おかえりなさいエレカシ
2013年 07月 13日
エレカシが、正確にはエレカシのヴォーカル宮本さんが、病気療養を経て復帰することが決まった。
昨日FC会員には封書で知らされたこの朗報は、あるメディアにすっぱ抜かれたせいで情報解禁が16時間ほど早まり、今日の早朝のニュースとなった(らしい)。
9月に東京日比谷の野音、10月に大阪の野音、そして来年1月にさいたまスーパーアリーナ。
おかえりなさい、宮本さん!
待ってたよ。
よかったね、本当に。
石森さん、富永さん、高緑さん、スタッフの皆さん、また一緒に音楽できるんだね。
しかも、ア、アリーナ!・・・エレカシがアリーナ?!
宮本さん、やりたがっていたみたいだからなあ。
よかったね。
2年でも3年でも、10年でも20年でも、このまま普通に待っているつもりでいたから、こんな早い復帰に、驚くというよりも「ほんとにもう大丈夫なのか」というハテナのほうが・・・。
もちろん嬉しいのが先に立つんだけど。
しかも復帰が「バ〜ンとコンサート!」なのがエレカシらしいなと。
もう長年の習慣で、少なく期待するのがクセになっているファンとしては、復帰はシングルかミニアルバムか、数曲の配信か、もし運が良ければアルバム?・・・い〜やいや、そんな贅沢は望んじゃいけないだろう、くらいの心づもりだったんだよね。
数ヶ月前くらいからリハをしている、元気で街を歩いていた、などの便りから徐々に良くなってきて段々復帰するのだろうとはなんとなく思っていたけど。
嬉しい、無条件で嬉しい。
彼らの音がまた存在するということが。
宮本さんの新しい曲がまた聴けるということが。
その声がまた聴けるということが。
まあ、2日間になったとはいえ野音のチケットに当選する難しさは変わらないだろうが、でももし今回外れても、もう全然構わない。そういうことじゃないんだ。
そう思った。
今日はデビュー25周年記念のドキュメンタリー映画「the fighting men's chronicle エレファントカシマシ 劇場版」(山下敦弘監督)の公開初日。
六本木TOHOシネマズという、エレカシには最も不似合いな(笑)映画館にそれを観に行くことになってたが、その前に渋谷のタワレコで開催中の「戦う男の25周年展」を覗いていく。
これだけ「エレカシが好き」と公言しておきながら、どうもこういう展覧会とかに行くのが妙に恥ずかしい私は、特に最近は「も〜行かなくてもいいか」みたいなテンションになっていたが、今日はなんだか素直な気持ちで出かけていった。
普段はあまり行かない8階のギャラリースペース。
エレベーターを降りると・・・ド〜ン!
入ってすぐのメンバーの実物ステージ衣装(というか普段着・・笑)。
通る人通る人、全員がもれなく驚嘆のつぶやき。
「ほっっっっそ〜!」
実際の使用楽器と機材による、ステージセッティングの再現。
いつも気になってたテープ巻き巻きのカウベルとか、アンプの裏側とか見られてよかったな。
そしてあの「男椅子」。
宮本さんが何千回とこの上に立ちあがり、時には背に座って歌って来たこの椅子。
巨大な「男」ステッカーが椅子の下に貼ってあるのだが、今日はそれは拝めず。
ただこのすさまじい「傾斜」は近距離で見るとやはり大したものだった(笑)から、ここに難なく立って歌うヴォーカリストもすごいバランス感覚だなあ、と。
両壁にはメンバー全員の誕生時からの年表。全て頭に入っているとはいえ、こうやってあらためて眺めてみると感慨深い。
デビュー当時からの数々の記事や写真、ほんの数年前ファンになってからあっちこっちから一生懸命コツコツ集めて読んできたものの他にも、初めて見るものもあって嬉しかった。
ファンクラブ初期の会報を、部分的に見た事のあったその形状や中身を手に取ってゆっくり見られるのも贅沢で、完全に「アイドル仕様」だった90年代初期のインタビューや写真に思わず笑っちゃったり。
奥のスクリーンでは、エピックとの契約を切られた直後の95年に下北のシェルターでやったライブ映像が流されている。
著書の生原稿、過去のグッズ、サインなども。
もはやガツガツせず静かな気持ちで素直に楽しめて、なんだか自分もエレカシ休止期間になにか「心の洗濯」が出来たような気がした。汚れていたものを綺麗に出来たという意味ではなくて、エレカシに対する気持ちが大きすぎて重すぎて自分も疲れていたんだなあ、って。
六本木に移動して映画館へ。
小さなキャリーケースを引いて観に来ているお客さんもちらほら。わざわざ遠くから出かけてこられたのだろうか。
満員の客席、今朝のニュースも受けて皆あれこれと会話がはずんでいる。と、いきなりの暗転。そして、あのゴージャスな映画館に似合わず、パンフレットもアナウンスも、何もないところからいきなり上映が始まる。
とてもポップコーン片手に観ようなんて気も起こらなかったし、客席は一丸となって集中の塊と化していて、時に可笑しい場面で笑ってしまうツボも皆同じだったのが面白かった。
映画に関しては少しネタバレしています。ご注意ください。
デビュー当時、21歳くらいの時の山中湖合宿の、古ぼけて痛んだ白黒映像から始まり、ごく1ヶ月ほど前のリハ風景や野音を訪ねる映像などが、昔お客に悪態ついてた頃のライブ映像と交互に映し出されてゆく。
エレカシに惚れ抜いた初代マネージャーや、宮本さんの見事なモノマネでお馴染みのマキタスポーツさんやバックホーン、ブラフマン、スピッツのマサムネさんなどのミュージシャンをはじめ、(宮本さんをモデルにしている)「宮本から君へ」を描いた漫画家さんから映画監督まで、エレカシから多大な影響を受けて来た何人かのインタビューが挟まる。
様々な立場の色々な年代の彼らの口から出ていたエレカシへの言葉が、あまりにも皆同じなのが興味深い、そしてスゴイことだと思った。
「日本にロックが入って来て独自の進化をとげ完成形となった、それがエレカシ。」
「『エレカシは日本のロック』じゃなくて『日本のロックはエレカシ』なんですよ。」
マサムネさんの言葉が印象的。
「拘りの主人がやってる蕎麦屋で、怒られながら蕎麦喰うみたいな。それがしたくて行ってたのに(ある時期からフレンドリーになった)」に皆クスクス笑う。
メンバー3人に小学生を叱るように怒鳴り、「もっと練習しろ」「もういい、帰れ」「こんなんじゃ歌う気になれない」と激しい口調で責める宮本さん。
その姿と気迫は2004年に是枝裕和監督が撮ったドキュメンタリー映画「扉の向こう」と何ら変わってはいなかった。メンバーを叱るその言葉と口調さえも。そのもどかしさと悔しさと歯痒さと。自分がやりたい音楽に対する憧れと、何が何でもそれを捕まえて形にして出したいという情熱も。
ただ年齢を重ねただけで、あとはまったく変わっていない。
「まだ、まだまだ行けるだろ!」
この、この10年前と同じひとことが全て。
エレカシの曲を聴いたり、ドキュメンタリーやインタビューに触れたりする度に毎回必ず同じことを思うのだ。
「ああ、ちゃんとやらなきゃいけない。時間を無駄にして生きてちゃいけない。」
恥ずかしい、こんなんじゃダメだ、全然ダメだ。
そして。
「ああ、この人たちは一人欠けてもダメだ」ってこと。
何をいまさら。
承知の事実なんだけど、今この状況で彼らの中のお互いへの言葉やニュアンスを目の当たりにすると、そのあまりの「不動さ」に圧倒される。
映画ラスト近くで、3人の出来の悪さを叱ってひとりスタジオを出た宮本さんが、外から彼らの練習している音を聴いているシーンがあった。
「ああ、どうすりゃ良くなるんだろ。」と頭を抱える。
「技術はドンカマを使えばいいって話なんだけど・・・以前小林(武史)さんに頼んだときも結局それを使った。でも・・・でも、そうじゃないんだよな・・・う〜ん・・・」
そうだよね、それはしたくないんだよね。
そして今そこで鳴っている音楽を修正するために「あ、そうか!石くんにギター弾かせりゃいいのか!」と突然閃いてスタジオに戻る。
今日の映画で一番印象に残ったシーンだった。
高緑さんに「そんなんでステージに立てるのか?野音で弾けるのか?」と厳しく叫ぶ宮本さん。
復帰してステージに立ったとき、以前と変わってないなんてあり得ない。ましてや「ただのオジサンがそこに立ってる、ってのだけはやめてくれよ!!」と。
自分が彼らを叱咤激励しなくては彼らの元気が出ないから、だから怒鳴るんだと言う。
いやいや、それだけじゃないのだろうな。
「持ってると吸っちゃうから」と言いながら箱に残ったタバコを何本も豪快にゴミ箱に捨てる宮本さんの姿も印象的だったけど、あれだけめちゃくちゃ怒られ怒鳴られながらも「もう何言ったって、石くん俺にタバコ渡してくれないもんな」と宮本さんがシュンとなるくらい厳しく「喫煙管理」してた石森さんも頼もしかった。
エレカシを作り上げているその厳しさを、その真摯を、ちょっとでも彼らの音楽から遠ざかると忘れてしまう自分。
情けないけど弱すぎる。
また今から立て直しだ。
「エレファントカシマシを愛してくれてありがとう。私はもう大丈夫です。本当にありがとうございました。
さあコンサートが始まるぜ!みんな期待していてくれ!」
彼らの音楽を、生き様を、ずっと愛し続けていられる尊さ。
感謝して、背筋を伸ばして、澄んだ目をもって生きていこう。