A線上のアリア☆チェンバロ奏者 廣澤麻美 公式ブログ  Asami Hirosawas Blog


今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!
by saskia1217
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

<   2018年 11月 ( 4 )   > この月の画像一覧

快慶定慶、トーハク満喫!

楽しみにしてた「快慶・定慶のみほとけ」展、やっと行けた!
e0081334_19291128.jpg
こないだ見た「醍醐寺」展もだけど、なんかもう西からザクザク貴重な仏様たちがやって来る東京…
国宝なのに。
重文なのに。
秘仏!なのに。
恐縮しつつ、ありがたいありがたい。

大報恩寺も凄いんだなー
慶派の仏様たちがたくさんいるらしい
行ってみたいなー
(とか言っても、高野山もそうだったけど、現地に行っても秘仏だったり非公開で現物を見られないことが多いんだよね…
かえって東京にいる方が博物館・美術館に来てくれるという。
ただねー、仏像はやっぱりお堂の中で見たい)

東博の平成館、いつも両側使ってる会場の片っぽだけ(あと半分はデュシャン)なので数は多くない分、全てがメイン!な見応え!

秘仏のご本尊、行快作のお釈迦様はさすがの貫禄。
快慶門下の特徴である吊り目は、本来見るべき下の位置から見るとちっとも吊り目じゃなくなる。
(お軸や仏像はいつもなるべくしゃがんで見るようにしてる)
そのお釈迦様の周りを点々と取り囲んで、十大弟子が勢揃い。
今はお堂と霊宝館に別れ別れになっちゃってる彼らもここで久しぶりにお釈迦様の周りにいることができて、嬉しいんじゃないかな
十大弟子たちは小ぶりながらそれぞれの表情や姿勢がとても個性豊かで楽しい。
運慶系統の助っ人仏師特有のゴツい頭頂部や、衣の短さなど、快慶側との違いも面白い!
特に好きだったのは、盲目だけど全てを見通す力を持つ「天眼」阿那律さん!
穏やかななかに一筋通った何かが見えた気がする。
執着を取り払う「解空」須菩提さんには特に一生懸命手を合わせてきました…笑

十大弟子も素晴らしかったけど、もっと心に残ったのは肥後定慶作の六観音菩薩像。
比較的大きいサイズの観音様がずらっと横に1列に並ぶ姿は美しすぎた…
会期後半に入って、それぞれの美しい透し彫の後背が取り外されて別々に展示されているので、仏像の背中までぐるりと見られるのが貴重。

最も惹きつけられたのは如意輪観音様。
こないだ見た醍醐寺の如意輪観音様も小さくて素敵だったけど、こちらはもうちょっと素朴な空気、木のぬくもりが印象的。
定慶が得意とした髪や衣の柔らかさが、触らなくても伝わる。(触ったら硬いはずだけど)
何と言っても眼が!
どの観音様にも玉眼が入っているのだけど、如意輪観音様だけがもう眼がキラキラ、というよりウルウル。
横顔からもウルウルが見える。
照明の角度のせいなのか、ほかの仏様とは比べ物にならない。
いや〜ノックアウト!
ずーっと一日中、前にいたい仏様!

後背にはどれも仏様の頭の後ろの部分が蓮の花の雌しべ部分になっていて、馬頭観音様のには三鈷杵彫ってあったり少しずつ違う。
しかしまぁ、台座に至る細部までよく作ってあるこよく作ってあること。

唯一撮影可能だった聖観音様。
e0081334_19311260.jpg

e0081334_19311364.jpg

e0081334_19311581.jpg
あと、アートスコープは馬頭観音や十一面観音を見るのにすごーーく役立つことがわかった(笑)
頭の上に乗ったたくさんの小さい仏様の顔がよーく見えます!

仏様だけ見て帰るつもりが、ちょうど本館で「潜伏キリシタン遺物」展をやってたので、そちらも。
大浦天主堂の資料館や天草でも見たけれど、傷んだマリア観音やおメダイ、ロザリオの一部などはどれも、確かに人の手の中にあった実感があって生々しい。
多くが長崎奉行所から出てきたものだから、おそらく没収品なのだろう・・・
このひとつひとつ、どれも持ち主がいたはずで、彼らは一体どんな思いでこれを手にしていたのだろうか。
展示室には日本人よりも外国からの観光客の方が多く、英語、フランス語、ドイツ語・・・皆口々に感想を話しながら見ていた。
今日けして宗教が日常にあるとも限らない「キリスト教国」の彼らに、この時代の日本人はどのように映るのだろうか。

二つの展覧会を堪能して外に出たら、まだ明るい。
いつもは塀の外からしか見ていなかった庭園へ。
寛永寺の敷地だったトーハク、庭も立派で、いい感じの池とか、小堀遠州の茶室とかどこかの旧家とか、移築されたものも幾つか。
ポツンと止まったキッチンカーでホットドッグとコーヒーを買い、池を見ながらひと息、今見てきたものを反芻。
紅葉はまだだったけど、空気が澄んで素敵だった。
桜の季節はもっと人が多いのかな。
e0081334_19321670.jpg

e0081334_19321717.jpg

e0081334_19321941.jpg

e0081334_19322120.jpg

e0081334_19322234.jpg
図らずもトーハクを満喫した午後。
ありがたい時間!

酔芙蓉が綺麗でした!
e0081334_19330145.jpg

e0081334_19330203.jpg


by saskia1217 | 2018-11-13 19:26 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

仏教フェス!

FBで知ってずっと完成を楽しみにしていた、全国曹洞宗青年会制作の映画「典座」の試写会目当てに総持寺へ。
昨夜の本番でちょいグロッキーだったけど遊びに行くモチベーションは何にも勝つ!😆
e0081334_20263619.jpg

e0081334_20263896.jpg

e0081334_20264039.jpg
実は總持寺では昨日今日と、曹洞宗青年会関係の世界会議とか全国大会とか禅文化学林とか・・・よくわからないけどお坊さんたちの色んな行事と、それに重なって今日は彼らによる一般ピープル向けのイベント「お寺で遊ぼう食べよう」「仏教音楽祭」などが同時に開かれていたから大賑わいなのである。素晴らしいお天気だったし!
このイベントのことは知っていたけど、女子限定ヨガとか女子向け「プチ修行」本の展示とか😅天邪鬼の私にはあまり足が向かないイメージで元々行く予定はなかった・・・のが、映画見られるなら!と。
e0081334_20274797.jpg

e0081334_20274944.jpg
久しぶりの總持寺、やっぱりいいなあ。
道場のある大きなお寺って、たくさんのお坊さんの姿があるのがいい。
入ると自然に叉手左側通行、お坊さんとすれ違う時は合掌、お手洗いの烏枢沙摩明王様にも合掌・・・になる、それだけでもう何か背筋が伸びて呼吸も心も整う感じがする。
e0081334_20283713.jpg

e0081334_20284093.jpg
人数多くて観られなかったら嫌だなあと30分以上前に到着したら試写会会場はまだ開いてなかった笑
大々的に宣伝してはいなかったのか、イベントの中では地味なのか、10時の回だったからか、観客は2〜30人くらい?でちょっと寂しいくらい、関係者のお知り合いっぽい年配の方が多かった。

「典座」というタイトルから私が想像していたのは、道元禅師の典座教訓や赴粥飯法をベースに、道場や寺院での「食」のあり方についてのドキュメンタリーのようなもの。
でも違った。(監督が上演前に「ちょっとびっくりすると思います」と仰ってた)
実在のお坊さん3人のそれぞれのお立場でのリアルな悩みや立ち向かい方を、半分ドラマ、半分(インタビューのような)ドキュメンタリーで描いていた。
(今日はそのうちお二人がご挨拶に立たれていた。実際のお坊さんが演技されているのでそこはそこそこぎこちなさはあるけど、それがまたリアルで良かったりする)
ごく普通の家族間の日常の中で息子の食物アレルギーをきっかけにかつて修行時代から取り組んできた食についての考えを再び呼び起こされ新しい意識を持ち始めた僧侶、東日本大震災で自分のお寺を無くし復興作業を職業としながら人々と関わりあう僧侶の話、そして曹洞宗が実際に行なっている「いのちの電話」というホットラインの相談役を務めるお坊さんたちの、彼らもまた人間という中での摩滅と苦悩。
タイトル、そして時々示される「六味」のキーワードと、その部分のエピソードがなかなか直結しづらい展開なのが一般向けにはわかりにくいかなと思ったのと、企画制作側は「一般の人向け」に、でも監督も含めて実際は「これからを担う若い僧侶へのエール」として「もっと一人一人が本物として動いてゆこう(まさに副題『不他是吾』)」という意図もあったようなので、その両方を満たすというのは映画という時間制約の中ではなかなか難しい気もした。
でも、観た人がそれぞれの立場で、「食」の向こうに透けた「命」について考えさせられるきっかけになる作品だったと思う。
一番心に残ったのは、尊敬する青山俊童師のインタビューで、お寺に生まれたお坊さんの宿命、悩みに答えて「選んで選んでたどり着いた先が仏道なら、いくらその前に迷っても反発しても良い」つまり「選択した結果見つかったもの」の決定的な強さ。
今の私には大変身に沁みた。
自然の美しい映像、そして道元禅師が行かれた中国・天童寺の景色も印象的。
今後劇場公開も展開する方針だそうなので、その時には大きな画面でまた観てみたいと思う。きっとまた違う印象を受けそうだ。

疲れていたので映画だけ観てサクッと帰るつもりが、イベントってやっぱり・・・楽しくて結局色々満喫😉
パンフ見てたら、普段は未公開で入れない仏殿(お泊まりの坐禅会でも入れなかった)の内部拝観ができる!
運よくちょうど公開時間に間に合い、中に入れて嬉しかった。
そう、与謝野晶子が嘆願しまくって入れてもらったらそのあまりの床の冷たい鏡のような美しさに慄いてしまったと詠んだ、あの仏殿ですよ。
靴下を通してもひんやりする床を楽しみながら、初めて近くで拝見できたお釈迦様。遠く高いところで凛としていらっしゃいました。
e0081334_20294200.jpg

e0081334_20292103.jpg
仏殿前では太鼓の演奏、太鼓に合わせて般若心経も唱えられていたので、最近うろ覚え程度に暗記したのを一緒に口ずさみながら歩く。
お坊さんたちが写メ撮ったり動画撮ったりして盛り上がってるのもいい😌
しかも今日は曹洞宗だけでなく各宗派のお坊さんが入り乱れてて素晴らしい風景。木蘭色の曹洞宗の方々に混じって、紫の紋白をつけた真言宗の方々、また金峯山寺の山伏姿の方々、有髪の真宗の方々・・・
各宗派のブースが隣り合わせに並んで、それぞれ若いお坊さんたちが頑張っていらっしゃいました。
e0081334_20310570.jpg
e0081334_20314442.jpg
昼食はお目当ての精進ピザ。
大人気+焼けるのにちょい時間がかかる、で注文から受け取りまで15〜20分ほど待ったが、キッチンカーの中にあるピザ窯!で焼きたてで美味しかった!
e0081334_20331698.jpg
主な具はレンコンなのだけど、煮たもの焼いたものなど取り混ぜて生地の上に乗っていて、トッピングには素揚げのもの、そして菊の花びら。塩味もちょうどよく、青海苔の香りもいい。
チーズのようなものは、あれはきっと豆乳由来だろうな。
e0081334_20334556.jpg

e0081334_20334720.jpg
それからFBで見ていてちょっと気になっていた「ほとけさまのやさしい精進カレー」
試食してみたらとても美味しかったのでお土産に購入。
想像よりずっとコクがあってスパイスも香って満足感あり。
最近精進カレー色々あって、こないだ高野山でも2種類買ってなかなかよかったのだけど、あちらはもっとサラサラ系だったかな。
そのカレー売り場でせっせと試食品の盛り付けをされていたお坊さん、あ!っと思ったら以前、精進料理教室で教えていただいた箱根のお寺のシェフ兼お坊さんの(最近テレビでも紹介された)折橋さん!
意外と世界が狭い😁
キビキビと働かれていました。一般に向けての食についてのお働き、素晴らしいなと思います。

せっかく總持寺に来たんだから、ちょっとでも坐禅できないかしらん、と思ったら、なんと無料体験、ちゃんとありました!
ピザ待ち時間に受付を済ませ、ピザぱくぱくの後、坐禅へ。
参加者は男性3人、女性2人の5人。
地味〜(イベントでも私が行きたいところはほぼマイナーだということがわかった)
「体験」なのに、ちゃんと坐禅堂(衆寮)で坐らせていただけてよかった。
雑巾掛けさせていただいた懐かしい長廊下を通って、准胝観音様にも再会!
短めの20〜30分だったけど、やはり家で坐るのとは違う。最近なかなか座禅会に行けてなかったから、あの場所で良き時を持てて本当にありがたかった。

お寺フェス満喫。
たまには行こう、道場!
e0081334_20345709.jpg

e0081334_20345913.jpg


by saskia1217 | 2018-11-10 20:25 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

空海さんに会いに〜お別れの日〜

高野山紀行、ついに最終日に到達。

4時30分起床。
最終日の朝勤行は、事前に電話で問い合わせて参加可能だとお聞きしていた、やはり近所の一乗院さんに伺うことにしていたのだが、前日宿に帰る途中通りがかりに念のため中へ入ってお尋ねしたら、やはり宿泊客と檀信徒の方が優先というニュアンスだったので、さてどうしようか、とちょっと困っていた。
向かいの無量光院さんに立ち寄ってお訊きすると、朝お世話になった尼僧さんがちょうどいらして「どうぞどうぞ、ぜひおいでください」とのこと。
特に滞在最後の日は28日でお不動様の日だったから護摩供養があるところがよかった。前日の朝勤行があまりにも素晴らしく心に響いたものだったので、やはり無量光院さんへ。

本堂への道順もスムーズに奥へ進んでゆくと、本堂入り口には外国人のお坊さんが塗香を持って迎えてくださった。
朝のご挨拶をすると「今日はね、ガヤガヤしています(笑)インドからのたくさんのお客様です」と(笑)。
なるほど、前日と打って変わってこの日は50人くらいの人が集まっていた。
多くはインドとブラジルからのお客さんたち、それからドイツ、スペインからの方が数人。
日本人2人だけ。

この日の導師様は先ほど迎えてくださった外国人のお坊さん。あとで伺ったらスイスの方だという。
前日と変わらぬテンポと空気で淡々と勤行が始まる。
参列者が多かったのでお焼香にそこそこ時間がかかったが(この日は中央の阿弥陀様へのお焼香と、お大師様への献茶のみ)、参列者の多くは途中で退場されていき、回向が終わった頃には10人ほどが残るのみ。この日は80分ほどだったかな。
賑やかといっても祈りの静寂が損なわれることなく、荘厳さと敬虔な空気が保たれて本当に心に残るお勤めだった。
2回も経験させていただき、帰りに一言お坊さんに御礼を申し上げて宿へ戻る。
本当になんて気持ちがいいんだろう!

最終日は快晴。
e0081334_18062262.jpg
感謝しながらいただく宿坊での最後の食事。
e0081334_17491983.jpg
ワカメと三つ葉入りの温かい湯豆腐、細かくした野菜がたっぷり入った巾着の煮物、切り干し大根の「酢の物」!、菜っ葉の佃煮、海苔、梅干し、お味噌汁にホカホカご飯!
今回もお櫃を空に!
(結局4日間、毎食お櫃を空けてしまった・・・)

荷造りし、早めに8時頃チェックアウトしてしまい、荷物だけ預かっていただいて、急いで金剛峰寺へ!
そう、金剛峰寺での阿字観に絶対に参加したかったのだ。
根本大塔の立体曼荼羅、奥の院の生身供と共に今回の高野山での大きな目的の一つ。
初日にお参りした時に伺ったら、金剛峰寺の阿字観は先着順(20名まで)なので、もし団体さんなどが来てしまうと申し込めなくなることがあるという。
朝9時から1日4回(午前2回、午後2回)で、帰る時間は決めていなかったものの、あまり遅くまではいられないのでできれば9時の回に参加したかった。
果たして無事に8時20分に受付に到着、まだ開いてません(笑)
この日は正面ではなく、近かった横入り口から入ってみた。
ここの坂も美しい。
e0081334_18060882.jpg
e0081334_18070170.jpg

e0081334_18071065.jpg
数分して入り口が開き、今度は拝観料を別にお納めして、阿字観受付の売店があく8時45分を待つ。
初日は曇っていて建物の内部も暗かったから、快晴のこの日はまた一味違った美しい光景が復習できて嬉しかった。
今回一番感動した景色はこの庭。快晴、静寂の蟠龍庭を早朝独り占め。
e0081334_14292661.jpg
e0081334_14293409.jpg
e0081334_14294311.jpg
e0081334_14295194.jpg
堪能しているうちに売店が開いたので阿字観申し込み。1番(笑)。
開始までまだ時間があったので、ぶらぶらと接待所へ行くと、同様に阿字観待ちの方がちらほら。
温かいお茶をいただいていると、若いお坊さんが出てきてくださる。
あ、おととい雨の奥の院で法話をされていた方!・・・
「あの時いらしたんですかー!(笑)雨がひどくて人が少なかったんですよね〜」
ここでは本来、人が集まるとミニ法話なのだけど、全員阿字観待ちということで、時間までお坊さんと数人で楽しくお喋り。
北海道からいらしたという女性2人組は京都から回っていらしたそうだ。
「真言宗の修行の中で、私が一番苦手なのが阿字観なんです・・・・これからの課題は阿字観の勉強なんです」と、その若いお坊さんは言ってらした。やっぱり得意不得意ってあるんですね。
e0081334_14301372.jpg
さて、いよいよ阿字観。
時間になると、ご指導係のお坊さんが阿字観道場へご案内くださる。
金剛峰寺の阿字観道場はこの時間に申し込まないと入ることができないので、それも楽しみだった。
この奥の部分が道場。
e0081334_14295966.jpg
e0081334_14300662.jpg
この日の参加者は6人(男性2人、女性4人)。少なくてラッキーだった。
塗香をいただき中に入る。
中はそんなに広くなく、横長の畳の部屋。中央に正方形!の「阿」のお軸。
座布をいただき2列にすわる。
最初の15分ほどは阿字観についての解説。
月輪、ハスの花(と高野山の形)、人は何も考えないと「あ〜」と発声する・・等々)、坐り方(半跏趺坐)、呼吸法・・・
そして皆で声を出してみるのだが、それは「あ」ではなく「とりあえず何も考えないで声を出す、その自然な音で良い」ということで、「あ」でもなく「う」でもなく「ゆ」でもないような混ざった音で各自(笑)。
これはちょっと斬新だった。
そして表に面した障子が閉められて少し薄暗くなったところで、約15分ほどの瞑想。
終わりに「はい、目を開けてください」と言われたので「え、目あけてるのでは・・・?」とちょっとびっくりしたが、他の方達はみなさん目をつぶってらしたのかもね。
坐禅でも阿字観でも半眼と教わってきたので・・
それと「阿字」のお軸を見ることに関しては何にもご指導がなかったので、私はたまたま中央に座っていたこともあり、目の前の大きく美しく立派な「阿」を見ながら座っていた。
だって、なんかせっかくあるのに勿体なくて(苦笑)
この日ご指導くださったお坊さんは特に健康・スポーツのご専門だそうで、ハツラツとして、見るからに筋肉をお持ちのような「ザ・スポーツマン」のような方だったのだが、瞑想終了後に15分ほど時間があったので、ご自身の編み出した「リラックス体操」をご指導くださった。
肩を落として腕をブラブラさせて脱力したり。
とても面白かったのだけど、正直あまり「阿字観」をやった気にはならなくて、ちょっと物足りなかったかなあ。
まあ「ちょっと一息・阿字観体験」という、初めてやる人向けの導入だったので、こんな感じなんだね。
恵光院での印象もそうだったけど、おそらく他の宿坊での阿字観もあくまでも「体験」なのだろうな。
いつも東京でやっている阿字観と、高野山に行ったら何かちょっと違う何かがあるのかと期待して行ったので、ちょっと残念だった。
金剛峰寺では経験者のための阿字観「実修会」というのがあるのだけど、年3回しかないので参加はなかなか難しい。
東京でもどこかで、数回以上やったことのある人程度の、そこそこ踏み込んだ場があるといいなと思う。
でももちろん非常にスッキリした心身で、初日と打って変わって嘘のような青空の下の金剛峰寺を今一度目に焼き付ける。
e0081334_17570342.jpg
屋根の上の有名な天水桶もくっきり見える。
e0081334_17571085.jpg
そして、少し急ぎ足ですぐ先の大師教会へ。
最後の目的は「授戒」、これで共通内拝券は全て使い切る。
大師教会は大正時代に建てられた堂々とした大講堂と、昭和に建てられた教化道場から成っている。
なんか入り口から立派な感じ。
e0081334_17584667.jpg
正面に大講堂。
e0081334_17585379.jpg
講堂に向かって左側にある鉄筋コンクリートの現代的な建物の中に受付があるので、そこで授戒の申し込み。
朝9時から夕方4時まで、一時間ごとに行われるので、比較的誰でも体験できるものだ。
開始まで後10分という感じだったが、受付に並ぶ人もいなくて静か。
待合場所の大型テレビでは、旅の前にも何度も見直してきた「ブラタモリ高野山」が流れていて(笑)、お手洗いを済ませたり、そこでお水を飲んだりして待つ。
お手洗いには道元禅師を思い起こすあのお言葉が!
e0081334_17585991.jpg
その日の11時からの授戒希望者は、関西からいらしたご夫婦と私の3人!
時間になると案内のお坊さんに連れられて、講堂の外廊下を通り、その後ろ側にある授戒堂へ。
入り口で塗香を受け、中に入ると、そこは今入ってきた扉からの光でなんとか中が見えるくらいの真っ暗なお堂。
正面に壇があり中央に階段がかけられて少し高くなっている。一番奥にはお大師様の肖像(奥の院の地下にあるものと同じかな)、手前にはロウソクの灯りがいくつか。あとはよく見えない。
なんかすでに色々ありがたい空気で、椅子も用意されているのだが、お大師様の肖像がよく見えるよう下に正座をして待つ。
案内してくださったお坊さんから、途中退席できません等々、諸注意があった後、後ろの扉が閉められて本当に真っ暗に。
向かって左奥から阿闍梨様が鈴音と共にご入場。
真っ暗なのでお顔はもちろん、お姿もボウッとしか見えませんが、とてもいいお声で訥々とお話しされるので、それだけで心が落ち着く。
授けていただく戒律「菩薩十善戒」を、阿闍梨様の後について復唱。
菩薩十善戒についてはボンヤリと知ってはいたけど、全てをちゃんと覚えているわけではなかったので、時々噛みながら(苦笑)声に出す。
3人だけなのでなんとも心許ないが、できるだけはっきりと大きな声で。

不殺生(生きるものを殺さない)、不偸盗(盗まない)、不邪婬(不倫な関係を持たない)、不妄語(嘘をつかない)、不綺語(お世辞など無駄なことを言わない)、不悪口(悪罵しない)、不両舌(二枚舌を使わない)、不慳貪(貪らない)、不瞋恚(怒らない)、不邪見(間違ったものの見方をしない)

だけど、もっと難しくて長い言葉を復唱した気がする。
南無大師遍照金剛も何度も何度もお唱え。
そして一人一人名前を呼ばれて、中央の階段を上がって壇上へ。
暗すぎて足元がふらふら、とにかく階段から落ちないようにゆっくりと登り、阿闍梨様の正面に座って、授戒したしるしであるお札を恭しく授かる。
あとで伺った話では、団体さんなどが来て多いときでは100人以上の参加者がある時もあり、その場合、進み出て受け取ることができるのが代表者だけになってしまうとか。
やはり、自分の名前を呼ばれて直接阿闍梨さまから手渡されるという実感は、とてもありがたかった。
e0081334_18492345.jpg
この誓約の後で短い法話。
東日本大震災で母親を亡くした15歳の女の子の、生きるか死ぬかという切羽詰まった瞬間のエピソードと、彼女がその後どう生きていったか、生きるとは、命とはどういうものか・・・というお話。
30分ほどで儀式は終了、阿闍梨様のご退場を合掌してお見送りした後、再び明るい外へ。
まだ見ていなかった広い広い講堂の中をお参り。お大師様を中央に脇侍は愛染明王と不動明王、そして見上げると天井近くにぐるりと、お大師様の生涯を描いた26枚の絵。これ、よく本に引用されてて見たことがあったなあ。ここにあったのか。
ゆっくり拝見してから、外へ。
大師教会のお庭には弁天様のいらっしゃる睡蓮の池。
e0081334_18575454.jpg
さて。
これで、予定していたことは全て終わり。
しかしいいお天気すぎる。
11時半、お昼は高野山で食べてから帰ろう・・・
もっと歩きたいな、とブラブラ。
そうだ、壇上伽藍で唯一「智泉廟」にまだ行っていなかったのが気になっていた。
蛇腹道の入り口、初日とは全く違う紅葉に差し掛かった美しい景色が見えてくる。
e0081334_19032260.jpg
ここの道に入らずにそのまま車道を歩いて行くと、左側の茂みの中に小さな廟がある。
お大師様がとても愛された、先に逝ってしまった甥でありお弟子さんの智泉。
非常に悲しまれたお大師様が、供養のために造られたというお堂。
そこに立ったとき、響いてきたお大師様の言葉。

哀哉哀哉復哀哉
悲哉悲哉重悲哉
(哀しいことだ、哀しいことだ、言っても言っても哀しいことだ
悲しいよ、悲しいよ、何度言っても悲しいよ)

「為亡弟子智泉達嚫文」

空海さんと真言宗について学んでいるときに教えていただいたこの哀悼の文、あんなスーパースター、あんなに悟った方も一人の人間であって、悲しみや苦しみも私たちと同じように背負っておられたことを、今更ながら見に沁みて思ったのだった。
いや、キリストもそうだけれど、だからこそ「どうしたら人々の苦しみを取り除けるのか」について、その生涯身を以て尽くされたのだね。
e0081334_19034005.jpg
しばし智泉に想いを馳せ、再び車道に出て、壇上伽藍を左に見てまっすぐ歩いてゆく。
まだ歩いていなかったこの界隈はとりわけ静かな一角。
右側にはいくつかの宿坊寺院が並ぶ。
総持院さん。
e0081334_19033160.jpg
西禅院さん。
e0081334_19041109.jpg
正智院さん。
e0081334_19042174.jpg
そして、高野山高校の手前、一番どん詰まりの小高いところにあるのが、専修学院(宝寿院)。
いつもお世話になっている功徳院の松島ご住職もここで修行されたお話を伺っていたこともあり、中には入れないまでも景色だけは拝見したくて門前へ。
e0081334_19043728.jpg
この手桶、気になって後から調べたら、高野山では法会がある時、その寺院の前に手水鉢、手水桶を祀る習わしがあるそう。

e0081334_19044786.jpg
眺めていると、門から若い修行僧さんたちが数人出てきて、元気に連れ立って何処かに出かけて行く姿。
なんだか清々しくて本当に和む。
回れ右してもと来た道を戻り、右側に壇上伽藍が見えてくる頃。
ああ、そういえば初日に曇り空と霧の中でしか写真撮ってないなあ〜と思いながら、気づくとちょっと聞き覚えのある鈴の音と微かに香ばしいかおり・・・
気になって壇上伽藍、愛染堂と大会堂の間を上がる階段をのぼると、なんと愛染堂で今まさにお護摩法要の真っ最中!
どおりで匂うと思った!(笑)
3日前に来た時は固く閉ざされていた扉が広く開けられ、中で木蘭色の衣のお坊さんがせっせと火を炊きながらお唱えされているのを目の前に、ずっと立ち尽くしていた。
行が終わって「ありがとうございました」とお坊さん。
いや〜、図らずも出会えた法要。
最後に思いがけず愛染明王とのご縁があってとても嬉しかった。
e0081334_19045994.jpg
青空に根本大塔は、迷いの無い意思があるようで本当に力強い。
e0081334_21102767.jpg
e0081334_19035065.jpg
流石に好天とあって観光客の出足もいいようだ。
それにしても圧倒的に外国人の姿の方が多い。
e0081334_21103671.jpg
紅葉はもう少しで最高潮になるだろう。
そのころはもっともっと人出があるんだろうな。
お天気の高野山もいいけど、雨や霧の高野山も素敵だ。
この4日間で、霧、曇り、小雨、豪雨、快晴・・・様々な高野山が見られたことも幸いだったのかもしれない。
無量光院のお坊さんが仰ったように「雨もまた有り難く」
雪の高野山も、只中に居てみたいな・・・(永平寺も、今度は凍てつく冬、雪の時に参禅に行きたいと思っているのだけど)

ブラブラと三鈷の松まで来た。
特に急がないし、どうせ見つからないだろうけど、一応ぐるりと一回りしてみようか
・・・と、5分も経たないうちに、なんと!
三叉の葉「三鈷の松葉」を発見!
やっぱりちょっとドキドキしちゃった。
こんなことってあるのね〜。
e0081334_19040001.jpg
そろそろお昼を食べてバスに乗らないと。
あんまり気持ちよくて、ノンビリしてしまった。
考えてみたら東京は結構遠いのだ(笑・・・大阪〜東京はあっという間だが、高野山から大阪に出るまでがかかる)
千手院橋交差点あたりで何か食べよう。

途中、右手に高野山大学。せっかくなので門の前まで行ってみる(笑)
う〜ん、もしもここの学生になっていたら、どんな人生になっていただろうか・・・
そしたら、袈裟を着て、毎朝どこかの塔頭寺院で、足を痺れさせながら覚えられないお経を唱えていたかもしれない・・・
なんて、ちょっと憧れの混じった想像。
e0081334_21105669.jpg
この町では警察官よりもこちらの方が説得力があるらしい!!
e0081334_21242452.jpg
入りたいなと思っていたお店が開いていた。
「西利」というカフェでカレーライスをいただく。美味しい!
ゆっくりと香ばしいコーヒーを飲みながら、朝からの反芻をメモる。
e0081334_21261110.jpg
名残惜しくメインストリートを後に、宿坊へ戻って荷物を受け取る。
庭では顔馴染みになった宿のお坊さんが、木に登ってせっせと枝を整えていらした。
すっかりお世話になったご挨拶をしてバス停へ。
福智院の生け垣も高野槙。
火事の時に延焼を避けるため、各塔頭でもよく植えらえているこの槙、なんだか親しみが湧いて特別な木になったような気がした。
槙にもお別れ。
e0081334_21263194.jpg
昼過ぎの高野山駅へのバスはガランとして、乗客は2人しかいない。
登ってきた時は霧で何も見えなかった山道を、美しい緑を見ながらバスがぐるぐると降りてゆく。
自動アナウンスで「世界遺産・高野山での滞在はいかがでしたでしょうか?思い出はできたでしょうか?この天上の仏教都市できっと素晴らしい経験をされたことと思います・・・またのお出でを心よりお待ちしております」のような、心温まる呼びかけが流れて、なんだかじ〜んとしてしまった。
駅に着くと、点検で出発が少し遅れ、10分ほど待つという。
待っている間、ふと垣間見えた下界に、あらためてここの高さを思い知る。
e0081334_21264954.jpg
電車がやってきた。
なるべく前の方へ乗り込む。
嬉しそうに最前のガラス窓に連なる外国人の観光客たち。
いやいやスイスとかイタリアとか、もっと凄いケーブルカーいっぱいあるけど。
e0081334_21264181.jpg
e0081334_21265654.jpg
極楽橋駅まではあっという間。
ここに降り立つと、もう何か違う空気が体に入ってくる気がする。
もう、何かが無くなっているような寂しさ。
南海電車に乗り込み、九度山を過ぎ、橋本を過ぎ。
車内で思わず後ろを振り返ってしまった。
窓から微かに見える山々、高野山はもうあの向こう、遥か遠く後ろになってしまった。
人や、音や、空気が一気に押し寄せてくる。
高野山にも人はたくさんいたのに。
不思議。

東京に着き、家に着いて、またすぐに高野山に戻りたくなった。
けど多分、これがいいのだ。
このためにあの4日間があったのだ。
ありがたかったことを噛み締めよう。

今でも時々思うのだ。
あの朝勤行はちょうど今頃、あの日と変わりなく行われているに違いない。
お寺だけでなく、カフェでも、おみやげ屋さんでも、駅の切符売り場でも「高野山の日常」が、淡々と、粛々と営まれているんだな、と。

今度行く時はどの宿坊に泊まろうか。
どの季節にしようか。
どこを歩こうか。

何度でも行きたい。
ヨーロッパの都市と違ってクルクルと変わる日本の都市の中にあって、高野山は変わらずにある場所。
さよなら高野山、ありがとう高野山。
そして。
待っててね高野山。

(高野山紀行・終わり)



by saskia1217 | 2018-11-03 21:48 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

臨済のこころ

仏教伝道協会主催の「仏教初心者講座・一から学ぶ日本の仏教」月一回7つの宗派をそれぞれの僧侶の方を講師にお迎えして学ぶシリーズ。
昨年は募集と同時に1年分すぐに満席になってしまったので、今年は発表になった3月に間髪いれず申し込んでおいた。おかげで今日の分なんてすっかり忘れそうになっていた…

4月の天台宗、5月の真言宗に続き、今日は3回目の受講で臨済宗。
曹洞宗の坐禅を始めてしばらくして、同じ禅宗である臨済宗の坐禅の様子も知りたくて、東京禅センターや臨済宗のお寺の坐禅会にも時々お邪魔しその違いを味わったりしていた。
その東京禅センターがあるのが世田谷・野沢龍雲寺、その12代目ご住職である細川晋輔師が本日の講師。
NHK「趣味どきっ!〜お寺の知恵拝借」の坐禅の回で初めて拝見し、その後大河ドラマ「直虎」で禅指導されてたりもして。
でも生でお話伺ったのは初めて。
今日は法衣姿で渋谷の会場にいらっしゃる途中、まわりからの視線がある意味ビミョーな感じだったそうです…
(どー拝見してもホンモノなのですが)

臨済宗って世間では開祖は栄西とされてるけど、臨済宗的には実はあんまりそういう認識ではないみたい…
というより、栄西は文献にほぼ全く出てこない感じなのが意外、というよりびっくり!
e0081334_00535841.jpg


90分にビッシリ。
臨済宗の基本的インフォメーション、公案について、達磨さんについて、白隠さんについて…
そして、吉備津神社の神官の息子として生まれた栄西さんについて、その代表的な著書である「興禅護国論」からのいくつかの示唆に富んだ言葉の数々。

坐禅会でもよく唱える四弘誓願文の深い意味を味わう。
衆生無辺誓願度 
煩悩無尽誓願断 
法門無量誓願学
仏道無上誓願成 
人間の持つ弱さに、それでも願う、願っていこうと唱える尊さ。

他に、心に残ったいくつか。

「放手没深泉 十方光皓潔」
しがみついているものから、勇気を出して手を離してみる。もしかしたら水に落ちて溺れるかもしれない。でも、そこからはひょっとしたら月の光が見えるかもしれない。
(以前テレビでも紹介されていた、野沢龍雲蔵の白隠「猿猴図」に書かれた言葉。水に映る月を本物と見誤って、腕を伸ばして取ろうとし、深泉に没して死んでしまう猿の掛図)

「知恩報恩」
亡くなった人はもうどんなに涙を流しても戻ってこない。
では残された私たちは今ここで何を知るべきなのだろうか…

ご住職ご自身の実体験、エピソードに基づく
数々の法話は、力強く強さに満ちていて、とても勇気づけられた、ありがたい時間だった。

by saskia1217 | 2018-11-01 00:53 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)
カテゴリ
ライフログ
お気に入り♡リンク集
最新のコメント
はるかぜたんぽぽ様 ..
by saskia1217 at 21:30
今頃のコメント、失礼いた..
by はるかぜたんぽぽ at 17:21
はるかぜたんぽぽ様 ..
by saskia1217 at 13:52
初めましてなのですがここ..
by はるかぜたんぽぽ at 00:53
船津洋子「傘松道詠集の名..
by とくまるくもん at 06:35
以前の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧