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雨だけど素敵なこと

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雨。
梅雨だから、雨。
雨なので、露草。紫露草。
露草大好きなのに、青いほうの「普通の」露草も最近はあまり見かけない。
子どもの頃は道ばたにわんさか咲いていたのに。
そういえば、昼顔も、ヒメジョオンも、猫じゃらしも、カヤツリグサも。
みんな、どこにいっちゃったんだろう。
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そのかわり、同じ阿佐ケ谷の街で今日見つけたのは、ドアの外に無造作に置かれたオルガンの上で顔を洗う猫。
オルガンと猫は、かなりいい感じでマッチする気がする。

夜はマンドリン&チェンバロのライブの打ち合わせ。
舌の根も乾かぬうちに(とはこの場合言わないけど・・・笑)、もう次回詳細決定。
日時、セットリストは「コンサート情報」↑を今すぐにご覧下さいまし!!
ご確認の上、手帳に書き込んでくださいね〜!!
そしてお友達、ご家族、隣りの家の人などをお誘いの上、是非お越し下さい。
前回残念ながらご都合のつかなかった方、次回は日曜日ですので今度こそぜひ!
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by saskia1217 | 2008-06-30 03:27 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(3)
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それは、アンコール4曲のうち3曲目の「武蔵野」を歌い始めたときだった。
宮本さんの声がおかしい。急に音程が取れなくなって、それが数フレーズ続いた。
泣いていた。
宮本さんが泣いていた。

エレファントカシマシ、野音ライブ。エレカシライブは5月のCCレモンに続いて2回目。
そして野音は初めて。子どもの頃、昼間にあそこを駆け回って以来だ。
4時30分頃、地下鉄の霞ヶ関駅から日比谷公園脇に出る階段を昇っていると、大音響が耳に入ってきた。公園入り口までくると「今をかきならせ」をフルヴォイスで歌う宮本さんの生声がガンガンに響いている。は〜、これが「野音名物」の「外で聴けちゃうリハ」なのか。入場を待つ列に並びながら、リハの様子が手にとるように聞こえる。メンバーに色々と指示を出しているのも聞こえる。しかし、あんなにフルで歌って・・・。かなりギリギリの時間まで音出ししていた模様。ほんとにいっつも全力なのね。頭が下がる。

随分と日が延びて、5時半はまだまだ明るい。なんとか雨も降らず、ちょっと重めな曇天模様。「今日は曇りでよかったな〜・・・でもまあ、雨なら雨でバケツの水50杯くらいかぶっちまうからいいんだけどさ」
あ〜、野音伝説の水かぶり、ですね(笑)。お客さんだけずぶぬれになるのが(ステージのみ屋根がありますからね)いたたまれないってことなのか、宮本さんは雨天決行の時は必ず水をかぶるらしい。ある意味、そんな「雨の野音」も体験してみたいなんて思っていたが・・・(でも、人間はいいけど、機材とか楽器とかは、やっぱりマズいんじゃあ??)

セットリスト全24曲、殆どぶっ通しで歌い続ける。もちろん、こっちも一度も椅子になんか座れるわけがない。アンコール4曲を入れて、終了したのは8時半。
半ばあたりでようやく空が暗くなってくる。日比谷の空は広い。黄昏始めた頃のグラデーションのような、水墨画のような、言いようもなく美しいほの暗さのなかに、ステージの絶妙なライティングが映える。歌う人も聴く人も、胸がいっぱいになる。東京を愛する宮本さんが、あの空を見ながら歌っているその心情までが、手に取るように伝わってくる。
「野音ライブは格別」といわれているのが、よくわかった。
涙のアンコールの後「リハのときは平気なんだけど、こうやってみんなの前で歌うと、涙腺ゆるんじゃってね」なんて。

毎年この時期に必ずあるこのライブ、きっと古いファンは何年も聴き続けているのだろう。アンコールで「今宵の月のように」のときに「野音のみんなにはつまらないかもしれないけど、大切な曲なので」なんて前フリ。
今日は特に前半、初期の曲や、私も初めて聴くシングルのカップリングなども混ざっていた。
野音名物(?)の「即興の歌コーナー」では、メンバー紹介をしながら「日比谷の歌」?
「昨日からずっと〜、みんなに何を聴いてもらおうかと、考えてきて〜」のような歌詞。語る言葉が全て歌になってしまう男。ある意味しゃべってるより自然な感じというか。う〜ん、天才。

エレカシの曲に多い「夜」「月」関連の曲もたくさんあった。あいにく月は見えなかったが、心の目で月を輝かせることもできたような、そんなミラクルな時間。
24曲+アンコール4曲の、どれもに血が通い、どれにも一寸の手抜きもないベクトルで出来ていた素晴しいライブ。もちろんどれもこれも嬉しかった。「うつらうつら」「赤い薔薇」「真夏の星空は少しブルー」「月の夜」「月と歩いた」「珍奇男」・・そして大好きな「武蔵野」

私の涙腺が反乱を起こしたのは「遁生」だった。最近ずっと聴いていたアルバム「生活」のなかの一曲。
「23歳の頃、実家の2DKの自分の部屋で、夜遅く火鉢に火を入れ、ギターをごしゃごしゃ弾いていた頃の歌」だそうで。(3時くらいになると一酸化炭素にやられて頭が痛くなっていたとか) 
このタイトル、普通辞書に載っているのは「遁世」という言葉。「仏門に入る、あるいは隠居する」つまり、世から離れているということ。でも宮本さんが選んだ文字は「遁生」。隠れて生きていること。
「長いですよ」と呟いてから、この12分あまりの歌を淡々と弾き語る。3000人のお客が、全員スタンディングのまま水を打ったように静まり返った。とても東京の街の中心、3000人がそこに居るとはにわかには信じられない。街のざわめきも鳥の鳴き声も、隣りの人の息さえ聞こえない。クラシックの演奏会でも、あんな静謐は滅多に経験がなかった。何千人でも何万人でも、そこに居る人をグッと集中させてしまうあの引力。

「これから先は死ぬるまで
表へ出ないでくらす人」

そう始まるこの歌は、最後のほうで曲調を変える。

「歌を誰か知らないか?
つまらぬときに口ずさむ
やさしい歌を知らないか?」

アルバムでは続けて絶叫しているこの部分を、今日宮本さんは限りないピアニッシモで歌った。
涙が溢れた。

「ロックは生命を肯定する」
その言葉通りの仕事を成し遂げたミュージシャンは、3時間絞り尽くした後でもまだ、キラキラと輝いて見えた。
アンコール最終曲、まだ誰も聴いたことがなかったあの新曲の、輝かしい完成を待ちつつ・・・
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by saskia1217 | 2008-06-29 02:30 | エレファントカシマシ | Comments(0)

ポエム

いい詩なんて、そうしょっちゅう書けるもんじゃない。
でも、いい詩にはしょっちゅう出逢う。

「・・・・・
弱き人のその肩に
やさしき言葉もかけられず
人を思ううちが花よと
わずかに己れをなぐさめた
・・・・・」

自分には何かが足りない、という焦燥感。
滑りの悪いコミュニケーション。
いっぱいいっぱいの生活。
まわりが蟻のように働きまわる中、1人、部屋で動かない自分。
いつかはやってくる最期のとき。

「・・・・・
ああ平和なるこの生活が
なぜ我らを蝕むのか
・・・・・」

そしてこの詩はこう終わる。

「・・・・・
流るるドブの表を
きらりとさせたる夕陽あり
俺はこのため生きていた
ドブの夕陽を見るために
ドブの夕陽を見るために」

そうなんだ。
何故知ってるの?
そんなことがあったんだ。
だから言葉が刺さってくる。

宮本浩次「偶成」(アルバム『生活』)より。
明日は、雨が降ろうが槍が降ろうが、日比谷野音ライブ。
雨天決行。
エレカシの言葉と音が土砂降りの、初夏の夕暮れ。
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by saskia1217 | 2008-06-28 02:20 | エレファントカシマシ | Comments(0)

眠れない!

ここ数週間ほど、ちょっと気になっていたことがあった。
いま少し時間ができたので、それを調べ始めたら、これが終わらなくなってしまった。
・・・というわけで、ただでさえ夜型女王が、これまた本当に眠れない!!

それは「パラドックス」。
面白いよね、パラドックスって。
最近ある友人と話していて「クレタ人(エピメニデス)のパラドックス」が話題にのぼったのだが、その友人はその時には詳細について思い出せずにその話はそこまでとなり、以後ずっと気になりながらもそのままになっていたのだ。
で、数日前から調べ始めたら、芋づる式にズルズルと・・・。
しかしこれって「テトスへの手紙」のあそこが出典なのね〜。全然気がつかなかった。

自分が論理的にものを考えることが得意だとは全く思えないが、そういう命題とか歴史とかにはかなり興味がある。もちろん専門家じゃないのでごくごく有名な例しか知らなかったけど、いろいろ調べてみると結構出てきてホントに面白い。ワクワクだ。
「人食いライオン(または人食いワニ)のパラドックス」(これはドラマ「古畑任三郎」にも出てきた)とか「殿様のパラドックス」とか・・・
そういえば、ラーメンズのコント「QA」のラストも見事!
ん〜〜、こんなこと調べ始めたら、終わらなくなるのは当たり前です(笑)。

でも「パラドックス」って、何か問題に当たった時に「こう考えるとこうなる。でもじゃあ、こうでないとしたらどうなるだろう?」って表と裏から考える、ってことですよね?
その手順を踏みながらいろんな例を読んでいたら、これって何かに似ているな〜とぼんやりと思ってきた。
そう、それは「通奏低音奏法」デス!(爆)

数字を右手でリアリゼーションしながら弾いていくバロック時代の演奏技術である「通奏低音奏法」では、課題を弾いていくうちにどこかで「もうこれ以上先には行けない」(と思える)事態が発生することがある。そんな時、いつも授業で言っているのだが「その箇所で、または一歩手前、または一節前に戻って、こうじゃないとしたら果たしてどんな可能性があるか、と考えてみる」ことが凄く重要になってくる。(言葉にすると難しげだが、弾いてみると実に単純明解!)

ま、通奏低音のリアリゼーション考えてて眠れなくなることは、まず絶対ないけど(笑)。
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by saskia1217 | 2008-06-25 00:52 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

1か8か・・・

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「イチかバチか」ではない(笑)。
花の話。

実家の庭で子どもの頃からずっと見ていた紫陽花は、いわゆる「ガクアジサイ」だった。
紫陽花の、あの花のように見えるところは実は「ガク」だそうだけど、ガクアジサイというのはその「ガク」の部分が少なく、実は「花」である中央の丸くて細かい玉のような部分が多い。いってみればこちらは「一重」のようなもの。
で、紫陽花の原型はこっちなんだそうだ。
(近所で見た紫陽花をパチリ↑。中央にあるのがガクアジサイ)

たしかに見た目にはあの「八重」っぽい、ヒラヒラした部分が多いほうが綺麗な感じもする。
けど、子どもの頃からアジサイは真ん中がスカスカしているものだと思っていたせいか、私はこの「ガクアジサイ」のほうが好きなのだ。
そういえば、タマアジサイとかヤマアジサイとか「野生」っぽいものは皆ヒラヒラしていない地味なタイプのほうである。

そういえば、実家の庭には山吹の株もあって、毎年春の終わりに黄色い花をいっぱい咲かせるそれは「一重」のものだった。なので、これまた単純な私は、山吹は一重なのだとずっと思っていたが、街で目にする山吹の殆どは八重であることに気がついて結構驚いた覚えがある。
そしてうちにあるその一重の山吹は、秋になると5粒の実からなるタネをつけるのだ。花びらが5枚なので、実も5粒。だから小学校で、かの有名な「太田道灌と山吹」のエピソードを聞いたとき、その意味がわからず、それどころか先生に「山吹にはちゃんとタネができます」と食って掛かった思い出がある(笑)。「そんなはずはありません」と怒る先生と、「うちの山吹には毎年タネができます!」と半泣きで訴える私。嫌な小学生だ(苦笑)。が、今思い出すと結構笑える。
そう、一重の山吹にはタネができるが、八重の山吹にはできないのだ。
まったくお騒がせな植物である(笑)。

しかし。
いくらお料理のお皿にのっているからといって、アジサイの葉を食べてしまう人もいるんだなあ。今日聞いた、つくばのレストランで起こった食中毒のニュースにはほんとにビックリ。
アジサイの葉には、胃液と混じって青酸を生成する何かが含まれているらしい。
日本料理の世界では、基本的に「食べられないもの」はお皿にはのせないということを聞いたけれど、西洋料理はどうなのだろう?創作料理となると、そのへんはまったく自由なのかしらん?
かといって、あの味気ないセロファンだかプラスチックだかの「まがいもの」の緑を料理のお皿にのせるほど腹立たしいこともない。
やれやれ、果たしてどっちがいいものやら。
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by saskia1217 | 2008-06-23 21:43 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

時にかなう

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気がついたら山積みできるほどに増殖していたエレカシのCD。
一番「らしくない」イメージがあって後回しにしていたアルバム「愛と夢」さえ、手に入れて聴いてみたらそれなりに愛おしいものがある。
エレカシ的には「ベタ」であるが、アルバム「生活」はしかし傑作だ。
私がいちいちCDを手元に置きたかったのには理由がある。
ただ曲が好きで、でも実際は節約したい、なんて時はレンタルCDで楽しめば十分だ。が、エレカシの場合、私はどうしても歌詞を読みたい。耳で聞くだけでなく、文字になったものを読みたい。その文字の並び具合を目で味わいたい。そのリズムを確かめたい。
うん、だから仕方ないのだ、このコレクションも(真っ当な理由でしょうが?)。

「生活」あたりから、宮本さんの声は「がなる」ものと「素直に聴かせる」ものが混じってくる。
「昔はただ叫んでいたけど、音楽としてじっくり歌って伝えるのは大事だと、今は思うようになった」ということをインタビューで聞いた。
ライブで聴く、絞り出すようなハスキーな声もいいけれど、アルバム録音で聴けるまっすぐで透き通った、力強い宮本さんの声が好きだ。「東京の空」冒頭の、殆どノンヴィヴラートかと思える声はまるで楽器のようで、本当に心を抉る。「もしも願いが叶うなら」や昔の「今宵の月のように」でも、そんな声が聴ける。20代の頃のアルバムの、喉から血が出そうな声を聴くと(それもいいんだけど)「あ〜、これをずっと続けてミヤジの喉が潰れなくてよかった〜」と本気で思ってしまう。

スポーツ、芸能、漫画、ロック、ディスコ・・・中高生の頃、周りの多くの友人が体験していた事に、自分も出逢っていたかったな〜と、羨ましく、悔しく感じることも少なくない。
でも、きっとやっぱり、それでよかったんだな。
今だから出逢えたこともある。
なにかに、だれかに出逢うタイミング。その絶妙さの前には、人間の意志の力なんてガラガラと音をたてていとも簡単に崩れ去る。
ずっと前からどこかで知ってはいたのに目の前には現れて来なかったもの、ホントに目の当たりにしてみて初めて、そういえばずっと気になっていたことを思い出したり・・・。

「その時その時を一生懸命やっていると、別の(道の)一生懸命な人に出逢えていくもんなんですよね。一生懸命やってないと、自分の周りから人はどんどん離れていくんです。」

ん〜〜。
宮本さん、ホントにいつもいいこと言うなあ・・・
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by saskia1217 | 2008-06-23 00:08 | エレファントカシマシ | Comments(0)

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また夏がやってくるようだ。
梅雨明けも未だだが、サクランボを食べるとそんな気がしてくる。
今日、大学の教員室で出してくださったサクランボ。
今年初めての味。

夏。
う〜ん。
夏は嫌いなんだけど、
またまた夏はやってくる。

ところで。
お昼前後の授業を終え、蒸し暑さにへろへろになりながら次の大学へと急ぐ上野公園。
ふと目を上げると、前を歩く大勢の外国人観光客。
そのなかにふと、黒地にどでかい白い文字で

「ありえへん」

と書かれたTシャツを来ている黒人さんを発見。
大爆笑。
ひとりで大爆笑。

なんか。
ありがとう・・・
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by saskia1217 | 2008-06-19 01:20 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(4)

戦うのか?

先週のライブが終わり、そこはかとなく静かでハッピーな気分が続く。
仕事がそこそこ忙しくても、気持ち次第で時間がゆったり流れてゆくこともあるのだ。

昨夜は慶應大学日吉キャンパスで、先輩チェンバリスト桑形亜樹子さんの演奏会を聴いた。
スペインやイタリアの古い音楽、そして蕪村の句をモティーフにした現代フランス人作曲家の作品、北爪やよひさんの「弾き語り」作品。いろんな音楽が聴けて楽しかった。しかしチェンバロのコンサートなんて何年ぶりで聴いたんだろう?(笑)
北爪さんの作品で詠まれたのは矢川澄子さんの詩。各行あたまの文字を繋げると別の言葉が浮かび上がるという、これまた最近私が毎日のように作って遊んでいる「あいうえお作文」や「50音作文」と同種の言葉遊び。(消えると思いきや、定期的に蘇るラーメンズ余波・・・苦笑)
そうか・・・これを音に乗せる・・・そういう手もあったか・・・(笑)。

それにしても、自由学園明日館をライブ会場に選んでやっぱりよかったとつくづく思う。
あそこを初めて訪れたお客様の多くはそれを楽しんでくださったようだから。
興味深かったのは「講堂はちょっと教会みたいな感じだった」という皆様の声。
建築家ロイド・ライト自身があの講堂にそれを意図していたかどうか調べていないのだが、事実自由学園はキリスト教のミッションスクールである。例えばあからさまに「教会」や「キリスト教」らしいモティーフを使わないにしても、もしそのような精神が建物に込められていたとして、時を経てそれを見る人が何かを感じるということがあるならば、それってかなりいい話だ。

そうそう、ちなみに、最後に弾き語りをした「夜曲」の詩について、何人かの方からご質問いただきました。
これは宮沢賢治の「文語詩稿」のなかに入っているもので、新潮文庫の「新編宮沢賢治詩集」で読むことが出来ます(→ライフログ参照)。7+5が4行というごく短いもので、もともと「土性調査慰労宴」という長い詩だったのが改稿されるたびに短くなったとか。宴席の歌妓をうたったものだけれど、この詩を初めて読んだとき、現実の賑やかな情景(音、色)そのものよりも、宴席の外に広がっていた空、森、里山などのイメージが強かったので、そんな曲になりました。
なので、もとはチェンバロを小さい音でさらさら弾きながら呟くように歌う曲だったのです。後から、4つの楽器と複数の声のためにいささか大きめなイメージでアレンジしなおした次第。
宮沢賢治、小説や童話もいいけど、詩がホントにいい。
オススメです。

そういえば、最近思っていること。
ライブって皆さんよく「参戦する」って言いますね。私は今でこそロックとかお芝居とか、クラシックのコンサート以外のイベントに出かけるようになったけれど、初めてコンドルズの舞台を観に行った頃にこの表現をきいて、ちょっとビックリした覚えがある。
「参戦」って・・・(笑)。
そんなに意気込まなきゃいけないもんなのか、という感じ。いやいや、今ではこのニュアンスはよくわかってるつもりだし、そういう気持ちもよ〜くわかる。でも正直、未だに抵抗はあるのだ、この表現に。
まあ、ロックのライブだったら「ん〜、力入ってるね〜、盛り上がるのね〜」という感じだが、最近はお芝居を観に行く人もこの表現をよく使っていて、さすがに私は「KKPに参戦する」と言う気分にはなれない(笑)。ましてや、小林賢太郎さんのソロ公演に「参戦」は、かなり私のなかのニュアンスとは違う。
私は、ね。
こんなことどうだっていいことだし、自由なんですけれど。
(もっと言えば、「参戦」するのはどっちかというと、チケット取りのほうだと正直思う・・・苦笑)。

ついでに。
自分の出るコンサートなんかを人に宣伝したりするとき、私はいつも普通に「聴きにきてね〜」と言っていた。まあ、そうだろう。
でもライブの宣伝をしているミュージシャンのコメントではよく「みんな見にきてね〜」といっていることが多い。または「是非遊びにきてください!」とか。「聴きにきてください」というのは今のところあまり聞いたことがない。
クラシックのコンサートの宣伝で「見にきてね〜」「遊びにきてね〜」と言うのには、やっぱり違和感があるか、と問われればたしかにそうかも。「観に行くね」「遊びに行くね」と答えられたら「え〜、音楽聴きにきてよ」って大半の演奏家は思うんじゃないか。

微妙なところで、そのイベントが持つ役割性というか無言の期待感というか、「何を求められているのか」を、突きつけられているような気がする。
それがちょっと窮屈にも思える今日この頃。
私は気軽に言ってみたい・・・「ちょっと見にきてみて」って。

そんな私が日比谷の野音に「参戦」する日も近づいて参りました!
たしかにあれは、まぎれもない「戦い」って気がする(笑)。
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by saskia1217 | 2008-06-17 20:21 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(6)

ミュージックランナー

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・・・と、いうらしい。
このイベント「東京ミュージックマラソン」に出演するミュージシャンのことを。

今日は私も豊洲で、この「スペシャルミュージックランナー」としてオルガンを弾いてきた。
いつもの豊洲のコンサートだが、今日はこのイベントのスターティングの一環だったそうで。
映画音楽、ユーミンなどのポップス、クラシックからはシューマン「トロイメライ」、モーツァルト「トルコ行進曲」などを弾く。

東京都が主催者のひとつとなっているこのイベント、10月1日の都民の日がメインらしいが、それに向かって今からいろんなイベントが続くとか。
この6月の数日間は、東京の30あまりの様々な会場で、無料でいろいろな音楽が聴ける。
アマチュアもプロも、演奏者も聴衆も、渾然一体。
フランスが本家本元のこのイベント。
ほんとのマラソンはそこそこ苦しいものだけど、音楽のマラソンはもっと快適(だと私は思う・・・笑)。

事件、事故、災害・・・
悲しいことも多い日々、音楽はきっと何かの力になるだろう。
奏でることも、聴くことも、誰にでもできること。
「聴くこと」も、音楽シーンにおいては重要なアクションのひとつだ。
お風呂で鼻歌を歌うのも大事なアクション。
ちょっとしたことで、人の心は優しくまっすぐになる。

音楽の力を信じて。
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by saskia1217 | 2008-06-16 04:42 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

天国への階段

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本番があった日は一睡もできないことが多い。
本番前日はぐっすり眠れるんだけれどね。
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前日までの雨が嘘のように晴れ渡った13日金曜日。
マンドリン&チェンバロユニットの5回目のライブ。
自由学園明日館は、いつ行っても美しい佇まい。
コンサートに集まったお客さんが、そこも楽しめるということがなんか嬉しいのだ。
別に私の家ではないのにね(笑)。

100人くらい来て下さるかな〜と見込んでいて、フタを開けてみたら140人超のお客様。
感激です。ありがとうございました!
もともとゆる〜い感じのコンセプトでやってはいるのだが、その暖かい雰囲気はひとえに好意的、好奇心旺盛に聴き入ってくださるお客様が作り出してくださるものだ。
今日はステージを客席の床面に設置してもらったので、距離も近く音響的にもナイスだった。
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エピックから石渕さんにお花が届く。
いつもいらしてくださるお客様(岐阜や群馬などからも!)、友人知人、学生さんやそのご家族、ブログで知って申し込んでくださった方などのほか、コンドルズやザ・コンドルズのメンバーも駆けつけて下さった。じつにありがたいことです。

リハが終わる頃、美しいこの講堂を西日が包んだ。
楽器も包まれた。
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ただいまゲネプロ中(今日アシスタントをしてくれた、うちの学生さんがたまりさんが撮ってくれた)。
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今回はより自分たちの「やりたいこと」を思い切ってやってしまった、という感じだったかな。
私にとっては曲作りも弾き語りもアレンジも、どれも思ってもみなかった体験。
クラシックと呼ばれるジャンルの音楽家がこれほど「分業化」されてしまった現代、曲を書き、歌詞をつくり、歌い弾きまくるロックやポップスのミュージシャンを見るにつけ、あ〜やっぱり音楽家はこれだよな、と思う。
私はとてもそんなところまではやり遂せないけれど、でも「できたらいいな」ということをともかくやってみることは楽しいし、やってみると色々とわかってくる。
なんだか・・・いまさら、の話だけれど。

今は兎に角、誰かひとりでも多くの人を楽しませたい。
幸せにしたい。
私がいつも誰かにそうしてもらっているように。
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by saskia1217 | 2008-06-14 08:06 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(10)

今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!


by saskia1217