6・1・3

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毎年、初夏になると
この掛け時計は
まったく
「無意味」
になってしまいます。

み、みえない・・・・

(註・パキラって、ほんとによく育ちますよ)
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by saskia1217 | 2006-06-30 16:46 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(2)

夏の使者たち

今日も暑い。
ま、暑いのは150歩くらい譲るとして、とにかく湿気は困る。
でも、暑くてもやるべきことはあるんですね、これが。

つまり、久しぶりに、家のこともまとめてすっきりと片付けてしまいたい。
毛布の洗濯(梅雨冷えすると思って出しておいたが、どうも今年は勝手が違う)、掃除、扇風機を出す、ベランダで涼めるように小型の椅子を出す・・・
それに用事と少しの買い物のため、歩いて外出。

暑いのも嫌いだし、そもそも汗をかくのが嫌いなのだ。と言うと、どうも「不健康」というイメージがつきまとうらしい。が、大嫌いな「暑い」時に、大嫌いな「運動」でもしようものなら、一気に気分が悪くなり、結局あまりいい結果を生まない、というのが今までの経験。(ただし「暑いのが嫌いで寒いのが好き、暖房要らず」とはいっても、某ダンスカンパニーのプロデューサーK山氏のように、クーラーを22度設定にするほど冷房狂ではありません、念のため・・・笑。私は地球には優しいつもりです・・・マニアックネタですいません)
もちろん運動不足や肩こりは何とかしなければいけないので、歩くこと、掃除(特に床磨き)などは積極的にやり、1日1回は必ず「こんどうさんちのたいそう」と「アイーダアイダ」をビデオ見ながら実行する(笑)。←でもこれ、結構な効果ですよ。

語学の集中勉強も終わったので、やっと大好きな音楽をいっぱい聴ける!
今まで、移動しながらちまちまとMDで聴いていたブルーハーツを、ラジカセでガンガンかける。実にいい気分だ。
掃除、特に床をぞうきんがけする時に、ブルーハーツは実にもってこいである。まず、「リンダリンダ」や「旅人」「夢」などビートの速い曲では作業も速くなり、加えて気分が良くなるので作業がはかどる→どんなに汗をかいてもそれが似つかわしいような気分にさせてくれるので不快にならない→しっとりした曲ではその歌詞も味わいながら、丁寧に作業できる(笑)。

音楽が「作業の能率」にもたらす効果が絶大なのは、既に誰しもが知るところだ。昔学生時代にバイトしていたレストランで「好きな曲をかけていいよ」と言われ、それを真に受けて自分が好きな「まったり」した曲ばかり持って行ったら「あ〜、これじゃお客の回転遅くなるからだめだなぁ」とボツになったことがあった。そりゃそうだ、戦場のようなランチタイムに「王宮のコンセール」はどう考えてもマズい(笑)。
そういえば留学時代、私は掃除時にはいつも、自分の師匠が若い頃ピアノフォルテを弾いてファゴット奏者と録音した、ドゥヴィエンヌの「ファゴットソナタ」をかけていた。いわゆる初期の古典派の溌剌としたアレグロが頻繁に出て来るような、じつに調子のよい音楽なんですね、これが。で、ある日それを、つい師匠本人に「すごくいいんですよ、これ、掃除には」と嬉々として言ってしまったのだが、「掃除?掃除にいいの?そ、そう・・・」と結構落ち込んでいたことがあったな(笑)。「そのくらい颯爽としていて素敵なんですよ」って言いたかっただけなんだけど・・・

ブルーハーツの音楽、それももちろん掃除にだけいいわけではない(笑)。
この4月にコンドルズを通してブルーハーツの音楽に初めて出会って以来、日本を留守にしていた90年代のこの残念な空白を埋めるように、浴びるように彼らの音楽を追ってきた。大体のアルバムは殆ど聴きまくって少しは取り戻せた気もしているこの頃だが、何がいったい、こんなに私の心を捉えるのか。

とにかく、歌詞。歌詞がいい。(と、ブルーハーツの好きな人は口を揃えて言うらしい)
それは「社会的である」とか「メッセージ性が高い」とか、そんな大仰な言葉で表すにはあまりにも自然で明瞭で衒いのない勇気に満ちた言葉の雨。そしてそれは殆どの場合、細かくて複雑なリズムにたくさんの言葉がついているのではなく、それがまぎれもなく「日本語の歌」である証しに、「1音符に1文字」が貫かれていることが多い。従ってメロディーは大振りな音符(4分音符とか)に割り当てられ、まるで童謡や唱歌のように単純で覚えやすく、そこに付けられた言葉もはっきり聴こえて来る。
そして、やはり明瞭、シンプルな和声。コードだけ聴いていると確かに、ⅠとⅣとⅤだけで出来ている部分が多いのだ。いつかラジオでコンドルズメンバーが「どうしてもギターでドミナントセブンが弾けません。どうしたらいいでしょう」という相談メールに「そんなもん必要ないよ、いい曲は大抵C-F-Gだけで出来てるんだから、それだけ押さえられりゃ十分だよ〜。話は簡単、セブンスが出てこない曲を弾きゃあいいんだよ〜」と実に乱暴かつ明瞭な答えを叫んでいたが(笑)、それはきっとこういうものを踏まえていたんだろうな。
とはいえ、ラストアルバム「ザ・ブルーハーツPAN」のストリングスを多様した滔々としたアレンジもほんとに心を打つし、「リンダリンダ」の冒頭すぐのところに出て来る借用和音には、心臓をぐぅっと抉られるんだけどね・・・

「キリストを殺したものは
そんな僕の罪のせいだ」
(チェインギャング)
・・・にはちょっと驚きだったけど・・・

「期待はずれの言葉を言う時に
心の中では『がんばれ』って言っている
聴こえて欲しい、あなたにも。
がんばれ〜っ」
(人に優しく)

「今日からは歩く花
根っこが消えて足が生えて
野に咲かず、山に咲かず
愛する人の庭に咲く」
(歩く花)

「愛じゃなくても恋じゃなくても
君を離しはしない。
決して負けない強い力を
僕は1つだけ持つ」
(リンダリンダ)

THE CONDORS「真夏帝国」とブルーハーツのヘビーローテーション。
蒸し暑い部屋に毎日、ポジティブな夏を運んでくれる熱い心の使者たち。
私の大切な宝物です。
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by saskia1217 | 2006-06-29 18:58 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(6)

マヨラー

だと、自分ではちょっと思っているくらい、結構マヨネーズが好きだ。
が、今日作ったサラダにはちょっと入れすぎた感が・・・

「たくさん野菜のサラダ」
トマト、オクラ、キュウリ、レタス、サニーレタス、ベビーコーン、ぶなぴー、ひよこ豆+うぐいす豆+キドニービーンズの缶詰。
それをオリーブオイル、ワインビネガー、少しだけバルサミコ、塩胡椒、マスタード、レモン汁、それに適量のマヨネーズで和える。

夏はやっぱり野菜!!
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by saskia1217 | 2006-06-24 01:36 | くいしんぼうメニュー | Comments(5)

想定外・・・お散歩編

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毎日蒸し蒸しして、まったくシュウマイになったような気分だ。梅雨なら梅雨らしくシトシトと雨が降ってくれれば、まだ情緒もあるのだが・・・

昨日あたりまでずっと何かと仕事や用事が細々とあって、ゆっくり外出する時間が取れなかったが、今日はやっと少し一息。
が、いいことも悪いことも、いずれも「想定外」が続いた一日。

ライブで見ようかどうしようかとずっと迷っていた「日本×ブラジル戦」、昨日寝る時には「やっぱり見よう」と思って目覚ましを4時に合わせておいた。でもなんだかんだと2時頃までデスクワークをしていたせいか、ちょっと疲れていたらしい。
目が覚めたら、8時だった。
がぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。
「絶対」という気持ちが足りなかったんだろうな、きっと。
だから負けたんです、きっと。
私のせいです、ごめんなさい(苦笑)。
以上、「悪い」想定外。

8時頃から放映した試合の様子を見ながら、昨日私が予言した通りの1-4だったことに驚愕。(ホントですよ。証言者もいますっ。こんなことなら何か美味しいものでも賭けとけばよかった・・・)
天気のせいもあるだろうが、なにやらちょっとモヤモヤした気分を断ち切るために、出かけることに。
そうだ、時間がなかなかとれなくて行っていなかった「コンドルズ展第二弾」に今日こそ行ってみるか、ということで都電でお出かけ。

早大演劇博物館は「文芸協会百年記念展」も開催中とあって結構入場者がいたが、2階奥のコンドルズ展の部屋は誰もいなかった。部屋のレイアウトや照明が暗いイメージ(というか、お化け屋敷とか、占い館とかに近い・・笑)だったせいか、前回の展示よりも狭い感じもしたが、舞台衣装やおびただしい数の人形やマネキンが並んだ奥には、暗闇の中にテレビモニターが2台、ブラウン管を妖しく光らせている。全く関係ないが、なんかナムジュン・パイクを思い出してしまった(笑)。しかし誰にも会わずにたった1人で、あの暗闇の中ヘッドフォンをつけて映像を見続けていると、自分がどこにいるのか忘れてしまってあたかもワープの最中のような妙な気分になってくる。こわい・・・
映像をひととおり見たあと、展示物を一巡眺めて博物館を出る。

さてお昼を過ぎている。何故だかわからないが、高田馬場周辺に来ると必ず、ついジャンキーなものを食べてしまう傾向にある。ラーメン、焼肉、中華、カレー、ハンバーガー・・・せっかくいい感じに体重が減ったのに、これはやっぱりNGだろう。やはり計画どおり、帰宅してカロリーメイトを食べよう、と思いながら、帰りはJR高田馬場駅に出ようと、その方向目指して多少いい加減に歩いていた。と、目の前に小さな焼肉屋さんが。歩道にはランチの看板。この時間、いい匂いがしている。
「あ〜、焼肉もいいな〜、たまにはいいか」
で、あまり迷うこともなくお店に入り、カウンター席に座り、定食をオーダー。
お皿が運ばれてくる間、お店の中を少し見回すと、かなりの数の色紙が壁に貼られているのに気づいた。「ふうん、芸能人とかが来るお店なのかなあ・・」
・・・その中で、真っ正面に貼ってあったのが、なんと「コンドルズ」のチラシ。

このお店って、もしや・・・
近藤さんや、プロデューサー勝山さんがバイトをしていたという、あのお店じゃありませんかね?
驚・・・
(でもきっと、大多数の人がこの「偶然話」を信じてくれないような気がする・・・苦笑。でもホントですよ)

美味しいお肉を食べて満腹になったので、少し歩こうと早稲田大学方面に戻ると、大隈講堂に隣接した「大隈庭園」が解放時間だという立て看が。その隣りにあるカフェテリアでゆっくりコーヒーを飲んでから、庭園に行ってみる。ここはリーガロイヤルホテルから臨める日本庭園だ。思い思いに座ってお昼を食べている学生さんたち、スケッチをしているおばさま達のグループなど、多くの人で賑わっていた。
池にはハス(かな?コウホネはもっと小さいよね)の花、アヤメや紫陽花も咲き、いい感じである。(冒頭写真)

庭園から見た大隈講堂。
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都電の駅まで出る途中、まったくめちゃくちゃに路地のようなところを歩いてみたら、テレビで見たことのある食堂や、小さくて面白そうなお店なんかを一杯目撃。楽しかった。
おまけに立て続けに3人もの人に、道を訊かれてしまった・・・これもちょっと驚。
すいません、私、この辺よく知らないんですよ・・・・(笑)

博物館をさくっと見て、さくっと都電で帰るつもりが、まったく想定外のこの「満喫ぶり」には我ながら呆れたものだ。
ただまあ、1対4の鬱陶しい気分はすっかり消えてなくなっていたから、いくつかの「想定外」に何らかの効力があったことは確かだろう。
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by saskia1217 | 2006-06-23 17:50 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(5)

自己責任

スーパーで売っている野菜や果物を買うことは、多くの人が日常的にしている。私も殆どの場合、そうだ。

で、その場合、時々悲しいことが起こるんですね。
トマトとか、桃やキウイ、またはサクランボやいちごなどは、よくパックやトレーに入れられ、ぴちっとラップをかけられて店頭に並んでいる。
選ぶ私たちは、一応それを手にとって吟味してはみるが、パックに入っている以上、その裏側など絶対にチェックできない部分もできてくる。
おおよそ「表」の状態で、その鮮度や状態は判断できるけれど、時にはそう上手くいかないこともある。

今日もそんなことが起こった。
スーパーの入り口を入ったすぐの目立つ棚に、夏の定番、赤く熟れた小さい「すもも」が山のように売られていた。すももやプラムなど小さい「桃」の類が大好きな私は、このシーズン初のご対面とあって、早速かごにひとパックを入れた。
選ぶ時にはなるべく赤くて傷がなく、表面がプリプリ固そうなのを見繕ったつもりだったが、家に帰って開けてみると一番上に乗っていたすももの下半分が腐ってしまっていた。

涙・・・

まあ、そういう時はレシートを持っていけば取り替えてもらえるし、多くの場合はそれをするのだが(とはいっても、取り替えてもらう新しいパックも同じ状態で売っているわけで、それはそれでまたややこしい話になってしまう・・・苦笑)、今日は非常に疲れていて服も着替えてしまった後だったので、面倒になって取り替えには行かなかった。
所詮たった果物1つの話、ただ運が悪かっただけなのだが、つまり損をしたというより前に、なんだかちょっと悲しくなる場面なのだ。
じゃあ全体を見て選べる果物やさんや八百屋さんで買えばいいのだが、時間の節約とかお買い得とかポイント貯めようとか(笑)で、どうしてもスーパーでの買い物になってしまう。

ヨーロッパのスーパーの多くでは、果物や野菜などはゴロゴロとそのままケースに山のように積まれて売っていて、お客はそこから自分で好みの大きさなどによってひとつひとつを見繕い、同じ種類の品物を1つのビニール袋に入れて、設置されている秤に乗せる。すると重さによって換算された値段シールが出てきて、それを袋に貼ってレジに持っていく、というシステムがよく見られる。
あれなら、その品物を選んだのは自分自身なんだから、傷がついていようと腐っていようと、でこぼこしていようと、虫が喰っていようと(結構よくあるんですよね)、全ては選んだお客自身の責任になる。

イタリアの有名な観光地ピサの「斜塔」には、柵が無かった。(今現在はひょっとして出来ているのかもしれない・・・未確認)
あれはつまり、そこから落っこちたらそれは気をつけなかったその人の責任、という意味なんですね。
それからよく言われることだが、列車の駅のホームのアナウンス。最近はドイツなんかでも、すこ〜しだけアナウンスがある時があるが、基本的には「電車が来ます。危ないので白線の内側までお下がり下さい」とかいうアナウンスはまずありえない。
駅のホームである以上、電車が入って来るのは当たり前で十分想定可、もしホームの端を歩いていて落っこちたり電車に接触したりしたら、それもやっぱりその人自身の過失なのだ。

まあ定番といいつつも、この話題にを触れ始めるとちょっとキリがなくなるのだが、せめて自分でお金を払って買うもの、そして自分の口に入れるものくらい、自分で選びたいし、その責任を負いたいものだ。

世間がワールドカップに夢中になっている間に、なんだかひょろひょろと、いつの間にか「アメリカ産牛肉」の輸入が決まっていたよ。皆さん、ちゃんと知ってましたかぁ??
外交に譲歩は必要だけど「調査時の立ち会いを許してもらう」とかいう超当たり前のことを、有り難がって「条件」の項目に入れるって・・・・理解不可能。
食べるのは、アメリカの人たちじゃなくて、私たち日本人なんですよっっ!
ちなみに韓国はまだ頑として輸入のメドも立てていない、って言うのに。同じアジアなのに、どうしてこうも「きっちりさ」の差があるのだろう。
こういう意志、主義主張の明白で強いところが、もしかして韓国のサッカーと日本のサッカーの強さの違いなんじゃないか????

あ〜、こわいこわい。
とりあえず、明白にわかる場面では、引き続きアメリカ産牛肉は食べないことにしようっと。
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by saskia1217 | 2006-06-23 00:28 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(2)

本来の姿

某オケの本番で、渋谷のオーチャードホールにチェンバロを弾きに行った。
今日のプログラムは、よくある「序曲やって協奏曲やって、休憩後に交響曲」みたいな定番の演奏会と違って「いろんな曲のいいとこをちょっとずつ」というもので、チャイコフスキーあり、ヴィヴァルディあり、ドビュッシーあり、アンダーソンあり、映画音楽あり、ポップスあり、楽器もピアノやギター、フルートなどのソロやセッションあり、というぎっしりのヴァラエティぶり。
(ということは転換が多くなるのは必至で、つまりステマネやスタッフは大変、ということだ。しかしその点、いつものことながら、さすがプロは仕事がスムーズである。)

つまり、今では「交響曲」や「協奏曲」などは全楽章演奏されるのが普通だが、今日はそうではなくて、それぞれある楽章だけピックアップしてあった。じつはベートーヴェンの頃の公開演奏会では、こんな形態が「普通」だった。例えば、とある交響曲の第3楽章で音楽会が始まり、続いてオペラの何かのアリアが1曲歌われ、続いてピアノ協奏曲の第1楽章、次に別の交響曲の第2楽章・・・なんてく具合に続くわけである。だから一晩に7〜8曲並ぶ感じ。あの有名な第九だって、最初は4楽章だけが演奏されたりしていたはず。(うろ覚え)

今日のステージで私が演奏したのはヴィヴァルディのフルート協奏曲の、とある楽章だけで、その演奏時間約3分(苦笑)。しかしそのためにチェンバロを用意し編成に入れてくれるというのは、今時かなりゴージャスである。素晴らしい。
オケの出番というのは、もちろんパートによってその演奏時間が異なっているが、結局は拘束時間で考えられるために、そのギャラは基本的に全員同じレベルで計算される、ということは断っておきましょう・・・まさに、いつかの「トリビアの泉」に登場したトリビア「ずっと弾き続けているヴァイオリンと、1発しか打たないシンバルのギャラは同じである」ですね(笑)。(ちなみにこの時の放送で、証言VTRに登場したヴァイオリン奏者は私の妹である・・・苦笑)

そんなこんなで、ゲネプロ中もいろんな編成のいろんな音楽をちょっとずつ聴くことができて、楽しかった。それでMCやインタビューなども入っていたから、お客さんにとってはとてもリラックスした楽しい時間になったことは間違いない。オケはいろんな楽器の奏者がたくさん集まっているから、まぁうまくプログラミングすればかなり様々なことが出来そうだけれど、だとしてもやる方は実は大変かもしれない。でもとにもかくにも、お客さんが楽しい、ってことはいいことだ。うん。

期待しながらちょっぴり力をいれて会場に出向き、じっくりと、濃厚な交響曲をたっぷり聴くのも素敵だが、ただ出かけてスラッと座席に座り、「あ〜いいなあ〜」なんて疲れが取れるようなコンサートもいいよね。
特にこんな、
じと〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
っとした梅雨時の夕方は。
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by saskia1217 | 2006-06-20 23:21 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

コラボレーション

夏の様に暑かった昨日、午前中と夕方の用事の間を縫って、とあるシンポジウムに出かけた。「芸術の変貌/芸術学の展開」と題されたそのシンポジウムは、「芸術学関連学会連合」というスゴイ名前の団体の創立第1回の記念として開かれたものだった。

参加学会は現在のところ16団体、意匠、映像、浮世絵、演劇、音楽、舞踊、美学、服飾、など日本全国の芸術関連の学会が集まっている。
ずらっと並んだそれらの団体名を見ているだけで、かなり凄い印象である。
昨日のシンポジウムでは、美学会、美術史学会、意匠学会、日本音楽学会(私は「学者」ではないのですが、一応ここに所属しています・・・笑)、そして舞踊学会から5人の学者の方々が出られてそれぞれ短い講演を担当し、その後フロアと共に話し合うという形式。

現在諸事情によって(笑)まさに私にとってはタイムリーかつ非常に興味深いイベントだったので、時間的にその一部しか出席できないと知りつつも出かけてみた。
聞けばこれらの学会が一緒に何かをする、というのは今に始まったことではないらしい。でもそんなことが行われていたなんて全く知らなかった。うかつだった。
一般にも解放されていたせいか、かなり多くの聴衆が集まって熱心に耳を傾けていた。

考えてみれば、上に挙げたような所謂「芸術」に分類される各分野は、それぞれ個々に成り立ってはいるけれど、それよりはるかに「相互に関連していること」「同時に用いられること」のほうが多いように思う。当たり前なのだが。
にもかかわらず、何か1つの「芸術作品」の中で、そのそれぞれがバランスよく、クオリティーも高く、かつそれぞれの素晴らしいところが思う存分発揮されている、というケースはそう多くないように思う。

それぞれの先生方の講演を伺ってとても面白かったのだが、お一人お一人のこのシンポジウムにおけるスタンスが色々だったのがまた興味深かった。
私自身、所属する「音楽学会」の例会などに出席していても、専門家つまり学者でないということも手伝って、また重ね重ねの勉強不足もあり、やはり理解できない難しい場面にも多く遭遇するのだから、それが全く違う分野のお話となれば、外国語のように難解なのは目にみえている。
このような機会に、その方のご専門の分野について紹介、また説明して下さることもとても面白かったのだが、やはり何気なく出て来る専門用語や言い回し、業界の話などには、私には付いて行けないことが随分あったのが残念だった。(くどいようですが、これはひとえに私の知識の無さが原因なので、仕方ないのですが)
ただ中には、そのような想定をされたのか、非常にわかりやすい、未知の分野でありながらある程度想像できるというような、面白いお話をして下さった方もあった。
でもまあ、きっとこういうふうにとにかく「一同に会して何かする」ということだけでも、何かの始まりになるのだし、十分意義があることですよね。

一番聞きたかった「音楽学会」と「舞踊学会」の先生のお話は、会の進行が遅れたことと、私自身の時間にリミットのせいで、泣く泣く諦めて退室。
きっとあの後のディスカッションはもっと面白かったのだろうな〜と思う。

簡単に「コラボレーション」といっても、専門家になればなるほど、やはりどこか井の中の蛙になってしまって(でもそれもある意味「専門家」には必要なことなのだけれど)他のものと相見えること、「一緒に何かすること、しようとすること」が実は難しいのかもしれない。
私たち実際に音を出す側も同じだろう。ただ一緒にやればいい、というものでもない。
最近「コラボレーション」と銘打ったものは多くなってきたが、そう簡単に出来るものではないなというシビアさと、でもだからこそ、よ〜く考えぬいたらそれこそ「世界にひとつ」のものが創りだせるのかもしれない、という希望。

また悩みの種が増えたな〜・・・
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by saskia1217 | 2006-06-19 03:28 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

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ベランダで、知らない間に花が咲いた。
2年前、TEPCOのアンケートに答えたら送ってきた花の種である。昨年一度咲き、そのままただただ毎日水をやってきただけ。
今朝、FMの「水曜WANTED」を聞き終わって、水やりにベランダに出たら咲いていた。
なんだかすごいタイミングである。

・・・というのも今朝未明、かなりラッキーな、とっっってもいいことがあったのである。
ふっふっふっ。
あまりの嬉しさにボー然とし、朝っぱらからつい近所のタリーズに行って、美味しいコーヒーをゆっくり味わいながら、その気持ちを噛み締めてしまった・・・

考えてみればほぼ5年間ほどの冬眠期間を経て、4月あたま以来、コンドルズを中心に突っ走ってきた私だが、いくらなんでも最近突っ走りすぎである。(はい、自覚しています・・笑)
でも、不思議なことに自分で走っている感じが全く無いのだ。
何かが、何者かが、いろんなものが、どんどん向こうから勝手に、それも真っ正面からやって来るというのが正直な感覚。
これが、例の「波に乗れ!」ということなのか????

そんな小さな幸せたちに押されて、今日も一生懸命、頭と身体を使いましょうか!
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by saskia1217 | 2006-06-15 12:07 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(3)

初心者

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仮にも音楽を生業としている私でも、こと弦楽器となるとまるでお手上げである。
専門はまあ鍵盤楽器ということになるだろうが、今まで副科や趣味で触ってきた楽器を振り返ってみると、ある程度演奏可能というレベルでいえば、打楽器や管楽器はいくつかあっても、弦楽器は皆無に等しい。
大学時代に少しだけやってみたヴィオラ・ダ・ガンバは、数人でコンソートをやる時にちょこっとバスを弾いたほかは、結局「こがねむし」しか弾けなかった(笑)。
子どもの時に一緒にピアノを始め、中学生になってからヴァイオリンを始めた妹(現在、在京某オーケストラのヴァイオリン奏者)をみるにつけ、我が妹ながら妙に尊敬してしまう。

その妹があるパーティーのビンゴで当てたというこの楽器、ウクレレ。
自分では弾かないというので、早速もらってきた(笑)。
私は特にハワイアン好きでもないし、今の心境としてはできればギターを始めたかったのだが、まあ、いいだろう、似たようなものだ(え?!)、弦楽器体験としては贅沢はいっていられない、と最近独学ではじめてみた。

いや〜、やっぱり問題は左手なのである。
ガンバの時もそうだったが、我々鍵盤奏者というのは無意識に「押さえ終わった指はさっさと離してしまう」クセがついているようで、結果、左手がパタパタ踊ってしまうことになる。
いや、それ以前に指で弦を押さえる、という行為自体が苦痛だ。
痛い、痛いよ〜〜〜。
指のまんなかに溝ができるでないの!

でもまあ、気晴らしにしばらくやってみよう。
「弦が4本しかない」というのは、少なくとも調律嫌いの私にとっては、夢のようなメリットである。(ご存知のようにチェンバロは弾く前に必ず調律しなきゃならない。どんなに急いでも20分はかかる)
いつか宴会芸にはなるように、準備しときますっっ!!
期待しないで待っててください!
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by saskia1217 | 2006-06-12 21:32 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(5)

単細胞

・・・という言い方を最近はあまり聞かないが、昔はよくそう言ったものである。
つまり私みたいな人のことを。
(とはいえ、ミジンコやミドリムシには、実に失礼な話ではある)

ひとつのことを考えだすと、他のことに気がまわらない。または、すぐにいろんなことをやりたくなるくせに、実は複数のことを同時にやるのが下手くそだ。
目下最もそれを実感しているのが、語学。

学生時代、フランス語の授業を受けて校門を出たところで、外国人観光客に「国立博物館はどこですか?」と英語で聞かれ、「ここをまっすぐ行った左手です」と言おうとして、ど〜してもleftが思い出せず、どんなに振り絞ってもgaucheしか口から出なかったことがあった(呆)。
じつに単細胞である。

最近では、通訳としてお手伝いした公開レッスンで、講師がドイツ語よりも英語を使う頻度が高く、その切り替えが私にとってはなかなか上手く行かないことがあった。ただでさえ最近フランス語ばかりやっているので、錆び付いたドイツ語を起動させるのにも少し時間が要る。そこにいる全ての人が英語を理解する人とも限らないし、こちらは立場上聴講している全ての人に、講師の発言の詳細をくまなく伝える義務があるので、そのへんのバランスが難しかった。
単細胞は治らないようだ。

いろんな外国語をやってみるのはたしかに大好きだ。今まで、ともかく理由はなんであれ(笑)、ちょこちょこといろんな言葉にトライしてきた。例えばオランダ語、フラマン語、スペイン語、チェコ語、ポーランド語・・・でもそんなわけで限りなく広〜く浅〜くなので、その殆どはとてもとても「使える」までにはならず、辞書を引けば何となく文章がわかった気がする、程度止まり。ま、もともと「動機が不純」だったから仕方ないけどね・・・

ここ数年、曲がりなりにもしがみついて続けてきたのがフランス語なのだが、これがまた結構やっかいである(某都知事とは違う意見ですけどね)。語彙が増えない、時勢がうまく使えない、活用が覚えられない・・・などの典型的ダメダメな症状である。
ご多分にもれず、一番最初に触れたのは英語、それから高校に入った頃にドイツリートに出会い、ドイツに強烈に憧れて始めたドイツ語。最初の大学ではドイツ語と英語とフランス語を履修、英語の先生がとってもいじわるだったのでどんどん英語は嫌いになり(笑)、反動もあってドイツ語ばかりに熱中。次の大学ではフランス語とラテン語、オランダ語を少し。ラテン語は前期だけで挫折(笑)。反面ドイツ語のほうは、高校から通い始めた代々木にある某語学学校でも、すでにその頃にはすっかり古参になり、事務やお掃除のアルバイトから、付設レストランのウエイトレスまでやっていた。
おかげで骨の髄まですっかりドイツに染まった私は、留学したのも当然のごとくドイツ。学生生活と社会人生活、なんだかんだで8年近くドイツに腰を落ち着けてしまうことになる。

で、ドイツに住むようになると、そこは地続きのヨーロッパ、当然他の国にも行きたくなるし、仕事で行かねばならないケースも出て来る。ドイツ語だけでなんとかなるのは、オーストリア、スイス、オランダ、チェコ、ベルギー・・・この辺になるとだんだん怪しくなる・・・ポーランドはもう殆どダメでしたね(ちなみにあそこは歴史上フランス語ならOK)。
それも国際的な催し、学会とかコンクールとか観光だと、結局のところ全員の共通語は英語になってしまう。急に英語を使うのもかなり大変だったが、1日2日たつとどうにか耳も慣れて使えるようになってくる。

一番困ったのが、ラテン系の言葉の国だ。
つまり、フランス、スペイン、イタリア。
イタリアの小さい街のホテルなんかだと、「英語?ダメだね〜。フランス語ならわかるよ」とかいうオジサンによく出会った。スペインはもうランゲンシャイト(ドイツの大手辞書出版社)のミニ会話ブック片手に、なんちゃってスペイン語でやるしかない。
(でもスペイン領カナリア諸島では、張り切ってスペイン語をやっていってもちょっとガッカリする。ドイツ人観光客であふれるLanzarote島はみなドイツ語で事足りてしまった。フランス人がよく行く隣りの島じゃ、フランス語が使えるらしい)

で、肝心のフランス。
一頃は「フランス人は絶対自国語を通し、英語なんてしゃべってくれない」という時代も確かにあったようだが、今はもちろんそんなこともなくなっている。
でもせっかく、朝起きてパンやさんにクロワッサンを買いにいくのなら、フランス語を使いたいでしょ?!
で、今考えると本当にヒドいのだが、どこのお店に行ってもただひたすら「Je voudrais・・・(欲しいんですけど)」と言ってから品物を指差し(笑)。これもよくあることだが、そこから相手が何か話しかけてきたらもう終わりである。フランスはパリとディエップしか行ったことがないのだが、こんなことを続けているうちに、私のフランス語コンプレックスはどんどん積もり積もっていくことになる。

ちょうど今から8年前に帰国したとき、あまりにも暇だったこともあり、またこのコンプレックスを何とかせねばと思い、結構いやいやながらにフランス語の語学学校に通い始めた。あれから随分たつのにフランス語は一向に上達していない気がする。その国に住むとかいう切迫感がないせいもあるだろうし、歳をとって確かに単語の覚えが悪くなっていることもあるかもしれないし(悲)、「不純な動機」がないせいかもしれない(苦笑)。

なんと来週は、フランス語のとある試験を受けることになっている。結局今回も直前になってお尻に火がついている始末。
それでも気がつけば、フランス語が前より好きになっている事実は、少なくとも喜んでいいだろう。
フランス語をちゃんと習い始めてからは全くフランスに行っていない。
でもいつか、パリの朝クロワッサンを買う時に、おばさんの言葉ににこやかに答えてみたいものである。
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by saskia1217 | 2006-06-12 01:13 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)