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赤い靴

昨夜、横浜の黄金町というところに初めて行った。
暗くなってから辿り着いたので、2年に1度くらいしか乗らない京急という電車の、その小さな駅に降り立ったときは、そばを流れる黒くどよんとした川や、よくわからない小さな店や、闇につつまれた街がなんだかとても映画チックだった(笑)。

そ、映画観に行きました。
横浜シネマ・ジャック&ベティーにて「横濱キネマ・カーニバル」
全国の6つの映画祭がセレクトしたインディペンデント映画16作品+横浜を舞台にした新作8作品、だって。
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いろんな組み合わせで上映されてる中で、武子直樹さんという監督さんの「赤い靴、」が含まれる回を。以前、お友達が出ているので観たこの監督の映画がとっても良かったから、その作品をまた観たいなあと思っていたら、今回は横浜ってことで。

短(中)編5本。
ミニシアターっていいよね、やっぱり。
ここでも他に素敵な映画いっぱいやってるみたいだった。
20時15分開演という時間にしては20人くらいはいたかなあ。みんなヒッソリ観ていて落ち着いてていい。
前回行った時も短編数本をまとめて観て、いくつかいいなあと思ったものがあったのだけど、今回は残念ながら他の監督の作品でそう思えたものは無かったかな。
5本とも、横浜を舞台にした若手の監督さんたちの作品。

映画って、小説や作曲もそうだけど、まるっきりの自由だからスゴイよなあ。
当たり前のことを今さら(笑)。
数本一緒に観ると思うなあ。
題材、ストーリー、長さ、色、音、言葉、動き・・・で、何やってもいいんだもんね。
無限の世界から監督が拾い集めてきたモノを、その混ざり具合を、楽しむ。
共感する作品て、結局は作り手と同じものが好き、ってことなのかな。
(これまたあたりまえ〜)

※以下、ネタバレしています。これから鑑賞される方はご注意を!

最終に上映された「赤い靴、」は、その歌の背景そのままに、養子に出された少女の赤い靴を巡る複数の人間の像。
20分くらいの作品なのだけど、2時間くらいの物語を観たような気がした。
画面、画がきれい。ストーリーからもくるのだろうけれど、色調がモノトーン気味(というか、深いグリーンのような印象が強い)の中に例えば靴の赤、それも強くない赤が置かれる。その赤は時々明るいものにも暗いものにも、光るものにも変わる。

音楽もそれに溶けるようなギターと歌。
宮内康乃さんの音楽も素敵。
ギターが合うなあ。
あの謎多き童謡「赤い靴」の、歌詞をそのままにメロディーを替えるという素敵な方法は、子供の頃よく友達とやって遊んだなあ、なんて懐かしく思い出したり。
エンドロールで歌っていたのはどなただったのかな。あそこで初めて、きちんとした大人の声で歌われるところがすごく効果的だった。
音楽少なめで静かだから、波、水の音が重なってもそちらが勝つ。観終わったとき、ちゃあんと水の音が耳のなかに残ってる。
いずれにしても、ミステリアスなこの歌を題材にされたチョイスがいいですよね。

横浜にそんなに詳しくない私みたいな人には、やっぱり真っ先に横浜=海、港・・・ってくるわけで、で、この日の数本の映画も海、みなとみらいの高層ビル群、観覧車、赤れんが倉庫などの「ザ・横浜」がたっくさん使われていた。
この「赤い靴、」にも海や港は出て来るのだけど、それより、港じゃない水=運河、街角、裏路地、繁華街、住宅街なんかの印象が多く残ったのが、なんだかとっても、ん〜、「恥ずかしい感じ」じゃないバランスのセンスがいいなあと。

解き明かされてゆくストーリーの説明を、言葉じゃなく映像で、しかもひとつずつ区切って追ってゆくから、少ない時間と音でとてもスマートにお話が伝わる。
映画だから、お話だから、すべてが明晰になる必要もないのだけど、観る人の「納得度」をある程度得るためにはやっぱりいろんな矛盾はあるより無い方がいいに決まってる。
そんなところも、細かい気遣いがあったように思った。

他の作品を4本観てからだったから余計に感じたのだけど、普段何気なくテレビドラマや映画を見ているけど、「時間の使われ方」って本当に大事なんだなと痛感。
セリフとセリフのあいだの間、それが一人でも複数でも。話すテンポ。
画面もそう。同じシーンが続く長さの限界、速さの限界。
間延び、の一言では説明できないけど、あ〜残念、これは無理だわ、っていう「空白」が他の作品には結構あったから。
無駄な間、無駄な瞬間がないから、そこで、その画面で起こっていることの全てが辻褄があって納得させられる。

主役の女性を演じられたのがダンサーの方で、ラスト近くにひとつだけダンスのシーンがある。
そこへ繋がってゆく全てのシーンの集約の有様が、そこにもってゆく大げさすぎない緊張感が心地よかった。エネルギーなんだけど、教科書的にならないというか。
・・・・・・・・・・
わーん、素人の感想なんでいろいろ許してください。
とにかく、この映画わたしは好きだった、ってことです。

終演後、武子監督とちょっとお話をしましたが、相変わらず謙遜ばかりおっしゃる控えめなご様子が
(でも十分面白いところが)、映画の印象と観賞後のテンションを壊さないまま帰路に送り出してもらった句点になってたようだ。
タイトルに付いてるのはさ、句読点、だったけど。

★最終上映 8月1日(金) 20時15分〜 横浜シネマ・ジャック&ベティ(京急「黄金町」、横浜市営地下鉄「阪東橋」、JR「関内」より徒歩) 1500円
この日「赤い靴」を履いて会場入り口に待機されている武子監督から直接チケットを購入すると、なんと500円オフの1000円になるそうです!


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by saskia1217 | 2014-07-28 21:22 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

沈黙

高校生の頃は、ヴァン・ダインとランボーと遠藤周作と三浦綾子ばかり読んでた。
遠藤周作では「おバカさん」が一番好きだったけど、「沈黙」も好きだったなあ。
そんなことを思い出しながら、久しぶりに神保町に出向く。

「大いなる沈黙へ〜グランド・シャルトルーズ修道院」
ドイツの映画監督グレーニング氏が、取材申し込みをしてから16年経って初めて撮影が許可されたという、最も戒律の厳しい修道院のうちのひとつ、その内部の修道士の暮らしを撮った映画。
そ、こういうのはやっぱり、岩波ホールだよね。

まだ封切ったばかり、夏休み開始直後ということもあってか、連日満員だとか。
1日3回の上映の、開始時間より数時間前にチケットが売り切れてしまうというので、午後の回を見るのにお昼頃窓口へ。
3時間あまりの時間つぶしの後、ゆっくり珈琲なんか飲んでから、それでも開場の30分前に着くと・・すでに劇場の2つ下の階まで階段に列。
自由席といったって、チケット買った人は必ず座れる、にもかかわらず(苦笑)。
(以下、内容に深くは触れませんが、これから鑑賞される方はご注意ください)


そう大きくもないこじんまりした劇場に満席の人いきれの中、静かに映画は滑り出し、3時間もの間、独特な空気が貫く。
まだ8月まで上映中なので詳しくは書かないけれど、この映画の持つギリギリの耐久力(いろんな意味で)は、いかにもドイツの監督らしいとも感じた。
ヨーロッパで評判になったときいたけど、どっちかといえば日本人の持つ(好む)感覚に近いようにも思った。
その内容、カトリック、キリスト教、という具体的な面を除けば・・・もしかしたら。

キリスト者には自分自身を顧み、振り返り、うらやみ、憧れ、そしてまた自分に返って来る何かだっただろうし、キリスト者でない人には、まず驚き、でもすぐに共感し、うらやみ、憧れ、諦め、そして立ち返る時間になる。
そんな3時間。

何度か繰り返して現れたフレーズ「主よ、あなたは私を誘惑し、私は身を委ねました」が、最初はピンとこなかったのが、3時間観たラストに出たときに「あ〜、そうか、そういうことなのか」って思ったり。
(引用箇所はエレミヤ書20章7節「主よ、あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされてあなたに捕らえられました」〜新共同訳)
「誘惑する」という訳がわかりにくかったのかな。
ドイツ語字幕ではverfuehrenで、文字通り「誘惑する」なんだけど、日本語のその言葉よりもっと広い意味(ニュアンス)があるように感じる。
ラスト近くで膨大に押し寄せる「Benedictus」の文字の波、それとこのフレーズが突然繋がる。
そういえば、邦題「大いなる沈黙へ」も・・・ドイツ語の原題は「Die Grosse Stille」、まさに正しい訳なのだけど・・・。
grossは「偉大なる」「大いなる」と普通に訳せるしそういう意味で使うのだけど、映画を観終わったとき頭のなかに灯ったのは

「この大きな沈黙」

という、もっとそのままの「直訳」。
定冠詞Dieには、dieseにはない無二の、しかも不定冠詞にはない普遍的な強さと、そして「ここにしかない」「ここにこそある」という特定性を。
そして「偉大な」と言ってしまうと先へ行き過ぎるような、特化し過ぎのような、特定の意味を持ってしまうような、そしてそれが却って意味を狭くしてしまうような気がした。
邦題のしっぽについてる「へ」は要らないと思うな〜。
だって、そこ「へ」向かっているわけではなかったから。向かっているのではなく包まれ、支配され、飛び込み、楽しんで・・・いるから。

物理的に「静寂に対する敏感さと忍耐力」を世界中一番に持っていると思われる日本人だけど、鑑賞中、ずうっっっと団扇や扇子でパタパタあおぎ続ける人、飴の紙をいつまでもガサガサ触っている人、「何時に終わるのかしら、まだかしら」と何度も連れの人にささやき続ける人、イビキをかく人、トイレに立つ人(このへんはまあ仕方ないけど・・笑)・・・普通の映画なら笑って許せることが、この映画ではやっぱりちょっと難しい。
特にね、ラスト、最後の最後、まだ終わってないのに画面が暗くなったからって、半数くらいの人がガサガサ席を立ち始めてしまって、とっても残念だった。

リラックスして観ようと思っても、ぎゅうっと観てしまう、というより吸い込まれてしまう3時間。
でも、それだけの時間が絶対に必要だったことが、16年待ち、6ヶ月もの間修道士たちと生活を共にし、さらに5年かけて作り上げた監督の気持ちが、わかったような気がした。

昔、ドイツの雪深い修道院でシスターたちと激しく(笑)ソリ遊びをした思い出が、まったく同じ風景として鮮烈に蘇ったシーン。
そこだけちょっと、ノスタルジックな涙。
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by saskia1217 | 2014-07-24 02:02 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(7)

半紙を買いに、久しぶりの世界堂。
ついでにいろんなとこを面白くぐるぐる見ていた。
奥の奥のヒッソリと誰もいない筆コーナー。
なんかふわふわしたものがつる下がってる。
「創作筆」
・・・って、なんだそりゃ。

鵞鳥、雉、軍鶏・・・鳥の羽ばっかり。
普通に書道で使う筆がイタチとか狸とか羊とか馬とか、ってのはきいて知ってたけど、こっちは「ザ・書家」みたいな人が使う変わった筆らしい。
むか〜し実家にあった、ピアノの鍵盤を掃除する羽根のついた大きな刷毛みたいなのを思い出した(笑)。

「白鳥」のはふわっふわのまっしろい毛で、大きな耳かきの梵天みたい。
さわり心地抜群。
「ホロホロ鳥」のとこは、在庫が無いのか、なんにも下がってなかったからどんなのかわからない。

隣りへ隣りへと段々視線をずらしていくと、端っこには「ミミズ筆」。
ん〜・・・この流れでいくと、さ・・・
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by saskia1217 | 2014-07-19 01:00 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

行脚

けして「付き合いがいいほう」じゃないと思っている。
それでも、ここ最近は、誰かにお誘いいただいたり、一緒に出かけたり、久しぶりの人と会ったりする機会が何故か多い。
そんな時期なのかな。
どれもありがたく、楽しみで嬉しいから、無論断る理由もなくいそいそと出かけていった。

日本橋生まれの母が一度行きたいといっていたCOREDO室町。
こういうショッピング施設って出来て暫くはスゴイ混みようで、行っても楽しくないことが多い。
もうほとぼりが冷めたかと思っていたらそれほどでもなく、平日午前中なのに結構な人出。
三越前の駅からの道にはこんな絵があって昔の日本橋の賑わいを伝える。
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「江戸」「伝統」などをコンセプトとしたお店や飲食店に興味もあったので、陶磁器や鉄食器、和の衣料や小物のお店がならぶモールを寄り道しながら歩く。
なかでも「出汁」をテーマにした2つの老舗は面白く、出汁パックやふりかけを買ったり味見したり。鰹節や鰹節削りなんて、子どもの頃家にふつうにあって、日曜日の朝なんかこれを削るお手伝いは定番だったのに、最近はやはりあまり見かけないものなのかな。
併設のご飯屋さんは開店時から長蛇の列で吃驚。食事するお店は決めずにいったので、これはもう、最初から諦め(笑)。
揚げたて芋堅干、和の甘味。どれも素敵。

金沢の金箔屋さんにはいろんな金箔の種類や貼り方の展示、金のお茶碗でお抹茶がいただける喫茶コーナー、金箔入り化粧品のお試しコーナーなど、まるで博物館みたいに色々知る事ができて楽しい。
店内には、天井吹き抜けのようになった筒状の煙突みたいのがあって、カマクラのような狭い入り口から中へ入ると小さな椅子がある。
一面金箔で固められた筒。
金が身体に与える力というのがあるらしく、とにかくそこに入ると身体にいいんだとか。
へ〜。
しばらく中で座っていたのだけど、効いたのかな?
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以前は用事がなければなかなか店内に入る感じでもなかった刃物の「木屋」さんも、金箔屋さん同様、昔からの型や、様々な刃物の種類が壁いっぱいに展示してあり、係の人に尋ねると学芸員みたいにいろいろ教えてくれる。
ちっちゃな爪切りから、マグロ解体用、ウナギを捌くためなど、珍しい刃物まで。
買わなくても楽しめるな〜。

お昼は、お魚を豪快に焼くのがウリのお店で、鮭ハラス定食。
そしてお茶には、母とのお出かけには昔からお決まりの千疋屋さん(なんかすっかり広く綺麗になっちゃった)のパフェ。
食べ過ぎの一日だったけど、母が楽しそうだったからいいや。
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日は変わって、今度は留学関係で昔からすごくお世話になっている方々からのお誘いで、深川のとある食堂へ。
一人ではまずチョイスしない場所とシチュエーションにドキドキ。
東京の東のほうは私には暗く、なにか遠いイメージなのだ。
知らないところに行くって楽しい。
ちょっと早めに着いて、あたりをぶらぶら。
地図をみたら神社があったので行ってみる。
深川神明宮。
説明をみたら、どうやら深川発祥の地らしい。芭蕉記念館の立て札もあり、近いらしかった。
伊東深水や田河水泡にも所縁が深いとか。
ん〜、今度またゆっくり来てみよう。
もう夕刻、薄暗くなり始める頃、神社のお参りは日没までが基本だから、ギリギリ。
おそらくもう拝殿の御扉を閉める時間だったのだろう、私の後ろで神職の方が静かに待ってくださっていた。帰り際後ろを振り返ると、御饌などお供えが取り替えられた後、お社の扉が静かに閉められていた。
普段、比較的年下の人と一緒にいることが多いので、年上の方との語らいというのは非常に貴重。珍しく、どちらかというと聞き役に回ったこの日の会話も、リラックスした中にもなるほどと思う瞬間も多くて楽しかった。
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そして、実家で母の誕生日。
ちょっと前までは、記念日や誕生日にプレゼントを持って行くと「いいのに〜!」と真顔で怒られた(無駄遣いだと)のが、やっとここ数年は素直に受け取ってくれるようになった。
そんな歳なのか、お互いに。
すっかりおばあちゃんになった愛犬と共に、この日だけはゆっくり過ごす。
私は私でせっかく実家に足を運んだんだからと貧乏根性を出して一人でピアノさらったり、ベッタリ一緒にいるわけでも、特になにをするということでもないけれど、みんながそこにいて、さして大した話題でもないけど「今年も庭の梅を漬けた」とかいう話を母からきいて、今週の出来事なんぞをなんとな〜く話して、一緒にご飯を食べて・・・っていう日常が、きっといいんだろうな。
少なくとも両親には、それがいいんだろうな。
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同じ頃、大学時代、留学の際にこれまた非常にお世話になった先生を、当時の同期くらいの人たちと久しぶりに訪ねたり。
同学年だったけどいつも一緒にいたわけではなかった、くらいの友人知人、でももちろんよく覚えているし、今会うと本当に懐かしくて、意外といろんな思い出を共有してることが判明したり。
出会わなかったらたぶん今の私はいなかった、という先生にお会いできたことも、その後皆で食事しながら話せたことも嬉しかった。
先生にも、この時間を作ってくれた皆にも感謝の気持ちがどのくらい伝わったかわからないけれど、とってもいい一日になった。

家族、友人、お世話になった人、そして極僅かではあるけれど音楽について話してきた生徒たち・・・
そんな人たちを巡る、会いに行く機会は黙っていても増えている。
もうそろそろ、いろんな人に御礼参りをする、しよう、っていう気になってくるものだね。
生徒にもやっぱり色々教えてもらったし。
いままではあまりにも、自分のことばっかり考えてきたからなあ。
周りを見ているようで、じつは全然見ていなかったし、気持ちをかけてこなかったなあ。

そんな「年相応な」ことを思ったりする、今年の夏なのでした。
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by saskia1217 | 2014-07-12 20:18 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

ふるとり

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今日は七夕。
雨だけど、雲の上は完璧な快晴だろうから、ふたつの星は濃紺の夜空できっとピカピカだろう。

七夕にはもともと、お裁縫やお習字の上達を祈っていたんだって。
今朝初めて知った。

じゃ、今日ははからずも正しい過ごし方だったか(笑)。
今夜の書楽家時間は、普通の筆のお稽古。
このところ小筆やペン字ばかりやってたから、なんか新鮮。
42のさまざまな文字をガンガン書いて、さらにその中から自分の苦手な字を4回ずつ、矯正しながら書く。
たのしかったな。
やっぱり、たくさん書くっていいな。

ぜんぶで66文字。
7月7日、だったけどね(笑)。

オマケ
「ふるとり」って部首名、今日まで知らなかったよ。
それと、「鶏」のへんの下の部分が「天」じゃなくて「夫」みたいにてっぺんが突き抜けることも。
衝撃の事実・・・。
これまたひとつ♪勉強をしました〜♪
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by saskia1217 | 2014-07-07 22:20 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

ワークショップ

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「ワークショップ」をやるのは初めてだった。
日本チェンバロ協会の例会として「通奏低音講座」をやってほしいとのご依頼。
先週の土曜日に無事終了。
違うチェンバリストが3回分、それぞれ違うソロパートと共に、という企画の第2回目。
先週の土曜日に無事終了。
「実践」をメインにということで、資料を用いた解説や話など講義めいたことは一切せずに、その時初めてお会いする受講者のその場の「今」に、微力ながらアドヴァイスが出来たら、と思って臨んだ。
基本的には、いつもやってるレッスンと同じ。

参加者、特に聴講生が当日までそれほど集まらなかったので、こじんまりやるかな〜と思っていたら、聴講だけで6名の方がいらしてくださり、受講生と合わせて10人という、グループ公開レッスンにはちょうどいい人数に。
大雨のなか、どうもありがとうございました!

「通奏低音」ときいただけで、ちょっとマイナスイメージを持つ方がけっこう多い。
「数字が読めない」「数字をスラスラ読んで弾けない」「アンサンブルすると弾けない」
「自由で趣味のいいリアリゼーションが弾けない」「右手に作る音型がワンパターンになってしまう」「コンティヌオアリアのリアリゼーションがうまく作れない」・・・
そんなお悩みはよ〜くわかりますよね。

通奏低音って、誰でも弾けるんです。
ただ、ちょっとばかり練習が必要なのと、少しずつでも、ゆっくりでも連続的にお稽古すること。
数字を身体に読み込んで手に伝達する、かっこよくて素敵な音型を紡ぎ出す、豊かな和音で満たす、それはもう、いっぱい弾いて、いっぱい聴いて(これも大切)慣れること、それだけしか方法はないです。
いつも思うのだけど、いつも学生さんたちに話すのだけど、それってちょうど水泳とか自転車と似ている。
ものすごく練習して泳げるようになって、自転車こげるようになって、その後しばらく、何ヶ月かやらなかったとする。次にやってみると、浮く感覚、バランス取る感覚を忘れちゃってて、取り戻すのにちょっと時間がかかっちゃったりする。
通奏低音も、数ヶ月全く弾かなかったら、次に弾いた時一瞬「あれっ?」みたいな感覚、あります。
30年弾いていても(笑)。

あとは。
通奏低音はあくまでも、誰か共演者がいて成り立つもの。
スコア全部を見渡して把握するコツ、そしていつも相手のことを念頭において。
相手を「たてる」だけでなくて、同時に自分の熱も盛り込んで。相手を挑発もして。
音楽の全体像、現場にいる全員の姿と動きを総括して。
自分のまわり半径1メートルで音楽しないように。

ま、難しいよね。
違う現場で違う曲を弾くたびに、そう思うね。
でも楽しいよね。
音楽やっててよかった、って思えるのはやっぱり、誰かと一緒に音を出してる瞬間。
通奏低音は、そこには絶対必要な、魔法の杖。
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by saskia1217 | 2014-07-04 17:02 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)