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ビックリしたよ。
裏切られないとは、どこかで当然のように思っていたけれど。
エレカシを聴きはじめてからたったの5年、でもここにくるまでずいぶんいろんなことがあった。
フラゲしようとクタクタの身体をひきずって夜遅くレコード屋に行ったり、ラジオのインタビュー聞き逃したといっては翌日まで自分を呪ったり、いつそんなことから卒業できるんだろう、と思っていたけど、大丈夫、いつだって私はちゃんと真ん中に戻れるんだってことは知ってる(笑)。
何年もかかるけどね。

今日発売になったアルバム「MASTERPIECE」は、夕方仕事から帰ったらポストに届いていた。
すぐに開けなかった。他にやることがあったから。
ご飯を食べて、デスクワークを片付けて、親に用事のメールして・・・ちっとも焦らない自分(笑)。
そんな自分が、今やっとこの作品に相応しくなったのだと思わせてくれたのが、この21枚目のアルバム、そんな気がした。
彷徨って迷走して「ストン」と、ある場所にやっと「墜ちた」・・・納得と安心と快感。

通して聴いた。
ヘッドフォンで、正座して。
今日はマジで足がしびれて、漫画みたいに立てなくなった自分に声を出して笑った。
そして思ったんだ。
そうだ、こうやって笑う日常から生まれ、その日常でいつもそこにあってくれる音と言葉なんだな、って。
壮大な絶賛とか、過度な涙とか、そんなものは最初から無い。
私がいつもエレカシの音楽を聴いてあれこれ書くこと、それはたぶん全てすごくバカらしいんだと本当に思う。書くこと自体無意味だし、ただの自己満足だ。必要ないことだ。
私はいったい誰に向かって書いてるんだろ(笑)。

でも書いちゃう。
今回はでも、本当に違うんだ、何かが。

あったかいアルバム。
愛だな〜〜。
甘い、甘いよ、ミヤジ!
曲調とか歌詞じゃない、全部が。
つくった人、演奏する人の個人的状況とかでもない。
「ラブソング」も、もしかしたらそうじゃないかもしれない曲も。
ただ「しあわせな」「しあわせを歌っている」アルバム。
「可愛い」アルバム。バカにしてる「可愛い」じゃなくて、その素直さに思わずホロッとなる。
聴いた人はみな、気づかないうちに口角が上がってる、微笑んでいる。
私はそうだった。
開かれる気がした。
身体中の緊張がほどけていく。こっちの心の扉が自然に開く。
「今回は全てをさらけ出した」という宮本さんのインタビューの言葉を思い出した。
だからなのか、聴いた人が「さらけ出せる」気になってしまうのは。
両手を広げて皆を、全てを受け止めてくれそうな、そんなイメージ。

アルバムの曲順に聴くとホントにいいよなああ、やっぱり。
とにかく今日は時間がなくて(!)聴いてない新曲だけとりあえず聴こうかなどと不謹慎なことをチラッと思ったが、シングルで聴き込んでた4曲はやっぱりどうしてもとばせなかった。
シングル曲はアルバムに入ると、もちろん感じることが少し変わってくる。強まる部分、見えなかったものが見えてくる、その前後の曲との溶け合い具合・・・。

第一印象。
「我が祈り」
一度きいて「好きだな〜」と思う。イントロのユニゾンがそれはそれはかっこいい。ドラムが特に。音源聴くとドラムにいたく胸うたれるのはなぜだろう。
長調と短調の間を行き交う宮本さんお得意のゆらゆらは、でもいつものともちょっと違う。
なるほど、声が、歌い方が今まで聴いたことないことはたしかだ。Cメロからは聴き慣れたいつもの歌声に戻る。
「俺の道」がもっともっと大人になったサウンド。
そうだね、宮本さんはやっぱり「犬」じゃあない、「猫」だよなぁ。

「Darling」
イントロ聴いた時、もうえらく懐かしい気がした。ほわ〜っと、オレンジや黄色や黄緑色と、いい匂いと、薄甘い味が自分の目の前に立ちのぼる。
とんでもないしあわせ感の中にそれでも、どうしても拭えない一縷の悲しみがあるのは、それは人生の午後にいる人にはたぶんよくわかる。
宮本さんの「ヤ行」がホントに好きなんだなあ(笑)。そしてAメロ終わりのメロディーラインが好きすぎる。なんなんだ、この懐かしさは。
最後のピアノを聴いたとき「これ宮本さん自身の演奏かな?」と思ったら、楽器全部担当されてた。
個人的には、拍と拍の隙間に空気をいっぱい含んでる宮本さんのドラムがとても好きなので、今後もアルバム中1曲はこういうのをやってくれたら嬉しい。
初夏の新緑が一番好きだという宮本さんらしい、光る緑が見える曲。

「大地のシンフォニー」
前の「Darling」が終わってすぐ、同じ調で鳴り始めるこの聞き慣れた曲。それが、聴く人を広く受け止める誘いになっている。素直に心に入ってくる。
あらためて耳を澄まして聴いていると、ベースの魅力的なことを再確認。甘さがある。
「Darling」で歌ったことが、ここで力強い足どりを得て、歩みのマーチとともに確実なものになってゆくのがわかる。

「東京からまんまで宇宙」
「大地」を受けて、ますます心がノってくる。
バンドがよりしっかりと支え、歌ともっともっと強く結ばれる。愉悦感がプラスされる。
でも何度聴いても、相変わらず「謎の合いの手」の言葉はわからないままだ(笑)。
どーでもいいことだけど。

「約束」
ここで少し心がシットリする。ドラムのミディアムな重いリズムがこちらを全開にさせる。
5月の青空の下でもいいけど、秋の空の下で聴きたい気もする。

「ココロをノックしてくれ」
イントロのリズムがいいねえ。すでにラジオで何曲か聴いていた新曲のうち、何故か一番耳に残った曲、特にサビが!
多重コーラスが美しい。アコギも美しい。
「丘」が出てくる詞に、思いを馳せる。
「時間がないんだ」、私にも無いんだ。
なぜか、どうしてもこのサビでコンドルズが踊る姿が浮かんで離れない・・・。
この曲・・・ツボなのかもしれない、実は。

「穴があったら入いりたい」
イントロからの想像を跳ね返すメロディーのあたま。声が弾んでるね。
声が自然なお芝居をしている・・・ドキュメンタリーなんだけど。
これも今までにあんまり無かった歌い方のような。
しかし。
よくもまあ、このフレーズ「穴があったら入いりたい」を「歌おう」と思ったなとあらためて思う。
♪神様、もっと光りを♪が最高。
ライブですっごく聴きたい曲だな。

「七色の虹の橋」
「穴があったら・・」と同じ調でなだれ込む。
♪きっと世界で一番♪からのサビ(?)が、世界で一番美しいメロディーと歌だ。
「赤き空よ!」で味わったのに近い、この締め付けられ感。
神保町で録ってきたという2番冒頭の街の音に、一気にワープさせられる。ほんの数秒だけなのに。
デュエットのオブリガートが常人には思いつかないうねりで、やっぱり天才だと確信する。
ラディゲでもなく、ましてやヴェルレーヌじゃなく(笑)、そうか、ボードレールなんだ・・・と勝手にちょっと頷く。

「ワインディングロード」
なんだかんだ言ってやっぱり大好きなんだ、この曲。
「七色の虹・・」での思い出の続きに目の前に広がった「振り返る時」を迎えた人の視界。後ろに出来た道、そしてまだ目の前に続く道。

「世界伝統のマスター馬鹿」
こないだラジオのバックに流れてた激しいのは、これだったんですね。
ギターがいい。時々挟まるドラムの三連符がぐっと来る。
まさにまさに「宮本さんしか歌えない曲」の最たるものかも。
これはまた別の意味で・・むき出しに「剥がれる」曲。でも激しいけど、言ってることはとっても優しい。愛を感じる。

「飛べない俺」

ここにきて・・・・ヤラレタ。

涙・・いや、そういうんじゃないんだ、なんか、上手く言えない。
「シグナル」や「通りを越え行く」や、何よりもあの「風」で経験した、内容もシチュエーションも全く違うんだけど、なんだろう、「心の持っていかれ方」が似ている。
私の葬式にはこれを流してほしい。
この美しさは異常。なんて透きとおっているんだ。
絵本みたいな、すごくカラフルな色が見える。明るくて少し深い、青と緑のグラデーション。
でも、クレーみたいにちょっと滲んでる。
宮本さんの加工された声と生の声の対比が、世界を立体的にしていて、何ともいえない生身の言葉が伝わる。
♪俺の魂がしみ込む街♪・・・「魂」という言葉が最高に相応しい場所を見つけたようだ。
個人的には、今の私そのものを歌ってくれているから・・・
ライブで聴いたら・・・ちょっとマズイ気もする。

バンド名そのものがタイトルになっていた、23年前のファーストアルバム。
「マスターピース(傑作)」というタイトルの、この21枚目のアルバム。
だけど、これが最高点でも終着点でもない。
これは「マスターピース」という名の中間点。
進化し続けるエレカシ。
日常という道端に咲く花を教えてくれるエレカシ。
すっ飛ばしてきた時をたぐり寄せて、また積み直し、重ねてゆこう。
私が真ん中に戻ってきても、そのドキドキはいつまでも変わらない。

※「追記」を付け足しました(2012.6.1)↑

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by saskia1217 | 2012-05-31 05:07 | エレファントカシマシ | Comments(0)

久しぶりの映画館



先週、先輩と有楽町で「テルマエ・ロマエ」を観てきた。
映画館にいくのはものすごく久しぶり。
原作はずっと前に読んでたけど、なんか一応(笑)読み返してからいった。
特に冒頭からしばらくは、一言一句原作に忠実でしたね。
もちろんどう考えても「完全なギャグ映画」ってことは予想していったから面白かったけど。
ストーリーそのものとか全体の流れより、リアクション芸人の面白さみたいな、一瞬の何かにドッと湧くタイプのものだからね。
普段はどうしてもリアクションだけを売り(持ちネタ)にするタイプの芸人さんがあまり好きじゃないのだけど、1年に2回くらい、それに心から爆笑する自分もいるから。
市村さんの、絵に描いたようなベッタベタの「皇帝然」とした声と身のこなし、目つきに、このキャスティング最大の功績をみたな。
宍戸開さんがちょっと棒過ぎて違和感あったけど。

そんなことより、BGMがことごとくヴェルディとプッチーニだったので、音楽が大々的に鳴り響くたびに時代をグ〜〜〜〜ッと引き戻されるのが、正直おおいに邪魔だった(苦笑)。
一応さ、阿部ちゃんが浴衣姿になるとどうしたって純日本人にしか見えないとか、日本語&ラテン語の「バイリンガル」に最初違和感があったとしても、それなりにローマ時代の気分になっていたんだからさ。

予告編みて、今観たいな〜と思ってるもの。
「ジェーン・エア」は最愛の小説のひとつ、いくつもの映画化作品を見てきたけれど、これも期待できそう。
もうひとつは、これは疲れたときにふらっと観たい。
映画館はやっぱりいいな。




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by saskia1217 | 2012-05-29 11:25 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)
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雷雨の後の一瞬、急いでカメラを持って。
すぐ消えてしまうから。

この歳まで生きてきて、生まれてこのかた初めて見た「完全形」の虹。
両端がちゃんと地平線に着いてる。
そしてちゃんと橋になってる。
おまけにオプションで二重(笑)。
もひとつおまけに、スカイツリーを跨いでる。

奇跡。
人ってこういうとき、なんか拝みたくなるんだな(笑)。
ありがとう!、って誰に叫ぼうか。
こんなに美しいものが見られると、その分だけ寿命が縮まっていると本気で思う。
でも、それでもいいのだ。

ベランダで夢中でシャッターをきりながら、つい口ずさんだ「七色の虹の橋」。
この、ほんとにあったかくて、ちょっとだけ影のあるラブソングは、明後日発売の「MASTERPIECE」に収録されてるエレカシの新曲。
素敵な前祝い、メンバーみんな、空を見たかなぁ?(笑)

毎日、凹むことよりも嬉しいことのほうが、いつもほんのちょびっとだけ分量が多いのはありがたい。
そりゃ〜〜〜っっ!!
明日もゆくぞ。
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by saskia1217 | 2012-05-29 00:09 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

無言の後押し

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薔薇のお祭りをやってる有名な、そして大好きな庭園がいくつかある。
結局なんだかんだと時間がとれずに行けないでいる。
けど、都電の脇に、山手線の駅前のロータリーに、大学の庭に、そして住宅街の一角に。
どこでも、その幸せは見つけられる。

天気が見事なら、おのずからその日は元気が出てポジティブになれる。
でも、真っ青な空も眩しい太陽も、陰鬱な想いやもどかしい気持ちをどうしても消してくれない日もあるだろう。

やってるつもりなのに進んでいる気がしない。
自分は楽しいつもりだったけど、果たして相手はそうだっただろうか?
物事がうまくいかないことを、自分以外のところに原因があると思いがち。
どうしたって、どう頑張ったって、その人のところまで届かない思いのやり場がない。
我が身の限界に雁字搦め。
そんな、どこにでもあるそれぞれの思い。

特に薔薇が好き、というわけでもないけれど、今この季節、いろんなバカらしいことをリセットしてくれる、ごくごく近くで力になってくれるのは、この一生懸命な色と香り。
あ〜、バカらしいな、バカみたいだな、って自分で自分を笑わせてくれることにかけては、人間よりもずっと長けている。
一声も発さないのに、こんなに精一杯で。
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by saskia1217 | 2012-05-27 21:47 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

上野万歳

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出勤するときにこの素晴らしい道を通り・・・

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ここへ辿り着く・・・

・・・という、この至福に感謝しよう。
移りゆく季節のその一瞬一瞬を、大切にしよう。
人生ワインディングロード、どの曲がり角も大事に曲がろう。
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by saskia1217 | 2012-05-26 17:08 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

見つけた!



先日、NODA MAP「THE BEE」で聞いて以来、頭から離れなかったこれ。
みつけた!

なかにし礼さんの詞だったとは知らなかった。
名曲すぎる。

うわ、ますます頭にこびりつきそうだ(笑)。
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by saskia1217 | 2012-05-23 09:29 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(2)

新宿・昼下がり



新宿に行ってきた。
「レンタネコ」を観てきた。

萩上直子監督の作品は「かもめ食堂」「めがね」と続けて大好きだったから、観にいってみた。
「めがね」の次の「プール」はその前の2作と同じテンションと期待を抱えて観たら、じつはちょっとガッカリ気味だったものだから、今回はどうかな?って。
いま考えると、そのガッカリはたぶん、その2作がこちらの中で固まってしまって、同じようなものを期待してたのが原因かもな、と思う。

今回は出演者も大幅に違ってたけど、市川実日子さんや光石研さんなど結構好きな役者さんが出ていたから、しかも相変わらずノンビリ考えられそうな雰囲気の映画だったから、何も考えずにのほほんと行ってみた。

最初の半分くらいはずっと同じペースとリズムが繰り返されて出来ていて、それが途中からゆっくり少しずつ速度を速めていって、ちょっとした展開か、と思いきや、妙なハッピーエンドや根拠のないラブストーリーになってなくて、すごく安心した(笑)。
力を込めたり、スピードに任せたり、という映画じゃないけど、じっくりゆっくり、夏の夕日のように熱が込められているのが、最後のほうになってわかる。

お客さんは圧倒的に女性が多かったけど(平日昼間だし)、ネコ好きの人にはもう観るだけでたまらない映像ばっかりだったと思う。
私の後ろにいた女性グループからは、10秒に1回くらい「うっわぁ〜♡」「いやぁ♡」「かっっわいい」というため息が漏れてた(笑)。

昨日「THE BEE」を観た時に思ったことと同じなんだけど、「あ、この描写は○○を表しているんだな」「あ、次のセリフは絶対こう来る」という意識がまたちょっと邪魔で、自分に少し腹を立てつつ、ときどき少し声を出して笑いながら最後にはツルンと出て来られた・・・・
そんな映画だった。
ネコ好きな方、うるさくてチカチカした映画に疲れた方にはオススメ。

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映画の前に、鳥居に惹かれ、たぶん20年ぶりくらいに花園神社のなかへ。
お昼休みの境内には、近所のサラリーマンやOLさんがあちこちでランチを広げ、その間を外国人観光客が夢中で赤い鳥居を激写。
ゆったりと時間が流れる、都会の落とし穴。
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そしてその裏手、真昼のゴールデン街の一幅の絵のような空間は、吸い込まれてしまいそうな魔(魅)力が支配していた。
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by saskia1217 | 2012-05-21 21:54 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)
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現在公演中の舞台、NODA MAP「THE BEE」に関してネタバレがあるかもしれません。
これから鑑賞予定の方は、お気をつけください。










「水天宮ピット」って何処だ?
「水天宮」なんてちっとも見えない、ガンジガラメの高速道路のすぐ下に、それはあった。
なるほど、閉校した高校か。
その他にも、新宿の芸能花伝舎みたいに、役目を終えた校舎が演劇関係に使われるのは結構多いね。実際にそこを利用してみると、その落ち着き先としてのハマりっぷりに妙な安心感をおぼえるのが面白い。

野田秀樹さんの「NODA MAP」の番外公演「THE BEE」、東京千秋楽を観にいった。
前回2006年には観にいけず、その後の「パイパー」も見逃した。大体、野田さんが俳優として舞台に立つのは久しぶり、とかいう以前に、野田さんの作品も全く観たことがないという私、なのに今日はまたまた何の下調べもすることなく、会場に向かった。
それでも、どこからか漏れ聞いていた「THE BEE」のあらすじや舞台写真などから、何だかこれはあんまり「気持ちのよくない」お話なのか・・・という、テロンとしたイメージを持ってしまっていたので、(表面上)暗い話や怖い話や残酷な話をわざわざ体験しに劇場や映画館にまで行こうと思わない性分なもので、正直なところ今回もなんとなく躊躇していたのも事実。

でも。
全然、怖くなかった(笑)。
むしろ、おもしろかった。
コミカルな部分を残しておいてくれるからなのか、舞台の現実的な大きさや役者の動きなどが視覚的にも「こっちとは一線を画した世界」という透明なバリアが感じられてある意味「安心感」が得られるからなのか・・・

たしかに、この話で起こっていることは残酷で、醜くて、暴力的で、おどろおどろしくて、背筋がゾッとする代物。
「平凡だった主人公が、ふとしたことで狂気に陥っていき、それがエスカレートして・・」という流れは、観客からすれば予測どおりの進行でもある。観ている者が予測するとおりのことが起こり、ラストのセリフまでもが、ベタといえばベタなのだ。

とはいえ私は、野田さん演じるサラリーマンが、一刻一刻残虐性を帯びていくのを見ながら最後のほうまでずっと「自分の日常」について考えてしまっていた、まんまと。
私は毎日毎日、少しず〜ついろんな人やモノを傷つけながら、今までにもその中の何人かをすでに殺してきてしまったのかもな、しかもそれに今も気づいてないのかもしれない、と。
あるいは、今日見たストーリーのように、その「殺人」でさえも、今現在の自分の日常に、ニコニコと溶けこんでいるのではないか、と。

な〜〜〜んて、ね。
ははは。

そう、そんなことを思いながら観ているうちに、最後のほうでちょっと感じたのだ。
本も音楽も映画もそうなんだけど、特に「舞台の演劇作品」て、何かと「象徴」とか「伏線」とか「作者は何がいいたかったんだろう分析」とか、そんなことばっかり考えたり論じられたりする「イメージ」がある。頭でっかちな。
果たして、そういう思考って必要なんだろうか?
今日だって、スクリーンに映し出される「蜂」やその羽音、それに連動する野田さんの動き、それから延々と流れる「蝶々夫人」のハミングコーラスとか、何だ何だ、これは何なのか、ってすぐ思っちゃう・・・思ってしまう自分がイヤになる瞬間が、ところどころでやってくるのだ。
たしかに「ハミングコーラス」は、体温気温湿度が全て高めで、鬱陶しく息苦しく、不快な西日のような視覚的な世界に重ねられることによって、ヒッチコック的な恐怖感を思い出させるには効果的だった気がするけれど。以前、マンドリンとチェンバロのための「殺意」(組曲『夜を泳ぐイルカ』)を書いたときの感覚と同じものを感じたけれどね。

そう、よく言えば「客観的」に見ている自分。
私は本や映画やテレビドラマなんかに、ものの数分でどっぷり没入してしまうタイプなので、大抵は「まんまと」ダマされる。
のだが、今日はどこか、物理的な「舞台そのもの」を、そしてそこで起こっていることを「ふ〜ん」と観ていられる不思議さがあった。最後の最後だけで、だったけど。
それがもしかしたら、野田さんのスゴイところなんだろうか?
演劇マニアでもない私には、よくわからない。

しかし。
近藤良平さんが、あんなにしゃべっているのを初めて見た(笑)。
舞台の上の方だから、そこにいること自体の違和感はもちろん全くないし、立ち姿(特に冒頭の警官役)や、ダンスみたいな動線の動きの滑らかさにはホレボレしたのだけど。
セリフがたくさんあるから、スゴイなあ、と。
子供を演じている時など、ただひっくり返って「動かない」ときの「固くない静止」が印象的。
宮沢りえさんの切れ味、美しさ、柔らかさも素敵だったし、池田成志さんのベッタベタな刑事姿やちょっとおかしいシェフ姿も面白かった。池田さんは声が耳に残る。
いちばんビックリしたのは、野田さんの完璧な「股割り」だったけど。

おもしろい歌詞がついた「剣の舞」が、夢に出てきそう(笑)。
それが、いまのところ一番の「恐怖」。

終演後にパチリ(近藤さんのTシャツに注目!)。
楽しかったです、ありがとうございました!
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by saskia1217 | 2012-05-21 02:42 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(2)

別世界

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昨日は西荻のT女子大で、コンサートの打ち合わせ。
何度かお邪魔してコンサートのお手伝いをしているのに、チャペルに入ったのは実は初めて。
オルガンも初めて拝見。
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しかし、いつ伺っても、夢のように美しいキャンパス。
一歩踏み入れるだけで本当に自分が別人のように思える。
昔、高校生の頃、八王子の純心女子大にグレゴリオ聖歌を習いに行った時にも同じような気持ちに襲われてたのだけど、女子大ってどこもそういう不思議な空気があるんだろうか・・・。
う〜ん、女子校に通ったことがない私にはわかりませぬ。
この学校がこの地にきたのは大正の始めだったそうだけど、その頃のこのあたりは一体どんなだったのだろう。今でこそ、そこそこの交通量のある道が貫く住宅地だけど。
ちょうど雷雨が通り過ぎた直後で、若い緑がキラキラして目に痛かった。

6月のコンサートでは聖歌隊とご一緒するが、前半は下でポジティフオルガン、後半は上でこの大きなオルガンを弾く。
石でできた建物の響き、独特の光量と光線。
豊洲のオルガンがなくなってから、大きなオルガンを弾く本番があまりなかったから、ちゃんと練習して備えよう。
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急にもかかわらず、昨日は打ち合わせの後すこしこの楽器で練習の機会をいただいた。
ひとしきりプログラムをあたった後で、何も考えずに鍵盤に手をすべらせる。
大きなオルガンの前に座ると、今はどうしてもエレカシの新曲「大地のシンフォニー」をドーンと鳴らしたくてしょうがなくなっちゃうんだな(笑)。
大いなる下降バスに支えられたAメロは、礼拝堂のパイプオルガンで弾くのがまさにふさわしく、人生を歌っているのを確認した午後。

6月のコンサートについての詳細は、上記「コンサート情報」をどうぞ。
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by saskia1217 | 2012-05-20 00:49 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)


フィッシャー=ディースカウが亡くなった。

いつものようにネットでARDのニュースを見ていたら、彼の名とtotの文字が目にはいって身体が凍り付いた。
とうとう、この人もか・・・。
だが、この人は私のなかで、あまりにも大きな部分を占めていた。

思い出がありすぎて。
その全てが、彼の死を知った今この瞬間に一気に押し寄せてくる。
「私の青春そのものだった人」が逝ってしまったという虚脱感について、年上の人たちがよく話してくれるその感覚を、初めて知った気がしている。
ある人にとってはビートルズだったり、清志郎さんだったり、ホロヴィッツだったり。
カラヤンが亡くなったときもかなりの打撃感があったけれど、私自身、私の本質の部分でとても近しい感覚という意味では、段違いの「ごっそり抜け落ちた」感を受けている。
音楽家としての自分で言えば、その「身内」が亡くなったのと変わらない。ちょうど「父親」か「恩師」という感じだろうか。

思い出話なんて何にもならないし、ここに書いたところで何の意味もなさないけれど。
そして彼との「思い出」のある人が世界中でいったいどれだけいるのだろう、と思うと。
何もかも空虚だけれど。
思えば私はいつも、鍵盤楽器でも弦楽器でも管楽器でもなく、いつも、いつでも「歌」に捉えられてきたのだと、今日またあらためて気づかされた。
いつでもいちばん好きなのは「歌」だった。

高校に入った15歳、ドイツリートを弾き始めて彼のシューマンを聴いたその時から、その音楽は私の進路をも少しずつ少しずつ変えていくのに十分だった。
同じ頃にドイツ語を始めたのも、そして高校卒業の頃にはリートのピアニストを目指すことを決めたのも、その後チェンバロ科の学生でありながらずっとリートを弾き続けていたのも、彼の存在と音楽が原動力だった。

黄色いロゴも懐かしいグラモフォンのLP、エッシェンバッハとのシューマン「リーダークライス」「詩人の恋」「ミルテの花」から始まったディースカウ体験。
バレンボイムとのヴォルフは一番好きで、特に「メーリケ」は何ヶ月間も毎日聴き続けたっけ。
そして何より尊敬していたジェラルド・ムーアとのシューベルト・・・三大チクルスと数えきれない小品たち。
いくつもの「愛の夢」を歌ったリストの歌曲集。
ブラームスの「マゲローネ」「永遠の愛」「五月の夜」・・・。
輝かしく、そして官能的なR.シュトラウス、大好きだった「あした」「セレナード」。
マルクスも、マーラーも、プフィッツナーも。
そして、ポネル演出が懐かしい「フィガロの結婚」の伯爵。この人ほど、あの憎ったらしくて可愛い伯爵がハマる人はいないだろう。
グルックのオルフェウスも、ヴァーグナーのベックメッサーも。

演奏ばかりではない。
彼が記したリートの本、なかでもシューベルトの三大歌曲集や、シューマンの生涯を辿った分厚い本なども、演奏する人ならではの視点もあってずいぶん愛読した。

そしてちょうど一昨日も、授業で彼の話をしたばかりだった。
「ドイツ人の歌手でも、もちろんドイツ語をどう発音するか、どう音にするかを、彼は非常に厳しく研究、そして鍛錬した人だった」という話を。彼自身よくインタビューでもそのことについて語っていた。
もちろん他にもドイツ語を母国語とする素晴らしい歌手はたくさんいるけれど、言葉の響き、発音を本当にこれほど細部にいたるまで、ニュアンスのニュアンスのその筆先の先の先まで、追求しつくし実践したのは、彼しかいないと思う。

音楽、それも殆どリートに埋没していた私の10〜20代、毎日朝から晩まで、これらの曲を弾き、時には歌い、そして聴くなかで、ディースカウは完璧な理想だった。あまりにも好きだったから、コピーにならないよう、敢えて他の歌手の演奏を聴くようにしたことも少なくなかったけど、結局はやっぱりこの人にかえってきてしまう。
長年一緒にそういう作業をともにやってきた友人たちと、四六時中ディースカウの演奏を聴いてはあーだこーだ言い合い、一日が過ぎてゆく・・・そんな学生時代。
来日するたびに全てのプログラムに通い詰めた。お小遣いもバイト代も、すべてど〜んとディースカウの歌に消えた。
彼の歌に胸をふくらませ、涙し、それを友と語り合い・・・それが幸せで仕方がなかったな。

そう、結局は・・・。
音楽は、演奏は、その人のその時代と共にいつまでも生きて、生き続けるのだ。

数えきれない名演の中でいま、フィッシャー=ディースカウという名前を呟いて真っ先に脳裏に鳴るのは、この小さな小さな1曲。
彼の歌うこの短い曲をいったい何度弾き、何度歌い、何度語り合い、何度頭を悩ませ、何度うっとりしたことだろう。
高校生のとき、この明るい他愛のない曲になぜあんなに涙がこぼれていたのか、わからない。
今でもやっぱり、目の前が滲むのだけれど。

"Seligkeit"は「幸福」というよりも「天上での幸福」に近い。
彼がどうかそこで、ミューズの冠をいだいて永遠の楽の音に包まれますように!
たとえ「ラウラ」がそこにいなくても・・・。

「至福」(Seligkeit)
詞/L.H.C.ヘルティ
曲/F.シューベルト

限りない喜びは
天国の広間で花開く、
天使たちや変容した人々も
昔の人々が教えたように集まる。
ああ、そこに僕もいて
永遠に楽しみたい!

誰にでも打ちとけて
天国の花嫁は微笑んでくれる。
竪琴が響いては、
皆踊ったり歌ったり。
ああ、そこに僕もいて
永遠に楽しみたい!

だけどそれより僕はここにいたいんだ、
ラウラが僕に微笑んで
視線で、僕に教えてくれる、
僕の嘆きもお終いだと。
だから僕は彼女と一緒に幸福に、
永遠にここに留まるんだ!


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by saskia1217 | 2012-05-18 23:10 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!


by saskia1217