空海さんに会いに〜2日目後半〜
2018年 10月 18日
10時25分くらいに御供所の前に行くと、数人がその時を見ようと待っていた。
時々薄く戸が開いて、中からお坊さんたちが外の様子を伺ったりしている。
雨がまた強くなって来た。
時間ピッタリに戸が開き、中でお食事を入れて担ぐ箱にビニールの掛物をしているのが見える(雨なので)。
維那と呼ばれる非常に名誉あるお仕事を担うお坊さんが先導され、後から2人の若いお坊さんが箱を担ぎ、履物を履き、傘を指して出てこられる。
すぐ傍にある嘗試(あじみ=味見)地蔵を拝んで毒味をしていただいてから、3人は御廟橋に向かって歩き出す。
全てがスムーズにあっという間に行われる。
何度も何度もテレビで見て来た光景、目の前でそれが行われているのが夢のようだった。
橋へ向かう箱の後を、流石にすこ~しだけ下がった位置で、そのままついて行った。
お坊さんたちと一緒に頭を下げる。
何だかちょっと畏れ多いのと、ただありがたいのとで、あっという間に灯篭堂へ着いてしまった。
御膳はそのまま中へ入っていった。
ちょっと我に返って、灯篭堂の中へ。
御廟橋から中は撮影禁止。
灯篭堂からはお線香のいい香りと読経の声。
傘をたたんで入り、まずはご供養の申し込み。これも今回の高野山詣での目的の一つ。
昨年亡くなった父の戒名や色々を書いたものをお坊さんにお渡しし、読み方などの確認。
灯篭堂での法要は約1時間おき、10時20分からの回はすでに始まっていて今から途中参加できますよ、と言われたが、せっかくなのでゆったりご供養したく、11時30分まで拝観しながら待つことにした。
灯篭堂の中は薄暗いが、天井いっぱいに下がった灯篭や、たくさんの灯明の灯りでちょうどいい暗さ。
人も少なかったし、さすがにここは静かな空間。
厳粛というよりも温かい静けさ。
ちょうど雨が強くなって来て、まるで豪雨のような音になってきたが、ここにいると不思議と守られているような包まれているような安心感があった。
お守りはここで購めるつもりだったので、ゆっくりと見て回る。
「共生」という、御廟の檜皮葺を葺き替えた際に出た木の皮をお守りにしたものを、家族や友人のために。
読経をしばらく聞いてから、外へ回って裏側の御廟へ。
外側にもたくさんの灯篭。そしてたくさんの花、ろうそく、お線香。
手を合わせる人たち。読経する人たち。
冷たい雨に囲まれて、ちらっと見える御廟の屋根をいつまでも見つめる。
そうか、ここにいらっしゃるのか。
こちらに向かって座っていらっしゃるのか。
雨だからお出かけせずにここにいてくださっているのかな・・・
腰掛けてそんな光景をぼーっと眺めていたら、ある方からメールが入る。
旅行に出発する前ちょっとしたトラブルで心にずっと重く引っかかっていた件で、思いがけずポジティフな解決の知らせ。
驚いた!
よりによってこのタイミングで。
やっぱり何かの力を感じちゃうのだ。
ああ、ありがたい!とお大師さまにお礼をいう。
ぐるっとお堂の外側を周り、地下に降りてゆく階段を下へ下へ。
地下にはたくさんの御遺骨、その中央にお大師様の肖像と祭壇。
大きな大きな数珠と三鈷杵。
ここはちょうど、入定された場所だという。
ここまで来て、まさに、そこにいらっしゃる実感があった。
相対している感覚。
見てくださっている感覚。
一人、般若心経を静かに唱える女性。
その後ろに、しばらくの間立ち尽くしていた。
お堂の中に戻り、法要に参加。
1時間ほどの法要、とてもいい声のお坊さん。
一緒に参列したのは4組ほど。
それぞれ読み上げてくださる時に前へ進みでてお焼香。
ふと、父も確かにここに居るような感じがした。
般若心経と「南無大師金剛遍照」を共に唱和する。
ただただありがたく、父のことも、ご先祖さまのことも、家族のことも友人のことも、一つ一つに思いを馳せる。
法要が終わって、内壁に掲げてある僧侶の肖像についてお坊さんにお尋ねして教えていただいたり、しばし名残惜しく灯篭堂を後に。
土砂降りは続いていた。
まだ見ていなかった「弥勒石」のところへ。
小さなお堂の中に結構な大きさの石がおいてあり、格子の間から手を入れて、それを上の段まで持ち上げる。簡単に持ち上がるのは罪の軽い人、重い者は持ち上がらない
・・・のだが、石は片手では到底持ち上がらないくらいの重さで、狭い格子の間からなんとか両手を入れて持つことは出来ても、とてもとても持ち上がるものではなかった。
雨に濡れながら数分格闘したが潔く断念。
罪が軽いとは思ってないので、納得(苦笑)
まあ、石に触っただけで弥勒菩薩様のご利益があるというので、それでもう十分である。
帰り道は、もと来た道ではなく新しく出来た広い道の方を選ぶ。
企業の墓所を見たかったからだ。
護摩堂の近くにあった浅野内匠頭の墓所。
すでに13時頃ですっかり空腹だったけど、てくてく歩く。
しらばく行くと、左手、開けた場所に英霊殿が見えてくる。
川を渡ってお参りする。
雨は緑をより美しくしてくれるのでありがたいね。
ここは吉本興業の芸人さんだった花菱アチャコさんの墓所。
らくがきは人を楽しくする、っていうことらしいね。
らくがきできるお墓なんて、他にないんじゃないかなあ。
コーヒーカップのucc、上島珈琲。
シャープはスピーカーの形なのかな?
見ると少し上の方まで続く階段の山道が見えたので、雨と折れて散らばった枝々で滑らないよう恐る恐る登ってみたが、小さいお社が。
親鸞さんのお像も。
法然さんも親鸞さんも、なんかみんなここにいらっしゃるっていいなあ。
階段を下って元の広い道に降りる。
アデランス!(住人の1/3がお坊さん・・・の高野山にある、って思ったらなんとなく笑ってしまった私は不謹慎です)
やすらかに、って。
これらは奥の院ではすでに「名所」のようになっているけれど、企業がまた新しいものを建てようとしたらまずは土地を入手しなければならず、すでに分譲で埋まっている奥の院では結構難しいと聞いた。
しかも最近ではあまり奇抜なデザインのものは減る(企業側も高野山側も)傾向にあるとか。
灯篭の行列に見送られて、さて、やっと門が見えてきた。
ここは朝足を踏み入れた一の橋ではなく、バス停や駐車場、食堂などがある中の橋。
なるほど、だからバスで着く団体さんは途中から入るから灯篭堂にすぐ着くわけですね。
朝からかなり歩いた。
13時半、もういい加減にお昼ごはんを食べないと午後の予定がこなせない!
で、ちょうど停まっていた高野山駅行きのバスに乗り込み、座席に座ってホッと。
街中のどこかでお昼を食べ、できれば大門あたりを見に行きたかったので、とりあえず千手院橋まで乗ることにする。
バスを降りるとすでに土砂降り。
滞在中に一度は食べに行こうと思っていた角濱ごまとうふの大門店まで歩く。
ずぶ濡れで入店、あたたかい店内、席についてやっと人間に戻れた気がした(苦笑)。
全てがお豆腐で出来ている美しい御膳、曼荼羅を模した「胎蔵界セット」を。
同じお豆腐をこれだけの種類の味で変化を持たせるのはすごいよね。
何よりも見た目が綺麗だし。
炊き込みご飯とお味噌汁も嬉しい。
美味しいコーヒーも味わって生き返った気分。
今見てきたことなどをメモに書いたり、地図を見たりして過ごしていたが、土砂降りが一向に弱まらない。
スマホで雨雲レーダーを見ると、それどころがこれから酷くなっていくらしい。
仕方ない。
このまま何も見ないで午後を過ごすのも勿体ない。
お会計を済ませながら「止まないですねえ」「仕方ないので出かけてみます」「うちはずっと居ていただいて大丈夫なんですよ」と。
お店のお姉さんのちょっと困った笑顔に見送られて、土砂降りのなか店を出る。
目指していた大門はそこから数分。
本当は、高野山はここから入りたかったのだ。だって、ここが入り口でしょ?
そういえばお世話になってる松島龍戒ご住職も仰ってたな「テレビのロケなんかだと、いつもどうするか迷うんです。大門から始めるか、バスでみんなが着く千手院橋あたりから始めるか」
もっと言うなら本当は、麓の九度山から続く一番正式な参拝ルート、空海さんが辿ったとされる町石道を6時間かけて登り、この大門前に出るのが夢だったのだが。
一人で山道、時間的余裕を考えて今回は諦めたのだったが、どっちにしろ台風の影響でこの道は通行止になったままだった。
大雨の大門へ着くと、その大きな大きな門の下で雨宿りをしている外国人観光客が。
こんな天気でここまで歩いてくるなんてバカか、と半笑いで自分に問いつつ、大門を写真に収める。
昔の人は、どんな思いでこの門の前に立ったのだろうか、ワクワクして中へ歩み行ったのだろうか、ここに一歩入ったところまでしか来られなかった女性たちは、ここから外回りの女人道を目指す前にどんな思いだったのだろうか・・・
大門のすぐ脇にも、お社に通じる道が。
ここも台風被害のため立ち入り禁止。
しばし思いを馳せながら、町方面に引き返し、角濱ごまとうふ本舗の今度は本店に立ち寄る。
お土産は最終日の帰る直前に買う予定にしていたが、考えてみたら駅までのバスに乗るのはもっと宿近くの中心部、ちょっとしたはずれのここまでくるのは面倒だと、せっかく近くまで来たのでお豆腐だけは買ってしまうことにした。
結構な量買い込んで重い。
大雨だったが店にビニール袋がなく、紙袋が雨で破れないように腕に抱えてなんとか歩く。
次の予定は16時半から恵光院で行われる阿字観。
恵光院はまたまたもういっぽうの端、奥の院に近い。そろそろ体力も限界に近かったが、2〜3のお寺に寄りながら歩いていけばちょうどいい時間に着きそうだ。
途中、宿坊協会兼観光案内所に寄り、ビニール袋をいくつか分けていただき、ちょっとホッとして先を急ぐ。
大師教会隣りに朱色が目立つ常喜院さんに寄り、赤いお地蔵様を拝観。
お大師様の十大弟子の一人、実恵が開いたこのお寺の地蔵堂には色々お祀りされていて、しかも音楽が流れていて(!)賑やかだ。赤地蔵として親しまれている「恵宝地蔵尊」、悪いところをさすると良くなるという「さすり地蔵尊」などたくさん。
金剛峯寺の駐車場のすぐ前、道がグッとカーブしている場所で、事故が多かったことからお地蔵さんをお祭りしたところ事故が減ったという。
お参りついでに、ずぶ濡れの荷物を拭いたり、持ち物をまとめたり。
歩き続けて奥の院近くの成福院さんにも立ち寄る。
外から一見しただけで異国情緒を感じる八角形のお堂、摩尼宝塔。
お顔立ちが日本のとは違ってまたいい。
天井からつる下がった大きな数珠には一つ一つ大吉とか吉とかおみくじの目が書いてあって、目をつぶって3回引っ張り、握っていた場所が結果という占いができるようになっている。
なんか、ネオンちかちかしてた仏様たち・・・
パーリ語で書かれたものとかこんな感じだったな。
またしてもだぁれもいないお堂の中をぐるりと、様々な展示物を満喫させていただき、十分お参りをしてお寺を後に。
近くの持明院さんの門前も灯篭が素敵。ここは浅井長政とお市の方の肖像画があることで有名(この翌日、霊宝館で鑑賞)。
そこからすぐの刈萱堂にもお邪魔。
ここも私一人!
歌舞伎にもなった悲話、刈萱道心と石童丸の物語の舞台。
その物語が何枚かの額絵になって、お堂の壁にぐるりと掲げてある。
そしてここは明智家の菩提寺でもある。
靴もびちゃびちゃ、靴下は絞れるくらいずぶ濡れで到着したので、入り口に備え付けてある大量のタオルがとてもありがたかった。中を汚してしまっては申し訳ないので念入りに拭く。
案内された待合室はパソコンルームになっていて、ガイドブックや真言宗の本が並んだ本棚や、マッサージチェアなどが所狭しと置いてある。
外国人のお客さんが特に多いのか、各国語のものが揃えてあり、コーヒーメーカーには温かいコーヒーもあり、とても快適そう。
阿字観に集まったのは5人ほど。
阿字観道場ではなく本堂に通される。
薄暗い本堂の中、大きな阿字のお軸の前で、若い修行僧さんがご指導くださる。
あくまでも「体験」なので初心者向け、座り方と呼吸法(数息観)を中心に教わった後「それでは各自、瞑想に入ってください」という感じで修行僧さんは姿を消した。
しばし静寂のなかで座る。20分後くらいに戻って来た修行僧さん「はい、目を開けていいですよ」
あれー、目を瞑るんだったのか・・・?
せっかくのお軸だったが最後まで阿字を見ることはなく、声を出すこともなかったけど、いつもは臨済宗の座禅会でやってる数息観をここでやるとは思ってなかったから面白かった。
全ての体力を使い果たし、再びグショグショのスニーカーに素足でズブズブ言わせながら20分ほどテクテク歩いて帰宿。
お風呂に直行したかったがまずは夕食の時間。
温かいご飯とお味噌汁に一息。
紅葉の葉が乗った天ぷら盛り合わせ、高野豆腐の酢の物、くるみやゴボウの突き出し、かぶらなどの餡掛けの煮物、揚げ出し豆腐、菊の花びらの添えられた胡麻ペーストのかかった野菜、お出汁味の白菜や人参、キノコ、油揚げのアツアツお鍋。
デザートは梨でした。
露天風呂のある広めの温泉は熱めだったせいか、なかなか寝つかれなかったが、この日の温泉は38度とぬるめ、しかも一人っきりで貸切状態!
ゆったりと浸かって、そのままお布団へきゅーばたん。
熟睡でした・・・・
翌朝もまた4時半起床ですからね、さて、明日の朝勤行はどこへ???
2日目、17024歩。
(3日目へつづく)