カテゴリ:感じろ、考えろ、思え!( 1444 )

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阿佐ヶ谷教会チャーチコンサート、晴天と180人あまりのお客様に恵まれて無事終了しました。
お運びくださった皆さま、どうもありがとうございました!

「教会らしい曲も入れてください」という、チェンバロという超俗社会の(宮廷もまぁ俗ですから)楽器には難しいリクエストになんとか知恵を絞り、前半は賛美歌ネタ中心、後半は劇場、踊り、お酒、教育、そしてチェンバロ以外の世界…と思いっきり世俗まみれに😄
前半は超真面目な空気に固まっていた客席を、どうにかゆる〜くしようと、後半は私本来の不埒な感じで攻めてみましたが😎
楽しんでいただけたでしょうか?

アンコールのピアソラ「リベルタンゴ」は6月のリサイタルで好評頂いたので、調子に乗ってまた弾きました💃🏻
派手な曲はやはりお客様にはインパクトあるようです。

チャリティーとして集まった皆様のお気持ちが届き、震災からまだ完全に復興できていない東北の教会が少しでも早く再建されますよう、祈りたいと思います。
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by saskia1217 | 2016-11-15 02:41 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

上からの声

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トーハクがらみでもうひとつ、忘れられないものを観た。
先日書いた「写禅語」や「禅トーク」に参加するには、「禅」展のチケット半券が必要なのでそれを大事にお財布に保管していたわけだが、行ってみたらどうもそれだけじゃ「入場」そのものが出来ないらしい。
つまりイベントには参加できるけど「入館」しないとダメってことで。
常設展のチケットでも買えばよいのだけど、そういえばちょうどやってる「平安の秘仏」展、うっすら「見たいなあ」と思っていたことを思い出した。
ちょうどいいや、とこれも何かのご縁、やっぱり観ろよ、ということなのか・・・とチケット購入。
イベント参加し、秘仏展はまた後日ゆっくり来ようかと思ったが、きけば展示品はそれほど多くなく部屋もひとつだけだという。閉館まであと2時間強たっぷりあった。
早く帰って練習しなきゃとか、ああ部屋の掃除してなかったとか、心に余裕がない時に限ってそれほど大したことでもないことで自分が自分を焦らせる。
思っていて出来なかったのは自分が悪いのに、なにか他のもののせいにする。
せっかく「禅」の世界に触れたのに、まったくちっとも進歩がありゃしない。

エイッ、今日はもうせっかく来たのだからゆっくり観るぞ。
野寺の大観音とみほとけたち」
滋賀県甲賀市にある櫟野寺(らくやじ)の十一面観世音菩薩、がその目玉。
数日前のテレ朝「ぶっちゃけ寺」でこの移送の様子を取材していた。
日本最大の坐仏観音、秘仏なので普段は厨子の奥の奥にいらして観られないのが、2018年に33年に一度の大開帳らしい。
仏教は好きだし興味あるし仏像も好きだけれど、けして「マニア」ではないので、正直それほど期待せずに部屋に足を踏み入れた。

・・・とたんに、もうそれはそれは驚いたよ。
ほんとうにとてもスゴイものを観た。
5メートル越えという大きさ、はもちろんインパクトの根元。
けど、それだけじゃないものすごい力。
光なんだか熱なんだか力なんだか、わからないけど一瞬で何かに包まれる感じ。
部屋の中央にドーンと、かなりの高さからこちらを見下ろしておられる十一面観世音菩薩様から、何かが発せられてる。
圧巻。
思わず中央に歩み寄って合掌する。

そのまわりには同じ櫟野寺にある10〜12世紀に出来た20驅余りの仏像がぐるっと取り囲んでいて、それぞれその様式も素材も表情も何もかもが面白く、ひとつひとつがとても興味深い。
とはいっても、中央の観音様はもう桁外れに何もかもがスゴイ。
磁石みたいに引き寄せられてしまって、ついつい中央に戻って来てしまう。
厨子の中ではゼッタイに不可能な、左右横、真後ろからも観られるのが貴重。
照明もあいまって青銅色に見える身体には、よく見ると細かく鮮やかな彩色を施された衣の模様や、持ち物や装飾品も美しい。
何よりも、釘付けにされてしまったのは、お顔の、眼の表情。
坐禅のときの45度下を見つめる視線。
いろいろな位置に立ってみて、観音様に向かって左下、右目の先くらいの位置が、あちらからの視線や光線が直接私の中に届く気がしたから、その位置から動くことができなかった。

見上げると、視線が合うような合わないような。
いや確かに「ここ」という一点だけ、合っている気がした。
何にも考えずにただ見ていただけなのに、涙が出てきて仕方がなかった。
仏像を見て涙が出たのは二度目だ。
もうひとつは、芝・増上寺の三解脱門の特別開帳の時に観た、あの門の上にいらっしゃるお釈迦様。
五百羅漢に囲まれ、文殊菩薩と普賢菩薩を従えたお釈迦様。
からっぽで観たのに向こうからやってくる力が半端無かった。

この観音様、ずうっと見上げていると
「よーしわかった。オマエを救ってやろう!」
という声が聴こえてきた気がした。
ちょっと低くて、エコーがかかっているような声である。
いやいやホラーでも、ふざけているわけでもない。
何か辛かったとか疲れていたというわけでもない。
スゴイなあ、これが万人に届く仏様の力なんだなあと素直に思えるくらい、生身で現実的な説得力があった。

まわりの仏様たちをつぶさに観ながら、途中で何度も観音様のところに戻り、最後にもう一度近くから見上げ、出口のところ、少し遠くから眺め、また真下に戻ってもう一度合掌してから会場をあとにした。
後ろ髪引かれるような気持ちもありつつ、また送り出していただいているような、背中への視線も感じながら。

思いがけず、素晴らしい時間だった。
殆ど偶然のようにフラリと足が向き、出会えたご縁。
必要なときに必要なものに出会える。
有り難い、ただただ有り難い。

それはそうと「甲賀市」って「こうか」って読むのね。
ずっと「こうが」だと思ってました。
「こうが忍者」だと思ってました。
失礼しました(笑)
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by saskia1217 | 2016-11-15 02:36 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

トーハクでやってみる

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先日、「禅」展鑑賞したのとは別の日にまたトーハクに立ち寄った。
関連イベント「禅トーク」と「写禅語」に行ってみたのだった。
ちょうど時間の都合が、授業の前と後にスッポリだったので・・・
何のために上野に行ったんだか(笑)。

「禅トーク」は臨済宗のお坊さんによる20分のミニ法話。
ロビーのソファで聴くラフなスタイルだったが、とにかく人がいっぱい集まってすごかったな。
お寺、お坊さん・・・最近のこの流れはまだまだ衰えないようだ。
お天気の話に始まって、マザーテレサの詩や「荘子」からの寓話(のっぺらぼうの混沌帝の話)を交えながら「仏は皆の中にいる」について。
「何かいいと言われるものを外から持って来るのではなく、自分のなかにあるいいものに気付きましょう。そのための坐禅でもあります」と。
短い時間でもこうやって落ち着いて何かしらのお話を聴くのってやっぱりいいね。
最近は曹洞宗でもテレホン法話とかやってるし。
教会関係でもあるけど、みんなどのくらい利用してるんだろう。

午後の「写禅語」・・ってこの言葉はここ半年くらいで臨済宗で発信してきたものなのだとか(笑)
写経と、まあ、同じ感覚ですよね。
20名ずつ入場で用意された禅語のお手本から直感で好きなものを2つ取り、席についてそれを書く。
うす〜い半紙に筆ペン(泣!)だったのですべらなくって非常に書きにくかったけど、まあ、丁寧に書いてみた。
普段「お手本」というものに縁がないのだけど家で書くときは何かしらアイデアとして「禅語集」みたいなところから文字を出してきて書くことも多い。
「衆生本来仏なり」って好きなコトバ。
この日お坊さんからは「書道ではないので上手く書こうとしないでくださいね」とアドバイスがあったが、そうだね、家で書くときも「上手く書こう」版と「上手く書こうとしない」版と両方やってみたら面白いかも。
書き終わるとその禅語の意味を解説したパンフレットを頂いて帰る。
せっかくお坊さんが2人も立ち会ってくださったのだから、もっとお話も聞きたかったなあ。
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帰り際に、この前気づかなかった「仏は皆の中にいるパネル」(出品されてる「羅睺羅尊者」のパクリ)で近くに居た方にお願いして写真を撮っていただく。
でもこれ、まさかの「ワタシが仏ポジション」だよね・・・笑
畏れ多いわ。

ひさしぶりにミュージアムショップに行ったら「はにわソックス」とか「はにわミトン」とか「茶器カレンダー」とか「縄文カレンダー」とか、トーハクコラボの手拭とか・・・
購買欲という煩悩が丸出しになってきたので早々に引き上げ。

トーハク、いろいろ考えてて最近面白いね。
どんどん参加すると楽しいと思う。
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by saskia1217 | 2016-11-14 19:25 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

杜の都

もうだいぶ前のことなんですが、仙台に行ってきました。
かつての「やまびこ」感覚だと東京から2時間、と思って乗ってたら、大宮の次が仙台って・・・
1時間20分で到着「はやぶさ」速すぎ!

鉄子ではないがついつい撮ってしまう。
そういや「こまち」って昔、車内で「あきたこまち」の焼きおにぎり売ってたけど、今でもあるのかなあ。
お味噌が焦げてて美味しいやつ。
なんか可愛い画。
チュッ❤️
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仙台はバブルの頃ほんとうによく仕事に行ってたのだけど、最近は殆ど機会がなかったからものすごく久しぶり。
マツコさんが絶賛してた「ずんだ茶寮」のずんだシェイク、仙台行ったらゼッタイ飲もうと思ってたら、新幹線の改札出たすぐ目の前にあって(笑)迷わず直行。なかなか空気冷えてたんだけどね。
イートインもあって、緑を貴重にした綺麗な店内。
美味しかった!
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本番会場は東北大の川内キャンパスにある萩ホール。
仙台城跡なので高台にあって広くてステキ。
そのバブリーな頃のお仕事では、このお隣の宮城県美術館によく来てたっけ。
地下鉄が広瀬川を渡る時が気持ちいいんだ。
日中は東京と同じくらいに感じたけど、朝晩はさすがに寒かった。
紅葉し始め。
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仙台フィルに伺ったのも久しぶり。
今回は指揮者なしの弦アンサンブル。
前半はヴィヴァルディ「2つのヴァイオリンの協奏曲」とピアソラのバンドネオン+弦合奏を数曲。
後半はヴィヴァルディ「四季」とピアソラ「ブエノスアイレスの四季」を季節をバラして交互に、という面白いプログラム。
いつもは前半冒頭で1曲弾いてサヨナラ、なのが今回は全乗り(笑)。
仙台フィスコンマスのお二人(神谷さん、西本さん)のリードも見事で、それぞれの曲に対する熱意も感じられたし、バンドネオンの三浦一馬さんも本当に見事。
みんなで話し合ってリハを築いていくって古楽の人たちには当たり前のプロセスなのだけど、ふつうのオケの人たちにはもしかしたらあんまり得意じゃない場合もあったりするのが、このオケは一人一人が考えて意見を言いながら作り上げる力があるんだなあ、と感心。
じつに気持ちのいいリハ、本番でした。

楽器は仙台在住の製作家、林裕希さんのフレンチ。
あんまり頻繁に弾いていないというお話で、リハ初日に触ったときはまだ生っぽく眠ってましたが、リハでガンガン弾いてるうちに(!)目を覚ましてきたようでした。
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オケの中央にチェンバロを置くことは多いのですが、蓋を全部取らねばならず、つまり楽器としての本来の姿が失われる=響かない、わけで、今回はかすか〜にそうとわからない程度にPAを入れました。
で、後半は赤、黄、緑、紫と場面に応じて照明が変わり、ステージ後方からの光をまともに受ける私の譜面台は数字を読むのが非常に難しかったのですが(苦笑)、ソロを受け持つパートにピンスポが当たったりするのはそれなりに面白く、ヴィヴァルディ「秋」の2楽章や(あれ・・・まあ「ソロ」ではないんですが)、ラストのピアソラ「夏」の最後の最後にみんなの音が消える頃、ヴィヴァルディ「春」の冒頭を回想のように弾く・・という美味しいおシゴト場面でもその光を浴びて弾きました。
いいね、ピンスポ(笑)。
一度やってみたいのは、ステージ奥からの逆光で自分がシルエット、お客さん目つぶし、ってやつなんだけどね(笑)。
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今回は何処かを訪ねる時間は全く無かったのですが、合間に仙台在住のお知り合いにちょこっと会うことができ、束の間のお食事。
いつも牛タンでも・・と(笑)、今回ははらこめしと油麩を。
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そして。
まだまだ復興支援!
まだまだ、です。
がんばれ東北、がんばろう日本。
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by saskia1217 | 2016-11-11 19:56 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

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出勤日でないのに用事があって大学に行き、このまま帰るのも勿体無いなあと、観たかったアレに行って来た。
その名も「禅」・・・ストレートだな(笑)
チラシなんか見ていて「へえ、臨済宗黄檗宗の展覧会なんだな」と、じつはさほど「どうしても!」という情熱ではなかったのだが(スミマセン)やっぱり色々面白かった!
用事が終わってから閉館時間までたっぷり3時間あったので思い切って行ったのだが、いやいや展示品が多すぎて3時間では最後のほうは駆け足だった。
会場が2つあって、それぞれ2時間ずつはかかる感じかな。

禅宗の成立から、臨済宗の展開、戦国武将と当時の僧の関係、仏像、そして禅文化がどう広がっていったかまで5つの部分から成っていて、それぞれがとても充実している。
国宝や重文がザクザクって感じ。

印象に残ったもの・・・
国宝である鎌倉時代の「達磨図」は、いかにも「インドの人」という感じの少し浅黒く目鼻立ちがハッキリした眼力鋭い達磨さん。
お坊さんの肖像画や彫像は殆ど全て、靴(と言っていいのか)を脱いで椅子の上に足をあげている(衣の中にしまってある)。大きな背のついた椅子、そこに掛けてある美しい色の布、美しい衣、そして靴。
「臨済宗」と一口にいってもやっぱりあんなにたくさん「派」があるんだね。
それぞれの「派」別にその本山である寺の紹介と、開祖の像や肖像画(自賛)、それにまつわる品々が順に展示されていたのがとても分かり易くてよかった。

歴史で習う「臨済宗の開祖・栄西」は「えいさい」って読んでたけど「明庵栄西」には「みんなんようさい」とふりがなが付いていた。中国からお茶を伝えた方とあって、臨済宗では特にお茶との関わりが強いみたいだね。
坐禅会なんかでも茶礼が含まれてたりするよね。
今回この展覧会とリンクして「四ツ頭茶礼」に関する講演もあったりするのだけど、映像で見てみたらなかなか面白そうだった。800年前に宋から伝わったこのお茶のスタイル、合掌して待つのは普段の禅寺のお食事作法と同じだし、まあ「道」とつくもののルーツは大抵禅だから、またそこから日常生活に流布した「ふだんのお行儀」までもが、禅の流れを受け継いでいるともいえるね。
「四ツ頭茶礼」は正客が4人、そこにそれぞれ「属する」次客以降の人が7人ゾロゾロとくっついていく。
給仕する僧侶(4人)の動きがまた左右対称で美しく、一番面白いのが「主客(=大名)にはひざまずいて点茶するが、次客以下はお茶碗をお客に持たせたままあらかじめお茶の粉が入ったお茶碗にお湯を注ぎ、僧侶は立ったまま茶筅をふるうのがちょっと吃驚。
そうね、大名と家来たちへの振る舞いが違うってことか。一度に大勢のお客にお茶を出す、苦心の策だったのね。

そうそう、展示品。
中国の有名なお寺の図がかかれた「大宋諸山図」には道元が留学していた天童山景徳寺の見取り図もあり、禅宗独特の伽藍の配置はやっぱり中国から来たのね〜と。
眼にガラスを埋められてキラキラ光ってる開祖さんの彫像も美しく、またお経本や墨蹟も素晴らしい。
一番感動した書は蘭渓道隆の筆なる「金剛般若経」。素晴らしい字!
千利休が茶会をした大徳寺からもたくさん出品されてた。

一休さん所蔵か?といわれる一節切もあって、でも見やすいよう横に展示されてたから、ちょっと見「横笛」みたいで(笑)
いいサイズ感だね、一節切。
会場ではBGM的に音源が鳴っていたけど、太くないのに連綿と続くような、弱いなかに芯がある音。
尺八をとても重んじた一休さん・・・上手かったんだって。

そういえば大友宗麟、キリシタンだったはずだけど晩年は大徳寺の住職・怡雲副宗悦に帰依していたという。
アリか、そんなの・・・
山梨の向嶽寺からの品、漢字にカナが混じった書き方はとても珍しかったころのお経の版木。
すごかったなあ。
中央の印が現代の原稿用紙の模様そっくりだった。

前半を細かく見すぎて後半の「戦国武将たち」のところからちょっとアップテンポで。
それぞれが、帰依するお寺、僧侶がいたのが面白い。
まあ、当時は僧兵が普通だったり、実際武将のブレインだったお坊さんがいて当然だったからね。
時代劇なんか見てても(笑)大事な局面の判断なんかはお坊さんが決めていたりして、結局は武将同士というよりも実質その後ろのお坊さん同士の知恵競べみたいなこともあったのだろうか。
狩野永徳の筆になる信長の肖像は、カリカチュアみたいなんだけど、とても涼やかで印象的。

見ているうちに「やっぱり臨済宗は繊細で華やかだなあ」という印象。
小さい頃から曹洞宗のモノトーンの僧侶の衣や簡潔なお堂なんかに親しんできて、しかも今のところそこにドップリ浸かっている(笑)私には全体的にその色や風情がとても「雅」に映った。
黄檗宗はさらに美しい。銀色の如意(孫の手!)には吃驚。
ただ本なんか読むと、臨済宗もとても激しい一面もあるらしいし、「対面」「対話」など言葉や思考が重視されているときいても、実際に見聞きしてみないとわからないなあ・・・

特に「禅画」のジャンルで活躍した白隠と仙厓のコーナー。
ボーッとキャプチャーを目で追っていたら、あれ?
白隠が1685年生まれ、仙厓が1750年生まれ!
J. S. バッハの生没年じゃあありませんかー(笑)
・・・時代のことを考えても面白い。

展示品にあった「竹篦(しっぺい)」は「しっぺ返し」の「しっぺ」ですよね!?
いわゆる警策みたいな棒、名前はここから来ているのかあ。
道具でいえば他にも「払子(ほっす)」っていう、棒の先に白い毛がフサフサついてて偉いお坊さんがいつも手に持ってるアレ。
日頃お寺であれを持った和尚さんをみるにつけ「あれは動物の毛なんだろうか・・・殺生したらいけないんだよねえ、じゃあ死んでからとるの〜?」と疑問だったが・・
やはり動物の毛(ヤクとか馬とか)だったのか!
もともとインドのハエを追っ払う道具だったらしいけど、いつどうやって偉い僧侶の持ちものになったんだろ。
道具といえばアレもそうだ、「如意」!(如意棒の如意)
いつも「何アレ、孫の手じゃん」と思っていたら、実際もとは孫の手(つまり背中を掻くもの)だったらしい!
「かゆいところに手がとどく」から「親切心」「仏の思いやり」と解釈が進んできたんだって。
へ〜へ〜へ〜!

もうあと閉館まで30分というところでやっと「仏像」コーナーへ。
「宝冠釈迦如来および両脇侍坐像」はバックが黒く、上と横から美しい照明が当てられていて、その部屋に入って行くだけでもうそこに引き寄せられるような、そんなインパクトのある仏像。
オープン前の関係者・招待者だけのお披露目のときには、ここでお坊さんたちによる法要があったとか。
見てみたかったなあ!
本当に息を呑むくらい美しくて、2度見に戻っちゃったくらいだけど、実際お寺の中ではこんな神秘的照明は当てられていないだろうから、果たして仏像はどんな環境で観るのが一番いいのかなあ、なんて考えてしまった。
そして「十代弟子立像」は、小ぶりの仏像がぐるっと丸く展示されていた。
小さいけれどひとつひとつ表情が面白い。
先日永平寺の朝課で毎朝お呼びしていたお名前がズラリ。なんか懐かしいな。
そしてここにも「韋駄天」発見!
何故庫院に祀られていたのか疑問に思ってたけど「お米泥棒を素早く走って追いかけ退治」したから、なのかな?

最後のコーナーではお茶道具も多数。掛け物なども、もともと東博が持ってたものも。
国宝「油滴天目」は大阪の東洋陶磁美術館で見たかしら・・・
小さなお茶碗になにかがギュッと凝縮しているような、黒と金の色。

あと「織田有楽斎像」が、目下「真田丸」でこの役を演じておられる井上順さんにかなりよく似ていたのが、ちょっと可笑しかった。

インドから中国へ、そして日本へきて、そこでまた独自の味が足され発展してきた多くの宗派。
禅宗だけでもこんなにたくさん・・・・は〜(ためいき)。
普段おしゃべりなわりには、何故か沈黙と面壁とモノトーンが性に合っている気がしてるワタシ。
読書も坐禅も、目下ちょっと道元に集中しているのでなかなか他の派まで思考が届かないのだが、そのうちいろんなお寺で坐禅したいな。
・・・閉店間際のショップで、坐禅のときに使いたかったいい匂いのお線香を購入。
香りも大切。

お寺も神社も教会も同じだと思うけれど、それぞれがその土地の人々と深く関わって、歴史の深いところでその流れを左右する大きな根っこになってきたということがよくわかる展示だった。
なんだか急に一度にたくさんのキラキラした美しいもの、古いもの、珍しいもの、「歴史」をドーッと浴びたので、ちょっとクタクタになりました。
帰ったら、静かなところでちょっと坐ろうか。

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by saskia1217 | 2016-10-29 03:57 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

「いただきます」

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さて。
永平寺での(まだ言ってんのかオマエは!・・・ちょっといいお話を書くのでおゆるしを)

・・・永平寺での起きてる間ずっとのお作法のなかでも、特に大事で複雑なのが食時作法(じきじさほう)ということは書いたのだけど
禅堂へ入る→自分の単へあがって坐禅を組む→展鉢(応量器=食器一式を広げる)・・と始まり、食べ終わって食器を洗いもとどおりに袱紗にしまうまで全てが、細々とした決まり事のみで進むのだが、その動作の合間合間に必ず入るのが「果誦(かじゅ)」というお唱え。
それが・・・
「○○の偈」
偈(げ)っていうのは「韻を踏んだり詩のかたちになっているお経、または仏様などを讃える文」って言えばいいのかな。

薬石(夕食)は仏教ではもともと摂らなかったものなのでお作法も略式になり、短い「食前の偈」「食後の偈」だけ(またはそれらのかわりに「五観の偈」)
小食(朝食)では「展鉢の偈(てんぱつのげ)」「念誦」「施食の偈(せじきのげ)」「五観の偈(ごかんのげ)」「供養の偈」「三口食の偈(さんくじきのげ)」「折水の偈(せっすいのげ)」「歎仏の偈(たんぶつのげ)→これは首座のみが唱える」
そして一番正式な食事である中食(昼食)には小食バージョンにもうひとつ「出生の偈(すいさんのげ)」が加わる!(お唱えがいっぱい!)

これから頂くものの効能や、自分以外の生き物に食べ物を施す祈りや、今から口に入れる動作に伴う誓いや、食器を洗う水に感謝や・・・場面場面に応じてその内容のものを唱えるのだけど
この中でたぶん一番有名で、場合によっては薬石のときも、つまり三食ともに唱える食前のお唱えが
「五観の偈」
ときどき仏教系の学校の食堂に掲げてあったりするらしいから、見たことのある方もいるんだろうな。
私は全く知らなかった。
永平寺に行こうと決める前に見ていたEテレの「お寺の知恵拝借」で初めて知った。

「五観の偈」
一つには功の多少を計り、かの来処を量る。
二つには己(おのれ)が徳行の全缼(「卸」の左側に、右に「欠」)をはかって供(く)に応ず。
三つには心(しん)を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗とす。
四つには正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為めなり。
五つには成道の為の故に今此の食(じき)を受く。

これは曹洞宗の言い回しで、同じ禅宗でも臨済宗では少し言い方が違うらしい。
日本曹洞宗の開祖・道元は若い頃中国に渡った時、学んだ寺で「食事」を非常に重んじていることにとても感銘を受け、その精神を持ち帰ったと言われている。
その道元の、食べ物に関する代表的著書「典座教訓」(料理について。作る方)と「赴粥飯法」(頂き方。お作法など)、その後者にこれが書かれていることから広まったそうだ。
道元のオリジナルというよりも、唐の時代の南山禅宗の僧が書いたものを宋時代にまた別の僧がまとめたもの、を道元が引用したらしい。

1 この食事がここに来るまでいかに多くの人の手数と労苦が費やされたか、そのことに心を留めます(感謝)
2 自分は果たして、それをいただくだけのことをしてきただろうか?欠けたことは無かっただろうか(反省)
3 美しい心を曇らす、生まれつき持っている三毒(貪り、怒り、おろかさ=妬み、に近い)を抑え、修行の心をもっていただきます(修養)
4 食事は空腹を満たすだけではなく、心身の弱まりを治す薬としていただきます(目的)
5 心身ともに健やかに仏の道を成ずるために、いまこの食事をいただきます(理想)

読んだだけで、なんか胸に手を当てたくなるよね。
毎食毎食「いただきます」「ごちそうさま」と言いながら、「お米粒残すとお百姓さんに悪い」と言いながら、ときには時間がなくて急いでかき込んだり、テレビを見ながら心ここにあらずでダラダラ食べたり、人とぺちゃくちゃ話しながら何を食べているのかも無意識だったり・・・そんなこともしてきた。
そんなことも仕方ない、けどせめて「いただきます」「ごちそうさま」を言う瞬間だけは、この5つをギュッと凝縮して込められたらいいなあ、と思う。

「五観の偈」も好きだったのだけど、応量器を広げる前に唱える「展鉢の偈」もけっこう好きでした。
お釈迦様の一生を5文字×4で言い表すコトバから始まる。
「念誦」の冒頭に雲水さんのリーダー(堂行?)が唱えるコトバが、あの「陀羅尼」みたいに当て字なんだけど音が好きだったな。
「にゃんにさんぽうあんすいんし、にゃんぴんそんしゅにゃん」
ていうんだけど。
その挙唱に続いて皆で唱えるのが十の佛名なのだけど、その合間合間に鳴らされる戒尺の音がまたいいんだよねえ。
私の単は(食事の時みたいに)外に向かって坐る場合、ちょうど真向かいあたりがその食時作法担当の雲水さんだったので、その方が唱える偈文の発音や、戒尺の打ち方や、食事全体のお作法やスピードが目の当たりにできたので、とても興味深かった(ま、そんな余裕が出てきたのは3日目くらいだったけど・・苦笑)。

永平寺から帰って2週間。
相変わらず野菜の煮物ばかり食べ、日付が変わらないうちに寝て、テレビはつけない毎日。
そして今のところまだ、毎食前に「五観の偈」を唱えています(笑)
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by saskia1217 | 2016-10-19 21:00 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

永平寺の通用門をくぐって急な階段を降りながら、再び光と緑に包まれる。
なんていい天気なんだろう。
10月4日、正午。
幸せな充実感で満たされているのに、今すぐにでもまた門をくぐって中に戻りたくて仕方がなかった。
名残惜しすぎる。
後ろ髪ひかれまくる。
帰りたくない。
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スゴスゴと「杓底一残水」の石柱のところまで来た。
一歩出ればもうそこは娑婆。
何年もここに缶詰になって修行した雲水さんじゃああるまいし、たった4日くらいここにいたからって大げさだな。
そう言われそうだが、聞こえてくる音、目に飛び込んで来る全てが、なんだか全て邪魔くさい。
とにかく、音がうるさい。
車の音や物音もだけれど、それ以上に人々の声が非常に耳障り。
特に笑い声。
そして、なんてみんなどの人も、フラフラゆらゆらしているんだろう。
上体の軸が殆ど斜めになってて、しかも重心がいつも変わっている。
いつ、どうくるのかわからない唐突な動きは、ぶつかって来られそうでとっても怖かった。
そんな自分に吃驚だよ(苦笑)

絵はがきを買って、お世話になった方や恩師など、あとでゆっくり書こう。
門前の可愛らしい小さな郵便局でご当地スタンプ消印で出してもらうことにしようっと。
とにかくお腹が空いた。
門にそう遠くないお店の食堂でお昼にする。
初日は「これから修行にいくのにお蕎麦じゃねえ・・・」とソースカツ丼だった。
帰りくらいは名物を食べることにしよう。
でも空腹すぎて、お蕎麦だけじゃたぶん足りない。
っていうんで、おろし蕎麦(人気らしい)、野菜の煮物、胡麻豆腐、とろろ、酢の物、副菜、小さなお茶碗の白米・・・・
という「精進セット」
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太めの田舎蕎麦、名物「永平寺蕎麦」はとっても美味しかった。
考えてみたらお寺にいる間、お蕎麦が出なかったのは音をたてないと食べにくいからかなあ。
お蕎麦という素材は修行にうってつけな気がするけど、雲水さんたちの献立には無いのかもなあ。
そういえばもう一つの「永平寺名物」胡麻豆腐だって、参籠の方々と椅子にすわって食べた食事の時だけしか出なかった。(坐禅のまま応量器での食事には胡麻豆腐、出なかったな)
納豆とかも、音出やすいし、犬食いできないし、かき込めないし、ねばついてお箸さばきがうまくいかなそうだし・・出ないのかなぁ。そういえば、果物も食べないのかなぁ。おやつやデザートがないから食べるチャンスがなさそうだ。

で、ついさっきまであの細々したお作法で食事してたものだから、気づくとこのお膳もつい習慣で、ひとつひとつお椀を持ち、置きして食べていた(笑)。
丼ものやお重などをいただくとき、普段からお米粒をひとつも残さないでピッカピカに食べるのがクセなのだけど、このお膳はいつにも増してピッカピカに終了。
するとお店のおばさんが「あらまーお姉さん、ずいぶん綺麗に食べてくれたねええ!」と大感激してくれた(笑)。
「バスの中でたべて」と飴を2ついただく。
私のほかにお客さんは誰もいない静かな食堂。
食事を終えてお膳をよけると、おもむろにさっき買った絵はがきをだし、お茶を飲みながらゆっくりと文面を埋めていった。
バスの時刻は決めていなかった。ただ最終が16時30分とだけ覚えていたから、ノンビリ帰ろうと・・・
しばらくして今度はお店のおばあちゃんが「お姉さんお姉さん、ゆっくりしてもらうのは全然構わないんだけど、つぎのバスに乗ってね」
「?」
「福井にいくんでしょ?」
「はい」
「次のバス、2時半だからな」
「はい、その次もありますよね?」
「あのね、今日は3時台はなかったよ、たしか」
「(えええええ?!)わわわ、そうなんですかー、ありがとうございますっ!」
少しだけ急いでハガキを完成させ、郵便局へ戻って無事投函。
さっきのお店の前を通ってバス停めざして坂道を下る。
「慌てんで、十分時間あっから。慌てんでも大丈夫」と、道の向こう側から、おばあちゃんの大きな声。
よかった。教えてもらわなかったら2時間待つことになるとこだった。
切手を買いに寄った郵便局のお姉さんも、わざわざご当地スタンプのこと教えてくれたし、みんな本当に親切。
黙ってスルーしても済むことを、面倒くさがらずにちゃんと教えてくれる。

バスは来た時と違い、お寺の裏側をぐるりと回り込み、田んぼや白いお蕎麦畑のなかを走ってゆく。
みんなは帰路についたかな、あの2人の雲水さんは無事故郷に近づいているだろうか・・・
お寺の向こう側の山や田んぼの中にもちょいちょいお寺がらみの商店やら、民芸品やお土産物の工場などが点々と散らばっている。
ちょびっとだけ高速に乗るルートで、いろんな景色が楽しめたな。

福井から再び特急に乗り込むと、突然それまでちっとも湧いて来なかった睡魔がいきなり襲って来た!
うとうとしながらも、4日間の出来事や思い出したことなどをメモメモ。
金沢から新幹線に乗った頃はもう空が暗くなり始めていた。
「おうちへ帰るまでが参禅です」(布教部部長の渡邊師)
気持ちだけはきりりと帰宅。

生まれてこのかた、日々の生活のすべてが「何かを得るため、習得するため、出来るようになるため、手に入れるようになるため」にしてきたように思う。
坐禅や修行に「何かを求めない」こと。
したからって何かを得られるわけじゃない、最初から。
「得たから修行する」ってのももちろん言語道断。
何かを得ようとではなく、何かを捨てようとして赴くのがいい、坐禅。

日々のいろんな葛藤や嫌悪感に悩んで来る人も多いみたいだが、私はそうではないつもりで行った。
プラスのはずの「前向き」や「好き」が多すぎて執着から逃れられずいっぱいいっぱいだったから、どうにかしてそれを減らすか、何かしら変化があるかなぁ、というような…
知らない場所で、誰1人知る人もいず初めて会う人ばかりのなかで、文字どおりスッピンで何も気にせず、厳しいことを自分に課すことで自分がどうなるか。
結果、余計なことはもう脳内で頭をもたげることもなく、思い出そうとしても思い出せなくなっていた。
(「執着」から解放されたのではなく「執着」の矛先がお寺に移動しただけで、根本的に無くなったわけじゃないのかもしれないけど・・・笑)
あんなに分刻みに、しかもテレビもスマホもなく、持参した本を読むことさえできないスケジュールでは、とにかくもう目先のこと、今やっていることを一生懸命ただ黙々とやるしか先へ進む道はない。
かといって、家にいてひとりでこの状況を作るのはかなり難しい。
ギリギリの状態に追い込まれてやっと気づくことはたくさんある。
しかもそれが、ちっとも嫌にならない。むしろ嬉しく、早起き、坐禅、作務、読経、廊下を歩くことさえも、それをさせてもらえることがありがたくて仕方ない。
壮絶な痛みは実際辛かったけど、不思議と回避しようとかズルしようとか止めようと思わなかった。そんなことできない空気だったんだね。
いろいろなものに守られ、助けていただいた気がする。

仲間たち。
当たり前かもしれないが、全員がそれぞれ1人でここへ集まってきた。
初日、それぞれが醸し出す空気はさすがにピリっとして、みんな気骨ありそうな人ばかりに思えた。
初日〜2日目は殆ど会話もない。
そんな余裕などなかったのだ。
少しずつ、寝る前の数分間のひそひそ話で、だんだんと打ち解けていく。
隣りで坐っている彼女も彼女もみんな足が痛い・・・やっぱりちょっといつもより頑張れる。
それも感謝。
また会えることを祈って。

雲水さんたち。
この参禅で一番出会えてよかったのが彼らだったかもしれない。
こんなことでもないと、会って話すこともないだろう立場の人たち。
普段大学で教えている学生さんたちとほぼ同じくらいの年齢の彼ら。
法衣を脱いで髪を伸ばせば、きっと見違えるような普通の若者だろう。
ただ、何年もテレビもTwitterもない毎日を送る彼らは、たとえこの永平寺にいる一時だけであっても、他の若者にはないものをたくさん持っている。いやそれはこれから彼らがどんな服を着、どんな仕事をしようとも、彼らのなかに深く残るのだろう。
覚えの悪い私達に忍耐強く何十回も同じことを言ってくださり、慣れているとはいえ朝3時いやおそらくその前に起きて、夜も私たちが寝たあとまで仕事をし、体調を崩した人の面倒をみ、私達の健康状態まで気をつかい、自分たちは常に私達のお手本になる。
上司にあたるような先輩、目上の僧侶の前では非常に謙虚で控えめで、「従う」という姿勢が自然にできる彼ら。
私がずっと映像で見て来たことを、目前で体現し、説明してくれる感動。
本当に毎日24時間ずっと、目の前にいる生きたお手本になって下さった。
感謝してもしきれない。
彼らの将来を祈りたい。

観光地としての永平寺。
最終日、解散後に参拝コースを巡ってみて。
どこもかしこも見学者は自由に写真もとれ(雲水さん以外の施設や景色など)、大声で談笑する外国人観光客や無邪気に騒ぎ走る子供たち・・・
その廊下から襖一枚隔てた僧堂では、雲水さんたちが心鎮めてお唱えをしている。
行住座臥、そんなこともみな修行なのだろうが…
昔は一般の人が庭も山門前も自由に入れたのが、バスや電車がここまでのびて参拝客が多くなった頃から、修行の場を守るために今のような「一部立入り禁止」のシステムが取られるようになったそうだ。
神聖な鳴らしものの一瞬なども、通行者に毎回断ってから鳴らすとかいろいろ工夫されていて大変そうだったな。
ただ、我々参禅なども含めた参拝客、観光客は、お寺にとっても大事な存在。布教の大きな場である。
そんなバランスも、悩みつつ工夫、改善を重ねられているのだろう。
もともと「人里離れたところに伽藍をつくって修行する」のを目的として建立されたこの永平寺だが、今の姿を道元禅師はどう見られるだろうか・・・

手間。
永平寺の食事は本当に美味しい。
今まで何十年も食べて来たすべての料理のなかで、一番美味しいと本気で感じた。
浄人が丁寧によそってくれる品の数々は、香汁ひとつとってもその具は必ず一口で入るサイズに切りそろえられていた。青菜や豆腐は1センチ四方。
スパゲティはお箸で食べられる長さに切られ、すぐに全てが口に収まる。
もやしの根は綺麗に取られている。
その切り落とされた根は、また次のお役目に生かされたことだろう。
いくら大きな台所、大勢が働いているとはいえ、出汁をとったり灰汁を掬ったり、材料を細かく切ったり、というのはかなりの手間だ。
ニンジンやじゃがいもの皮はそのままで食べられるように下処理するより、剥いて捨ててしまうほうが速いに決まっている。切り落としてしまえば簡単なのに。
でも手間を惜しまないで、丁寧に仕事をする。
「材料を無駄にしない」ためだけではなく、食べる人のことを思う食事。ちゃんと「人が手で作っている」姿、味、香りがしている。お椀を手に取り、眺め、口にするとそれが身体全体に伝わってきて涙が出そうになる。
そしてちょうどいい時間に運んできてくださる雲水さんのご苦労。
いつでも温かい料理が並ぶことは、けして当たり前のことではない(お唱えやら食器の開け方などで、食事開始後20分くらいは食べられないんだけどね・・・苦笑)

「時間」は自分のものであって自分のものではない(人のためでもない)
目の前のことを必死でやるその一秒一秒も、永遠に与えられるものではない貴重品。
焦ることなく、急ぐこともなく、使い切る。
お茶ひとつ飲むのにも、時間、手間、心が必要。
茶処まで行く→音をさせずにお盆から茶碗を出す→ポットからお茶を注ぐ→飲む→台所前の烏芻沙摩明王さまに合掌低頭してから茶碗を洗いふきんで拭き乾かす→かかっているふきんを綺麗になおす→再び合掌低頭して茶処に戻り、茶碗をもとあった盆に静かに返し、静かに蓋をする・・
つまり「あー喉かわいた、お茶飲みたい」と思ってからお茶を手にして片付けるまで、果たしてあと5分の休憩時間に上記をすべてこなして戻って来られるか。
それで「飲みに行くか行かないか」を決めるわけ。
必死にならざるを得ない。
でもそのお茶は、誰かが私達のために24時間絶やさずに用意してくださっていたものなのだ。

「即今目前」
今目の前のひとつひとつを、ごまかさずに。
「前後際断」
未来や過去ではなく、今このときを重んじる
「脚下照顧」
足元、今自分が置かれた場所を固めなさい

そしてなによりも
「他不是吾」
他人でなく、この自分がやらなければ意味がない

頭のなか、身体のなかを良いものでいっぱいにすれば
悪いことはおのずから押し出されてしまう。
出そうと思わなくても、出ちゃっててもう記憶にもない。
修行の意味ってこれなのかもしれない。
そして、良いものをキャッチし、感じ、感動し、味わい、取り込める力を頂けていることに感謝。
ほかを羨む必要もなく、その自分こそが本物、本来の姿。
それが自分の役割なんだと悟れる。
受け入れられる。
「任運自在」

たった4日間だったけど、その威力は絶大で
一週間以上たった今でも、私は家でテレビがつけられずにいる
食器と食器がぶつかる音が、痛くてたまらない
野菜の煮物ばかり食べながら、食前に必ず五感の偈を唱える自分がいる
道元の本を片っ端から開いて、もっともっと面白いことを発見する

たった4日間で何かが変わるとか、ましてや何かを「得る」ことなんてなく
何年も本格的な修行をする雲水さんのほんの表面しかうかがいしれず
でも、それでも、ここで起こったこと、みたこと、きいたこと
「わたしの日常」が戻っても
忘れられない
忘れたくない
そしていつかきっとまた
坐りにいくような気がする

(はやく足、治さないとな・・・笑)







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by saskia1217 | 2016-10-14 02:47 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

永平寺での参禅。
朝暗いうちの振鈴が心地よくなってきた。
4日目最終日、この日だけはちょっぴり遅い3時30分の振鈴。
4時から30分の暁天坐禅を終え、いつものように朝課のため皆で列になって法堂へのぼる。
真っ暗な中に微かな緑と水瓶から落ちる新鮮な水音に差し掛かるのが、毎朝本当に楽しみだった山門廊下。
中央を横切るとき、仏殿に向かって合掌低頭しながら、ああ、これももう今日で終わりなんだと思って胸が詰まり、丁寧に丁寧に頭を下げた。

この日私達が読んだお経は2日前と同じ5種。お焼香も。
広いお堂であんなに大勢のお坊さんと一緒に声を合わせて読経できるなんて、本当になんて贅沢なんだろう。
3回目にしてようやく、ずら〜っと並んだお経の文字の、どこを速く、どこを伸ばして読むのか、やっと慣れて来たところだった。
ちなみに、使った経本は

「永平寺日課経大全」(黒い本)
「永平高祖御垂訓」(黄色い本)

参禅中に朝課で読んだお経は
般若心経(10/3のみ)
参同契
五十七仏
大悲心陀羅尼
妙法蓮華経如来寿量品偈
消災妙吉祥陀羅尼

日本語のもの、漢字の音読みばかりのもの、陀羅尼といわれるサンスクリットの当て字のものなどいろいろあって面白かった。
なかには、子どもの頃からお寺で聴いてきたからなのか、どうも聞き知ったようなものも。
木魚に合わせたテンポが、最初ゆっくりでだんだん速くなったりするのが面白い。
音の点で一番好きだったのが
「南無喝囉怛那 岔囉夜耶」(なむからたんのー とらやーやー)で始まる『大悲心陀羅尼』や
「消災妙吉祥陀羅尼」の「入縛囉 入縛囉 𥁊囉入縛囉」(しふらーしふらー はやしふらー)」などかな。

そうそう朝課で毎回、供養するべき家系の名前を連呼するのだけど「徳川」「松平」「水野」なんかの先祖代々を呼んでいて、おーその人たちかあ・・・なんて思ったり。

大庫院で擎盤し、禅堂にて朝参。
五体投地の三度のお拝が、ようやくスムーズに出来るようになってくる。
小食、この日の粥はやっぱりお餅入り。
前日のよりもお餅の固形が大きめに残っていた。美味しかった〜〜!
そしてごま塩が白ごま!
これも本当に美味しい。

続いて作務、この日私は自分たちの寝る部屋だった控え室の担当。畳を帚で掃き、ちりとりでゴミをとる。
帚もちりとりも、中学高校以来持っていなかったかも。
皆で雑巾を濯いで終了。
そしてこの日は4日間お世話になった応量器も皆で洗う。
着ていた着物と袴を返す。
私服に着替え荷物をまとめてから集合、初日に動機などを書いた紙に感想を書き加える時間。
感じたことがたくさんある、言いたいこともたくさんある・・・裏まで書いても足りなかった(苦笑)。
化粧品やカメラ、財布などを返却してもらってから、もう一度全員で集合し、参禅係の雲水さんたちそれぞれが一言ずつ感想を言ってくださる挨拶タイム。
そう、この人たちとなんと4日もずうっと一緒にいたのだ。感謝の気持ち、親しみ、なんか情が移ってくるというか(笑)。お名残惜しいの一言。
「皆さんと一緒に過ごして、自分が入門したときのことを思い出し、初心にかえることが出来ました。皆さんもここからそれぞれの場所に戻っても、いつのまにかスリッパを揃えている、他人が消し忘れた電気を何気なく消している、のようなことが起こると思います。それを大切にしてください」
「自分は寺の息子に生まれ、何をやっても『寺の息子』と褒められたり貶されたりで反抗ばかりしてとても嫌でしたが、今ではここに修行にきて本当によかったと思っています」
「これは皆様の修行であって、私達はそのお手伝いをしているだけです。なのでおひとりおひとりがしっかりと自覚して行って下さい」
ほかの部署もきっとたくさん大変なお仕事があるのだろうけど、この参禅係というのもかなり面倒でやっかいな部署だったのではないだろうか。
こんな、な〜んにもわからないド素人の面倒を朝から晩までみるのだ。いろんな人がいる。飲み込みの悪い人、身体が弱い人、どうしても時間に遅れがちの人、そして身体の不自由な方も。
お二人とも23歳と伺って、いやもう本当に頭が下がる思いだった。
この若さで、こんなに大きな忍耐力を身につけているという、この修行の凄さ。
3日目の夜、それまで初日からずーっと食作法の責任者をして下さっていた雲水さんが「明日の朝は自分たちが下山前の準備で他所で小食をとるため、皆さんと一緒に食べることができません。皆さんはこの3日間でだいぶ沢山のことを覚えられ身につけられたと思います。自分はそれを見届けることが残念ながらできませんが、どうか明日は皆さん自力で出来るだけ美しい作法で食事をとってください」と感慨深げに仰ったときは、かなりグッときたね。
(彼らの下山については後ほど触れます)

この秋に上山したばかりだという方も含めて、彼らの働きは本当にどこまでも素晴らしく、全てを身を以て教えてくださった気がする。
面倒な食作法は、マゴマゴしていても決して(一度も)怒ったり苛立ったり声を荒げたりせず、ひとつひとつ何度も何度も同じことを教えてくださる。手取り足取り。
お一人だけ外国の方が参加されていたのだが、その方にずっと寄り添ってすべてを通訳していた外国人の雲水さん(スイス系アメリカ人の方だったかな)も、意外と日本語がそれほど流暢ではいらっしゃらなかったが、それでも細やかに通訳をこなされていた。フランスやドイツ、そしてアメリカでも「禅」に憧れるひとは今だにあとをたたない。
「ZEN」はもう日本語じゃあないもんね。
ドイツに住んでたころ、まぁよく禅についてドイツ人から質問ぜめにあったけど、次に彼らに何かを質問されたら、前よりはちょっとだけお話できそうな気がした。

そしてもうひとつ、とてもとても忘れられない奇跡的な出来事が。
上で書いたように、その雲水さんたちのリーダー格の方お二人がなんとこの日、私達の参禅が終わる30分後に「下山(あさん)」されることになっていたこと。
1年半の修行を終えて・・・しかもこの日はお二人だけ。
普通にお参りにきても、そのシーンは滅多にお目にかかれないというレアな儀式。
解散となってから私達はそのお別れセレモニーが行われる山門へ急いだ。
そこにはもう、草鞋が二足、雨上がりの日だまりのなかに用意されていた。
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時間少し前になると、40人くらいだろうか、同期、先輩、後輩の雲水さんたちがたくさん集まって来た。
まだ少ない観光客も珍しがって足を留める。
はたしてほどなく二人が、応量器を入れた袈裟行李に記念の色紙などを入れた後附を振り分けにかけて背負い、現われる。
入門したときの恰好で、人生に二度しか通れないというこの山門を、今度は娑婆に帰ってゆく。
後輩たちに脚絆をはかせてもらってから草鞋の紐をしめる。網代笠をかぶる。
春の上山組の二人はここにやってきたとき、テレビ番組で有名な「豪雪のなか山門前に2時間立って、ようやく迎えの人が出て来た」というまさにそのパターンだったそうで、私が長いこと思い描いて来たシーンや逸話をこうして目の前で現実として見聞きするのが、今回の修行体験の一番大きな収穫のひとつだったかもしれない。

お二人自身はとても嬉しそうに満面の笑みだったが、見ている私達はなんかもう感激してしまってウルウル。
二人揃ってくるりと後ろを向き、ご本尊そしてお寺全体にむかって「お世話になりましたっっ!!」と叫んで低頭。
雲水さんたちで集合写真を撮られたり、みんなにもみくちゃにされながら記念の品などを受け取っている。
いよいよ出立。
除夜の鐘で有名な鐘楼の脇の階段を、それは晴れ晴れしい笑顔で二人仲良く下ってゆく。
見送る同期の方たちは本当に寂しそう。
そうだろうなあ、半端な大学の同級生なんかより、きっとずっと絆が深いはずだ。
下まで下った二人はちょっと振り返って小さく手を振ってから、門から姿を消した。
もし仮に彼らが、戻ってからちっともお坊さん「らしくない」身なりや見た目、生活をすることになったとしても、彼らのなかに蓄積されたものは、きっとずっとずっとその根本にあり続けるような気がする。またそう祈りたい。
いいお坊さんになってほしいなあと心から思った。偉いお坊さんになっても、いつまでも凛として歩き、そしてきちんとスリッパを揃えることを忘れないような・・・。
素晴らしい場面に立ち会えて幸せだったな。
たった4日前に知り合った他人なのに、もう泣けちゃって仕方なかった・・・

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そこから私は友達とわかれ、一般のお参りコースを最初から巡ることに。
そう、同じ釜の飯を食べ、同じ足の痛みを耐え抜いて来た仲間たち。
彼らに出会えたのも貴重なことだった。
2日目くらいまでは周りも見えないくらいの必死な状況だったので、お互い話しかけたりすることも殆ど無かったけれど、さすがにだんだん近しくなってきて、いろいろ助けていただいたり、みんなで励まし合ったり・・・東京の方は東京で会おうね!と約束して別れる。

受付で荷物を預かってもらい、こんどは完全な「ザ・観光客」になって0地点からスタート。
説明役のお坊さんが最初の部屋で大きな案内図と共に解説してくださってから、それぞれ自由に見学を始める。

階段をあがってまずは「傘松閣」
156畳敷の「絵天井の大広間」は見事。
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次に廊下を渡って再び山門へ。
さっきの興奮がウソのような、観光客で賑わう廊下。
薄あかりのなかの大好きなこの景色ももう見られないんだな・・・
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美しい緑を味わいながら、庭の先のほうに浴司を眺めつつ、庫院のほうへ。
韋駄天に合掌低頭。
(私服に着替えてるのに、叉手で歩き、合掌低頭が抜けない・・・笑)
ここでやっと有名な「大すりこぎ棒」を見たり。参禅中何度も通ったのに、これには全く意識がなかったな(笑)
ちょうど雲水さんたちの中食の前で、庫院前の廊下の天井から下がった青銅の雲版を係の方が叩くところだったので、音が鳴るのを少し待って聞いたり。
いつものようにそこから法堂までのぼる。
作務の最中で中には入れなかったけれど、もう一度、あの荘厳な朝課を思い出しつつ覗きこみ、菩薩様にご挨拶。
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そして参禅中は訪れることがなかった、一段下の仏殿へ。
床は石のため、足を壊すお坊さんが多かったことから、礼拝用の畳ができたとか。
大きな数珠。
中も外も美しい。
斜面になっているので、下るときの景色の素晴らしさに初めて気がつく。
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さて、仏殿からさらに下ろうと中雀門のあたりをフラフラしていたら、大きな太鼓の音が!
あ、中食の時間なんだ。きっと今から「ホンモノ」の五観の偈が聴ける!
僧堂前の廊下は誰もいず、小さな水路が音をたてているだけ。
入り口の前には修行を邪魔されないためだろう、1人の雲水さんが静かに背中を向けて立ち、見張り役として待機している。
果たして中からはお唱えがきこえてきた。ほ〜ほ〜、ああいうカンジなのかあ。
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廊下を歩いていたら「白山水」という場所を見つけた。
神仏習合として白山信仰と所縁の深い永平寺らしい。中には清らかな水。
帰ってきてから知ったのだが、雲水さんたちの毎朝の洗面はこの白山水を使うそうだ。
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最後に最も大事な場所である「承陽殿」へ。
道元禅師のお墓である、七堂伽藍の中でも最も大切な場所。
奥まったところにひっそりと、でも堂々と立っている。
鐘楼もいい。
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ここに合掌低頭しようとして遠くをみると、たくさんの履物を綺麗に揃える雲水さんの姿。
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帰り道、お庭を覗きながら写真撮影。
祠堂殿・舎利殿ではお焼香できるようになっていた。
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そして瑠璃聖宝閣(宝物殿)で、布教部部長さんが「必ず見て帰って下さい」と仰ってた道元自筆(コピー)である普勧坐禅儀の一部を展示してあるのを観る。
いい字だったなあ・・・

東司の烏芻沙摩明王と、遠くにみる浴司。
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4日間缶詰になってた吉祥閣。
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さあ、この山を下りるときが来た。
名残惜しいけれど、ここで起こったこと、見たこと聴いたことやったこと・・すべては下りなければわからない。
もいちど緑を深呼吸しながらトランクをガラガラひいて門に向かう。

4日前、ここに着いてこの門を見上げた時は知らなかった文字の意味。
「杓底一残水 汲流千億人」
(「谷川で口を濯いだあと、水の残りを一口川に流した」という道元の逸話。73世熊澤禅師の句より)
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さようなら、永平寺。
きっとまたくるよ。
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(つづく)











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by saskia1217 | 2016-10-12 05:09 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

3時10分、振鈴。
2日目の夜はさすがにすこしぐっすり眠ったらしい。
意識がなくなっていくのを自分で覚えていた。
前日と同じ起床時間だが、前日よりも苦労なく起きあがれた気がした。
たった2日といえども慣れというのはスゴイな。

前日同様、3時40分から暁天坐禅。
身体が一番キツいのは2日目だと、経験者ブログも、係の雲水さんも言っていた・・・
たしかに。
ただ気も張っているし、目の前にこなさなければいけないことが次々とあるのと、せっかく覚悟して来たのだから最後まで全うしたい、ちょっとのことではやめないぞという決心もあったから、多少無理はしていたと思う。
前日体調を崩して寝込み坐禅や食事を途中休んでいた方も、何とか無理されつつ復活を試みてらしたが、とても辛そうでまたすぐ具合を悪くされたりと、せっかく決心して参加されていただろうにとても気の毒だった。気力だけでは持たないスケジュールだったかもしれない。
参加するには、やはり体力的にも多少の無理が効くくらいのほうがいいかもしれないな。
私は疲労はあまり感じなかったけど、とにかく眼精疲労のような頭痛がひどく、持参した薬を全て飲んでしまい仲間のお一人に分けていただいたくらい。結局最終日まで微かな痛みが残っていた。
この朝も、眠気よりも頭痛が邪魔で、また警策を受けた。
警策は全然痛くない。女性だからといって手加減はしていないはずだが(遠くで聞こえる男性陣への警策の音は、それなりにかなりの音だったなあ、でも)痛みはなく、ただ音のごとくピシッと、ピリッと効く感じで、打たれた後も嫌な感じがまったく残らない。
ああ、励ましていただけた、ありがたい、という一心。
暁天坐禅では、坐り始めてどのくらいだろうか、5分くらい?すると、突然雲水さんの低く落ち着いた声が語り始める・・・プチ法話みたいなのが2回あった。
面壁しているから見えないのと、意識がギリギリなのとで、どなただったのか認識できなかったが、お世話をしてくださった6人のうち中心となってくださっていたお二人だったと思う。
ご自分が修行を始めた頃のエピソードや尊敬する師の思い出、今私達が感じているであろう心境を計って励ましてくださる内容など、よく通る落ち着いた声で淡々と語ってくださった。
足の痛みもそれでかなりまぎれた気がする。お話の内容もとてもありがたいものばかりだった。
彼らが話してくれる「良き師」との出会いや逸話は、今まで私が出会えて来た恩師や尊敬する牧師先生などと共通することも多く、やはりどんな場でもどんな時代でも、心から尊敬できるお手本のような方の姿というのは同じなんだなあと。
言葉だけでなく、その行動や姿勢で教えられるような方。

さて、4時10分に大開静となり、5時からの朝課のために再び足袋を履いて列をなし、大庫院に寄って擎盤後、法堂へ向かう。
この日は前日の5箇所のお経に「般若心経」がプラスされていた。
お経を読むときに肘をちゃんと張るのがなかなか徹底されず、ずっと持っていると肘がつい落ちてきてしまったりして美しくできない。
それから、坐禅のときも、こうした朝課のときも、食事のときも、とにかく坐っているときの法界定印が崩れがちで汚いと、2日目くらいからずいぶん皆注意を受けた。意識がいっていないとすぐ形が崩れてしまう。
お経を読むのも少し慣れて来て、日本語のもの、漢文のもの、当て字の音が面白いものなど、それぞれに少しずつ字(平仮名のふりがなではなく漢字のほう)を見る余裕が出て来たりした。
お経なんて法事や法要のときに、菩提寺で唱えるくらいだもんなあ。こんなこともほぼ初めてだったかも。
男性の参加者のなかには諳んじている方もいて、ほースゴイなあ、と感心。
お坊さんなのか、熱心な檀家さんなのか、仏教マニアなのか・・・

さて、大庫院で食事を受け取って戻り、小食。
この日のお粥は、ほぼ白米で、しかもお餅入りでまたまた美味しかったなあ。
お粥はダッシュで食べるにも便利だし、後でお湯を入れて器を洗うときに残りを綺麗に洗いやすいメリットもある。
毎朝でる梅干しは、最初果たしてこの種はどうやって出すのが正解なんだろう、ととても悩んだ。手はもちろん使えないだろうし、もちろん直接出すなんてありえないから、となるとお箸で受けるしかないだろう・・・と、そっとお箸で受け取って器に置いた。
特に怒られなかったから、あれで大丈夫だったのだろうか・・・結局最後まで訊きそびれてしまった。

食後少し休憩があり、再び集合で午前中の予定が発表になる。
整列した皆がホワイトボードを見て固まっているのがわかる。
8時30分〜11時、ずっと坐禅だ・・・
キタ!
やっぱり来たか、こういうやつ。
といってもたったの3炷(40分×3回)。
毎年12月に永平寺をはじめ曹洞宗のお寺で行われる「摂心」という行持では、一週間ずっと坐禅三昧、1日に7〜14炷坐るというから気が遠くなる。しかもお坊さんや修行僧さんだけでなく、一般の方もいらっしゃるとか。
しかーし、坐禅初体験者には3回はもう限界くらい辛い。
だけどなぜか、この修行では「途中でやめる」「出来ないからやらない」という選択肢は普通に無い感覚なのだ。
なんだろう、身体も心もそれを拒否しないで、当然のごとく素直に禅堂へ身体が向かう。痛いの、辛いのわかっているのに。
一緒に坐る人たちがいることも、懇切丁寧に指導して下さる参禅係の雲水さんたちのお気持ちも、真ん中で見守って下さる文殊菩薩様の柔和なお顔も、いい匂いのお線香も、すべてが自分を支えてくれる気もしていた。
そう、両側に誰かが一緒に同じ思いをして諦めずに坐っている・・・これは僧堂で何年も修行している雲水さんたちにも大きな力になるそうだ。

8時30分〜9時10分、1炷め。
心静かに始めたつもりが、ものの10分で足首が痛い。
お尻、右ひざ、左ひざと重心を微かに移動させてみたり、意識的に呼吸を整えてみたり、首をピンと天へ向かって吊り上げてみたり。
経行と抽解を経て、9時30分〜10時10分まで2炷め。
もう足が砕けるかと本気で思った。でも3回のうち2回が終わったんだ、始まったら必ず終わるんだ、私はここに何をしにきたんだろう、これをしなかったら意味がない、もし、もし本当にもうダメだと思ったら手を挙げて「痛いのでやめます」って言おう・・・
ようやく放禅鐘が鳴り、びっこをひきながら一度部屋に戻る。みな畳の上に大の字になって動かない。
「あと1炷だ、大丈夫なんとかやれる」と禅堂に戻る。
もはや足を組む段階で激痛。
身体が熱く、頭も朦朧とし、法界定印の手が汗で滑ってくる。
もう歩けなくなってるかもしれないな・・・二度と歩けなくなってるくらい痛いや・・・でも骨折するわけじゃなし、たとえ骨折しても死ぬ訳じゃないし、骨折するまでは(そんなことあり得ないんだけど、そのくらい思っちゃう)がんばろう・・・いやいやさすがにもうダメか・・・と思ったところで鐘。
11時、無事(?)放禅。

本当に限界だった。
足首折れたかと思った。

しかもその後はすぐ作務(笑)。
「皆さんよくがんばりました。さて」と、何事もなかったように雲水さんから次の指示がとぶ。
ああ、動いて歩けるって何て素晴らしいんだろう(笑)。
この日私は禅堂の担当。
坐蒲を上に上げ、畳を掃いてから拭き、石の床を掃いて雑巾がけ。
雑巾の持ち方、構え方、拭く方向など「永平寺式雑巾がけの方法」を伝授していただく。テレビで見たアレである。
小学校以来だったかな、大々的な床の雑巾がけ。
結講キツイのだ、これが。
でも、坐禅をやり遂げられたことで気持ちが爽快になっていたし、嬉々として働けた。
(まあ・・・「やり遂げる」っていう発想がもう既に「禅」ではないのだけど。修行したからって、坐ったからって、何も偉くなんかないし、自慢できることでもない。「やったこと」は「何か」ではない。「やったこと」が「何かになる」んじゃない。「やる、やっている」今そのものが一番大事。あ〜あ、悲しき凡夫かな)

その後中食。
そうそう、食事の時には殆ど毎回、布教部長の渡邊師が立ち会ってくださっていた。
なんと私達のために浄人(給仕係)をしてくださるのである。いやいや、感謝だ。
そして、間違った作法や次の動作がわからずマゴマゴしている時に小さな穏やかな声で、でも冷静に厳しく注意してくださる雲水さんと反対に、渡邊師は「あ、それねえ、そこは反対の手。」「はいはい、箸袋、向きが逆ね」と陽気な声で大らかに。
本来禅堂は私語厳禁なのだが、まったくコトバ無しでは研修が不可能なので、雲水さんたちは出来るだけ静かに話す。教わる側の私達は、ほぼ無言で、頷いたり、首をかしげたり(わからないアピール)、目で訴えたり、御礼のお辞儀をしたり・・・

その日の午後は、なんともパラダイスなスケジュールが待っていた(笑)
ずいぶんな「ムチと飴」である。
中食後は渡邊師、雲水さんたちと広間で「茶話会」、お茶とお菓子が出て、足を崩してもよくて(笑)、何でも訊きたいことがあれば質問して!という時間。
せっかく永平寺の重要な役職にいらっしゃるお坊さんと直にお話できるということで、私もいくつか質問させていただき、他の方の質問も興味深く聴き・・・残り時間は前日の講話でお話しきれなかったという食作法のお話など。

その後、もしお天気がよければ本来外へ出て遠足だったはずが、この日は雨模様(知らなかった・・)。
で、雲水さんの案内で山内見学へ。
普通の観光客の参拝コースでは入れないところにもご案内いただけるというのでウキウキ。
この時はジャージなどに着替えてよく、また化粧品やカメラも一時的に返していただける(が、メイクをした人はひとりもいなかった模様。今さら、ねえ)。
引率してくださったのは以前「案内」の係をやっていらしたという、山内のことなら何でも訊いて、という、お話がとても上手な雲水さん。
歩きながら少しお話もできたのだが、やはり実家がお寺で、お父様もお爺様も永平寺で修行されたとのこと。
「同期のなかで父親同士、祖父同士が同期って人も結講いたりして、修行者名簿をみると結講面白いんですよ」と仰っていた。

この時間は山内の、法堂を上にして見た時、山門を経て主に右側の部分をご案内いただいた。
国宝「山門」・・・7回も火事にあって焼失した永平寺(1244年創建)のなかで一番古いまま残っている部分で、1749年の再建。仏教の守護神「四天王」、山号「吉祥山」の命名の由来である額がかかっている。
「三解脱門」ともいわれ二階部分には五百羅漢がお祀りされてるんだって。芝の増上寺の門と一緒だね。
「日本曹洞第一道場」は後円融天皇の手になる文字。
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そして、有名な正面両柱の聯。
「家庭厳峻不容陸老従真門入」(ここは出家修行の道場であり家風はすこぶる厳格である)
「鎖鑰放閑遮莫善財進一歩来」(求道心のある者のみ、この門をくぐるがよい)

「陸老」ってのは言ってみれば、お金持ちで位も高い偉い議員さんのようなもの。そんな人であっても、それだけでここを通すわけにはいかない、って意味。
「けれど、求める者であればだれでもここを通って入門しなさい」という優しさも同時に表示されている。
「そこが素晴らしい、感動するところ」だと、雲水さんは心から感嘆して説明してくださった。
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朝いつも暗い中を整列して通る道筋を、大庫院に向かってのぼっていく。
大庫院(台所)正面には韋駄天が祀られ(毎回ここで合掌低頭する)、その前の柱には名物「すりこぎ」がかかっている。台所に吊るされている大きな魚鼓(ほう)を見学。24時間目を開いている魚はいつも見守ってくれる、という意味のほかにも、口のなかに黄色い玉が入っていて貪、瞋、癡(三毒)を吐き出すといわれているらしい。

永平寺には20あまりの部署があり、雲水さんたちは色々なところに配属され、それぞれの仕事に励む。だいたい3ヶ月交替くらいで転役になるので、1年修行するうちに3〜4箇所の仕事を覚えるらしい。(典座だけは特殊なので、もっと長く配属されることがあるときいた)
この大庫院の地下や上階にもそんな様々な部署があったり、なんと中には「おそらく今動くもののなかでは日本で一番古いエレベーター」も!
あの三越本店とかにあった、蛇腹がバチャンて閉まるアレ。それに乗らせていただいて、上階に移動。
このあたりは参拝コースには入っていない。

「光明蔵」ここは格天井作りの見事な広間。
雲水さんたちも普段は入れないが、年に二度、ここで禅師様と謁見する。衣の色をもらう儀式「瑞世(ずいせ)」もここなんだって。総檜づくりなのでものすごくいい香り。
正面の絵は「竹(節々の大切さ)梅(厳しい冬を乗り越えて花を咲かせる)松(いつも生き生きと緑)」という意味があるとか。その絵には上部に小さめな鷹が描かれているのだが、それは広間の後列にすわるヒラ修行僧には見えない位置にあり、前へ行けば行くほど見えて来るので、「あの鷹が見えるくらいに修行を重ね前列にいけるようになりたい」と思わせる、という話も。

次に拝見したのは「妙高台」というお部屋。
大きな行事などのときに他所からいらしたお坊さんたち、または訪問された皇室の方などが滞在されるお部屋らしい。美しく設えたお部屋で、床の間の書やお花、香炉なども見事。ただ、ちょっと湿気が多く黴臭いのが難点だそうで「そういうわけであまり使わないので勿体ない。賃貸にしたら誰か借りますか?」って(笑)
坐らなくていいなら借りたいわ(爆)
そういえば山内では多くの書を目にしたけれど、それぞれいろいろな手を見ることができて本当に楽しかった。

そして「不老閣」は禅師様の謁見の間。
大きくてふかふかの朱の座布団が印象的。もちろん禅師様以外は座れない。
床の間には大きな瓢箪の置物が。
様々な置物や焼き物、禅師様の大きな写真とお線香立て、小さな鐘など。
色々特別な場所、拝見できて面白かったな。

このあたりで時間切れということで吉祥閣へ戻る。
お寺の奥の奥のほうからこっちへ戻ると、階段を降りるにつれてどんどん空気が「俗」に近くなる気持ちがするのが妙だ。
薬石の時間だが、この日はなんと!参籠や法要でいらした大勢のお客様、お坊さんたちと一緒に、応供台にて椅子に座っての食事。初めて、お料理をちゃんと見ながら食べられる(笑)。
お膳や食器は紅く、品数も多く、所謂「精進料理」のお膳。
お料理はやはり野菜の煮物や和え物など。胡麻豆腐はこの時初めて出た気がする・・美味しかったなあ〜、さすがの本場という味。下山してから門前で食べたのとは、やっぱり全然違う!
とはいえ、やはりちゃんとお作法にのっとり、お箸の袋の裏に印刷された五観の偈を唱え、私語は厳禁、まわりと同じスピードで頂く。年配のお坊さまのなかには、急いで召し上がって咳き込む方も・・・

入浴の後は、やはり参籠の方々と共に、ひとつ下の階の大広間で法話(眞如晃人師)。
足を崩して(笑)。
それから福井放送制作の30分映画「永平寺の一日」を鑑賞。
NHKの番組みたいな感じだけど、もっと私情を入れない淡々とした、雲水さんたちの入門からの生活を描く。
(このDVDは売店で買える)
こんな楽〜な時間ばかりを過ごして、21時開枕。
天国みたいな午後だったから「明日の午前で最後か・・よおし、明日の坐禅はスッキリとできそうだ、がんばろう!」とフレッシュな気分で眠りにつけた。

10月3日(月)
3時10分 振鈴
3時40分 暁天坐禅
     行香後止静
4時10分 大開静
5時   朝課(法堂)般若心経あり 
     大庫院にて擎盤
     朝参の拝(禅堂)
     小食
8時30分 止静
9時10分 経行
9時20分 抽解
9時30分 止静
10時10分 止静
11時   放禅
11時30分 作務
     中食
     茶話会(渡邊布教部部長)
     山内見学
     薬石(応供台にて)
     入浴 
     法話
     映画「永平寺の一日」鑑賞
21時  開枕


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by saskia1217 | 2016-10-11 03:12 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

慣れない9時就寝からウトウトしている間、どうやら同宿のみんなもザワザワとした気配。暑くも寒くもなかったが、緊張のせいか頭痛が治らず、そのまま眠ったのか眠らなかったのかという意識のままけたたましい鐘の音が響く。
午前3時、振鈴だ。

修行僧・雲水さんたちがいる僧堂あたりでは「永平寺といえば」という最もベタな映像、手に鐘を持ってあの長い階段廊下を走り抜ける、あのシーン。
あれだ、あれとおんなじ音。
私たちが過ごした吉祥閣は研修施設なので、参禅のほかにも参籠の方、法要のために来ている個人の方、各地のお寺からのお客様の僧侶・・・いろんな方が泊まっている。
おそらく起床時間は微妙に違うのだろう、違う階では5〜10分ほどズレて鐘が聞こえて来たりしていた。

鐘の音とともに全員がガバッと起きる。誰かが電気をつけてくれる。
すごい、自衛隊みたいだ(行ったことないけどイメージ)。
「おはよう」どころか、隣りに寝ていた人と顔を合わせる余裕もなく、皆黙々と布団をたたみだす。
シーツと枕カバーをきちんと折って自分で保管。
間髪入れず着物と袴に着替えて洗面道具を持って洗面所へ。
時間はないが、慌てていると作法を忘れたりして色々うまくいかない。
洗面所に入るまえに烏芻沙摩明王にご挨拶。東司に入るときに袴を脱ぎ、バーにキチンと結び、その下に脱いだスリッパを壁に直角に置く・・・
初めての朝は各所まごまごしながら、なんとか3時40分からの「暁天坐禅」へすべり込む。
そうそう、ここを横切るときは軽く頭をさげる、禅堂へは左足から、あそことあそこで低頭・・・
中央の文殊菩薩さまに雲水さんがお線香をあげる「行香」のあと、止静三声(鐘が3つ鳴ると「坐禅開始」)。

禅寺では全ての行動の合図は鳴りものになっていて、山内では色々な楽器が活躍する。
起床の「振鈴」は手にもって振る小さい鐘。
禅堂には外の廊下に大きな大きな太鼓、そして禅堂入り口内部につり下げられた鐘。
暁天坐禅では止静三声のあと更点で(堂外、廊下の大太鼓と鐘で)ほぼ毎回アッチェレランドのパターンを何度かくりかえす。
ほーあの太鼓はこれに使うんだったのか・・・
それに食前のお唱えには柝(たく=戒尺)という拍子木みたいなものを堂行の雲水さんかシラブルごとに打ち鳴らしたり。あれ、いい音だったなぁ。
太鼓に代表されるように、緊張を高めていくときはやっぱりaccelなんだな。納得。
叩く人によって若干差は出るけれど、大太鼓はものすごい大音量、大迫力。
坐り始めて3分、いや坐ったその時からすでに足首が痛い私も、さすがにその大音量には腹の底からブルッと震えがくるような、「ようしこれから一日が始まる、まずは坐禅!」っていう空気が湧いて来る。そう、みんなからも。
少しするとそれに答えるようにして、外(庭)の鐘楼堂から「ゴ〜〜〜〜ン・・・」と太くて低くて落ち着いた鐘楼の音。あの「除夜の鐘」で有名な、あの鐘。真っ暗な中、「足もつかなあ」という不安のなかで外から聞こえて来る鐘楼の音はまた格別。一日が始まる、って清々しい気持ち。

暁天坐禅はたいてい30分ほど。
警策(きょうさく)を持って、堂行(どうあん)の雲水さんが背後をゆっくりと行き来する。警策は自分からお願いする場合と、あちらから(姿勢が悪いとか、寝ているとか)打ってくださる場合があるのだけど、今回の参禅中後者は無かったように思う。(姿勢が悪かったときは、そっと警策を背筋に縦に当て、身体の向きや首の方向を直してくださった。自分でまっすぐのつもりでも、人間必ずどちらかに曲がっているものなんだなあ・・・)
警策は皆自分から希望して打たれていた。特に女性陣は多かったなあ、警策(笑)。この日の朝、眠くはなかったものの頭痛で集中できにくかったので、私も希望して打っていただいた。
法界定印をほどいて合掌して待っていると、後ろでピタリと足音が止まり、低頭して合掌したまま頭を左に避けていると右肩を打ってくださる。(左は本来袈裟があるかららしい)ちゃんと避けていない人は雲水さんが頭をぐ〜っと抑えてきちんと避けさせてから打ってたみたい。万が一頭や首を打つと危険なのでね。
じつは今回の参禅期間中、坐禅中に眠気におそわれることは一度もなかったのだけど、頭痛や足の痛みをはねのけるために何度か希望した。一日1回くらいだったかな。あまり頻繁に希望するのも他人の集中を欠くのでほどほどに、ということもあるみたい。

この禅堂は窓に面したところが障子になっていて、外の光は入って来るが、景色は見えないので天気もわからない。
ましてや3時はまだ真っ暗。
禅堂内の灯りも最小限なので、ぼんやりと明るい。
女性男性と分かれた単の列、あいうえお順に席が決まっていた。
私は窓側でなく部屋の真ん中の列だったので、完全に木の壁に向かって坐ることになる。
同じ禅宗でも対人を重んじる臨済宗では通路側を向く対面形式だが、曹洞宗では逆の壁に向かうスタイル。暗い時間はその木目すら見えないけれど、お経などを置くためにちょうど胸の前あたりに付いている小さな棚が、こちらに向かってL字形ではなく向こう側にくぼんで見えて来たり、いろんな錯覚が起こってくる。
そう、目は開いたまま首はまっすぐ立ててアゴを引き、目線だけ斜め45度下を見る。
なのでちょうどその「窪み」のあたりに視線が行く。
その切れ目が向こう側にいったりこっち側にきたり・・を繰り返しながら、息を調整してみたり、頭を吊るされたように姿勢を正してみたり。
とにかく何が、って足が痛い。
私の場合「痺れ」は殆ど無く、ヨガのおかげで多少股関節は柔軟になっているので膝や腰は全く痛くならない。
ただ、足首が硬いせいか腿が太いせいか、もう足首が半端無く痛い。結跏趺坐はおそらく10分くらいしかもたないので(途中であまり組み替えるわけにもいかないので)最初から半跏趺坐でやっていたけど、右腿の上に乗せた左足首のくるぶしあたりが、開始5分くらいでもう激痛。
この2日目朝の30分は、この時はまだまだかなりキツかった。

坐禅中は禅堂の扉は開けてはならず、引き戸を閉めたあとでそこに御簾が下げられる(らしかった。音でしかわからないけど)。つまり坐禅の終わり(放禅)には、その御簾を巻き上げることになる。
警策をコトリと置いてから御簾をあげるかすかな音が聞こえてくる。その後に鐘を打つ槌をそっと外す音。それから放禅鐘(坐禅終わり)が鳴らされる。
御簾が上がるのは本当に小さな小さな音。だけど、それでつい「救われる!」と思ってしまう(煩悩!!)。→これみんなが思うらしく(苦笑)後日雲水さんのミニ法話でズバリ図星・・・

めでたく放禅鐘が鳴っても、あまりの痛さに左右揺振もできやしない。
息も出来ないくらい痛いので(本当はいけないのだけど)両手で左足を持ってそ〜っと外さないと足がほどけない。
が、ここで自分だけ時間をとってると、左右の同じ列の人たちと一緒に隣位問訊が出来ないので、待たせてはいけないとつい急ぐ。急ぐと履物を揃える前に飛び降りてしまったり、坐蒲を整えて白い札を手前にするのを忘れたり・・粗相が増えてしまう。
床に降りてもまともに立てないので、フラフラと隣位問訊、対座問訊。
情けない。

4時10分、休む間もなくそれから白い足袋を履き、前夜ポストイットをいっぱい貼った経本2冊を袱紗に入れたのを懐に、整列して法堂へ。
スケジュールは一度に全てが発表されるのではなく、いくつかずつ(例えば起床から小食くらいまで、とか)集合した時点でホワイトボードに書かれ、集合時にいちいち指示が出る。
後で思ったのだが、他とリンクしている法要などはその時間に合わせなくてはならないけれど、私達の坐禅の様子や食作法の習得度、体調はどんな感じか、などによってかなり流動的に決めてくださっていたのではないか、と。
すべての移動は常に男性、女性の2列で整列して歩行。先頭に2人、最後尾にも雲水さんが付き、真ん中あたりにも1人付いてくれる。

鉄筋コンクリートの吉祥閣を出て、いよいよ「七堂伽藍」へと足を踏み入れる。
永平寺の建て方は道元が学んだ中国の天竜山を模していて、一番てっぺんの法堂(はっとう)をお釈迦様の頭として、仏堂が心臓、両手に僧堂と大庫院、両足が東司と浴司となぞらえてある。そして山の斜面に建てられたその7つの主な建物は長い廊下と階段ですべて繋がっている。
「ザ・永平寺」のイメージ「雲水さんたちがものすごいスピードで雑巾がけをするあの階段」もそのひとつ。
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毎朝、朝課のために法堂へ向かうときには、自分たちの小食(朝ご飯)の粥(しゅく)、香菜、ごま塩を受け取る桶を持って大庫院へ寄って行くのだが、この2日目はたまたま私が香菜の桶を持つ係になった。(毎日違う人が当たる)
尊い食べ物を入れる器である。絶対に目下にならないよう自分の頭くらいの高さに持たなくてはならない。しかも器を持つ指、持ち方も決まっている。袴にスリッパ、たくさんの階段。緊張の行進だ。

やっと外が見える渡り廊下に差し掛かる。前日昼にここへきてから一度も外を見ていない。まだ薄暗くて天気も、庭の緑も見えないけれど、夜明け前の透明な空気がすうっと近づいて来る。
階段や廊下は窓で仕切られているけれど、途中あの山門や中庭に抜けている大庫院前の廊下なども通るので、廊下を歩きながら外を味わうことも出来る。
真っ暗な中、観光客も居ない、すれ違うのは各々の持ち場に向かうお坊さんたちだけ、今この永平寺のピカピカに磨き上げられた山門を香菜桶を捧げ持って歩いている自分・・・実感を味わう。たぶん一生忘れられない空気と風景。
中庭には防火用ともいわれる大きな水桶が二つ、左右対称(これも中国の様式)に置かれていて、その水音がなんとも心地よいこと。毎朝そこを通るのが本当に楽しみだった。
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大庫院(山内の食事を全て用意する台所)につくと桶を持った人だけ中に入り、外間口のところに桶を置いてくる。もちろんほんの入り口だけだけど、大庫院に入れるだけで嬉しい。
そこには曹洞宗のいろんなお寺でも見慣れた大きな木の魚(魚鼓=ほう)が天井から下がっている。僧堂では食事の前にこれを鳴らすんだよね。庫院ではお食事を出すときに鳴らすのかなあ・・・いや庫院の前の廊下には青銅の「雲版」が吊るされていて、それを鳴らしてたなあ(観光客がいる昼間や、私達が通る早朝など、その係のお坊さんは鳴らす前に必ず「これから大きな音がいたします」と静かな声で注意喚起してくれるのがちょっと面白かった)。
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器を置いてさらに階段をのぼって行くと法堂に着く。
もうすでに朝課が始まっていて、大勢のお坊さんの声が浪々と響いている。
階段で履物を脱ぎ、綺麗に壁につけて並べ、私達が入っていくべきタイミングになるまで法堂前の廊下で待つ。
廊下などで待つときは必ず「面壁」(壁に向かってくっつくようにして立つ)、もちろん叉手でね。
冷たい空気、山の下からの朝のそよ風、鳥の声、水の音。
個人で法要に見えてるご家族や、参籠の方などと入れ違ったり、一緒に入ったり。
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法堂の中央に祀られているのは聖観世音菩薩。階段の左右には白い阿吽の獅子。法要中、この段の上には係のお坊さんがいて、観音様前の御簾を上げたり閉めたりしていた。「あれ?」と思うともう隠されていたり(笑)。きっといろいろ決まっているんだろうなあ。
・・・なんてこと、この日はまだ見る余裕はなく。
この日はたまたま隣りが雲水さんで、全ての行動に細かく指示を出して下さるので(絶妙なタイミング!)すばやく真似して礼拝できたけど、合掌したり低頭したり、進行役の偉いお坊さんが入堂されて目の前を通られる時は叉手低頭したり、お鈴に合わせて三拝したり、お経本を畳の縁の内側に置いたり、お経本を正しい指で持ったりめくったり、正しく読んだり(笑)ものすごく忙しい。
そう、今度はずっと正座。
でも・・正座、なんて楽なんだろう・・・って思ってた(苦笑)。実際痺れなかったし。
この日はなんと観音様のすぐ下、正面奥まで歩み寄ってお焼香をさせていただけたので大感激。
まあ、お葬式でもそうだけど大勢でのお焼香ってものすごく時間かかっちゃうから、ここでは係のお坊さんたちがそれはそれは速やかに交通整理。ということで、あんまり仏像のお姿とかよく見られなかった・・
だけど永平寺で使ってるお線香ってなんであんなにいい香りなんだろう!
(実家の母に頼まれていたのでお土産に買って帰ったが)
前のほうに大勢並んでいるお坊さんたちの、並ぶ順とか、おそらく位によって違う衣や袈裟の色とか、足の運び方とか、何かを手に持って移動する係のお坊さんのものすごく面白い跪き方(片方の足をジリジリと後ろに伸ばしながら上体をまっすぐにしたままで低くなっていく)とか・・・
テレビで観た総持寺の法要のときのダンスのような所作を思い出しながら、ああ、これも左右対称なんだな〜って興味深く見ていた。
私達は正面に向かって右側の下座のほうに恭しく列になって座っていたが、ちょうどその視線の先、右側の上のスペースに朱色の立派なお座布団が置いてあったのが入堂したときから気になっていたのだけど、果たしてそこにお出ましになったのは現禅師さま。そのとき全てのお坊さんたちが一斉に斜め右を向いて低頭していたので気づいた。思いがけずお姿が拝見できてよかった。
そして、お坊さんたち、三拝した後や腕を上げた後など、もう本当にしょっちゅう衣をキチンと直している。その動きさえも美しいのだけど、あれもきっと道元が仰ってることなんだろうなあ。身だしなみはキチンと!(「正法眼蔵」まだ読んでなーい!)

約1時間、無事朝課を終えるころ、やっとあたりが白み始める。5時半〜6時頃。
帰り道はまた列になって、大庫院に預けた器を受け取って、お粥、漬物、ごま塩を持ってもと来た道を戻る。ようやく緑が見えて来る。
戻ると禅堂に集合して「朝参」(朝のご挨拶)。
お鈴の音と共に三拝。向かいの列の方と頭ごっつんこしたりしてあたふた。

そして、禅堂にて小食。
初めての朝ご飯、さあ、お作法はどうだろう・・・
応量器と食作法の紙を持って面壁して待つ。もう足が痛い。お腹すいてるけど足ばっかり気になる。
粥(おかゆ)は匙でいただくのだが、お箸と同じで必ず先は自分の方を向けて使う。
これかー、これなのか、テレビでいつも見てた「縦にスプーン使ってる!」の像は!
誓いのお唱えどおり、まずお粥を三口。
この日は玄米粥。ものすごく美味しい!
それから正しい作法に従って、ごま塩(この日は黒ごま)をすべてお粥の中に入れる。ごま塩も美味しかったなあ。ちゃあんとお塩も煎ってから、擦った胡麻と合わせるんだって。
沢庵と梅干しはもちろん器を持ち直していただく。お粥の中に入れちゃったり出来ません。
朝ご飯は器の数が少ないから、間違いも少なくて済む気がした。
あー美味しかったけど、足が痛い。

と、そんなこと言ってる間もなく今度は作務の時間。
ここまでが一連の朝のおつとめ。
3グループに分かれて、自分たちが使う東司、控え室、禅堂を6人ずつで掃除。
掃いて、拭いて、雑巾がけして、雑巾濯ぐ。
この日私は東司の担当。作務はジャージ姿に着替えるのだが、もちろんトイレ掃除も素足。でもね、もともとどこもかしこも綺麗だし、作務だと思うと多少汚れたところにいっても全く気にならない。
さすがにトイレ掃除にはひとつだけ化学的な洗剤を使いました。
トイレの中も外もピカピカにして、雑巾も全部洗って干して、気持ちいい!

ここで小休止。
通常この参禅では2日目というのがやはり一番身体にこたえるらしく、皆ちょっとの休み時間には控え室に入ってマグロみたいに畳にゴロン。
マッサージする人、ストレッチする人、湿布貼る人(わたし)、寝る人・・・
まだまだあまり会話が無い。さすがに控え室では「禁止」とは言われなかったけど、全体的に「私語厳禁」の雰囲気なのと、周りが静かなのでやはりあまり話す気にならないのだ。
話すときも自然とひそひそ声になる。
おしゃべりの権化のような私が、4日間三黙道場でどうなるかってのも自分で楽しみだったのだけど、まあテレビもスマホもないところでは自分も静かなのが自然。

そしてまた坐禅のあと、この日の午後は講話。広間に集合して、布教部部長の渡邊宣昭師による「食作法について」のお話を伺う。
正座、のつもりがこの頃はもう段々足が崩れ・・・苦笑。
「参禅」は布教部のなかでも一番大切にしている大きなお仕事のひとつだそうで、渡邊部長は毎年こうやって自らいろいろなお役目をされているとか。でも今年で終わりなんだそう。とても陽気な楽しい方だった。
「全員の顔と名前を一致させなきゃ」と張り切っておっしゃっておられた。
道元禅師のご生涯、中国留学での典座との出会い、大事な著書である(料理法についての)「典座教訓」と(いただく作法に関する)「赴粥飯法」について。特に私達が今回実践している応量器での作法と、数々のお唱えについての解説。特に「施食の偈」「五観の偈」について。
正直をいえば、じつはここで初めて(たぶんここで初めて普通の坐り方をしたせい)ものすごい睡魔に襲われてしまった。興味深いお話なので、がんばって聴いていましたが。
3時起きって・・ほぼ「寝る」時間だもんなあ、私(苦笑)。

お作法の話を聴いてすぐにいよいよ「中食」、一番正式なお食事の時間。
お唱えも多い、やることも多い。
でもねえ、お腹はすくんだよね、何やってても。美味しいものがいただけるのわかってるから頑張るのだけど、雲水さんたちが半年くらい経ってやっと慣れるというお作法だもの、4日で果たしてどのくらいまで出来るのか。
参禅係は毎食にかかった時間をちゃんと記録していて、この日の中食は前日の薬石より10分くらい短くなっていたらしい。
中食は別菜皿のおかずが一品。おかずは浄人が両手にかかえる大きな木製のハコの、自分側の角に片手を添えて支え、もう片方の手の三本指(親指、人差し指、中指)で器を持って取る。
おかずが何だったか、まだこの日はそんな余裕はなかったので覚えてない。
けど、4日間通しての食事の記憶で、印象的だったことは・・・

頭鉢でいただくのはご飯のみ。
お釈迦様の頭蓋骨だからゼッタイに口を付けることは無い。落すなんてもってのほか。落して下山になった雲水さんもいるとか。
朝は粥(しゅく)だけど、お餅入りだったり玄米だったり白米だったり。昼と夜は基本、麦ご飯。一度だけ炊き込み御飯が出たけど、美味しかったなあ・・・

香汁(きょうじゅ)と呼ぶ味噌汁も毎回違って工夫してある。
具もだけれど、お味噌もふつうの合わせ味噌?だったり、時々赤だしも!!

おかず「野菜の煮物」 これがもう、殆ど毎回メイン。蒟蒻、厚揚げ、油揚げも。茄子の揚げ煮はちょっと鷹の爪でピリッと。ジャガイモを薄く切って揚げたもの(これもちょっとだけ鷹の爪?)。
あと吃驚したのは沢庵の煮物!!(北陸では食べるの?甘辛くて柔らかく美味しかったけど)
あとはキンピラ風なもの。
「和えもの」もやしと小松菜、ブナシメジなどのキノコ。シメジ率高し!
すごく美味しくて一番印象的だったのは「厚揚げ、じゃがいも、シメジと法蓮草のクリーム和え」ホワイトシチューみたいな味付けだったのだけど、豆乳と小麦粉で作ったのかなあ・・・
帰ってきて真似してみた、けど大庫院には敵わない!!(笑)
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「酢の物」梅酢につけたゴボウ、もやしと胡瓜?だったかな
あと「シメジと小松菜(法蓮草?)のパスタ」パスタが若い雲水さんたちに人気という話はきいていたけど、やっぱり出たー!お箸で音を出さずに食べやすいよう、4センチくらいの長さに切りそろえてあった。オリーブオイルの香りでとっても美味しい。

相変わらず拷問みたいな中食が終わると、ちょっと休憩挟んで今度は「坐禅について」の講話。同じ渡邊部長さん。
この時は全員ジャージに着替えて、まずストレッチをいろいろ紹介していただき、みんなでやったり。
それからひとりひとり、坐蒲を使って坐禅の仕方をアドバイスいただいた。
18人分ひとりひとり。
私は姿勢はほぼ今のままでいいみたいだったけれど、禅堂でも雲水さんに直されたのは首がどうやらちょっと右を向いているらしい。それから法界定印をいつも綺麗に作っていること。これもなかなか難しい。意識がいってないとね。
もちろん道元の「普勧坐禅儀」のプリントも学ぶ。
部長さんのお話は脱線する部分がまた面白くて、女優の久我美子さんの「久我」は「こが」と読んでもともと道元の直系だとか(お兄様が現37代目当主)、今普段私達が使っている漢字の音読みは殆ど「漢」の時代の読み方だけど、仏教とくに永平寺で使う読み方は「呉」の時代の読み方が多いとか。
あと、朝課で読む「五十七仏」でも出て来るのだけど、なんと仏教開祖であるお釈迦様は、「初代仏陀」ではなくて「7代目」だってこととか(「過去七仏」6人が釈迦より先にいて、釈迦は昔からあったものを悟っただけ、とされている)。

たくさんお勉強したあとは再び坐って食べる時間、薬石。
別菜皿のおかず二品は両手で一度にとり、両足の付け根あたりの腿の上に置いて低頭。お作法にもすこーし慣れて来たかな。
でも一番最後、全ての食器を袱紗に包むときの最後の結び目がまだどうしてもうまく出来ない・・・(開くときに片手で一発でほどけるよう、小さなキッカケ出っ張りを作りながら結ばねばならない)
はたして期間中に出来るようになるんだろうか・・・

やっと入浴。
短時間での要領が少しわかってきた。足をあっためてメンテナンスしながら歯磨きしながら髪洗う・・みたいな(笑)
夜坐は経行をはさんで2セット。このときはたしか、一炷(40分)坐ったはず。
すでに30分くらいがちょうどいい、という感覚になってきたころ。
その残りの10分がどうしてあんなにシンドイんだろうか・・・
どこかがカユかったりしても、ピリッとでも動くと足の痛みを意識しちゃうので、もうとにかく一切動かず。
組み替えもせず、手も動かさず。
隣りで誰かが身動きしたり、咳の音が聞こえたり、それだけで足がズキッて痛く感じてしまう。
あと少し、あと少し、もう本当にダメってなったら手を挙げてギブアップしよう・・そう思っているうちになんとか放禅鐘にこぎ着ける。
控え室のゴミ箱の中が、だんだん痛々しくなってくる(湿布のセロファンと鎮痛剤のカラでいっぱい)。
そんな2日目が終わる。
明日はどんなプログラムなんだろう・・・
今夜こそよく眠れそうだ。

10月2 日(日)
3時10分 振鈴
3時40分 暁天坐禅
     行香後止静
     大開静
5時頃   朝課(法堂)焼香 
6時30分頃 小食
     作務
9時前頃? 坐禅
10時頃   講話(食作法について)
12時前頃  中食
14時前〜 坐禅(たしか、やった記憶)
14時30分頃? 講話(坐禅について)
17時頃    薬石
     入浴
     坐禅(30分?→経行→40分)
21時  開枕

(つづく)









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by saskia1217 | 2016-10-10 03:42 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(2)

今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!
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