永遠

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ヨガスタジオを出たところにある桜の樹。
街路樹、といっても前にあるお店の人が植えたのかな、通りじゅう植わっているわけではなく、この1本だけポツリ。
佐藤錦だそうで、どおりで昨年夏に実ったとき、甘くて美味しかったわけだ。
今年も先生やクラスの人たちと赤くなるのを楽しみにしている。

久しぶりに朝からのレッドクラスに出たら、フルプライマリーでちょっと怯む(笑)。
家での練習やマイソールクラスではもちろん、過去に出ていたレッドもずっとハーフプライマリーだったので、最後のほうのいくつかは本で読んだか1〜2度習った程度のアサナが続き、その間邪魔にならないようにマットの端にすわって皆がフィニッシングにくるのを待つ。
アシュタンガ的には、本当は途中で身体を休めないほうがいいとは思うのだけど。

それでも、レッドクラスに出るメリットはある。
家で1人で練習していると、どうしても自分のリズムでしかやらなくなる。
私は比較的呼吸もリズムも速いので、レッドに出て先生の(私には)かなりゆっくりめのカウントでやると、持久力、忍耐力のみならず、精神的な強靭さなどが結構鍛えられる。
自分は自分に甘いからなあ。

サットサンガで読んでいる「バガヴァッド・ギーター」は、今日で第8章まできた。
8章は、不滅な「ブラフマン(普遍な存在」)についての章。
途中、インド哲学では有名な「ユガ」(インド哲学でヴェーダを元にする「時間の概念」)が出てくる。そこには宇宙の創造から破壊までの時間が数値として出されているのだが、いきなり膨大なゼロが並んでいてじつにクラクラする。
ザックリ言えば、その「ブラフマー(創造者)」の昼、夜がそれぞれ43億年、つまり86億年あまりが彼にとっての「1日」。しかもブラフマーには尽きる寿命はなく、これが延々と繰り返される。

ヨーギーが死ぬ時どうなるか、についての箇所で「人が肉体を手放す時、その人はいつも考えていることを死の瞬間も考える(生涯思い続けていたことを死ぬ間際にも思う)」とあって、先生が時々話してくれる「僧侶と娼婦」のエピソードがまた話題になった。
道を挟んで住んでいた僧侶と娼婦、僧侶はいつも娼婦のことを「イヤな人間だなあ」と蔑んでみていた、そして娼婦は僧侶を「なんて立派な方でしょう」とずっと思っていた。ふたりは死ぬ時もそのことを思っていたが、その後、僧侶は娼婦に、娼婦は僧侶として生まれ変わった・・・という話。
つまり、死に際に「ケーキが食べたい」と思ったらケーキに生まれ変わり、天井を這ってるゴキブリをたまたま見ちゃったらゴキブリに生まれ変わる・・ってこと。
こわいですね。
言わんとしていることは「だから、いつでもアートマン(真実)を思っていなさい」ということなんだけどね。

そしてその「真実」を知ることは、「得る」とか「なる」とか「行く」のような「達成」や「到達」ではない・・・という考え方は深い。
「自己実現」というとどうしてもそっちのイメージが強いし、人間それを求めて生きてるんじゃないのか、って考えるのが普通だけど、本当の「自由」はむしろ反対の方向にあるらしい。
いやいや、「全てを越える」のは大変だ。

さくらんぼの実が赤くなる時間なんて、ブラフマン的には瞬くスピードの何百、何千、何万倍の一に違いないのに・・・
私たちは無邪気にも、そんなことに一喜一憂している。
人間はまったく、愛すべき存在だよ。
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by saskia1217 | 2012-04-30 00:55 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

色いろいろ

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買い物から帰って野菜を水に放つ一瞬。
ラタトゥイユが作りたくなる色。

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花の中で一番好きなのはチューリップ。
それも、このくらい、まさにまさに、ちょうどこのくらい開いた時が。
花びらは反らなくてはいけない・・・。

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モッコウバラの優しい黄色も、ガーベラの目覚める紅も一瞬でこの世に現われる。
一雨ごとに、空気が温んでゆく。
想いも色ももう、春を飛び越して初夏へ。
知らぬ間に時は進み、どれもこれも、誰も彼も新しく変わってゆく。
ドキドキと、果てしない期待と、そしてちょっぴりの寂寥と。

5月30日、エレカシ・ニューアルバム「MASTERPIECE」リリース、本日発表。
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by saskia1217 | 2012-04-27 22:37 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

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何年も前の、ある春の日に撮ったこの一枚。
一度このブログに載せたこともあった。
素晴らしい音楽を全身に浴びたら、目の前にこの画が光った。

今朝、待ちわびていたエレカシのシングルが届いた、一日早く。
やりかけていたことを終えてからにしようという強い力はあっという間にあっけなく崩れ、いつものごとく「ヘッドフォン&正座」地獄に・・・。
気づけば飲まず喰わずで2時間経っていた。
バカか。
こりゃほんとに、リリース日には意図的に仕事を入れたほうがいいな(苦笑)。

CDは明日発売なのでやはり今日はまだ控えようと思ったのだが、すでに2曲ともフルでPV放送があったそうだから・・・ということで多分大丈夫かと、我慢しないで書く。
音の印象はこないだ書いたから、今日はフルな第二印象。

当たり前のことだが、やはりCD音源を聴くと、切れ端にすがるように聴き続けていたラジオ音源とのあまりに違いに打ちのめされる。声もリズムも深い。
何よりも、放送されなかった箇所から先へ曲が進んでゆくところのドキドキはすごい。
嬉しくてそこから急に動悸が速くなるのが自分でわかる。
ブックレットで言葉を追いながら聴くと、やっとセリフの主がわかったりするから情景がぐっと具体的になるね。

「大地のシンフォニー」にはCメロがなかったけど、好きすぎるAメロとそれに重なるように続くBメロが良すぎて泣ける。その二つの音楽がただただシンプルに繰り返されるところに、歌詞そのままのまっすぐさがマッチしていていい。
ラストのサビの入りが間奏から重なっているのが、ちょっとドッキリな魅力。
エンディングがシンプルなritで出来ているのも珍しくて。
宮本さんの歌は、声が途切れるその瞬間が本当にいいんだ。言葉の終わりのしぼり方が。
それから・・・
Aメロ直前の間奏でかすかに聴こえる「to you」が素敵すぎてズルい。
(私のソラミミかも)

「約束」は、イントロから歌に入るところでまず唐突なコードの入り方にやられちゃう。
こんなことを思いつくなんてさあ。
こういうテンポで歌う曲は宮本さんの声が一番生かされる気がする。
「うたをうたっている」という感じ、それがここ最近どんどん強くなっているように思う。
マイナーなCメロを過ぎて、この曲もサッパリとラストを迎えるのだけど、もともとピッチの高いところへもってきてラストサビでコード上げるか!って・・・すごいな。

ちょっと聴くと性格がまったく違うように思える2曲だけれど、「歳を重ねても結局のところ変わらねえんだなあ」という人間というしょうがない存在が、淡々とただただ一生懸命歩いているんだよ・・・そんな共通のテーマでひとつに繋がっている。
それも、孤独でありながらも、自分だけの独りよがりの世界ではもうなくて、前を行く人、後ろを行く人、一緒に歩く人、そんな周りの人の命やまわりの景色がちゃんと視界に入っている、そんな温かさがある。
今まではそんなところが、これほどわかりやすいかたちであからさまに表に出たことって、あんまり無かったんじゃないかと思ったりする。

初回盤特典の、今年の新春の渋公の数曲も見事。
ホーンセクションが入った「おかみさん」「旅」が絶品。
そして今、春になって聴くと一層心が躍り震える、ホーン&ストリングスに彩られた「桜の花、舞い上がる道を」。この曲でこんなにスゴかったのか、と音源で驚くトミのドラム。
あの日の記憶を辿りながら、噛み締めて聴く。

ご本人のインタビューやライターさんたちの言葉にもあったように、これが「新境地」であることはたしかに感じる。
ただそれは、唐突にいま何か新しいものが顔を出したのではなく、いま柔らかく切り開いた「新世界」「新境地」のなかにある「変わりゃしないよ」なのだと思う。
彼らがずっとずっと持ち続けてきたものは、たぶんずっと変わらない。

うたをうたっている。
うたが、もっともっとどんどんうたになっていく。
この人は今でも太く強く歌い続けていて、これからもそうなんだろうなあ。
そうやって生きていくのだろうなあ。

素晴らしい人たちの背中を追いかけて私も生きてゆきながら、思うだろう、
「勇敢なおろかもの」(大地のシンフォニー)
の1人でありたいと。
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by saskia1217 | 2012-04-24 16:10 | エレファントカシマシ | Comments(0)

あと2つ寝たら

聴ける・・・やっと!

エレカシ、43枚目のニューシングル「大地のシンフォニー/約束」、25日発売。
ラジオでオンエアされた途中までしか聴いてないけど、どちらも「その先」の音と言葉の展開が気になる。
エレカシの曲って、ほんとに最後まで聴かないとどうなるかわからないんだもん。
日本語文法みたい(笑)。



丸の内をただただ歩くPVがシンプルでいいな。
何故だか彼らは、作り込まれた凝った画面や衣装が似合わない(と思う)。
それはきっと彼らの曲が、喜びや苦しみを伴いながら膨大な時間と作業を経て、完成した姿になったときにはもう全ての無駄な飾りが削ぎ落とされて・・そんなものがくっ付いてこれないものになっているからだろう。



ご本人がこの曲の冒頭を「アイリッシュ」と形容していたけれど、30年のエレカシ史上(途中からのいちファンである私にもわかるくらい)一度も聴いたことがない音、詞、声なんじゃないかな。
だからこれからも、今からまた30年、聴いていたいと願う。
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by saskia1217 | 2012-04-23 13:23 | エレファントカシマシ | Comments(0)

いい国

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テレビの臨時ニュースのアラームは、心臓に良くない。
つけたまま料理かなんかしていると、一瞬手を止めて画面に目をやる。
いまは真っ先に地震速報だと思うし、でなければ政府のおおごとか、凶悪事件か、大事故だ。

今日もドキッとした。

こんなニュースが臨時速報になるこの国は、素敵な国だ。
このことが本当に必死のテーマだということはよく知っているが、それでもこんな話題が緊急速報で流される国は他にはあるまい。

この国に生まれて、この国に住んでよかった。
日本人でよかった。
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by saskia1217 | 2012-04-22 23:34 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

春が進んでゆく

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ほんの数日前、薄いピンクが支配していた空間を、もう薄緑がじわじわと侵略してきている。
初夏の準備。
桜の花が散って、街が黄緑から濃い緑に変わる一瞬が一番好きだ。
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枝いっぱいに咲いた桜が雪のように降ってくるのも気持ちいいけれど、絨毯のように散った花びらが風に煽られて舞い上がるのはもっといい。
まだ生きている、って感じが。
散ってからこその命。
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毎年楽しみにしている珍しい桜が開花したという情報を受け取ったので、見に行った。
「御衣黄」は薄緑→白→花の中央がピンクにと刻々と変わってゆくミラクルな桜。都内で数カ所だけ見ることが出来る。
ピンクの八重桜「福禄寿」もふくふくと咲き始めてた。出かかった葉のうす茶色が、どうしても桜餅や道明寺を巻いている塩漬けの葉を連想させていけない(笑)。
派手に見える八重桜は儚さが好きな日本人にとっては二番手かもしれなくて、昔は私もそれほど好きじゃなかったけど、この「ちょっと遅れてどっしり咲く」感じ、中身が詰まってる充実感が今は好きだな。

今日は少し時間に余裕がある日だったのに、大気が不安定で空がゴロゴロ鳴ってたので、いつにも増して妙に早足で歩いてしまった。
偶然にも赤信号に止められることもなかったので、なんだか無意識でずっとずっと同じリズムで歩き続けていたら、目的地のちょい手前の横断歩道で止まったときに呼吸困難になりかけた(苦笑)。
なんだったんだろう、あれは。
過呼吸なのか、単に早歩きしすぎて気持ち悪かっただけなのか。
ちょっと立ち止まってたらすぐ治ったけど。
なんでも、ペースとかバランスとかが大事(笑)。
答えや行き先のことだけしか考えてないと、破綻するね。
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ウキウキする花や、優しい花や、泣きそうな花や・・
あたたかく人の手がかけられたもの、人に知れずとも一面に咲き誇ったもの。
どちらもどこからかいっぱいの愛をもらって、春がどんどん進んでゆく。

「大丈夫、みんなちゃんと咲いてるから」
いつかのコンサートで、宮本さんがそう言ってくれてたなぁ
・・・なんてことを、にわか雨の下で思い出していた。
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by saskia1217 | 2012-04-18 01:45 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

偉大な作曲家

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午後から、リコーダーの田中せい子さん、ダニエル・ブラジェッティさんと初リハ。
8月21日に予定しているコンサートは、ほぼオール「テレマン」。

初対面だったけれど、10代の頃非常にお世話になった恩師が共通だったり、20年以上前のブルージュで田中さんも出演されてたコンサートを私が100%聴きにいっていたことが判明したり・・・結局この世界、どうやったって狭いのでっす。明らかにどこかで何度かはすれ違っている。
あと、じつは同い年だったりとか(笑)。
同世代だとなおのこと、知人友人も共通で。

今日は顔合わせで、初見も含めてプログラムをざっと音出し。
テレマン三昧。

テレマンってとにかく作品数がハンパなく多く、しかも多くのジャンルに渡って作品を残している。
・・のに、やっぱりふだんリコーダー奏者くらいしか演奏しないんだよな。
特に鍵盤奏者は、ソロが少ないことも手伝ってあまり自主的に弾く機会が少ない。
私の場合は、通奏低音の教材に使うことがとっても多いけど・・・すごく典型的で教材としては最高なのでね。
でも、こうやって久しぶりにアンサンブルしてみると、よく出来ているんだよね〜やっぱり。
J.S.バッハよりはるかに大衆に人気のあったヘンデル以上に、もっともっと売れっ子大人気ミュージシャンだったテレマン。
偉大ですよ、偉大。
やっぱり、タダ者ではない。

何曲か続けてじっくり聴いて(弾いて)みると、その人気の秘密がわかる。
まだちょっと先ですが、珠玉の名曲ばかりのテレマンの夕べ、ぜひご予定に入れておいていただきたいですねえ。
オススメです。
詳細は↑「コンサート情報」で追ってアップします。
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by saskia1217 | 2012-04-16 20:10 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

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・・・っていう日を、毎年春にはな〜んとなくやることになってる(笑)。
昨日はそれに打ってつけの日だった。
初夏のような陽射し、青い空。
晴れていても空が白っぽいと、桜はあまり美しくない。
東京の桜は土日に満開という予報だったから、人混みが本当に嫌いな私はそれを避けて、幸運にもオフだった昨日、桜の旅に出かけた。

何をやるかっていうと、満開、それも風が吹くとちょっとはらはらと散るくらいの桜の樹々の下を、エレカシの「桜の花、舞い上がる道を」をたっぷりな音量で聴きながら歩く、ただそれだけなんだけど(笑)。
数年前、目白の自由学園明日館前で偶然そういう状況になった時あまりにも気持ちがよかったものだから、以降、桜の季節にはなんとなくそれをまたやってみたくなるのだ。

いつものお散歩エリアには桜の名所がたくさんありすぎてとても一日では回りきれないので、行き先に迷ったが、結局いちばんの馴染みの道へ。
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巣鴨近くのJR脇の道、駒込駅まで立派なソメイヨシノ並木が続く。巣鴨駅近くのどん詰まりには地味ながら「ソメイヨシノ」の記念碑もある。
線路の上にまたがる何箇所もの橋の上には、わざわざ大きなカメラをしつらえている人、通りかかったついでに足を止めて携帯で写真を撮る人・・・
隣り同志に立つ見ず知らずのお互いが「綺麗ですね」「いい日になりましたね」と笑顔で言葉をかわす。そこにいる皆がひとりのこらず笑顔。
普段は立ち止まる人などいない場所がそんなふうに賑わった小さな一幕が、いかにも日本の春らしい。
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染井の桜。
いつもとおり、霊園に入ったらiPodをしまう。やっぱりこの土地では、ここの空気と光、鳥の声と風の音のなかで桜に包まれたい。
霊園は毎年本当に見事だけれど、花の季節でないここの桜の樹が私は大好きで、よく見にくる。
夏、秋、冬の桜の姿が、いつも何かを語ってくる。
見よ、この大いなる幹を!
この幹あっての花の美しさだ。
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いつもは静寂に包まれているこの場所も、桜目当ての人たちが駒込駅方面からゾクゾクとやってきていた。それでもここはほどよい「静寂」の中で桜を見ることができる。
そんな中でも樹木の手入れをしている係の人の姿も。本当によく行き届いた自然だ。
「警戒」の対象になってるお前も、今日ばかりはのんびりお花見なのかい?
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江戸時代には川が流れていたこの一角にある樹々は、特に樹齢の長いものばかり。
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その並木のはずれから、お隣の慈眼寺の墓地をのぞむポイント。ここには芥川家、谷崎潤一郎、司馬江漢などが眠る。
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桜のなかを延々と歩きまわってきてふと、これだけ見てもこの花に飽きるということがないのに気がついて唖然とする。それぞれの姿は違い、その歴史に差はあれども、どこのソメイヨシノも結局のところは同じ花なのに。なのに、飽きるどころかどんどん引き摺られてゆく、殆ど「無意識」になるくらいまで。
窒息するような桜の渦に取り込まれそうになりながら、この花が「狂気」や「死」と密接に扱われる理由をあらためて体感したような気がした。
ソメイヨシノの花の色の持つ「淡いピンク色」には癒しとか安らぎの効果があるとテレビでいっていたが、安らぎを通り越したところにある沼のような心地よさが、その色の行き着くところなのではないか。
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なんて思いながら、霊園を背に桜のない道を一息つきながら歩く。
そうして辿り着いたのは、桜のある「染井稲荷神社」。
いつも見ている姿とはやはり別格かもしれない。
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目の前の道を桜見物の人が大勢行き交うのに、この神社に入る人は殆どいない。
そしてここが、元祖「ソメイヨシノ」の里、駒込小学校前の通り。
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提灯が吊るしてあるから夜はほんのり灯りがともるのだろう。
染井をあとにし、最後に「歴史的大レジャーランド」飛鳥山へ。
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さすがの「名所」は、残念ながら、というべきか、もう完全に「お花見仕様」に。
平日昼なのに(笑)ブルーシートの上の人、人、人。子供たちの歓声。食べ物の匂い。カメラの放列。お散歩犬のパレード。そして係の人が必死で作業するゴミの山。
視線を斜め上以上に保てば、そこはきっと江戸時代さながらの空と桜。いやいや、歓声やご馳走の香りはきっとそれほど変わらないだろう。上野と違ってお寺のないここは無礼講だったのだから(というかそのために作ったんだから・・・笑)。
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じつは桜の季節に飛鳥山に来るのは初めてだった。
染井で耳からはずしたiPodを、飛鳥山に足を踏み入れたときに再びオンにした。
そしてそれは正解だった。現実の音、雑踏と喧噪を避けて、視覚だけを拝借する。風だけを受け入れる。そうしておいて、この浴びるほどの桜吹雪の中で聴くのが「あの曲」には相応しい。
ベンチの端にちょっぴり空いた一角に腰をおろし夢中で書き物をしているうちに、結構時間が経ったらしい。頭上から雪のように花びらが降ってくるのに驚いて我にかえったら、陽が傾いて空がサーモン色になってきていた。

本郷通りを渡る歩道橋にのぼって、飛鳥大坂のゆるりとした通りをてっぺんからぼんやり見下ろす。気づいたらまわりにはカメラを構えた人がいっぱい。
あ、都電ね、桜をバックにね。
長いこと待って、私も一枚。
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明日はもう、雨が降って、東京の桜は散るだろう。
さよなら、桜、おつかれさま。
精一杯咲いて、疲れたね。
また来年。
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by saskia1217 | 2012-04-10 23:29 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

チェンバロの日

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東京の桜が満開になった先日の日曜日、イベントに参加するべく世田谷へ。
その名も「チェンバロの日」。
すごい(笑)。

最近「日本チェンバロ協会」というのが設立されたのだが、その発足記念イベント。
午前中にイースターの奏楽をやって、結構ヨレヨレのまま阿佐ヶ谷から成城学園へ移動。駅からバスに揺られるその道の両側には、見事な桜並木。う〜ん、なんかさすがに「世田谷の桜」って感じだ(つまりなんとなくハイソな感じ・・笑)。
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会場は世田谷区岡本にある「松本記念音楽迎賓館」
パイオニア創業者で音楽鑑賞教育振興会を作られた松本望氏の邸宅で、現在はそのご遺志により音楽の様々な用途のために開放されている。
この振興会といえば、子供の頃いつも「音楽の友」に、音楽感想文コンクールの募集が載っていたことを懐かしく思い出す。
閑静な住宅地のなかにたたずむ立派な邸宅と見事な庭園。ホールにはチェンバロやパイプオルガンもあり、お庭にはお茶室も。
バス利用なので多少行きにくい印象もあるけれど、その分「駅前」では得られない、音楽をしたり聴いたり心静かに豊かに過ごすには貴重な環境。
この日のお庭も、見事な桜越しに絶景が。
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さてさて、肝心のイベント。
協会のHPにはプログラムや当日の報告が載っているので是非ご覧いただきたいのだが、とにかくこの協会が出来たこと自体が奇跡的に素晴らしいことだと、個人的には思っている。

大体「チェンバリスト」という同業者たちが、複数同じ場所に居る、ということが珍しいのだ。
仕事の現場では大体の場合、鍵盤奏者は1人で事足りる。受難曲、オラトリオでオルガニストと2人、くらいが関の山。バッハの複数のチェンバロ協奏曲だって、コンサートのプログラムにのる機会はたぶん2年に1回くらいだろう(苦笑)。
教育現場で一緒に仕事をすることはあっても、そこでは自分たちの演奏や音楽のことよりも、学生や学校の話で精一杯なことが多いし。
過去何度かこのような会を作ろうという動きはあったらしいけれど、いつのまにかたち消えになってしまった、というのも頷ける気もする。
一緒に何かをする機会が少ない→必要がない(オルガニストのように練習楽器や練習場所の情報や便宜の面で横の繋がりを強くする必要もあまりない)→べつにいいか・・・、のような流れは容易に想像できる。

それでも今回、かなり大きな組織になったようなのは、すでに亡くなられた世代を含めて長年チェンバロやチェンバロ教育に携わってこられた先輩方や、現在の日本のチェンバロを取り囲む現状を知ろうとする危機感や未来への思いなどに突き動かされた現役の演奏家や教育者の方々、そんな思いが、有志の方たちの大変なご尽力によって今ようやく結実した、ということなのだろう。
そうだよなあ、必要かもなあ、とのんびりと感心していた私も、遅ればせながら先日やっと入会した次第。
チェンバロは好きだし、これからもチェンバロは弾いていくけど、これを機会にもうちょっと真剣にチェンバロのことを知らなきゃいけないなあ。
弾かなきゃなあ。
考えなきゃなあ。
(今頃ちょっとだけ、そんな真面目なことを考える自分に吃驚・・・苦笑)。

この日私が参加できた午後のイベントは、日本の「第一世代」と呼ばれる演奏家およびチェンバロにまつわるお仕事をされてきた先生方5人によるシンポジウム。
ランドフスカ、エタ・ハーリッヒ・シュナイダー、イゾルデ・アールグリムなどすでに「歴史上の人物」的な響きのする名前が出されて、生き字引のような方たちがリアルなエピソードを滔々と話される。お一人ずつでも3〜4時間くらいゆっくりお話を伺いたくなるような、そんな興味深くて面白いものだった。
我々の世代が教わり大変お世話になった方たちなので、お目にかかれるだけで大変懐かしく嬉しかったのだが、それぞれのご経験や若い人たちに望むことなどを伺っていると、あらためて音楽家として生きてこられた道のりと固い決意と、チェンバロという「敢えてこの楽器を選んでやってこられた」その情熱を後世にどうにかして伝えたい、という思いも感じられて、上記のような「反省」を私もちょっとしてしまったのだった。

どのジャンルでも、どの分野でも、音楽家が複数集まるというだけでそれは結構とんでもなく濃く、個人個人のキャラが強いあまり、ときには面倒くさく大変なことも多いのは承知の事実。でも実際集まってみると、やはり複数になる蓄積のメリットはものすごく、学べることがたくさんあるという経験をずいぶんしてきた。
なので、この集まりにもきっと今後、思っても見ないような素敵な化学変化、相乗効果、突然変異・・なんかが起こるのではと期待できるような気がする。

いつまでも「若手」のつもりでいたけれど、考えてみたらもちろんもうとっくに「若手」ではなくなっている。
日本の第何世代に当たるのかよくわからないけど(3代目くらいなのかな)、我々が教えた人たちはもう世の中に出ているわけだから、それを考えるともうそろそろ我々も大きな目で音楽界を見て、その中で受け継ぐべきものは受け継ぎ、新しく築かなければならないことは創造し、上の世代からも下の世代からも刺激を受けつつ仕事をしていかなければならないんだなと思う。
受け継ぐことって、もちろん「音楽」の内容とかじゃない。
日本でチェンバロを弾いてきた、弾いている、弾いてゆく、ってことの精神と心なのだと思う。

ところでこの協会、「個人会員」はプロの演奏家や製作家だけれど、それ以外プロでなくてもチェンバロを弾く方、チェンバロが好きな方などもお気軽に「サポーター」として登録していただけることになっている。
今後、コンサート、公開講座、公開レッスン、イベントなどが計画されると思うので、興味のある方は是非入会していただき、ご一緒に盛り上げていければ嬉しいと思う。
詳細はHPまで!
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by saskia1217 | 2012-04-10 15:20 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

チケットが売れない

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・・・とツブヤいて、KREVAがネットで話題になってる。
ツァーのなかで4回も東京公演をセットしたっていうから、さすがにそれは売るのも大変かもとは思うけど。
というより、そんなことをツブヤいたこと自体が賛否両論なんだそうで。

音楽業界の実態がわかっていいじゃないかという好意的なものから、同情票あつめて売り上げ貢献しようとしてるという悪口から、そんなこと本人が言うべきことじゃないという批判まで。
彼のツイッターには、ファンから、同業のミュージシャンや音楽ライターさんなど業界の人たちまで、多くの励ましのコメントが届いていた。
その効果もあってかチケットはそれ以前より売れてきたそうだから、結果よかったなあと思う。

動員数の規模からして我々クラシックとは比べ物にならないポップスやロックの世界でも、かなりの大物、ベテランであってもミュージシャンはコンサートの収益だけで食べていかれるわけではなく、例えばグッズ収入は大きな収入のウエイトを占めるという。
あちこちの記事が嘆いているように、たしかに昨今じゃ音楽はDLして手のひらに収まるちいちゃな何かから線を通して届く平べったい音だけで皆が満足するようになったお陰で、CDも売れなくなったし、ましてや時間とお金と手間をかけてコンサート会場まで足を運ぶ人は本当に少なくなったのだろうな。

音大生だって、昔にくらべたら皆ほんと〜〜にコンサートに行かないんだよね・・・。
じゃあCDでも聴いているのかと思いきや「You Tubeで聴いたんですけどぉ〜」って(苦笑)。
おいおい、誰の演奏だよ?
しかもその1種類しか聴いてないで、もう「そういう曲」だと思い込んでる。
ネットは上手に使おうね(笑)。

コンサートの話だった・・・。
「売り方」「売れ方」という「商法」ありきの世界では、楽曲の制作段階からしてそれが深くのしかかってくるから、本来「創造者」であるアーティストは多かれ少なかれ心が傷むことだろう。
もちろん誰しも食べていかにゃならんし、「売れること=伝わること」なのは揺るぎない事実だからそれを目指すのは正論だしモチベーションにもなる、そして自分の創造性を大事にしつつ大人の考えで良いバランスでやっていければそれがベストなんだろう。
「やりたい音楽」「いい音楽」と「売れる音楽」とのせめぎ合いは、古今東西、いつの世でも音楽家たちの悩みでありつづけてきたし、それは音楽が売り物であるかぎり、音楽家が職業であるかぎり、これからもずっと消えないテーマ。

コンサートに行きたい、と思ってもらうには「ヒット曲がないとダメ」とかいってる記事もあるけど、それだけじゃない。
お客さんがみな、ヒット曲が聴きたいわけじゃない。「ヒットしているからコンサートに行こう」とはならないんじゃないか。
曲も、アーティスト本人も、露出が多ければ当然認知度が高くなるからそれは確かに大事だろうけど、やっぱり最後は「この曲を、この人を、生で聴きたい、見たい」と思わせる何かだよね。
KREVAなんて、ライブじゃなきゃぜったいに素晴らしさがわからないアーティストの筆頭にあげられると思うけどなあ。

そう考えると、こんな世の中、何人ものミュージシャンたちがコンスタントにCDを出し、コンサートをやりつづけている、それだけで本当にスゴイことなんだとあらためて思ってしまう。
事務所、レコード会社、イベント会社・・・その他すべてひっくるめて。
最近のいろんな芸能ニュースを見てても、そのことに思いを馳せる。
才能以上に、我々には想像もできない苦労や努力もあるだろうし、その代償も大きいだろうけど。

しかし、「コンサートのチケットが売れない」ことに既に何十年も前から慣れっこになってしまってるクラシック界の我々からしたら、何をいまさら嘆いてるのか、って気にもなってくるけど、まあ、規模が違いすぎるから、いい時悪い時の振れ幅もハンパないんだろうなあ。
自転車操業の日々を最初から覚悟してこの道に進んだ我々は、「一生この会社に居られる、なんていう時代は終わった」「いつリストラされるか、という恐怖から逃れられない」と嘆くサラリーマンや、中小企業への就職を敬遠する若者たちなどを見るとつい、「何をいまさら」「私たち、もともとそうだからな〜」と多少大らかに構えてしまう。
「手に職があるから強気にもなれるんだろう」と言う人がいるが、いやいやどうして、音楽が出来るくらいじゃどのみち何処にも雇ってもらえないよ。
が、まあ、明日のご飯があればとりあえずはそれでいい。
大変なのはみんな一緒さ。

でもさ。
私たちはその小さいマーケットの中で、人の心に届けるように、武道館をいっぱいにするミュージシャンと同じくらいの切磋琢磨をしていかにゃならんのだ。
広げる努力は必要だし、これからもやってかなきゃいけないけど、そこにヒステリックになっちゃダメなんだよな。
躍起になるべきなのはもう、そこじゃあない。
ほそ〜く、なが〜く。
そして、大事なのは・・・けっして、冷えてしまわないように。

閑話休題。
東京で桜が満開になった今日、ものすごく久しぶりに「桜の花、舞い上がる道を」のPVを引っ張りだしてきて見た。
エレカシのクリップスたくさん持ってるけど、じつはあんまり見ることがない。
桜が満開というニュースに、出かけられなかった気分が映像に向かった。
桜満開の歌なのに、桜の花や、見事な桜並木などはひとつも映っていない、そこがやっぱりいいなあと再認識。
いいんだ、心の中に咲く、咲いてる花だから。
それはたとえ春じゃなくても咲くから。

宮本さんが着ている、強烈なピンク色の塗料がかかった黒いコート。
あのPVを初めて見た時は何の違和感もなかったが、あれで赤羽の町を歩いてたら、ある意味ペー&パー子師匠よりも目立つだろう、と思った。
赤羽のどまんなかで、あのお二人に出会って度肝を抜かれたあの夏の日が懐かしい・・・。
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by saskia1217 | 2012-04-07 20:02 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)