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部屋で突然おもうこと



なんか・・・
いいよなあ。
いいんだよなあ、Coldplay。

お、これCMで聴いてたやつじゃん。


なんだろう、メロディーラインがまずすごく好き。
ハーモニーもリズムもなんだかしっくり来るんだよね。
なんだか安心して心を預けられる。
裸になれる。
たくさん聴いてると「ほ〜、やっぱりそう進むのか〜」なんて身体が慣れてきたりもするんだけど。
カラーを知ってくる、というか。
でも・・・素直になれる音楽。
音楽が美しい、って言葉を何度も思い起こさせる世界。


英語はどうしても私には直に取り込めないという理由で、洋楽はホントに殆ど聴かないのだけど、時々こういうふうに、いいなあと思うものがあるよ。


彼らは今年のフジロックに出るんだけど。
いいなあ、ライブで聴いてみたいなあ。
行きたいフェス、いっぱいあって困る。
とりあえず、近々の最も行きたいフェス「JAPAN JAM」には仕事で行けず。
号泣だよ。
頭から踵が出るほど聴きたい「エレカシ+泉谷さん+チャボさんのRC」は言うに及ばず、「ZAZEN+ジャズトランペッター近藤等則さん」の魅力が大きすぎる。
近藤さんのトランペット、本当に圧巻なんだもん。すごいミュージシャン。

そういえば、いつかのエレカシメンバーへのインタビューで「最近聴いた音楽は?」という質問に、ギターの石森さんがColdplayをあげてたっけね・・・

は〜。
しょうがない。
この連休は仕事の合間に、7月のライブでやるColdplayの曲のアレンジでもするとしますか(・・・まだやってない・・・笑)。
あ、新曲のネタはちょこちょこと集まってます、それなりに。
散歩の途中でね、いろんな街角で、あれこれと閃きます。
なにかこう・・・「土着」のものを、すごく書きたい気分。
街、土地、地面・・・つまりそれは・・・日本。

あ〜あ、ギター、ちっとも上手くならないし・・・。
くすん。

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by saskia1217 | 2011-04-29 00:56 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

優しい時間

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まだ一度も見たことがなかった、この樹々が咲いた景色。
散る前に間に合った。

駅近く、ズラッと整頓された自転車の波の上にも。
子供の頃を思い出す、星形団地のすぐ目の前にも。
ずっとずっと続いた道がなだらかに下って終わるあたりにも。

おそろいの桃色と、おそろいの太い幹。
おなじリズムの波のような反復。

沈黙のただなかに流れる様々な想いと、少ない言葉に心暖められて。
身体のなかいっぱいに、音楽が鳴り渡る。
今まで・・今・・そしてこれから。
生まれた瞬間とともに片っ端から過去に変わってゆく「しあわせ」。
もう二度と戻らない時間と映像。

いつまでもいつまでも、優しい波の下を、同じ速さで歩いていたかった。
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by saskia1217 | 2011-04-27 18:30 | 感じろ、考えろ、思え!

ドキドキ

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一歩外へ出ると、あまりの色に心臓がドキドキ鳴る。
息苦しくなる緑。
花が終わって木が深い緑になるまでの一瞬だけキラキラするこの季節。
ドキドキするのは、一番好きな色だからだろうな。
梅が終わって、ソメイヨシノが終わって、八重桜が終わりかけて、この緑が見え始める頃、目線を下に向けると今度は小さい花々が全部咲いている。
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なので、散歩していても、足が止まってしまって仕方ない。
せっせと歩くのが身体にはいいんだけど(笑)。
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リハが重なってくるとなかなか散歩もできなくなるから、ちょっとでも時間があるときは歩きたい。
都心もいいけど、やっぱり郊外(といっても都内だけど)のほうが落ちつくね。
風の匂いも違うし、鳥の声が聴こえたほうがずっといい。
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でもキミは、いたずらしすぎて捕まらないようにね!(笑)

好きな音楽をききながら歩くのもいいし、腰をかけて本を読むのもいい。
外で本を読むことが、日本に帰ってきてから殆ど無くなった。
でも歩いていると、それにピッタリの場所が意外とあることにも気づいた。
木陰の読書が気持ちいい季節まで、まだあとちょっとあるかな。
とっておきの場所は、それまでに秘密にしておこう・・・。
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それにしても、この素晴らしい場所に眠っている人は幸せだ。
文豪や芸術家、軍人、医者、開拓家・・・
彼らの傍に、そのほんの一角の片隅に埋めてもらえたらどんなにいいだろうな。
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by saskia1217 | 2011-04-26 21:56 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

エンジンかけて

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Cautionなんてかかれると、割れ物か爆発物みたいだ。
ガラスならぬ、カラスだぞ。
よ〜く見るとかわいいもんだけど。
鴉に愛を感じるのは、やっぱりちょっとした偏見か(苦笑)。
「ポジティブな偏見」を言い表すドンピシャな言葉が思い出せない。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の反対語ってなんだっけ?

夜から品川で、6月のオペラの打ち合わせ。
プロデューサー、演出家、音楽監督と初めて4人揃う。
いろんなことが明らかになっていっておもしろい。
大変なこともありそうだけど、でも絶対おもしろいことが勝ちそうだ。
皆様、是非!

あ〜、これでやっとまっとうな音楽労働のエンジンがかかることになるな(笑)。
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by saskia1217 | 2011-04-26 02:09 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

大地の味

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じゃがフェチの私が絶賛!

「じゃがポックル」

先日、友人からいただいた函館からのおみやげ。
初めて食べた。
美味しすぎて吃驚。

北海道のプライドを感じる。
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by saskia1217 | 2011-04-23 19:43 | くいしんぼうメニュー

裏口

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このあいだ、20数年の上野通学通勤をとおして初めて、鴬谷駅から帰った(笑)。
以前あった博物館動物園駅や、地下鉄の根津や、谷中の墓地を抜けて日暮里から帰ることは何度かあったけど、鴬谷は何故か足を向けなかった。
地図でみれば、大学から地理的に一番近いのはじつは鴬谷。
なのに、JR利用の学生、教員のおそらく99%は上野駅から歩き、上野駅から帰る。
大学の裏を占める天下の寛永寺の敷地を大回りしないと鶯谷駅に着けない、という事実こそあれ、じつはこのひっそりとした道はかなり魅力的なのだ。

この日の夕方は何故か、目下上野公園が工事中で今ひとつ清々しくない雰囲気のせいか、人通りの多い公園を、乗降客の多い上野駅まで歩くのが突然嫌になった。
で、急遽左折して国際こども図書館の前を北へ歩く。
一瞬日本にいるとは思えない錯覚に陥るこの美しい建物を足を止めて見入りながら、静かで湿った空気が漂う緑の中を先へ歩く。

国立博物館の法隆寺宝物館や、国立文化財機構、国立教育政策研究所など、名前からしてヒッソリしたイメージの整然とした建物の間を通り、目の前が開けるとそこは広大な寛永寺の墓地。
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東京キネマ倶楽部やダンスホールの入った昭和な塔と一緒に、忍岡中学校の向こうに大きくスカイツリーも見える。
手前には徳川歴代将軍の御霊廟を守る厳有院殿(家綱公)勅額門。
霊廟は、増上寺のもの同様、戦争で殆ど焼けちゃったんですけどね。

いつもと違った道。
違った景色。
違った空気。
違った匂い。
ちょっとした冒険は、やってみるもんです。
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by saskia1217 | 2011-04-23 17:10 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

しあわせ

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花が咲く。
暖かい陽の下で、たくさん開く。
あたりまえのことが嬉しい。

誰かが語っていることを読んだりきいたりする。すごいな〜と思う。
誰かと会って話をする。自分のなかに意外なモヤモヤがあったことに気づく。
街を歩く。可笑しなものをたくさん見つける。
好きなものを見て、好きなものを食べて、好きな音楽を聴いて、好きな人に会える。
ちょっとの我慢こそあれ、現実の世界でリアルな望みが叶う贅沢に感謝しよう。
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by saskia1217 | 2011-04-22 22:53 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(2)

おかず

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ふと見たら、新じゃがとタマネギが野菜かごに、ニンジンと豚肉が冷蔵庫にあった。
肉じゃがを作れ、という天の声だな(笑)。
久しぶりに作った。
にんにくも入れた。ついでに大好きなスナップえんどうをたくさんのせた。
美味しかった!
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by saskia1217 | 2011-04-22 19:38 | くいしんぼうメニュー | Comments(0)

さようなら

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「コンサート情報」でもお知らせしたとおり、2006年10月のオープン当初から毎日かかさず開かれてきた「ららぽーと豊洲」のオルガンコンサートが終わることになった。
終了自体が正式に決まったのは本当につい最近のことで、私たちオルガニストもそのことをつい最近になって知ったのだが、そんな中、このオルガンにお別れをする「弾き納め」のために急遽、今日のショップ閉店後に私たちはららぽーとに集まった。
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この130歳のオルガンは、もともとイギリスの教会にあったものが解体されたままアムステルダムに眠っていたものを、ららぽーとオープンに伴ってここに入ることが決まり、東京まで持ってきて命を吹き返したという楽器。
思えば私がこのコンサートで弾き始めたのは2007年だったから、なんだかんだと結局4年近くずっとこいつと付き合ってきたことになる。
ただでさえ湿気や埃に弱いパイプオルガン、冷暖房がガンガンにかかり、常に埃が舞い上がっている空間に置かれてそれはそれは過酷な環境だったと思う。もちろん、メンテしてくれた方たちも尋常でない困難ばかりだった。
その日、現場に行ってみないとどんなコンディションなのかわからないのがパイプオルガン。
私たちもかなり頻繁に、使えないマニュアル、使えないストップに悩まされ、その都度何とか切り抜けながらも、そこに居合わせたお客さんにどうにかして楽しんでいただくことだけを思って弾き続けてきた。
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オルガンがある場所も希有なら、コンサートの状況も未曾有で(苦笑)、大抵はかなりの喧噪の中で演奏することを要求された。ふつうのコンサートなら絶対にありえない状況だから、私を含めて皆おそらく慣れるまでは大変だったと思うし、あそこでは弾けないという人がいても全く当然だと思う。
オープンな企画だから、お客さんだって大声で話しながら聴いていることも多い。小さいお子さんもたくさん走り回っている。
特に土日祭日は、静かな曲は絶対に弾けない。どんなにいい曲でも、どんなに弾きたい曲でも、あそこで弾けない曲はたくさんあった。
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でも、結局はいつも、そこにはお客さんがいた。
1階から3階までビッシリと立ち止まった人混みにMCのボリュームを最大にしなければならない週末の日もあれば、1曲目を弾き終わってMCをしようと後ろを向いてマイクを持ったら誰ひとりそこには居なかった金曜の夜もあった。
それでもいつも、オルガンを鳴らし、MCをし、姿は見えなくてもその音を耳にしている人がいることを思った。
台風でぐしゃぐしゃになりながら到着して弾いた日も、お客さんがそこにいて聴いてくれた。
雪の日も、灼熱の日も、クリスマスもお正月もこどもの日もバレンタインデーも、その日に何が聴こえてきたらその日らしいかな〜と、プログラムを考えるのが楽しかった。
桜が咲いたというニュースのあった日は春の曲を弾き、すぐ横のガラスの向こうに海がきれいな夏の日は海の曲を弾いた。悲しい戦争の知らせをきいた日はバッハのコラールを弾いたし、エレカシのライブで打ちのめされて感動冷めやらず一晩眠れなかった翌日はエレカシの曲を弾いた。
バッハもブクステフーデもクープランも、ユーミンもジェーン・バーキンも弾いた。
そして、お客さんはいつも喜んでくれた。
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MCの間ずっとニコニコとうなずいてくださる方と目が合って力づけられたり、弾き終わってお辞儀をする時、涙を流して拍手してくださる方を見て胸が詰まったりした。
外国からいらした観光客の一団が1階から盛大に拍手をくださったりもした。
赤ちゃんから車いすのお年寄りまで・・・普段の演奏会場で弾いているだけでは到底お会いできない人たちに、オルガンの音を届けることができた。
とりわけ子供たちは印象深い。
知っている曲だと一緒に歌ってくれた子供たち、楽器のしくみを一生懸命質問してくれた小学生、「大きくなったらオルガンを弾きたい」と行ってくれた幼稚園くらいの子。
そして私なんかよりはるかにオルガンに詳しい「オルガンマニア」の方たち。
音楽以外のところで知り合った友人が、気軽に足を運んでくれたことも多かった。

そしてこのブログを見て下さって、わざわざ足を運んでくださった方も少なくなかった。
終演後に声をかけてくださった方も、直接お話できなかった方も、またその後ほかのコンサートにいらしてくださった方も、その全てが尊い出会いとなった。
このオルガンの前で出会えた数えきれない多くの方との時間、まさに「縁」が、私たちオルガニストの中にも、そしてお客さんの中にも、何かしらの灯火として残り、また力となって作用してゆくことを信じたい。

あらゆる人に疑問や好奇心を抱かせてやまないこの楽器の持つ魅力、そして全ての人ひとりひとりの歴史の中にある「その曲」の思い出やエピソード、それ以上に「その時に鳴っている音と音楽」の持つ力。
それをいつも感じさせられた。

この突然のお別れに、今日は短い時間で何を弾こうかと迷った。
2曲弾いた。
このオルガンがロンドンにあった時代にコンサートでも弾かれた記録がある、シューマンの「トロイメライ」。
そして何度も弾いてきた、大好きな大好きな「翳りゆく部屋」を最後に鳴らした。

このオルガンを聴いてくださった全ての方へ。
どうもありがとうございました。

そして、この後コペンハーゲンの音楽学校に設置される予定のこのオルガンに。
今までどうもありがとう。
これからも生き続けて、たくさんの人をいい音で包んであげてね。
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by saskia1217 | 2011-04-22 02:40 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(8)

潔いこと

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震災が起きて、その後ずっと皆が「自分にできること」「自分のしなければならないこと」を考え続けている。
テレビで流れるCMに言われても、そんなこと誰にも言われなくても、口に出しても出さなくても。
どんな職業の人でも、どんな立場の人でも、たぶん皆。

世の中に何か深刻な問題が生じたとき、大抵は一番最初に「待った」がかかるのがエンターテインメントだ。
命にかかわらないことだからだ。お腹がいっぱいにならないからだ。怪我が治ったり、壊れた建物が元通りになるのには関係ないからだ。
音楽も、絵も、演劇も、落語も。

急に大量に失った仕事のうち、そのまま消えてしまうものもある。
そのうちに段々「今こそそれが必要なのだ」とかなんとか言われて、そろそろと周りを見ながら動き出す音楽家たち、パフォーマーたち。
何度も書いたけど、表現者にもいろんなタイプの人がいて、言葉や音ですぐに行動に出る人もいれば、ようやく動き出した世の中のなかで出来るだけいつも通りの活動を続ける人、ちょっとの間活動を休んで考える時間を必要としている人・・・本当にいろいろだね。
でも、ステージ上の人間もこちら側の人間も、考えてみれば同じことを経験したのだという事実。
いろんなアーティストに接して、ちょっと見には気づかないけど、でもやっぱり何かが以前とは違っているのかなあと感じることもあるが、それはきっとこっちも変わったからだろう。

行動する人は素晴らしいと思う。
先頭を切って何かを声に出して表現することには、自分の立場や表現者生命、存在そのものまでを犠牲にしてしまうような危険性さえあるのに。
ステージ、ネット・・あちこちでそんな勇気ある行動をしている人は凄いと、心底思う。

でも。
そこで表現されていること、あるいはその方法に、私はどうしても違和感を感じてしまうアーティストもいた。
何をどう発信するかなんて自由で、そこから誰が何を感じようといいのだけど、あくまでも個人的に。
圧倒的多数の人がそれに賛同、共感、感動しているのに、私には不快感といっていいものすら感じる事もあった。

政府について、原発について。
多くの人同様、私もおもうことは多い。
原発に対しては、正直なところ、私は残念ながら100%反対とも100%賛成とも言えない。
責任が誰にあるかを決めるのは難しいが、やはり何らかの責任は誰かがとらねばならないというのも理解できる。
自分自身は直接被災も避難もしていないから、こんなことが言えるのかもしれない。
でも今の自分の状況からは、どうしてもそう熱い意見を発信するより、少し冷めた見方をしてしまう。
政府でも企業でも、それぞれの場所で、それぞれの部署で、人の命をおろそかにしていいと思って働いている人はいないと私は思っている。
何十年も、あるいは百年単位で、皆それぞれが自分の仕事を信じて命がけで働いてきたはずだ。
原子力発電の力が必要不可欠になってしまった私たちの生活、誰もがその中で平然と暮らしてきた事実、問題は感じながらも当然のように。
それが急に「誰かのせい」にしなくては気が済まなくなる。もちろん死活問題である人たちにとっては、その怒りの矛先をどこかに向けなくてはやっていられないだろう、とは思う。
でも、会社の寮、自分の住まいに掲げられている会社名を塗りつぶしたり目隠ししたりしなくてはならなくなった企業の社員やその家族が、日々命の危険まで感じながら暮らさねばならない状況になったのは、やはりどこかヘンな気がする。
そんなことあっちゃおかしい。何かが違ってる。
「震災で命を失った人のことを思えば当然」と反論する人が必ずいそうだが、それは筋の通らないすり替えでしかない。
原子力に変わる発電方法があればいいのに、なんて私のような素人、一般人だってずっと思ってきたこと。
長年、生涯をかけてその研究をしてきた多くの専門家こそ、今のこの状況にきっと一番悲しくてはがゆくて悔しい思いをしているに違いない。

小学生の頃、夏になると毎日発令される光化学スモッグ注意報のおかげで、外で遊ぶこともプールで泳ぐことも出来ないのが、東京では日常茶飯事だった。
自然を汚染する「公害」に私は人一倍憎しみを持ち、そんな詩や絵ばかりかいていた。
その頃の自分が、原発反対と政府批判をただ企業名の羅列で訴える表現者を見ていて、何故かふと重ね合わさった。
もしそういう方法をとるなら、それが短絡的に響かないような説得力が絶対不可欠で、それが可能なのはほんの一握りの人なんだろう。

人は歳をとったり、月日が経つことで、信念や拠り所も変わってくる。
今この時の正直な気持ちとして、私は、ただひたすらにその瞬間瞬間の自分の仕事に渾身の力を込めることによって、何かを伝えたり訴えたりすることを、本当に美しいと思っている。
感動さえしている。
意外なことに。
自分はどう考えても、その対極にいるタイプだと思っていたからだ。

長い間のヨーロッパでの生活で身体に染み込んだと思っていた「具体的な言葉や方法で自分の信念を伝える」こと、それは日本での生活においてメリットもあれば弊害もある。
「西洋至上主義」だった帰国直後はどうしても、「日本的」奥ゆかしさや、内なるものに全てを託すことに何の良さも見いだせなかったどころか、それを劣ったものだとさえ感じていた。
そして帰国して10年以上経ち、ある程度そんな呪縛から解かれた今では、それを自分の中で暴れさせずに、ちょうどいい具合にバランスをとりながらうまく飼いならせるようになったと自負していた。

禅とか武士道とか、研究したことはないけどね。
でも、自分がそんなことを思うようになるなんて少し前までは思ってもみなかったから、これはちょっとした発見かも。
何も言葉を発しなくても、すぐには人の目に触れる事すらなくても、人の行いや想いや存在は強く強く伝わることもあるのかもしれない。
人の目や耳に触れる表現者さえも、いや、だからこそ、この日本の(と言っていいのかわからないが)希有で不思議な精神が、ほかの誰にも負けない強さとなって生かされるのかもしれない。
それを信じてやってゆくことも、それを誇りに思うことも、許されるのではないか。

「外国で日本を外から見ることでわかる何か」は、外国にいる時にわかった気がしていた。
でも違ったかもしれない。
今、本当に「日本」と「日本人」の持つ、世界中ほかのどこにもない何かが、少しずつわかってきたような気がしている。

また違ってるかもしれないけどね(笑)。

椿の花が好きだ。
大好きな神社の片隅に咲く、この凛とした花は格別に力に満ちていた。
咲くときも、落ちるときも潔い。
そんなふうに生きて、散れたらいい。
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by saskia1217 | 2011-04-20 19:54 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!