再現芸術家なので「ゼロ」から何かを作るアーティストを本当にスゴイ、自分には真似できないと思っている。同時にとても羨ましく、それが出来ない自分がとても情けなくなる。それは音楽とか舞踊とか演劇という「ジャンル」単位でも思うのだけど、今回近藤さんがふとおっしゃった「でも、きっと、『音楽』にずっと携わってきた人には、僕らには見えてない何かが絶対見えてるはず。だからそれは羨ましい」という言葉は、心から嬉しくありがたく・・・自分に音楽が与えられていることへの感謝と、ちゃんとやらなきゃって背筋が伸びたり。
一番面白かったこと。
「演奏」以外で私が人前で恥ずかしいと思わず出来ることはいくつかあるけれど、「踊る」っていうのはもうホントに想像もできなくて「最後の手段」的なポジション。
話す、なにかの身振りをするとかは多少出来ても、踊るって・・無い無い。
のだけど、この本番の日、なぜか朝から身体が軽くて、GPの間じゅうなんだかヒラヒラ走っちゃったり柱に巻き付きたくなったり、自分でも「どうしたんだ?」とちょっとフシギだった。
本番中、近藤さんが自分の周りで動くたびに、どうしたって離れる事はできない楽器という場所から、ついフワッとつられて動いていってしまいたくなった瞬間が何度かあったことが吃驚。
本番特有のテンションのせいもあったとは思うけど。
最低限の取り決めだけして、あとは本当に(MCもふくめ)どの場面にも「即興」の要素が多かった今回のコンサート。
途中でちっちゃなお子さんが乱入してきたのも、結果オーライで楽しかったし(笑)。
お客さん側もそんなことでハラハラしたり、吃驚したり・・という、そういう「イライラしないコンサート」ってのもあっていいかなと思う。
つくづく、4年間、あの喧噪に満ちた豊洲のららぽーとで演奏してきてよかったなあと思ったり(笑)。
スタッフさんが撮って下さってたGP時の写真。
(そういえば今回、本番前後に写真撮ったりとかいうことをすっかり忘れていた・・・せっかく衣装の色も綺麗に合わせたんだったけど・・・なんかそういうことがもうど〜でもよかったんだよねえ。でも今思えばちょっぴり残念!)
さいたま芸術劇場は建築としても美しい空間が多いのは有名だけど、このガラス張りの「情報プラザ」は普段誰もいないとヨーロッパの教会並みの残響が素晴らしいのだ。まあ、あれだけお客さんが入ってしまうとその40%くらいの響きになってしまうのはちょっと残念なのだけど。
当日そのガラスに沿って置かれたカラフルなオシャレ椅子は、普段はこのスペースの壁際に寄せてくっつけて設置されているもの。最後の会場リハの時に、近藤さんが思いついちゃって(!)急遽ここへ。本番では見事なアクセントになってくれた。
そして「思いついちゃったこと」最大の仕掛けは、室外となる中央部分の「中庭」の使用。
「パッサカリア」のときにそこで踊る、でもってクライマックスで垂れ幕を落す!
うわぁ。
本番2日前の夜、その決定を受けて字を書いて下さったのは、コンドルズメンバーでもある書楽家・安田有吾さん。
ご本人はリハでいらっしゃれなかったけど、この字だけでその存在感が伝わったと大好評。
有吾先生、ありがとうございました!
本来(おそらく)コンサート担当ではない舞台担当のスタッフさんが何人も手伝ってくださり、無線をとばしてカウントしながら、こちらの意図したタイミングで上部手すりから落す、というその仕掛けを、前日に代用の布で何度もテスト、動画を撮ってチェックしてくださり・・・
そして当日朝、布部分を届いたばかりの本物に差し替えて再度テスト。
ちなみに「落す係」をやってくださったのは音響スタッフさん、微妙な「駆け寄り方」が素晴らしかったとか。
本番のその瞬間、ちょうど指が超絶技巧になってきた頃、目の前のお客さんたちがどよめいて「あ、いま落ちたな」と背中で感じる(笑)・・・見られなくて残念!
リハの時に撮った写真。本番はもうちょっと字が上にくるようにアップ。紅い葉っぱ代わりの大きめの紙吹雪と共に。
・・・書いてるといろいろ尽きないけど、とにかく至福の時はすぐに終わってしまうわけで。
でも、始まったものは必ず終わるわけで。
外部から入ってきたものがあまりにも多く、濃く、本番が終わった今でもまだそれを消化しきれていない感覚。
いまだ、燃え尽きたところから完全に戻って来れていないけど、そうはいってもまだ未来はある(笑)。
次の仕事も待ってる。次の出会いも待ってる。
ああ、私はいろんな人からいろんなものを貰えて、ほんとうに幸せだぁ〜っっ!(海に叫ぶイメージ)
夏はまだ続くけど、太陽に溶かされないよう、そして素敵なアーティストたちから貰った「使い尽くす生き方」を身体のどっかに持ちながら、歩いていってみよう。
ゆっくりだけど。
すごくちょっとずつだけど。