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沈黙

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オペラを観に行ったのは本当に久しぶりだった。
新国立劇場オペラパレスの、松村禎三「沈黙」。
学生時代からの友人である小森輝彦さんがキャスティングされているというのでお誘いを受け、以前から気になっていた作品でもあるし、ドイツで長く活躍されて帰国し、国内でもたくさんの作品に出演している小森くんの舞台を久しぶりに観たいということもあった。

遠藤周作の「沈黙」。
高校時代、西洋音楽を勉強していると避けて通れない聖書やキリスト教についてもっと知らなくちゃなあと、学校のクラブ活動の(公立高校には珍しい)聖書研究会に参加したり、その頃クラスで流行った三浦綾子の小説を一気に読んだりと、いろんなものに深く感銘、ショック、影響を受けていた頃に出会った作品のひとつ。
同じ作家のものを一通り読んだなかで、じつは一番好きなのは、ものすごくシリアスな部分を露にしないままザックリ斬られるという、(個人的イメージでは)ちょっとシニカルで天の邪鬼な遠藤周作らしい作品「おバカさん」なのだけど、そこからいくとこの「沈黙」は実話に取材しているだけあって、もっとずっと生々しいから、いつも読みたい、という具合にはなかなかいかない。

でも、生涯で忘れられない小説の一二を争う。
もう何年も読んでいなかったけれど、ストーリーをはじめ、読んだときの気持ちや状況すべてがすぐに蘇ってくる。
このオペラは作曲者が13年かけて書き上げたもので、初演が1993年。日本のオペラには珍しく、その後何度か再演されている。

観に行くこと自体はとても楽しみだったのに、出かけるまで、とにかく気が重くて仕方がなかった。
あのストーリーを、文字だけでなく、音楽と舞台で目の前で見せられたら、どんな気分になるんだろう?
どんな音楽なのか、どんな演出なのか?
大丈夫なのか?
大げさだけど、本当に、普通に鑑賞できる自信がなかった。

でも。
観て本当によかった。
それも、今、このタイミングで。
気持ちは・・・重くなったというより、痛かったというより、今だからこのくらいで済んだよ・・・みたいな感じかな。
そのどっしり、ずっしりが何だったのかは、うまく言葉では表せないけど。

松村禎三の音楽が、いかに緻密で、登場人物の心の細部の色々を、どれだけ表現しているか。
どんな使われ方をするのだろうととても興味のあったチェンバロは、そんな心象表現の多くを担っていたのが印象的。
よく言われるような、墨の世界、枯山水の庭、能の間・・・そんなものに代表される、「日本的」な「静けさを埋める、同時に静けさを音を出すことで表現する」そんな役割に相応しい楽器なのかもしれない。
緊迫感、緊張感、空虚感、静寂、厳しさ、冷酷さ、シニカル・・・そんなものをチェンバロは担うことができる。
もうひとつ、ちょっと意外だったのは(指揮の下野さんもインタビューで仰ってたけど)、さぞや無調かと思いきや、分かり易い調性部分が結講あったこと。
そのふたつの対比としての落差や、ある部分象徴的に使われている共存が、とても効果的な作品だと思った。

キャストもオケも本当に素晴らしかった。
ロドリゴの小原さんは、こんな役を演じて日常の精神状態ははたして大丈夫だったのだろうかと思えるくらい、共感できるものだった。
オハルの石橋さんも本当に印象的で、狂気と清純さの両方を同時に含む、澄んで美しく、凶器のように痛く鋭い声の表現が素晴らしかった。
いつものように優しく一途な声の鈴木さんと共に、原作に無いキャストであるオハルとモキチのエピソードは、けして(小説の映画化によくあるような)「ヒーローヒロインの恋愛エピソードが無いと、見せ場がね〜」みたいなものじゃなく、あの二人が、観ている我々の日常を代表しているような・・・
幸せ、別離、悲しみ、苦しみが、誰にでも「自分のこととして」実感できるための、とても重要な役なんだなと思った。
あの二人の場面はもう・・・ダメでした。
オペラ観ていて、あんなにボロボロ泣けちゃったのは初めて・・・だと恥ずかしながら告白。
おまつの増田さんも見事だったなあ。歌う部分はそれほど多くはないのだけれど、説得力のある声と、意味が本当に伝わって来る言葉の美しさ。
キーパーソンのキチジローの枡さんは、歌もよかったけど、転び者としての難しい演技が冴え渡っていて、後半ずっと、「だれか」からの「許し」を求め続けて彷徨う姿は、誰しも思い当たるようで、他人事とは思えなかった。
ヴァリニャーノの大沼さんは、ステージ奥にいても、まっすぐに通る声と言葉が見事。

そして、小森くんのフェレイラ。
クリストファン・フェレイラは遠藤周作がこの作品を書くキッカケとなった、実在したポルトガルの宣教師。
イエズス会から日本に派遣され、重要なポジションで任務にあたっていたけれど、拷問の末に棄教し、日本名を名乗り日本人の妻を得て、著書「顕疑録」に代表されるようにキリスト教弾圧に尽力、一方で医学や天文学の訳書などで西洋科学を日本に伝えるという面もあったという人物。
このオペラではフェレイラは、捕まったロドリゴに棄教を迫る役として、作品の後半のみ出て来る、出番は長くはないけれどとても重要な役。
学生時代から切磋琢磨して、いつもいつも「声」の形成、完成を追求し、オペラであってもリートであっても常にその具体的な根源をさぐりながら、細部まで筋の通った「動き」を求めていた小森くんの舞台は、その方法は同じだけど、以前のような、プロセスまでも見せてしまうような力や硬さはもう微塵もなくて、すべてがバランスのとれた落ち着きと、美しい制御と、そのなかで失わない熱もちゃんとある。
あのまま真っ直ぐに求め続けてきたんだなあ、という、年月の素晴らしさを感じた次第。
演じていて「かつての自分を見ているわけだから、(稽古で)ロドリゴを見ていて非常に辛い」と彼も言っていたけど、そんなフェレイラを見ているこっちもかなり辛い。
西洋人が日本人になっている姿を、日本人が演じる、というパラドックスみたいな難しさはあったのだろうなあ、なんて思いながら。
あまり大きな動きをせず、和服を着て静かに立つフェレイラ。かつての自分と同じ苦しみに悶えている目の前のロドリゴを見下ろしながら、その「動じない」姿は、彼の「全てを手放した末の確信」ゆえなのか、それともそれは見せかけだけの不動なのか・・・

遠藤周作は子供の頃にカトリックの受洗をしたけれど、その後大人になってからのキリスト教のなかでの苦悩が多くの作品としてあらわれてきた。
「なぜ、神は、すべての前で沈黙したままなのか」という疑問は、キリスト教徒でなくとも人間が抱く1つの大きな不安だと思う。
小説「沈黙」では、究極の瞬間にイエスの声が決定的にあらわれるのだけれど、オペラではその直接的表現はない。
この物語では「愛する者を救う愛」と「神への愛・忠誠」とを天秤にかける。
自分が棄教さえすれば、多くの人の命が助かる。
セリフにも出て来るが「いまここにキリストがいたら、果たしてどうされるだろう」という究極の質問。
キリストは「自分が死ぬことで多くの人の命を救った」のだけど、「キリストだったらきっと、転んで多くの人の命を救ったはず」というフェレイラのセリフをきいていると、本当にそうなんじゃないかと思えてくる。
そっちが「正しい」ように思えてくる。
人間て、そうなんだと思う。
日々、瞬間瞬間、「正しい」と思うほうを選んで、人間は生きている、生きなきゃいけないから。

自分の信じたもの、ことに、常に持ち続ける疑問と不安。
「キリスト教の神は答えない神」とよく言われるけど、それは世界中どんな宗教でも、宗教に関わらなくても、だれにでもつきまとう。
小説もオペラも、この作品の普遍性は、そこなのかなと思う。
そう、この作品はすでに映画化もされてるし、マーティン・スコセッシ監督によるハリウッド作品は来年公開されるそうだし(予算的な理由なのか、日本じゃなく台湾ロケだったのがちょっと残念だな)。

舞台美術、演出の宮田さんが望んだという「斜めに刺さった十字架」と「難破船のような出っぱり」は、何も知らなくてもよく伝わって来た。
ただインタビューで語ってらした「重くて暗いテーマだけれど、登場人物すべての心がきれいなゆえに裏切りをしてしまう、物語として優しい作品」というのには、私はちょっと共感できにくいかもしれない。
やっぱり「優しい」という表現を感じることは、私には無理かな。

ラストのクライマックス、ロドリゴがとうとう踏み絵を踏むシーン。
宮田さんは「この音楽のどの部分で踏むことにするか、とても迷った」と仰っていた。そのインタビューを読んだのは終演後だったけれど、このシーンを見ていて私は「踏む」という行為、動作、そしてタイミングそのものがとても弱いように感じられて、少し期待はずれというか、肩すかしというか、残念に思ったのだった。
演者のものなのか、演出のものなのか?
この長くて大きな作品の、そこまでの流れを受けてのポイントとして、とても軽いように思えた。
もしかしたらわざと「踏む」方を軽く、その直後に踏み絵を胸に抱くほうに「重さ」を置いている、そういう意図なのかな、とも思ってみたりしたけど、それは穿った見方なのかな?

その部分の照明が素晴らしかった。
(二階席でよかった!)
ロドリゴが踏み絵を踏んだ瞬間、ステージ床に大きく映っていた白い大きな十字架が解体して見えなくなり、分散した白い光は刻々と、倒れたロドリゴの周りを包む円になっていく。
これが、このオペラの作者と作り手、全員の答えなのかなと思った。

本当に遠藤周作はスゴイ。
一番痛いところ、一番言ってほしいことを言ってくれてる。
生前、初来日だったホロヴィッツ公演のたまたま同じ回を聴いていたことがあった。
会場のNHKホールのロビーでお見かけしたその姿は、暗い色のスーツに身を包んだ、控えめで、でも研ぎすまされたような早足で、厳しさを見に纏っているような印象だった。
数ヶ月後の「音楽の友」に、当時大学生だった私の絶賛感動満載の投稿文の数ページ離れたところに、氏の「なんだったのだ、あの酷い演奏は」という怒りに満ちた酷評が載っていたのが忘れられない。
嘘のまったく無い、きっぱりとした言い様は、ロビーでの毅然としたお姿を思い起こさせた。

日本には日本人がいる。
日本には、日本のキリスト教がある。
良くも悪くも。
そして、日本人は死ぬまでずっと日本人だ。
それでいいのだと思った。

ただのオペラ、とはどうしても思えなかった。

(終演後、小森くんと。本当にありがとう!)
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by saskia1217 | 2015-06-29 23:00 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

もっともっと書きたい

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梅雨空の土曜日。
たのしみにしていた「半日書楽家時間」!
考えてみたら、突然、なんの目的も強い意志もなく、なーんとなくふらっと出てみた「書楽家時間」も、もう2年以上経つのかあ・・・

この、半日ドーン!のイベントは昨年もあったのだけど、今年は、「団扇に書く」コーナーのハンコも自作になったり、「大筆」がヴァージョンアップ(?!)して筆がホントのおっきな筆、そして紙も床いっぱいのビッグサイズに・・・
と、ワクワクもいろいろ。

1時間目の「写経」。
朝9時45分なんて、仕事以外で活動してることなんてまず無い(笑)。
早起きは一日が長くなってスバラシイ。
教室に入っていくと素敵な珈琲の香り。眠いけど、いい気分。
有吾先生はこの日のために、4コマぶん、4種類の違うお店の違う焙煎豆を用意してくれました。
私も大好きな、神楽坂のHaze。下北のCafe Use。牛込納戸町のボルカン(いつも思うけどなんかスゴイ名前だよね)。そして神楽坂のギルドコーヒー(外観が見るからにツウっぽいステキ専門店、恐る恐る入ったら意外とフレンドリーだった・・・)。
この日使った新しい「写経用」の筆、いつも使っている小筆よりきっと細くて写経書きやすいのかなーと思ってたら・・・違った。意外と先はまるっこくて、細いわけじゃあなかった。ボテってなっちゃいがちなので、難しかったナ。
新しい筆はやっぱり、具合に馴染むのも大変で、最後の3行くらいでようやく、うーん、こんなもん?みたいな。
写経はホントは、お香を炊いて、念仏?を唱えて、願い事を書いてからおもむろに始めるのが正式らしいけど、まあ、気楽に書き始めて、最後にお願いごとを書いてみた。
バックで先生が珈琲豆をゴリゴリと手で挽く音が、ある意味涅槃に誘ってくれそうな気も・・・したりしなかったり(笑)。
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2時間目は「ハンコ彫って、団扇に字書いたのに、捺す」
団扇に書くのは一昨年、昨年とやって、様子はわかってたから、今年は何を書こうかなーってちょっと考えていった。
一昨年はもうとにかく、団扇のデコボコ面に一発で書くだけでドギマギしてた。書くだけでもう90分大騒ぎ(笑)。
昨年は、普通の文字じゃ面白くない、って象形文字みたいのをフリーハンドで書いたり。で、先生のハンコを捺してもらったっけ。
不器用な私はたぶん、書くよりハンコ彫るのに時間喰っちゃうと思ったので、まずハンコから。
ちっちゃい面に、しかも漢字の「朱文」は自分にはまず無理だと、最初から潔く「白文」にすることに。
ただの漢字だと面白くないので、ちょい古い字体で。せっかく作るんだから、後でちょいちょい使えるように。
諦めが早かった分、なんとか短時間でハンコをつくり、あとは団扇に字を。ふう、それでもまだ、彫刻刀より筆のほうが楽に感じる・・・
まずまず書き上げて、いざハンコ・・・かなり慎重にやったはずなのに、そこがまた、私のダメダメが丸出しに。面のガタガタにハンコがムラになってしまってうまく捺せず、二度捺しは「君次第」と先生に冷たく言われるも(笑)、結局は先生におし直してもらいました。一発でバッチリ合わせて下さったのは、さすが。
完成品は・・・7/12の盆踊りで初披露しまーす!
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そこでもう13時半。
朝7時に朝食というイレギュラーな胃袋状態には、すでにかなりの空腹。
ただ、「一日2度りゅうほう」はどうなの?というヘンな心配・・・が、結局みなさんと共に、まんまと(笑)りゅうほうへ。
で、今年2度目の冷やし中華。やっぱり安定の美味しさ。あったかい麺よりボリューム無さそうだから・・・と思ったけど、食べたらやっぱりお腹いっぱいに。
おしゃべりしていたら、2時間のお昼休みもあっと言う間。大筆の時間に使うおっきな紙を巻いたのを肩に乗せて、榎町の会場へ行進!
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3時間目は「ふつう」。
でも「いっぱい」。
じつは、この時間がいちばん楽しみだったかもしれない。普通の半紙に、普通の筆で、とにかく書く書く・・・。普段のお稽古の90分はいつもほんとにあっという間で、必ず「あーもっと書きたい」って思いながら帰るから。家でひとりで、自分で色々考えながら書くのとも、また違うのね。
120分+20分?
いろーんな方法で書いた、漢字、ひらがな、カタカナ。
熟語、名前。
自分の字、隣りの人の字、先生の字・・・。
見て書いて見て書いて、書いて、書いて。
あーー、でもやっぱり、足りなかったな(笑)。
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4時間目「大筆」。
ザ・イベント! 
巷で「書」といえば、大筆でしょう(笑)。
ただ私たちは、間違っても紙の周りで踊ったりはしません(苦笑)。
部屋の机や椅子をすべて端にとっぱらって、先生が床一面に紙を敷き詰め、おっきなおっきな白いフィールドを作ってくれました。
壁を汚したらもう二度とここを使わせて貰えなくなるので(笑)、みんなで一生懸命、壁に新聞紙を貼って。
「書いちゃうと、すぐ終わっちゃう」から、最初は半紙にちょっと書いたり、ゲームみたいにしたり、みんなで白フィールドの上に靴脱いで乗っかって、腕を大きく動かしてみたり、大筆を持ってみたりして、これから書く自分の字や空間の大きさを体感してみる。
この1メートルくらい?の筆でちゃんと字を書くのは初めて。(昨年のさい芸スペシャルで使ったのと同じ筆なんだけど、なにせあの時は分業でしたので「線1本」とか「点2つ」しか書いてない・・・)
9人で書く順番をジャンケンで決め、まずは先生がちょいと真ん中に書いてみて、みんなが様子を伺う。
ふーんかっこいいなー、でもあんなふうにはいかないや、きっと。
バケツの中に浸ってる筆を持って、墨が落ち着いたところで先生が「いい? いくよー、はいっっ!!」って手を離す。
バシャッ!
スペースをとるのが難しくて、しかも先生のを見ていて、どんなサイズの筆でもやっぱり筆使いというか、紙や書いてる字のほうを見るのじゃなくて「筆先」を見るのがポイント!って、思っていながら、やっぱり実際やってみると、そんな余裕はなく。
あーあ、あ〜〜〜あ、って感じ(笑)。
どうしてもいろんなことが気になっちゃって。与えられた条件とか枠とか、無視できなくて。100パー自由だったかというと、そうはいかなかった。
きもちよかったけどねー!
先生も、みんなも、でも大筆で書いてもやっぱりその人の字、なのがオモシロイな。
死ぬまでに一度でいいから、ものすごーく広くて大きい紙に、あの筆で、もっともっと大きな字を一人でたくさん書いてみたーい!
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コーヒー4種も堪能。
普段はお砂糖もミルクも入れないで飲むのだけど、甘くして美味しいものもある、ってことを知りました。当たり前だけど、それぞれ全然違う味と風味で、たまには違うお店の豆も飲んでみるかなーなんて。朝の一杯目だったこともあって「美味しいなあ」って思ったのはいつものHazeさんのだったけど、cafe useのはスゴくスッキリして印象的だったな。ギルドコーヒーの「ギルドブレンド」は、お店で飲んだ「神楽坂ブレンド」より好きな感じがしたかな。ボルカンも、今度いってみよ。

みんなで後片付けして、二度目のりゅうほう。
土曜夜で満員の店内に大勢でお邪魔。だいぶ遅くまで、美味しいモノ、たくさん頂きました。
地上で一番好きかもしれない料理「鶏の唐揚げ」、3ヶ月くらい封印してたけど、食べちゃったよ。
チンゲンサイの炒めものも、焼きそばもチャーハンも、みんな美味しかった。
マスター、ありがとうございました!
あっという間の12時間。
美味しいもの面白いもの便利なものをひとりで一杯準備してくださった有吾先生にも、長い一日一緒に過ごした皆さんにも、心から感謝です。
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「書く」ことって、意識しない限り「自覚」がない、ってことが、そういう仕事をしている人以外は普通だと思う。
いつかそのことに意識を置くようになると、毎日が、街中が美術館、展覧会になる。
そう、2年前に思った。
近眼の人がメガネやコンタクトを買って、初めて街に出たみたいな、あの感じ。
鉛筆やボールペンや万年筆だって、たぶん面白い。けど、非日常をやりたかったから毛筆を中心にやってきてみた。
仕事じゃないから、時間のある時、気が向いたときしか書かないし、それほどいろいろ深く考えて書くわけでもないけど、それでも、書き出すと面白くって止まらない。
カタチとか筆のこととか、考えた方がいいこともいっぱいあって、注意すればそのポイントは「進歩」するのだろうけど、ただ「書く」ってだけで面白い。

「書く」って、「歩く」とか「走る」とか「手を伸ばす」とか、人間の素みたいな動きから、さして遠くないような気がする。
こんなにいろんな「方法」があるなんて。
こんなにいろんな「枝」があるなんて。
ホント、まいったな〜。
これからどうすりゃいいんだ(笑)。
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by saskia1217 | 2015-06-29 20:16 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

福がもっといっぱい

散歩のつづき。
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人形町通り、空腹で歩いていると美味しそうな匂いが辛い。
いやいや今日の目的はパン屋さんでランチだから・・・
しかもなにやら素敵っぽいお寺とかがある。
いやいや今日はお寺はパスしないと(笑)。

末廣神社。毘沙門天。
このあたりは旧・吉原だったから、遊郭の氏神様だったらしい。
ここも緑が美しかった。
「廣」の字みっけ!
でも1本少ないバージョン(笑)。
それぞれの神社の手水舎には手拭がかけてあることが多いのだけど、その手拭の柄がまた楽しくて。
ここのは干支の性格判断で、ついつい読みふけっちゃった。
「は組」!
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さて、久松町方向へ。
清澄橋通りに出るちょい手前にあるのが、笠間稲荷神社東京別社。七福神・寿老人。
名前のとおり、笠間藩下屋敷の邸内社だったところ。
この日一番心に残ったもうひとつの神社。
大通りに面しているのだけど、なんだか不思議な静謐さがあって、とても凛としていて。緑が美しく、静か。
お社に隣接する、民家みたいな社務所には神職の方がお一人、静かに座ってらした。
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さて、やっと水天宮まで来たぞ。
今は仮宮なので浜町にある。
ま、いかにも仮宮、って感じですが、平日でも安産祈願の妊婦さん、赤ちゃんのお宮参りなどで賑わってた。
ここは弁天様なので、ちょっとチカラが入る(笑)。
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さて、パン屋さんに行く前にあと2つ、小さいところを訪ねよう。
・・・と歩いていたら、とあるギャラリーの前を通りかかった。
あ、この間テレビで拝見して感動した、篠田桃紅さんの個展やってる!
なんという偶然。
すぐに中に入って、数点の作品を鑑賞。色、線、影。もともと書家でいらして、後で画も取り入れられたというのがわかる気がした。
存じあげたばかりで生の作品を拝見したことがなかったので、本当にタイムリーだった。まだそれほどたくさん観てはいないので何とも捉えられていないのだけど、これから少しずつ観ていきたいと思っていた矢先。
お弟子さんとおぼしき係の方と少しお話をし、著書を一冊購入。
今後、都内のデパートなどでも個展のご予定があるとか。
103歳。個人差があるとはいえ、もうなんというか・・・ちゃんとやらねば、自分!
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ウキウキしながら歩き出す。
あら、日本橋教会ってこんなところにあったのね・・
いやいや、今日は教会もスルーさせていただく。
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大廣神社へ。
本日二度目の「廣」!
ここも素敵でした。ビルとビルの間に挟まってる神社って、ちょっとキュンとする。
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けど、これは「ビルの中?前?」にある、濱町神社。
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トルナーレっていうビル。
しっかりと建ってるお社なんだけど、周りの景色や佇まいのせいか、ちょっぴり無機的、殺風景な・・・。
やっぱり神社には緑、木が必要なんだよなー。

おー、はたして、やっとパン屋さんへGO!
お昼を大きく過ぎていてもう空腹の極致。
新大橋通りをてくてく。
ふと目を上げると、確かにどっかで見たことのある字が目に飛び込んできた。
あれー、これは、これはどうみても…
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書の安田師匠の字でしょう⁉︎

果たしてそうだったわけだけど・・・
吃驚!まさかこんなところで(笑)。
お料理が美味しいベルギービールのお店だそうで、まだお昼で開店してなかったのが残念。
いつか夜、行ってみたーい。

そんなわけで、やっっっっとパン屋さん到着(笑)。
この日の本来の目的はここ。
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「タンネ」は人形町にもお店があったとき、数回買いにいったことがある。
東京ドイツ文化センターやドイツ大使館でパーティーがあったとき、あまりにドイツそのもので美味しいパンだったので、どこから仕入れるのか尋ねて知ったお店。
今は浜町だけなのだけど、最近カフェも改装されてギャラリー風に。
日本で食べられるドイツパンは私が帰国した頃から随分と増えたけれど、やっぱり「これだ!」と思うものは少ない。ノスタルジーなのかもしれないけど、やっぱり食べたくなるのよ、ライ麦ガッツリとか、横にナイフ入れて半分に割ってたべるカイザーとかブレートヒェンとか、モーンクーヘンとかシュネッケとか・・・。
軽くサンドイッチを食べるつもりで行ったのに、結局誘惑に負けてランチセットのカレーヴルスト&パン食べ放題(笑)。
コーヒーに、アプリコーゼクーヘンも。
食べ過ぎだろー。
おまけにリュックいっぱい、パンを買って帰ってきましたよ。
ホントは近所にあったら毎朝買いに行きたいのになー。冷凍保存でガマン。
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さて、英気を養って七福神の残りの三社へ。
幸いなことに陽が延びて、夕方でも少し明るい。神社は明るいうちにいくものなので助かる。

松島神社は、ビルの1階にすっぽりと組み込まれてた。七福神・大黒様。
駐車された赤い車と、不思議と溶け込む。
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水天宮駅を通り越して、これまたビルの一角に茶ノ木神社。七福神・布袋様。
ビルの一部っぽいけど、ここはまた趣があっていい。
その名の由来となったお茶の木が植え込みになってる。
お狐さんもカワイイ。
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いよいよ、七福神はあと1つ。
その前に通りに面した、大きな銀杏の樹々がひと際こんもりと目立つ神社の前を通る。
銀杏八幡宮。
なんて素敵な名前なんだろう。
境内には八幡宮と、お稲荷さん。
ひんやりとした境内の地面は、銀杏の根っこでデコボコしていた。
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そして、首都高が見える小綱町の小綱神社へ。福寿録と弁財天。
ここもまあ、なんというか、ビルの谷間にちんまり収まってる。
東京銭洗弁天、とも言われてるらしく、小さな境内にはお金を洗うザルが置いてあった。
お社は古くて彫刻が素晴らしく、隣りの神楽殿では職人さんが何やら作業をしていた。
少しずつ、直しながら、だいじに守っていく建物。
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この日はここでゴール!
15の神社、楽しかった。
ほかにもゴロゴロあるこの辺りの神社、小伝馬町より北、昭和通りより西は、また次回、機会があれば。

思いがけないいろんなものに出会った一日。
嬉しいこと、すばらしいこと、綺麗なモノ、美味しいモノ、親切な人。
ありがたいことばかりだったな。
ご縁に助けられて過ごす毎日。

またいつか、お散歩日和に。

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by saskia1217 | 2015-06-09 23:50 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

福がいっぱい

散歩はいつも交通機関を使わない。
だけどたまには、ちょっと遠くの、普段あまり行かない知らない場所も歩きたい。
だいすきなドイツパンのお店「タンネ」が浜町にあるので、ついに行こう、行くならそのまわりの神社を回ってみよう。

・・と思い立って、小伝馬町から出発。
今回初めて、このあたりのいくつかの神社に「日本橋七福神」という名前がつけられてるのを知った。
そこだけだと小一時間でまわれてしまうくらい、ご近所同士。
江戸時代は武家屋敷ばっかりで、その敷地内にあって一般庶民は参拝できなかったお稲荷さんなんかもたくさんあったり、それぞれの藩の地元の神様を持って来たり、屋敷の移転で神社も一緒に移動したり・・・なんか色々面白い地域。

小伝馬町からまずは人形町方向に向かい、そこから東へ水天宮の仮宮をまわり、浜町から水天宮駅を経て小綱町で締めようかと。
このあたりは神社が本当に多いので、区画を決めて訪ねないと、足を伸ばして大変なことになりそうだったので(笑)この日は通りを区切って、その向こう側にはゼッタイに行かないようにした。

寶田恵比寿神社。七福神。恵美須さま。
ちょうどビジネスマンのランチタイムの時間帯、白いシャツ姿の男性たちで賑わう通り。この、一見呑み屋にも見えなくもない(!)神社にも、商売の神様に長いこと手を合わせる男性たちがちらほら。
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人形町通りを隔てたビル街の中にヒッソリあった、池州神社。
入り口の表示がないとちょっとわからない。
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いつも思うのだけど、町の名前って昔からのものは本当に素敵。
字を見るだけでウットリする。
見ただけで、ここがどんなところだったのかがわかる町名って、無くさないほうがいいと思う。
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スカイツリーはあっち。
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こまこました小さな呑み屋、呉服を扱う店、昔のすてきなビルディング。
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歩きながら、いろんなモノが目に入ってきて忙しい(笑)。

次に出会った七福神、椙森神社。江戸時代の古地図では「杉ノ森イナリ」。ここも恵美須さま。
一千年の歴史のなかで江戸の商人たちから愛された「富籤」で有名なところ。
手水舎の脇には富塚があります。
白くてとてもさっぱりと整えられたお社と境内。
この地で働く人たちの休憩、そして通り道。
拝殿前には、私が行く前から一人のビジネスマン風50代後半とおぼしき男性が熱心に手をあわせていて、しばらく待っていたのだけど終わらないので(笑)しずかに並んでお参り。私の次に来た女性も暫く待っていたけど、諦めて横でお参り(笑)。15分後くらいに私が立ち去るとき、その男性はまだ同じ姿勢で祈っていました・・・宝くじでも買ったのかなあ。
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てくてくと歩き続ける。
地図、古地図、そしてスマホの地図アプリ。
GPSはホントに散歩に便利。

ふと、ガラス張りのギャラリーのなかにこんな看板が。
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何なのかよくわからないけど何か字のことなんだろうと飛び込んだら、字体を自分で作って独自のフォントを編み出す、ということをやった人たちの展覧会らしい。
作るまでのプロセスも展示されてて、興味深かった。
サンプルを載せた冊子をいただいたり、写真を撮らせていただいたり。
う〜ん、歩いてるといろんなオモシロイものがあるんだなあ。

次に辿り着いたのは、富澤稲荷神社。七福神ではない。
「伊勢屋、稲荷に犬の糞」とはよく言ったものだよ、ホントに(笑)。
しかしどこのお稲荷さんも、小さいながら綺麗に清められ、水が撒かれ、草木や花で囲まれ、新しい油揚げが供えられて、地域の人にとてもだいじにされているのがよくわかる。
なんか・・・いいよね。
「澤」の字、はっけん!!
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富澤稲荷から人形町通りに戻る途中の、それはそれは小さな路地にあるのが三光稲荷神社。
あまりに小さいからなのか、入り口がかなり目立たせてある(笑)。なんとか横丁、みたい。
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だけど、この小さな小さな神社は、紫陽花やら草花やらが周りに綺麗に咲かせてあり、お社のなかにも灯りがともって本当に美しかった。
狛犬も気に入った!
この日回ったなかで、一番印象に残った神社。
「は組」!!
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そしてそのすぐ近所、毛抜きの老舗「うぶけや」さんのちょうど裏あたりにあるのが、橘稲荷神社。
もとは将軍家御典医・岡本玄治の屋敷内にあったものらしい。
このあたりの稲荷たちは、皆古地図に出ている。
この神社、隣りのビルの喫煙所の真隣りとあって、ものすごーく煙い(苦笑)。
お昼休みだったからなおさら。
見守るお稲荷さん、微笑ましいや。
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さて、人形町までやってきた。
ここは小さい頃から時々来るので、見覚えのある町。
しかし、たいした距離じゃないのに、すでにいくつもまわったなあ(笑)。

つづく。
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by saskia1217 | 2015-06-09 22:23 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)