空海さんに会いに〜2日目前半〜

高野山紀行、つづきます。

旅の2日目。
前日の旅立ちに続き、またもや朝5時起床。
6時からの朝勤行に参加するため、シャキッと起きて身支度。
10分前に本堂に行くと一番乗りだった・・・
塗香をいただき進む。
ロウソクの灯だけなので薄暗い本堂、どうぞお好きな場所にと案内されて入るも、しばらくはご本尊の位置さえわからない。
目が慣れてくると須弥壇の前に2〜3人のお坊さんたちが静かにご準備をされてるのが見えた。
ちょっと離れたところに正座していると、お坊さんのお一人が「どうぞ、遠慮なさらずに前へ」と言ってくださったので、正面中央最前列に座り直す。
福智院のご本尊は愛染明王様。ただでさえ薄暗い中、一番遠く奥にいらっしゃるご本尊はほとんど見えない。赤い体をしていらっしゃるはずだが。
時間になると、団体の宿泊客たち、おじさんおばさんたちが賑やかにやっていらして座る。そして時間ギリギリに外国人のお客さんたちがゾロゾロと。
高野山で初めて聞くお経、嬉しい。
冒頭は聞き覚えのある声明!いつも松島さんのお寺で聞いていたのと同じだったような。
そのあとのお経はもう全部聞き慣れないものばっかり。
読経が始まると順番にお焼香。
体の大きな外国の方たちは、正座やあぐらで座っているのも大変そうなのに、日本人にならってにじったり、中腰で前に出たりするのが一苦労。体を小さくして手を合わせる。そうでなくても立つと天井に頭が付きそうで大変。
僧侶は全部で3〜4人だったろうか、中央で読経されていたお坊さんだけが途中少し高い声でオブリガートのように別の節を唱えていて、その重なり具合が面白かった。あれは曹洞宗では聞かないね。
ベースがB-Dur(笑)で貫かれていて、瞬間的にものすごく西洋的な響がすることもあった。
50分ほどの勤行の最後にお歳を召したおそらくご住職だろうか、短いご挨拶をされた。日本語に続いて、きっと毎日毎日話されているのだろうなあという英語のフレーズで外国からのお客様を歓迎されていた。
「昨夜皆さんがされた写経をこちらのお大師様に奉納させていただきました。願い事を拝見していると日本の方は皆さん『家内安全』が多いですが、外国の方は圧倒的に『世界平和』が多いですね。視野を広く持って世界のことを考えられるようになりたいものです」と仰ったのが印象的だった。写経を納めた空海像の前でお焼香。
本堂の扉が全て開けられて堂内に光が入り、ご本尊や仏像が少し見えてくる。孔雀明王も!
お坊さんのご案内で、須弥壇の後方にぐるりと安置されたたくさんのご位牌を列になって見せていただく。
全国からのお位牌、特にこのお寺と所縁のある井伊家代々のお位牌も。多宗派のお位牌もあるし、喉仏、髪の毛などもご供養されている。
そして著名な造園家で高野山にもたくさんの作品がある重森三玲の晩年作「愛染庭」のご披露。
本堂から見られるのはこの勤行の時のみということで、皆夢中でシャッターをきる。
冷たい朝の空気から見る庭は、愛染明王のお身体の赤い色を表した赤い土と白い砂のコントラストもくっきりと素晴らしい。
モダンな感じだけど、こういうのもいいかも。
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庭を拝見してからもう一度本堂をぐるり。
須弥壇横の曼荼羅をじっと見ていたら、お坊さんのお一人が、それがあの「血曼荼羅」のコピーであることを教えてくださった。霊宝館にある本物は、とても黒ずんでいてあまりはっきりは見えないとか。最近同スケールのコピーが作成され、これはその縮小版ですと。
曼荼羅って近くで見られることがほとんど無いので、つい見入っちゃうね。

気がつくと本堂には私一人になっていた。
部屋へ戻りがてら、館内やお庭をパチリ。
鎧兜とか古そうな美術品たち。
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廊下から見た愛染庭。
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井伊家の「井」発見!
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休憩スペースと、そこから見えるお庭。
緑が綺麗。
奥には何やらお社が。
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高野山名物「宝来」
むかし稲が採れなかった高野山でしめ縄の代わりに作られたのが由来という。
「寿」などの文字や干支などいろいろな柄が。
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お部屋に戻って朝食を待つ。
ちなみに、この向こう側の出っ張った小さな一角が私のお部屋!
居心地がいい。
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朝ごはんが来た!
お鍋は、温かい豆乳に浮かんだお豆腐。
がんもどきの煮物、とろろ、梅干しに昆布、海苔、おからなど。
お味噌汁に白いほかほかご飯(たっぷり2杯)。
朝はお茶が緑茶。目が覚めるね!
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朝食を終えて8時、宿坊を出る。
この日のテーマは「奥の院」
ある宿坊の阿字観に参加する夕刻までをたっぷり使って、奥の院だけを味わい尽くそうと考えていた。
メインストリートをただただ奥の院に向かって歩く。
辻々にあるお地蔵さんやお社に一つ一つ目が行くが、多すぎてキリがなくなる(いつかの出雲と同じ状況・・・苦笑)
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福智院を出てすぐ、金剛峯寺へ曲がる角にあるお地蔵さんが可愛い。
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高野山には高野七弁天のように、水を得るためにお大師様が招いた神様たちもたくさんいらっしゃる。
ほんとは全部回りたかったのだけど、雨もひどいし、まずは奥の院からととま口だけでご挨拶。
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これは千手院橋からすぐの水路。
ブラタモリでタモリさんがのぞいていた、あの暗渠になってる川が表に出て来た場所だ。
小降りだった雨がドンドン強くなってパーカのフードだけでは凌げなくなり、寒さもつのってきて、途中地蔵院あたりの軒先を借りてウインドブレーカーを重ね着したり傘をさしたり。
さっきまで光さえ差していたのに、あたりはもう霧がもやって、本当に山の天気なんだなあ。
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西室院あたりにある、奥の院へ向かう町石。
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緩やかな坂を降りてゆくあたりにある清浄心院。
道路からも見えるお庭が美しい。
文字通り心が洗われるようだ。
その向かい、一橋口のバス停付近で二股に分かれた道の間にある宝善院さんの門も清々しい。
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すでに全身濡れながら一目散に歩き、気づくともう一の橋。
もっと遠いかと思ったら意外とすぐだった。
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思えば、私が高野山に来たかった一番の根っこは、この奥の院。
この両側の杉木立ちと何万基という墓と供養塔の中を歩いたら。
そしてついに御廟まで行ったら。
どんなところなのか、どんな空気なのか。
そこに何があるのか。
私にもそれが感じられるのか。
合掌一礼して足を踏み入れる。
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少し雨が弱くなり、傘をたたむ。
朝8時過ぎ、あたりはもちろんすでに明るいが、ここは人っ子一人歩いていない。
そしていきなり鬱蒼とした巨大な杉と視界じゅうを占める五輪塔と暮石の大群。
10メートル、20メートル・・・一の橋から遠くなるに連れて、だんだん不安になってくる。
何度も後ろを振り返りながら、引き返そうかと3回くらい思った。
こういう場所を怖いとはちっとも思わないのだけれど、何故か、このまま進んでいって大丈夫なのかという心細さに襲われていた。
以前やはり雨の中、伏見稲荷をお参りして霧にまみれて山頂の一宮まで一人で登ったときも、あの何とも言えない霊気にやられて相当怖かったけど、ちょっとそれを思い出した。
少し歩くと奥から歩いてくる人とチラホラすれ違うようになった。
すでにお参りを済ませた人、御用や作業を終えたような地元の方達。
早朝から出かけて戻ってきたのだろうか、外国人カップルの姿。
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五輪塔や墓石以外にも、実に様々な形の「ご供養」が。
大木の根っこの間や道の脇に置かれた(この石畳の道を直すときにも土の中からたくさん出てくるらしい)小さな仏様や長方形の石に線を引いた庶民の「五輪塔」も。
五輪塔の形さえしていない長方形の石も、よく見ると線が引かれて5つに分かれている。字はそこに彫るのではなく、墨で書いていたらしい(ブラタモリ情報)。
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1200年もの庶民の思いが重なる。
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この景色、この道。
テレビで、雑誌で、何度見たことだろうか。
そこに立っていることがとにかく有り難かった。
奥の院の御供所に10時半までに着けばよかったので、パンフレットを見ながら一つ一つの墓所に足を止めて見ていく。
大きさも形も立派な大名たちの墓所や供養塔は有名。

薩摩島津家。
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有馬家。
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八代将軍吉宗公。
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そして、この古くからの通りには珍しい、現代人の墓所。
江崎グリコの江崎家。
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もう明るくなっているけれど、灯りが残る灯籠。
向かって左側の灯篭の見える面には月が(欠け方もまちまち、時々丸いのは満月!)、右側には太陽がかたどられている。
それぞれの灯篭には手前に月、向こう側に太陽となっているので、帰り道も同様に左側の灯篭に月が見える。
お坊さんのお話では、これはお大師様が仰った「人の心は月のように変わりやすい」こと、そしていつも変わらぬ丸い太陽は大日如来様を表しているそうだ。

紀州初代藩主・徳川頼宣。
扉がハート模様みたい。
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ありとあらゆる五輪塔。
小さなものでも並ぶと圧巻、しかも苔むし方が時を感じさせる。
さあ、奥の院でも有名な武田家墓所。
左が信玄、右が勝頼。
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そして道を挟んでちょっと小高いところにある、上杉謙信の霊屋。
川中島!!
社の木材に微かに彩色の跡も見て取れた。
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これは「授籌(数取り=かずとり)地蔵」
ここを通ってお参りに行った人を全員、誰が何回通ったかを数えていらして、地獄に落ちたときにそれを閻魔様に報告してくださるのだとか。
回数が多い方が助かるのだろうなあ・・・む〜。

姫路の酒井家。
どこも入り口の鳥居が印象的ですね。
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弘法大師腰掛け石。
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相変わらず周りに誰もいないので座ってみようと思ったが、石の柵で囲われているのでうまく座れない(笑)
せめてもと手でさわってみました。
そういえば根津神社には漱石や鴎外が腰掛けたという「文豪の石」があったなあ・・・
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五輪塔もこれだけ大量に見ていると感覚が麻痺してきて、スゴイとも思わなくなってくる・・・
けど美しいね。
が、大きくて立派なのはやっぱりエライ人のものなんだろうな。
石が木や苔と共生し一体化しているのが不思議。年月を経てきた石、何百年もの樹齢の杉の木、それよりはずっと若いであろう苔や低いところにいる樹木。
時の長さ、何かと何かが時と場所を同じくして出会うことの尊さ。

伊達政宗墓所。

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今回、ここに来る直前の台風21号の被害が高野山でも酷く、南海電鉄など交通機関の他にも、境内での多くの倒木や墓石の倒壊、奥の院でも一切経堂の屋根が一部損壊したりした。
倒れた巨大な木々を姿は痛々しいけれど、それでもその幹や根っこの存在感は倒れてもなおスゴイものがある。
観音様に打ち当たらなくてよかった・・・
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ここにも島津家。
墓石がひどいことに・・・
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石田三成。
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そして、その一つ挟んで隣に明智光秀。
光秀の墓所にある五輪塔の下から2番目「水輪」には何故か必ずひび割れが出来てしまい、建て替えても建て替えても繰り返しひび割れてしまうという話がある。なんでも信長の呪いとか。
確かにひび割れてた・・・
(わざと直さない、って説もある・・・お坊さん談)
ちなみに「墓所」はお骨があるところでいわゆる墓石の形をしているものが多いが、「供養塔」は五輪塔などが多くお骨は入ってない(地元に墓所があったりするもんね)と区別はあるみたいだけど、五輪塔でもお骨が入ってるものは「墓所」と表記してあるそうだ(お坊さん談)。
ちょうど今「軍師官兵衛」の再放送を観ているものだから、なんとなく小朝さんの顔が浮かんじゃったりする。ドラマ、恐るべし。
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久留米の有馬家。
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ちょっと小高いところに本多忠勝。
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そして、南海電鉄創業者の墓所。
立派です。
この方がおられなかったら、ここへは来られなかったのだなあ・・としみじみ。
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とにかく倒木がすごい。
悲しい気持ちになるけど、台風の後しばらくは奥の院参拝も出来なかったから、精一杯作業してくださった方達に感謝。
まだあちこちで作業員の方の姿を見かけました。
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初代市川團十郎の墓所は中の橋のすぐ手前にある。
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そしてやっと中の橋。
距離的には一の橋からそんなに遠くないのだけど、のんびり1時間くらいかけて歩いてきた。
この辺りはちょっと空間が開けて、川のせせらぎの音がとても心落ち着く。
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雨が止んできて傘をたたむ。
そしてお決まりの名所がここにも。
汗かき地蔵。
湿気?のせいで汗をかいて見えることがあるお地蔵様。
私たち参拝者の苦しみを負ってくださっているとも。
宝来の掛かったお堂の前でゆっくりとお参り。
本当に誰もいなくて、どこもゆっくり観られるのが嬉しかった。
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そしていよいよ・・・
姿見の井戸。
きゃー!
覗き込んで自分の姿が映らなかったら3年以内にあの世へ・・・という井戸。
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メガネを落とさないように外してから、恐る恐る覗き込む。
お天気悪いから映らないかなあ・・見えなかったらどうしよう、とかちょっとビクビク。
ちゃんと顔が映りました〜
流石にホッとして、小さなお地蔵様に思わず手を合わせてお礼(笑)

ホッとするのも束の間、引き続きまだまだ「高野七不思議」が控えてます。
覚鑁坂。
ここで転ぶと3年以内に・・・。
きゃーーーー!
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この微妙〜な段差のゆるさがまた危ない。
一段ずつ両足を揃えて(笑)
途中、うっすらと仏像が彫られた「庶民の石」を拝みながら。
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中の橋を渡ってすぐ右、覚鑁坂の途中にあるのは禅尼上智供養塔。
一番古い(石に永和元年とある。1375年)女性の墓所だとか。
女人禁制だった高野山にあるところをみると、さぞ徳の高い方だったんだろうな。
「墓石に耳を当てると善人には極楽浄土の音、悪人には地獄の釜の音が聞こえる」というので、石のところまで登って耳を当ててみた(本当に誰もいないのでやりたい放題)。
何も聞こえず。
ということは善人でも悪人でもないということか、それともどっちも、ってことか・・・む〜。
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坂の途中にダイナミックな倒木。
人間なんてちっぽけ。
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さて、キョロキョロしているとつまづくよ。
覚鑁坂はまだまだ終わってない!
右手、パナソニック、松下さんの墓所は倒木がひどくて立ち入り禁止。
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お向かいはクボタ。
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そのお向かいさん、松下さんのお隣には密厳堂。
平安時代の高僧で真言宗の中興、この坂に名を残した覚鑁上人をお祀りしている。
係の方が台風で乱れた敷地内を片付けていらっしゃる最中だった。
お声をかけてからお参りさせていただく。
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身代わり地蔵。
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お地蔵さんの前に立ち尽くしていると「ハロー!」と声が。
あれ〜、昨日のあのオーストリアからのカップル!
また会った!!
すごいな〜、3回目。
「まだ高野山に居るの?」「いや、これからもう帰るんだ」「そうなんだー、引き続き良い旅をね!会えてよかった!」
もう知り合いみたいな感じで話す。
声かけてくれてありがとう!

エライ方々の墓所が続く。
浅野家。
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長州毛利家。
突き当たりはネパールの供養塔。
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毛利家も大変なことに・・・
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やっと人の姿が増えてくる。
相変わらず延々と続く杉木立。
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そして、左手に少し山へ入った小高いところにある、ここにある石碑群で最も大きい「一番石塔」、崇源夫人の五輪塔。
お江の方である。
6.6メートルは近寄って見るとかなりの威圧感。
女人禁制だったのに、一番大きい石塔が女性のお墓ってところがすごい。
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可愛いお地蔵さんシリーズ。
化粧地蔵。
「自分の化粧道具でお化粧すると美人になる」というので、私もリップペンシルで・・・あはは。
誰もいないっていいなあ。
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その近くに芭蕉の句碑。
ここには他に与謝野晶子や山口誓子の句碑もある。
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高野山の凄いところ。
真言宗の考え方そのもの、どの宗教や宗派も区別しない、大事にするということ。
もちろん空海さんの著書には「その完成形?最終地点に真言宗がある」という考え方も記されてるけれど、全てを包括してしまうという懐の大きさが、この山全体からも感じられる。
ここには親鸞聖人の供養塔、法然上人の供養塔、牧師の墓まである。
みんな弥勒菩薩に会いたいのね・・・
こちら法然上人。
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安芸の浅野家。
こちらも倒木。
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そろそろ最後の橋、御廟橋に近くなってくる。
その辺りに松平家。秀康とその母君霊屋。
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そして、御廟に限りなく近いところに満を持して・・・
豊臣家。
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そしてその並び、秀吉よりさらにちょっとだけ御廟に近いポジションに織田家。
さすがというかなんというか。
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さあ、10時過ぎにやっと御廟橋のたもとにたどり着く。
ああ、ここだ。
ここに来たかったんだ。
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ここには護摩堂、御供所などがあり、お守りやお札、御朱印などがいただける。
10時半にここから出発する生身供(御廟にいらっしゃるお大師様へ毎日届けられるお食事)の様子を見たい。
これは今回の高野山行きの、奥の院の、そのまた一番自分の目で見たかったもの。
このために高野山に来たと言ってもいいくらい。
まだ時間の余裕があったので、トイレを済ませてから休憩所でまずはちょっと一息。
雨の中傘をさし、ガイドブックを手にシャッターを切りながら、結構歩いて来てそれなりにちょっと疲れていた。
休憩所では団体客を前に一人の若いお坊さんが法話中。
静かに入って、奥の台所でフツフツと湧いていた熱いお茶を柄杓でいただく。
冷たい雨にさらされていたからとてもありがたい。
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護摩堂へお参りし、窓口の方に生身供のことをちょっと伺う。
時間ピッタリにしか出発しないので3分前に来れば見られますよ、と。
橋を渡る前までは写真を撮ってもいいし、なんなら後からついて灯篭堂まで歩いていってもいいんですよ、と。
わ〜い!そりゃあいいや!
時間までに、ずらっと並んだ水向地蔵さんへ、ご先祖と数年前に亡くなった実家の犬の供養札を2枚作っていただいてお参り。どのお地蔵さんにお願いしてもいい、というので、迷った挙げ句、一番お優しそうなお顔の観音様のところにした。
お札を置いて、仏様の足元に静かにお水をかける。
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この向こう側に流れているのは玉川。
よくテレビや写真で、ここで修行僧さんたちが水行をしているのを見ることがあった。
肩まで浸かって般若心経をお唱えしていたなあ。
ここなのか。
冷たそうだ。
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護摩堂。
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(続く)












by saskia1217 | 2018-10-14 02:59 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!


by saskia1217