カテゴリ:感じろ、考えろ、思え!( 1465 )

子供のころからずっと家族でお世話になった方のお墓まいりに深川へ。
降りるのも歩くのも初めての街。

お参り終えてからそのお寺の大きな大きな閻魔さまに会う。
なるほど、ここ真言宗豊山派なのね…
「深川ゑんま」かなりの迫力!
お賽銭入れるところが目的別に20くらいあって、入れると急に照明が変わりどこかのスピーカーからミニミニ説法、というかお告げ的戒めの言葉が降ってくるシカケ。
今はあちこちでこういうオートマチックあるけど、なんかテーマパークみたいだよね。
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目指すは初・深川不動尊。
東京の東は、歩いていると空が広い。
そう長くはない参道の、おせんべい屋さんや漬物屋さんに目を奪われながらも、正面奥に見えるお堂のほうから聞こえてきた勇壮な太鼓の音と読経に足が速まる。
段々とハッキリ聞こえてきたお不動さまの真言!
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急いで本堂へ上がり薄暗さに目が慣れると、階段状に下がったところに何人ものお坊さんの姿。
弁慶みたいなガタイのよい僧侶が全身を使って叩く体の底まで抉り取られるような太鼓の音。
数人が吹きならす法螺貝の高音。
そして中央に高々と護摩の炎。
夢中で最前列に滑り込み正座する。
目をあげて初めて見えてきた正面上部に黒ずんだお不動さまの姿。
真言が繰り返し唱えられる。
スゴイ…

そうかー、ここ成田山の東京別院だった!
護摩法要があること、全然思い至らなかったなー
すでに終わりの5分くらいだったので、先に他をお参りしお昼を食べてから次の回にあらためて参列。
お目当ての深川めし屋さんが案の定予約で一杯で断念、門前の近為で美味しいお漬物と銀鱈の粕漬け定食。
さすがのお漬物、分厚い身の鱈の素晴らしい焼き具合、切り干し大根、ほうじ茶までどれも最高のお味!
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境内に戻って今度はちゃんと護摩木を書いてお納め。当日法要の護摩木は5分前まで受け付けていただける。
スペインからの団体観光客の皆さまに囲まれながら前方に着席。

お経本をお借りして一緒に読経。
大声を出しているのに自分の声が聞こえない。
太鼓のあとうちリズムがシンコペーションぽくて心拍数が上がる。
尼僧さんも法螺貝や太鼓で勇ましい。

護摩終了後、しばし放心…そして、いろいろ拝見。
ご本尊地下を通る一万体のクリスタル五輪塔で出来た「祈りの回廊」はテレビで見たとおり。
法要後だけ触れる大きな木製のおねがい不動尊に触れたり、「大日如来蓮池図」という大きな天井画のある仏間、四国88カ所をを一度に回れる巡拝所とか…
出世稲荷って時々あるけど、出世とご飯の心配両方お願いするなんて、贅沢な神様だよなあ。
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「高野山は空海テーマパーク」とブラタモリで言ってたけど、ここもいってみればそんな印象。
たくさんの音や絵、匂いや光…じつにたくさんの仏様の姿で頭とお腹がいっぱいになった感じ。
ありがたい満足感もだけど、何よりも太鼓と法螺貝の音と高く上がる炎が何かを一掃してくれた気がして、清々しい気持ちで外へ。
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たくさんのかわいい七五三たちに混じって、もちろん富岡八幡宮にもお参り。
ゆかりの横綱力士碑や有名な御神輿も堪能。
摂末社を巡るうち、花木社に松尾芭蕉「命」がお祀りされていたのにちょっと吃驚。
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八幡さまの別当寺である永代寺にもお参り。
本堂内の仏像や仏画に歴史を感じる。
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下町三昧のシメとして老舗「いり江」であんみつ。
なめらかアンコ、やわらか求肥、しっとりお豆が美味しい!

ご縁の薄かった東京の東。
知らないところはやっぱりオモシロイ!
また行こう。

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by saskia1217 | 2017-11-04 19:13 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

物言う仏像

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運慶展。
確認されている31体のうち22体が一度に見られる・・それは混んで当たり前。
まあ少しでも人が少ない時間を狙って、と午後から出陣。
午前中の待ち時間は40分だったが、13時半で10分くらい。展示品の前の人の厚みは3層くらい、かな。

すごく楽しみにして、前売り券も随分前に購入していた。
久々に入場するのにドキドキする展覧会。
暗い会場に足を踏み入れると同時に、暗がりの中から褐色と金色の混じった像がいきなり目に飛び込んで来る。
大日如来。
瞬間的にぼわ〜っと涙が。
なんだなんだ、どうしたんだ!?
ぼろぼろ泣きながら近寄る。
20代の運慶が、父に来た注文を請け負って作ったデビュー作。1176年。国宝。
張り切って作った自負(当時の仏師としては異例、底に自らの銘を入れるなど)や若さ故の自己顕示も感じると言われるけど、そんなことよりもただただ「大日如来」そのものしか見えてこない。
「端正で美しい」「いい顔をしている」なんてことさえ言えないくらい、けして大きいわけでもないこのひとつのカタチが「大日如来」として「生き」「語って」いるそのパワーに一瞬で射抜かれた。

今日みた多くの仏像のうち、運慶作の殆どにみられる彼の特徴である「玉眼」
それはただの「迫力ある木の仏像」に、たちまちのうちに命や息やあるいは「まるで人間のような」生々しさを持たせてしまう。
六波羅蜜寺からきていた地蔵菩薩のようにほそ〜〜〜くて奥なんかわからないくらいの目にも、(彼の流れを汲む作品では)餓鬼や犬や鹿の目にさえもちゃあんと玉眼が入っている。
父・康慶の作品も今回ほんとうに素晴らしいものがたくさんあったのだ。
「法相六祖坐像」なんて、羅漢さんによくあるような、その表情も造形も表現力が豊かで、まるでそのお坊さんの声色や性格まで伝わるような迫力があった。
けれど、目を合わせたときの生々しさは、どうしても木で出来た目から出る力の強さが物足りなくうつってしまう。

今日は全ての仏像、特に玉眼の仏様には必ず「目が合う」ところを捜して、その地点でまず立ってみた。
玉眼は木だけの目よりも言うまでもなく「グッとくる」それは当然なのだけど、玉眼の目にはむこうからグッと掴まれて離してくれない感がある。
そしてその目が合った瞬間、その仏像が何かを言ってくる!おどろいたなー!
仏像が「その仏様」になる。
お不動様ならお不動様の、毘沙門天なら毘沙門天、大日如来なら大日如来のお役目、コトバ、ご意志。
2体の両脇侍立像に挟まれた大きな大きな阿弥陀様には、お不動様のような厳しさが微塵も感じられないのは当然。
最近は大日如来について聞いたり考える機会が多かったので、この入り口のデビュー作をはじめ、いくつかの大日如来様の前ではずいぶん長いこと立ち尽くしていた。

この像と共に心に残ったのは、有名な無著と世親兄弟の菩薩像のうち、世親。
最近よく話題になる「唯識」を学ぶときには必ず出て来る学僧なので、お顔を見ながら彼らがどうやってあの複雑で壮大な体系を作り出したんだろう・・・なんて意識が遠のきそうになった。
有名なこの像、2mほどあって想像より大きい。背中から見ると、二人とも様子は違えど少し猫背ぎみな肩の丸みが、何かを語っているようだ。
テレビや本で見ていたときは無著のほうが憂いをたたえ彼方を見ている印象で心惹かれていたのだが、実物を見たら世親のほうから、より強い何か感情のようなものを受けた。
玉眼の大きさと形、角度でかなり潤んでみえる目のマジックのせいかもしれない。
「四天王像が北円堂安置とみる仮設」と題されていた配置、遠くに立ってだんだん近寄って行く途中で、無著と世親の二人共と目が合う一点があった。
二人と自分が正三角形に限りなく近いくらいの二等辺三角形を描くあるポイント。
そこから本尊(展覧会では写真)を見るとなんだかとても、全てに吸い込まれるような気持ちになった。
運慶はもちろん配置まで細かく計算していたのだろうなあ。

「これは限りなく運慶作ではないのか」というものがいくつかあったけど、鎌倉時代に由来する、東福寺の多聞天立像は素人のワタシでも「これはもう、ぜったいそうでしょ!」という運慶らしさがあった。
焼き討ちにあった東大寺の復興に尽力した「重源上人坐像」も。

息子や一門の作もとても興味深く観た。
四天王に踏みつけられた餓鬼たちや、可愛い犬や鹿たちの目は、その時代ではもう全て玉眼となっている。

観に行く前にテレビの特集番組をいくつか見て、いろんな専門家のお話が少し頭に残っていたのだけど、国宝の毘沙門天は解説通りにその身体のS字ラインが美しく、美しいだけじゃなくて力強く、そして殆どどの仏像も典型的日本人体系のドッシリ型で親近感(笑)
三体並んだセットの仏像は、正面からもいいけど、両サイドから見ると3人の横顔が同時に見られて素敵。正面は激混みでもサイドや背面はガラガラ、ってことも多いからオススメ。

お不動様が手に持つ縄が空調の微風にかすかに揺れていたり、入り口のあの大日如来様の右ひざにかろうじて残されている金属の殆ど1センチ以下の装飾(イヤリングみたいにぶるさがっているもの)を見つけたりすると、たちまちそれが作られた当時にタイムスリップできるようだった。
何よりもほとんどの仏像がガラス張りではなく、同じ空気の、手の届く(届けないけど)目の前にいらっしゃることが素晴らしかった。

各パートにテーマみたいなものが掲げられていてとても面白い展示方法だったのだが、今回の大きな注目点のひとつだった「仏像内臓品」もとても興味深かった。
テレビ番組で検証していたのを見た印象よりも、それらの仏像がずっとずっと小さいことに驚く。
こんな中にあんなに色々なものが精巧に納められているなんて。
多くの仏像の白毫が、埋め込まれていなくて額にでっぱってくっ付いていたのもちょっと意外だったし。

高野山からやってきていた、話題の「八大童子立像」は楽しかった。
「こんな人いるよなー」
実際「矜羯羅童子」なんて、激似の友人がいるし(笑)

頼朝の三回忌に作らせたという(頭部に頼朝の歯と髪が納められている)美しい聖観音像は、江戸時代に彩色しなおされた極彩色。肌の白さが際だつ。
美しいけれど、個人的にはセピア色になった仏像のほうが(とはいってももとは金ぴかだったけど)好きかな。

大日如来を始めとして真言宗風に右足が上になる結跏趺坐の、完璧な美しさとしなやかさ。
あんなふうに綺麗な結跏趺坐が出来るようになりたい、もっと修行しよう!ってめちゃくちゃ思った(笑)
足の裏は全て扁平足だった従来の仏像と大きく違って上になった土踏まずが人間らしいから、余計そんなことを思っちゃう。
しかし、うねりのある、迫力と動の仏像たちのなかで、大日如来様だけは本当に完璧にまっすぐで、ど真中で、揺るぎない安定として作られていることが印象的。
やはり全ての原点、全てに化身しているという包容力と絶対的な大きさの故だろう。
すごいなあ、というありきたりの感想と、やっぱりホンモノじゃないと何にもわからない、伝わらないってことと。

混雑なんかにめげないて行ってよかった。
最初は人混みのなか覗き込んだり、遠目にみたり、もぐりこんだり、横滑りしたり・・・と細かい動きでなんとか一通り最後まで見て、惹かれたもののところにまた戻り、閉館時間の1時間前くらいから、後からゆっくりと逆流していく。
と、入場してくるお客さんがどんどん減っていくので、入り口に戻ったころにはほぼ誰もいない状態!
心ゆくまで思う存分、大日如来と見つめ合い、ぐるぐるてくてく周りをまわり、そして最後に手を合わせて入り口から博物館をあとにした。
オススメのテクニック(笑)

11/26まで東京国立博物館、たしかあと1回展示替えがあるはず。
是非!
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by saskia1217 | 2017-10-25 20:38 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

ヴァイオリン

「若松夏美バッハを弾く」を聴きにハクジュホール。
夏美さんがバッハの無伴奏を弾かれるという、それだけで即効行くことに決めた。

ハクジュホール、じつは初めて。
やっぱり響いていいなぁ!
夏美さんのソロもじつは初めて拝聴したかも。
初めてお会いしたのはBCJの第1回イスラエル公演でご一緒したとき。
以来オケ中やコンチェルトなどは聴かせていただいたり、大学で同僚として学生たちの試験の採点や講評を通して、夏美さんのあの自然体で曇りのない、ブレない音楽観とお人柄を感じていたので。
なので、その「夏美さんぽいバッハ」はきっと好きに違いない!
それを聴きたくて行った。

バッハはもちろんよかったけれど、バッサーノのリチェルカータもよかったなぁ。
選ばれた3曲のバッハはみんな違うスタイルとキャラクターだったけど、どれもが夏美さんだけの色。

ものすごく丁寧に大切に扱ってるのに、空気のようにスルリとしていて。
ラストに弾かれたd-mollのパルティータ、冒頭のアルマンドを始めるとき、そして調弦を挟んで最後のチャッコーナに入るとき、なんの力みも気負いもなく、でもまっすぐに真正面からこれから弾く音楽に向かっていく瞬間が、とても素晴らしかった。
妙な構えのないチャッコーナは、ありがちな不自然なデフォルメや不格好な造形がなく、「20分の大曲」ではけっしてなく、途中ドラマもありつつ終わってみれば静かに流れる大河のような、気がついたら終わっていたような、そんな素晴らしくバランスのとれた温かいアプローチだった。

自分1人と、ヴァイオリン一丁と、バッハ。
チェンバロという楽器はどうしても、単純に視覚的にもステージでの楽器のインパクトが強い。
大きさだけでなく、色や装飾や。
ガタイのある楽器の奏者からすると、その水墨画のようなシンプルさは羨ましいシチュエーション。

ステージングから音楽から、
何もかもがじつにカッコイイ演奏会でした!
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by saskia1217 | 2017-10-13 15:49 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

のりものいろいろ

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いろんな絵とか彫刻で仏様が「乗っているもの」ばっかり集めた展覧会観に根津美術館。
ふだん美術館博物館へ行くのは、混む週末や祝日を出来るだけ避けるのだけど、今日は企画がマニアックなせいか混雑はさほど無くゆっくり見られてラッキー。

蓮華とか動物とか岩とか雲とか餓鬼とか。
珍しい「雲に乗った」お釈迦様(そういえばあんまり見ない!)。
琵琶を持った美しい弁天様は迦葉の上。
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9世紀に円仁が中国から請来したという「金剛界八十一尊曼荼羅」は大きくって見事。
難しい名前がついたたくさんの仏様は、孔雀や迦楼羅(ガルーダ航空ってコレか!)、翼のついた馬やゾウに乗っている。
その中で獅子に乗るのはただ1人、大日如来様のみ。
結跏趺坐、半跏趺坐どちらも右足が上になってる仏様が圧倒的に多い。
密教系だからなのかな。
お不動様や愛染明王様、どれも色彩が美しい。

観音様の「来迎図」ってやっぱりなんだか心に残る。
周りを囲む大勢の仏様が琴や琵琶、太鼓で音楽を奏でているのは、西洋のバロック絵画と同じだよね〜。
音が聞こえてくる絵。
乗っている雲の描かれ方が「平安時代はゆったり、鎌倉時代になるとスピードが速くなる」っていうのが面白かった!
時代が下るとせっかちになるのか(笑)

合わせて青銅器や金銅仏、水瓶、「菊月の茶会」のお道具展示も楽しむ。
なかに、目録に無い特別展示の宜興の可愛い急須を見つける。
ひところ随分見て回った宜興の急須、お手頃値段の普段使いだけど自分でも大事にしているからなんか嬉しかった。

目の覚めるような紅葉が楽しめる庭園は、まだちょっと色づくには早かったけれど、水音、色づき始めた葉を堪能し、石仏たちにも久しぶりで再会。
連休だからなのか散策する外国人のお客様も多く、フランス語、ドイツ語、韓国語・・庭もインターナショナル。

都会の静謐。
やっぱりいい美術館だ。
また訪ねよう。
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by saskia1217 | 2017-10-10 01:54 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

歌舞伎初心者



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歌舞伎座10月昼公演のネタバレをしています

お能狂言は大好きで学生の頃からよく観に行っていたのに、何故か歌舞伎には縁が無く来てしまった。
無い、というより、本当に興味があればとっくに自分でチケット買って行ってたはずなんだけど。
嫌いというわけでもなく、ずっと、それほど興味が無かったのだろうなあ。
西洋で言えばオペラの位置にあるともいえる、いやそれどころか、日本が誇る最高の総合舞台芸術・・・
一度も観たことがないというのは日本人としてどうかと・・・

実は一度だけ友人と幕見で4階てっぺんからチラッと観たことはあったのだけど、その時はただフラッと入ったので演目とか筋書きとか役者さんの名前とか全然わからないまま、舞う場面や音楽を楽しんだ、というだけ。

今日、やっと一演目まるまる、同時にニュー歌舞伎座を満喫してきました。
日時の都合で昼公演しか行けなくて、それがたまたま新作。
初めてちゃんと観るのに新作はどうかなあ・・・とも思ったけど。
「マハーバーラタ戦記」

えーあの大作をどうやって歌舞伎に!
というより「すっごい長い歴史的叙事詩」ということしか知らない。
あ、そうか、でもあの「バガヴァット・ギーター」ならヨガの座学でずうっと読んでたな。
たしかあれ「マハーバーラタ」の一部だったんじゃ?
上村勝彦訳の岩波文庫と、向井田みおさんの訳で、結講じっくり読んだ。
なんてことが、神々の名前をうっすら覚えてたりすることに繋がったけど、果たして予習しなくて大丈夫なのか!

そんな不安から歌舞伎座HPをみたら、今回の脚本はなんと青木豪さん。
いまや演劇界では知らない人がいないくらいご活躍だけれど、むか〜し学生時代に青木さんとは何回かミュージカルの舞台でご一緒したことがある(笑)。
当時私は芸大生で、青木くんは明大の演劇科の学生だったはず。
同じ明大演劇科の高岸さん(現在芸大でも教鞭をとる俳優座の演出家)が企画していたご縁で「メリー・ウィドウ」とかやったんだった。
歌舞伎の脚本なんてスゴイなあ、青木くんビッグになったんだなあ・・なんて思いつつ、人物相関図を眺めたくらいで(しかも複雑だから見てもピンとこない)結局のところさして予習せずに出かけることに。

改装後初めて足を踏み入れた歌舞伎座。
まずは今日の演目にちなんだ限定のお弁当をゲット!(これ大事)
本日の主役「尾上菊之助さん好み」というタイトルの、インド料理と日本料理のコラボメニュー。
タンドリーチキンやドライカレー、和食も入って楽しい。
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お席の幅や前との距離、通路の幅なんかが以前より広くなってる、というのを実感。
今日もだいぶ目にしたけれど、とにかく外国のお客様が多いからね。
日本人にとってもゆったり座れるのは嬉しい、なんたって歌舞伎はお席にいる時間が長いから。

初心者の私には、慣れた方にはなんてことない諸々が面白く、気が弛む暇がなかった(笑)。
今日はかなり前のほう、しかも花道のすぐ脇でステージにも近かったので、色々なものが見えたり聞こえたり。
開演前にアナウンス付きで披露される何種類もの緞帳、開演時に幕の中からひとつめ、ふたつめ、とだんだん速くなって聞こえて来る柝、幕を引く係の人の足音や幕の持ち方・・

インドの話を歌舞伎に、しかも日印友好交流記念ということで、主役を務められた菊之助さんは実際にインドにも行かれ、あのハリドワールでガンジス川の沐浴や祈りの儀式をご覧になったり、色々体験されたとか。
あくまでも「歌舞伎」だから、動きとか音楽とか衣装とかどうなんだろう?
それが楽しみだった。
舞台美術ではインドを思わせる絵を描いた大きな屛風を幕ごとに変えて使ったり。

衣装もとても工夫されたらしく、和を基調に、着物の柄に梵字が入ってたり、インド風の生地だったり。
なかでも幕開けのインパクトが凄かった!
幕があくと板付きで梵天や帝釈天、シヴァ神など7人の神々が、全身まっ金金ピッカピカで、後光を背負って段にズラ〜ッとならんでこちらを見下ろしてる。
見た目全員、全身金なので、最初はどれが誰だかわからない。
持ち物で「あ〜大黒天」ってわかったり(笑)

音楽、セリフ、踊り、衣装・・・
すべてが場面場面で「歌舞伎」「現代劇」「インド風」と切り替わったり、ときどきそれが混じったものだったり。
ある場面(あまり本筋に関係が深くないところ)では完全に伝統的な音楽の形態と、伝統的な衣装と踊りがきっちりと。ステージ上に義太夫や清元がひな壇で並ぶ「出囃子」「出語り」状態、美しい女形と麗しいイケメンが踊る。
他の場面では、今ふつうにテレビの時代劇くらいの感じの「演劇」(いまはもう昔みたいな口調じゃなくなったよね)になり、また衣装はインド風でも所作やセリフは完全に伝統的なシーン(口上とかそうだったかな)があったり。
そして、時々フッと織り交ぜられるコミカル要素(双子の王子がザ・たっちのギャグ言ったり・・笑)。
それが、頻繁に使われた回り舞台や、花道の活用も相まって、緊張感と笑いのいいチェンジになっていて、長時間の舞台を飽きさせなかった。
脚本・・すごいよなあ。

戦闘シーンの馬や、お姫様が乗って登場する大きなゾウなど、動物もとってもよく出来ていて、しかも動きがすごいリアル。
距離が近かったので中に入っている人の手足がちょっと見えたりしたのだけど「どんな体勢!?」と思うくらいすごい組み方してたり、クビの動きが細かくてすごいなあと感心したり。
どんな役でもその役に徹して務めるって、すごいな。

音楽がね、また面白かった。
インドを思わせる民族楽器を黒子の恰好をした奏者さんたちが上手に陣取って演奏し、2階式になってるその上段には義太夫さんたち。
下手の黒御簾には太鼓や鼓などのお囃子(このすぐ前の席だったから、すごい迫力で素晴らしかった!)
ツケの使い方やダイナミックレンジの幅にも感動。
当たり前なのだろうけど、すべての演奏が、セリフのあるところでは弱くなって声が聞こえやすくなるのも面白かった。
ガムランのような旋律線やハーモニー、モダンなポップスか歌謡曲みたいなメロディーの曲、現代風な歌詞やリズムを義太夫が演奏したり。
作曲担当されたのは、特に音楽を専門に勉強されたのではないという主にパーカッションを操る音楽家の方だというけれど、さすが打楽器の扱いが素敵でした。
主人公の夢枕やお告げなどに、私の目の前の花道からよく神々が下から出現していたのだけど(笑)その時鳴らされる音楽には必ず「どろどろ」っていうのかな、あの幽霊が出て来るときの音、が使われていたのも面白かった。
笙も入ってましたね。
やっぱり「霊」的なものを表していたのかな。

さすが歌舞伎、大勢の配役、役者さんがたくさん出てきて、一人芝居の場面から花道まで使って全員で賑やかになる場面まで、豪華で楽しい舞台。
なかでも印象に残ったのは、まず、主人公「迦楼奈(かるな)」を演じられた菊之助さん。
オープニングではシヴァ神を演じられたのだけど、その声の通りっぷりとセリフの聴き取りやすさ、説得力はダントツだったので、その時点から「おお」って思ってました。
年齢や役の性格にもよるのと、自分の席の場所にもよるのだと思うけれど、やはり後を向いている時、反対側の花道にいる時でも、その声がはっきり聴き取れる役者さんてやっぱりすごいなあと思うのです。
あと、圧巻だったのは中村七之助さん。
主人公の敵でありながらどこか心が通じ合っている「悪役」鶴妖朶姫(づるようだひめ)を演じされたのだけど、声そのものも素晴らしいし、細かい表情やセリフの語尾の消え方などまで、その「悪役」の心理まで醸し出していたのが見事だった。
ラスト近くで尾上松也さん演じる阿龍樹雷王子(あるじゅらおうじ→バガヴァット・ギーターの主役!)と交える激しい一騎打ちでの立ち回りが凄くて、最期をとげる場面での悲劇性があまりに迫真で胸を打ちました。
そうそう、松也さんもとても重要な役で、清々しくまっすぐな青年戦士らしくて素晴らしかったです。
歌舞伎役者さんをあまり存じ上げないので、ふだんテレビのドラマやバラエティーなんかでしかお顔を拝見しない役者さんの「本業」がちゃんと観られたのも、本当に良かった。

全体的には、インドも日本も、そして現代と伝統も、それぞれを別々にするところと融合させているところが、すべて通して観たときにほぼ同じバランスで作られていたなあ、という印象。
この長い叙事詩から、作者がこの作品の中心として置いた(のではないか?)ことが、ラスト近くでちゃんとまとまって考えさせられるように出来ていた気がする。
「力と知恵、どちらが平和をもたらすか」
「ダルマを貫くということ」

みていてなんだかちょっと、ここ数日の日本の政治家を思い出したり(苦笑)
初めての歌舞伎、ものすごく楽しかったです。
私にはもしかしたら「純・伝統的演目」よりも良かったのかもしれないな。
けれど、また遠からぬうちに、今度は「純」なものを観に行きたいと思う。

観賞後、せっかくなので見学した「歌舞伎座ギャラリー」では、道具の馬やカゴに乗ったり、鳴りものを叩き放題やらせていただいたり(どろどろ、やってみた・・・笑)、幕間のお弁当や人形焼きのおやつも楽しかったし、お土産に「限定」商品を買っちゃったり、屋上庭園もぶらぶらできたり。
歌舞伎座まるまる堪能できた、最高の「夏休み最終日」になりました。
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by saskia1217 | 2017-10-04 20:37 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

雨の平均律

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大切な先輩、桑形亜樹子さんのリサイタルへ。
平均律第1巻全曲。
しかも明後日もう一回!(既にソールドアウト)
一晩で全曲は人前ではたぶん一生やらないだろうなぁ、私😅

ご自身の研究による仮説に基づくテンポで、全24曲を8曲ずつのグループにし休憩2回を挟んで演奏された。

バッハは弾くのも聴くのも強い集中力が要る。聴くだけなのにちょっと覚悟して出かけた。
が、実際聴いたらとても心地よく、リラックスしていることに自分で驚く。
胃もたれしない揚げ物コースみたいだ。
それはたぶん、ひとえに彼女が貫いたTempo ordinario?
同じ大きさの小さな波が規則的にずーっと打ち寄せる。
単純にもう、身体にいい、健康にいい感じ。
「音」の正しい使い方☺️

普通コンサートを聴いた日はなかなか眠れないことが多いのだけど、今日はなんだかとっても安心してよく眠れそうだ😴

10年にいっぺんぐらいしか行かない代官山
オシャレすぎてドギマギ
クリスマスでもないのにキラキラにクラクラ
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by saskia1217 | 2017-09-17 03:13 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

真夏の大本山

なが〜い備忘録。
自分のために書いておきます。

先日、二度目の總持寺へ。
前回は一泊の参禅会だったけど、今回は年に一度開催される「夏期参禅講座」、二泊三日。

ひどく蒸し暑いほぼ猛暑日。
鶴見駅から荷物を引き摺ってウダウダ歩くが、山門が見えて来ると自然と背筋も伸びて、汗を拭くのも忘れて真っ直ぐに歩く。
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初日は午後早くに受付の後、部屋割り、坐禅着に着替えてから集合、簡単な坐禅指導と今後の説明がある。
募集50名のところ、今回は男性24人、女性12人。ちょうどいい人数。
お部屋は6人部屋。
總持寺の参禅は、宿泊がほんとに旅館みたいに安楽(!)なのが、息抜きできるところ。
洗面、トイレ付きの綺麗な和室に、清潔でフカフカのお布団。シーツも毎日交換!(いいの?という感じ)
ポットとお茶、お茶菓子。
贅沢すぎる(笑)。

まずは15時から講義。
三重県佛光寺副住職、駒沢女子大で教鞭をとられる龍谷考道師による「總持寺五院の開創と開祖禅師の思想」。
禅宗史のご専門、しかも大学で講義されているだけに、決まった時間内に少なくない情報を、とてもわかりやすくお話して下さった。とても真面目な内容だけどリラックスして聴ける。お話の上手さって、僧侶や牧師、神父、政治家、教員・・・やっぱり大事だなあと思った。
日本曹洞宗については、道元禅師と懐奘、義介、あと瑩山禅師と峨山禅師くらいまでしか知らない私にとっては、その後の禅師方のことや、祖院にあった所謂塔頭「五院」についてのお話はとても新鮮で興味深かった。
特に、ここ数年の總持寺のテーマである「相承」に焦点をあてるということで、山禅師が自分亡き後どのようにお寺の精神的、物理的リーダーを決めて行ったらいいのか、ということまでキチンと決め、受け継ぐように言い残していたことが印象深いお話だったな。
争うことのないよう、偏ることがないよう、5年ごと(のち3年、1年)に住職を替える案などの民主的な方法がほぼ明治まで実行されていたなんてビックリだ。
現在一つの宗派としては日本の仏教寺院で最多数を占める曹洞宗の、じつは8割が總持寺の流れをくむものだということも初めて知ったし。
たくさんの古文書の資料の中には様々な取り決めが書かれているのだが、「女性を宿泊させない」とか「酒を持ち込まない」とか「無駄話や雑談をしない」とか、人間的すぎて思わず笑っちゃう・・・

講義後、薬石。
總持寺での食事は応量器でなくテーブルと椅子でお膳をいただく形式。
お客様用の紅いお膳に、美しい精進料理が並ぶ。
ゆっくり味わって頂きたいところだが、暗黙のうちに全員が同じスピードで食べなければならないから、2/3を占める男性陣に合わせる恰好となり、かなり急いで食べる。
写真は最終日の小食(朝食)だが、これだけお皿数があると、ひとつひとつ両手で取り両手で置きながら食べる手間もあって(つまり渡り箸をせず、口に入れたものを全て食べてから次のお皿を取る)、慣れてくるともうお膳を見ただけで攻略法が頭に浮かんでくる(笑)。
箸で切るのに粗相しそうな大きな大根や、一粒ずつつまむのに時間がかかりそうな豆類などは、まず最初に食べてしまう・・・という具合に。
応量器だと多くても食器や5つくらいだから、まだいいのだけどね。
しかし朝はお粥と漬物と胡麻塩だけだと思っていたから、豪華さにはビックリ。
どれも本当に美味しくて、嬉しかったのだけどね。
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食後、18時から第一回の坐禅。
總持寺では参禅者は衆寮で坐る。
衆寮は僧堂の隣りにある、雲水さんたちが勉強する場所。創りは僧堂と似ていて単が並んでいるのだけど、目の前に小さい机状の板があるのと、中央にいらっしゃるのが文殊菩薩ではなく観音様だってことかな。
ここの観音様は准胝観音さま。両脇には龍の化身である難陀竜王と跋難陀竜王が、観音様の蓮の花が落ちないように支えている。
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この日はもーーーーほ、ん、とーーーにものすごく暑い日で、夕方になっても気温が下がらず、たぶん34〜5度あったかなあ、湿気も凄かったので、入堂した時
「うわああああ、ホントにここで坐るんですか・・・・」
なんて、ほぼ恐怖感を覚えたのだけど、そこで・・・2炷(80分+経行10分)坐りました・・・
湿気で息も苦しく、滝のように流れてくる汗はまったく止まる気配もなく容赦なく目に入りまくるけど拭えないし・・・坐禅着はほぼ長袖だし。
こりゃあ絶対に熱中症になるな、もしくは誰か倒れるな、と思ったけど、誰も倒れなかった(笑)。
私も何とか最後まで坐ることができて、最後の放禅鐘が鳴ったときは正直ホッとしました。
↓我々が坐った衆寮
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全日程終了後に伺ったお話。
雲水さんたちが寝食坐禅されている僧堂ももちろんエアコンはなく、夏は扇風機、冬は小さなストーブ。
基本的に殺生できないので蚊を叩くことはしないけれど、手を下さないということなのか、蚊取り線香は置かれるそうなのだが(我々が坐った衆寮にも蚊取り線香があった)、数人分が寝る長い単の真ん中の床にひとつ置かれるので、両側の単に寝ている雲水さんはもう朝起きたら数十箇所は刺されているそうだ。
冬も「ストーブは暖かさを得るというより、その光を見て坐っている、という感覚です(苦笑)」と仰ってました。修行中、特に1年目は古来通りの修行を一通りしなければならないので、体力気力ともに大変な忍耐力が要ることと、また新たに尊敬と感嘆と自戒の念に包まれるのでした・・・
↓雲水さんたちのホンモノの僧堂(外単のみ撮影可)
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その後のお風呂が天国のようでした(總持寺ではお風呂の時間が1時間弱あるので、ちゃんとあったまれて足のメンテもできるし、髪も乾かせる!)
お風呂の前ではもちろん、跋陀婆羅菩薩様に合掌低頭。
担当の雲水さんは、私達の最後の1人が出るまで、その前でずっと静かに正座してくださっている。
21時、開枕(消灯)。
↓これは東司(トイレ)前にお祀りされてる烏芻沙摩明王様。
入る時と出る時必ず合掌低頭するのは、もう慣れた・・・どんなに切迫してても(笑)
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2日目、4時半振鈴。
夏場は3時半かと思ったので、ちょっと得した気分。
喜んで早起きが出来るのは、ひとえにここの朝課に参列できるという嬉しさのおかげ。
永平寺の朝課も荘厳で大好きだったけれど、總持寺の朝課は本当に素晴らしく魅力的なのだ。
雲水さんの数なのか(總持寺は180人・・現在は夏送行で150人ほど。でも朝課に全員が出るわけではないので、実際には100人くらいか?永平寺とそんなに変わらないと思うのだけど)法堂の大きさなのか・・・
読まれるお経はほぼ同じだけど、お祀りしている祖師方や守護仏も違うので、そのあたりが違ったり。
總持寺の朝課で好きなのは、大非心陀羅尼の「真読」=大悲真読。
つまりゆ〜〜っくり読み始まって、あるところまでくると急にアッチェレランドで速くなる読み方をする「大非心陀羅尼」。
きくところによると、朝課といっても日によって読まれるお経や作法も違って来るそうだが、毎月28日にはこの陀羅尼を2回繰り返すそうで、何度も聞けてお得な気分。
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いつも朝課やら法要に出る度に、聞き覚えがあるのに中身がわからなくてモヤモヤしていたのだが、最近入手した「日課勤行聖典」には殆どが載っていて便利なので、今回は持参して朝課に出るときに懐に忍ばせておいた(笑)。
もちろん基本的には私達は「聴かせていただく」立場だし、上記のように読み方にも決まりがあるので、荘厳な朝課に粗相があってはいけないから素人のワタシはお経本を掲げつつも口の中で小さく呟く程度。
実際、初めて見てビックリしたのは、2日目に読まれた「消災妙吉祥陀羅尼」。
ものすごいスピードで読んでいたかと思ったら、急に大鏧(おおきな鐘)が押鏧(余韻を消す打ち方)され、突然に訪れるなが〜い沈黙。息を呑んだ瞬間。
全員がコトリとも動かず、息もしていないくらいの静寂が続き、おそらく何秒、と決まっているのだろう、何秒かあとに鳴りもの担当の副堂和尚さんが「カチッ」と捺鏧(衣の左袖で鐘の縁を留めながら、バイ(木偏に「倍」の右)を縦に使ってカチリと打つ)を数回。
その後、突然木魚と大鏧が普通にゴ〜ンと大きく打たれて何事もなかったように再び普通に読まれる。
あとから伺ったら、これ「百八返消災咒」という読み方だそうで、本来百八回読むところを、まず10回読み、黙読のあと8回読むんだって!
このお経は永平寺の朝課でも読んでいたのだけど、私が参加した時は(永平寺では参禅者も一緒に読経した)普通の読み方だけだったから、違う日にはこの読み方もするのかしらね。

もうひとつ、ずうっと気になっていたことが今回いくつか判明してスッキリ(笑)
自分のためにメモメモ。

転読大般若(お経本をバラバラ〜〜って速くめくって「読む」アレ)の掛け声は「降伏一切大魔最勝成就」
いつも「しょうじょうじゅう〜」しか聴き取れなかった(笑)

朝課の最初のほう、般若心経なんかが終わった頃に維那(法要を牽引する司会者みたいな役のお坊さん)が使う大きくて立派な見台を殿行和尚さん(法要の設えを持ち運びする役)が恭しく幕裏から運ばれるのだが(持ち方も難しそうだし、それも歩数やどのお経の部分で畳のどこを踏むなど細かい作法が決まっているそうで、法要の花形とはいえ毎日訓練が大変だとか)その際全員が唱えているお経?がずうっと聴き取れずに長いこと気になっていた。
今回、帰宅してから聞き覚えてきた音をたよりに検索してみたら、やっと見つかった!
「オンケンバヤケンバヤウンバッタソワカ」
總持寺では伽藍の守護神とされている三宝荒神の真言でした。
殿行さんはこの真言のリズムに乗って足を運ぶのだけど、その所作がまたじつに美しいのだ。
本当に總持寺の朝課は素晴らしくて、ほんとはこれだけのために毎朝5時に聴きに行きたいくらいだけど、始発でも間に合わないのがかえすがえずも残念・・・

朝課では毎回、毛氈の上に正座し参列している私達参禅者のためにも法要してくださる。
それを肝に銘じて、大勢のお坊さんたちが左右にいらっしゃるその中央に進み出て、須弥壇の前まで行ってお焼香させていただけるのがとてもありがたく、また緊張するひととき。
お焼香の時間は朝課開始からまだそれほど時間が経っていないのだが、そろそろ危なくなってきた足をよろつかせて、それでも出来るだけ背筋を伸ばして、綺麗な合掌を作るべく肘を張って、前をまっすぐ見て歩く。

感動の朝課が1時間ほどで終わり、この日はその後すぐに瑞世という、新しくお坊さんの資格を取った方の儀式が行われた。ほぼ黒一色の法衣ばかりのなかに、白をベースに紅いお袈裟、履物も真っ赤なスリッパみたいなもの・・・という若い2人のお坊さんが、これまた白、金、赤などを身につけられた導師様に導かれて登場。
大非心陀羅尼をここで再び。
彼らはこの法堂のみならず、仏殿など山内の何箇所かをまわって同じような「報告」をするとのこと。
瑞世はどこの道場で資格をとっても、大本山のどちらでも受けることが出来るそうだ。
短い時間だったが、貴重なものを見せていただいた。
フレッシュな若いお坊さんたち、これからどんなお働きをされるのだろうか。

↓法堂の地下にある書「法堂上に鍬を挿む人を見る」
山禅師の遺偈の結句。
自己の使命に目覚め真摯に生きる人、法堂とはそんな己の心を耕す人がお参りするところだ、という意味。
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殆ど感覚が無くなった足をなんとか動かしながら、そろそろと退場。
一度部屋に戻ってから小食(朝食)。
テーブルに椅子という、修行としては極楽のような食事。
しかも色とりどりの美味しい精進料理で、朝からお腹いっぱい。
五観の偈は昨年秋に永平寺に行って以来、家で食事するときも唱えているので覚えてはいるが、あらためて文字を目にしながら唱えるとまたちゃんと惰性でなくしっかりと意味が心に響いて新鮮。
大事だなあ、食材を前に襟を正す気持ち。

それから衆寮にて坐禅。この日は全日夜より少し涼しく、危機を感じるほどの暑さは無かったので少し楽に坐れ、集中することもできた。1炷のみなのですぐに終わってしまったが、密度が濃かった。
早起き、食後ということですこ〜しだけ眠かったけど、警策を気持ちよく受けた。
(總持寺の警策、女性は特に?なんだか弱い気がしていたけど、あれは本当に遠慮なくやっていただいたほうがいい。じゃないと意味がないし・・・。警策そのものが一般人向けに軽いものだけに)

ここまでやって、まだ朝の9時(笑)。
もう二仕事もしたのに!
ここで写経のお時間。
写経は本来、禅の修行の範疇という感じではないのだけど、心を整える一環としてプログラムに入っている。
机と椅子とはいえ、いつも家で書いているのとは違って、やっぱりご本尊を目前にして書くと気持ちが引き締まる。お経の意味も少し考えながら、一文字一文字。
完成したものは須弥壇前の三宝に提出、その後納経していただけた。
数ヶ月前に写経会に来たとき願目として書いた病気治癒、今回はご供養として捧げることが出来たのもありがたく。

ここで点心(昼食)。
なんだかすぐに食事の時間が来る気がする(笑)。それだけ各プログラムに集中できているのだと思うけれど、「もう?」というわりにはちゃんとお腹が空いているのも不思議。
お部屋での休憩もゆったり出来て、今回は6人部屋だった同室の方々、それぞれのお仕事、お立場、年齢によってたくさんのお話が聞けたり、また聞いていただいたりできたのも、良かったことのひとつ。
永平寺みたいな厳しさだと(寝る部屋は三黙道場ではないので特に禁じられてはいなかったけれど)話せる雰囲気でもなく、そんな気力さえ残っていなかったからなぁ。

午後からは提唱、總持寺単頭の勝田浩之師による「禅語に学ぶ」
「知足」や「放下著」「平常心是道」など、お軸なんかでも親しみのある有名な言葉を含んだ10の禅語を紹介してくださった。
(「知足」はお茶室前で時々みかける「吾唯足知」という円形のつくばいのお話がきけて面白かった)
「知足」や「放下著」は普段から折に触れて自分に言い聞かせたり、心の支えにしたりしている。
そんなにたくさん知っているわけではないけれど、たくさんある禅語のきっとどれも「どうやったら人間、楽になれるか」ということを語っているような気がする。
本来仏である自分なのに、苦しんだり悲しんだり妬んだり、すべての「嫌なこと」は結局すべて自分の心が作り出しているだけのこと。
まあ、その「あるがまま」でいることが一番難しいんだけれどね。
禅宗の修行が、特に入門したての頃ありえないほど厳しいのは、けして「枠にはめて苦しめる」のではなく、無駄なもの、余計なものを削ぎ落としていくための方法なんだろうと思う。
その先にあるもの、目指すものが「自由」であるから、そのためにはまず「手放さないといけない」。
言うのは簡単(苦笑)
この日のどの言葉も素晴らしかったけれど
「行雲流水(こううんりゅうすい)」
これ、好きだなあ。
修行行脚する姿から「雲水」さんの元になった言葉でもある。
物事に深く執着しないで自然の成り行きに任せて行動する。
水が形を変えながら、ちゃあんと存在しているように。

他に、永平寺に参禅したこともある山頭火の有名な句
「水音の 絶えずしてみ仏あり」
「捨てきれない 荷物の重さ 前後ろ」
も、あらためて味わう。
山頭火は永平寺を訪ねて4年後に亡くなるのだけど、酒やあれこれに溺れてゆきついた永平寺ではなんと清々しい透き通った心を得たのかと、じーんとするね。
「てふてふひらひら いらかを超えた」
も好き
・・・あの大伽藍を身軽に飛び越えてゆく蝶々の姿。

坐り、薬石後に講義。
毎回一番お世話になる布教強化部参禅室長の花和浩明師。
配られたレジュメには「禅の起源と発展」という記事が書かれていたのだけれど、それに関わらず自由なお話をしてくださった。
前回「禅の一夜」の時の夜話のような雰囲気。
道元禅師が修行した中国の天童山を訪ねられた時のお話がとても面白かったのだが、現代の中国の禅寺はその頃の伝統はもう殆ど残っていず、中には阿弥陀如来様や大日如来様を祀るお寺もあるというお話にはビックリ。
天童山は道元禅師の頃1700人の雲水がいたが、今では100人くらいとか。
有名な「椎茸を干していた典座和尚の逸話」→他是不吾
をあらためて噛み締める。
河南省南泉寺の「浄慧法師」に会われたときの老師の言葉
「お寺は人の故郷でなくてはならない」
「禅というのは『日常禅』でなくてはならない」
そして、ケイ山禅師の
「たとい難値難遇の事有るとも 必ず和合和睦の思いを生ずべし」
(たとえどんな困難に直面しても和合和睦の思いを忘れてはいけない)
が、心に残った。
入浴後、21時、平安な心で開枕。

最終日、4時半振鈴。
身が引き締まる快感を呼ぶこの音も今日でお別れ。
いつもなら起きてすぐに「暁天坐禅」があるのだが、さすがに「異常気象」の暑さのため、エアコン無しの早朝坐禅は雲水さんたちにとってももはや危険の域、ということで總持寺ではこの夏、判断によって暁天がない日もあるそう。
ということで我々もすぐに朝課へ。
全日工夫が足りなくて正座の後の痺れが半端無かったので、この日はちょっと重心を変えながらトライ。
目の前の畳に、トコトコと歩くコオロギが一匹。オマエもお経をききにきたのか?
終了後は上手く立つことができた(笑)。
上記のお経いろいろに感心しつつ、お焼香。
最後に「朝のご挨拶」の時間があり、殿行さんがまた壮麗な身のこなしで立派な玉座や座布団をヒラヒラ〜〜っと並べる。
そこにはどなたも腰掛けることはないが、そのまま全員で三拝する。
そうか、猊下がいらっしゃる体で、ってことなのね、と1人で納得。
あとで伺ったら、もちろん実際に参列されることもあるとか。

朝課から部屋へ戻り、受処前にある自動販売機まで1人で来たとき、この香積台入って正面にお祀りされている、木彫りとしては日本一の大きさだという大黒様に朝のお勤めをされているのが聞こえてきた。
大黒様の隣りに設置されてある大きな太鼓、そしてたくさんの鳴りものを使いながら、10名ほどのお坊さんたちが般若心経をお唱えしている。
勢いあるリズムで大きく鳴らされる太鼓に乗って、大声で。
全日の朝課の帰りに通りかかったときは、ちょうどそれが終わる頃だったのを見たのだが、この日はちょうど始まったところだったらしい。
お邪魔になるといけないので、遠くから合掌して聴き入っていたら、1人のお坊さんが手招きしてくださったので、少し近くまで行って一緒にお参りした。
お経が一区切りし、雲水さんたちの事務的お勤めになるあたりで失礼してきたが、いい体験ができた。
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小食の後、最後の提唱は、總持寺後堂の前川睦生師による「道元禅師和歌集」
これも楽しみにしていた。
今ずっと「正法眼蔵」をチマチマと読み続けているのだけど、さすがに難しいので時々頭を休めるのに、別の書物を眺めたりするのだが、それには和歌はピッタリなのだ。
7首を鑑賞。
川端康成がノーベル賞の受賞のスピーチで引用して以来おそらく道元禅師の句で一番有名な
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえで冷(すず)しかりけり」
春夏秋冬のそれぞれが「冷しかりけり」に掛かっていることを知らないで読んでいたな。
なるほど、そうすると意味がよくわかる。
ありのまま、ありのまま。
他に印象に残ったのは、ケイ山禅師が「曾祖父の歌」として引用している
「心とて人に見すべき色ぞなき 只露霜の結ぶのみ身で」
(これという確定したものなど存在しないのです、私の身そのものが露霜なのですよ)

提唱後、最後の坐禅を一炷。
花和老師に教えていただいた、面山和尚の
「一寸の坐禅は一寸の坐仏」を思い起こしながら、感謝してだいじに坐る。

じつは暁天坐禅が無い替わりに、この日は午前の坐禅後に、予定にはなかった「作務」が急遽入ることになっていたのだが、じつは坐禅に入る前に「作務では長廊下を拭かせてくれるみたいだよ」というウワサを耳に!
なんと、あの!あの、總持寺名物「百間廊下」の作務!
雲水さんたちが朝晩の作務の締めくくりに、一周750mの拭き掃除の最後に、全員で一斉にダ〜〜〜〜〜ッと駆け抜ける、あの名物作務ですよ。
移動にいつも歩くことはできても、まさかここを拭かせていただけるとは!
一気にテンションがあがって、坐禅もヤル気満々で臨めました(笑)。
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坐禅終わってそのまま、いよいよ作務!
以前も書いたけど、この百間(180m)廊下は今では改築のため164m。
希望者だけ、体力のある人だけ(笑)ということで手を挙げたのは10名ほど。
後の方々は衆寮のお掃除へ。
渡された雑巾はあらかじめ10×30センチくらいに縫われた、普段雲水さんたちが使っているもの。
私が永平寺行きを決めたキッカケになったEテレ「お寺の知恵拝借」の作務の回、この百間廊下の雑巾がけのシーンで紹介されていた「コツ」を覚えていたので、そのとおりにやってみた。
「指を揃えてハの字に雑巾を押さえる。
腰を高めに上げて、足をすべらせないように一気に駆け抜ける。
ゆっくりやってると雑巾が乾いて拭きにくくなってくるので、なるべく急ぐ。」
もちろん最初に、指導の雲水さんが模範をやってくださる。
見事なラン!
「雑巾はあまり固く絞らず、結講湿らせてください」
なるほど〜
2名ずつ並んで、前の人との距離が少し開いたところで「ハイ、どうぞ!」とスタートの合図。
坐禅着の袴のままでしなくてはならず、前裾を踏んでしまって難しかったけど、途中3回くらい止まりながらもなんとか終点まで到達。
あれだけピカピカに見える廊下なのに、雑巾は結講黒くなった。
外に面した渡り廊下、砂や埃が常に入ってくるからそれも当然。
「何度拭いても汚れるんですよ」と笑顔の雲水さん。
掃いても掃いても降って来る落ち葉、拭いても拭いても汚れる廊下・・・それを毎日毎日、何回も同じ作務を続ける。
怒らず、ただ目の前にあることに専念するという修行。
「廊下を拭く、ということだけでなく、自分自身を拭くつもりで」
作務終了後、僧堂前に全員集合し、雑巾を横ふたつに折って足元に置き、指導役の「おっつかれさまでした〜!」の叫び声に続いて「おっつかれさまでした〜!」と大声で言って「解散っ!」「ハイっっ、失礼しますっっ!」も、テレビでやってたのと全くおんなじ(笑)
百間廊下の作務、今回の講習の一番のお土産でした!

後片付けや身支度をして、大広間に集合し、簡単な修了式があった。
花和師の簡単な感話と、一人一人に記念品を手渡してくださる。
「禅の風」の總持寺特集号や、現禅師様による「静寂」の限りなく直筆に近い(笑)コピーの色紙、寺紋入りのサラシなどのお土産を頂き、嬉しかった。
大変なお世話をかけた係の雲水さんたちにも御礼を申し上げてお別れ。
その後1時間ほどの山内観覧も再び楽しませていただく。
案内の雲水さんが変わると、また違うお話も聞けて楽しかった。
たとえば・・・
放光堂のご本尊がなんと阿弥陀様である146.png
香積台入り口の大きな杓文字とすりこぎは、それぞれ「熱いご飯に身を投じるように、人々に尽くす」「身を削って精進する」という意味。
大火災によって能登から鶴見に移転することとなった總持寺の、伽藍の建て方、植物の植え方、延焼を少しでも減らすための百間廊下の意味(一文字廊下ともいう)。
2年目とかになると用事を頼まれて1時間だけとか鶴見の町に出ることもあるけれど、その隙に遊んだりなんてとても無理だし、もしやってもすごい罰を喰らうのでやらない(どんな罰かは教えてもらえませんでした・・)。
上山してすぐ就いた「鐘洒」という山内じゅうの鳴りものを担当する係のとき、立って打つべき鐘を膝立ちの姿勢で打ってしまい、クビになりそうになったという思い出話とか。
今の總持寺では、僧堂での就寝時、布団を三つ折りにして紐で縛りその中に潜って寝るという方法ではなく、普通に持参した布団を単に敷いて寝ている、とか。
そして、同じ年に上山した同安居の仲間たちは18歳、23歳、30歳・・年齢も色々だけれど、修行中一番の楽しみといえば、彼らと一緒に日々修行に励めることだ、と。
何よりもそれが一番楽しいと。

訪ねるたびに思うのです。
御老師さまたちのお話や講義は本当に素晴らしい。
けれど、いつも目の当たりに直接感じるのは、若い雲水さんたちの姿勢と眼差し。
感動、尊敬、自省と自戒、清々しい思い。
ときどきは行って、自分を拭くことを思い出そう。
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by saskia1217 | 2017-09-07 02:56 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(1)
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えーと・・・
弾いてません(笑)
8年間を過ごしたヴュルツブルクの街について、モーツァルト音楽祭について、楽しくトークさせていただきました。
番組に演奏で出演することはあっても、トークゲストは2度目です。
滑舌とか大丈夫だったかよくわかりませんが(笑)

プログラムは、今年の音楽祭初日にレジデンツ・カイザーザールで行われたフライブルク・バロック・オーケストラのコンサート。
指揮は、私が帰国直前の1年間同僚でもあったヴァイオリンのゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ。
当時まだ30代だった彼は、ひょろっと背が高い、鳥の巣みたいなもじゃもじゃヘアスタイルの(笑)フレッシュな音楽家で、いつもヴァイオリンをそれはそれは楽しそうに、まるでダンスするように弾く方でした。
今回久しぶりに(指揮ではありますが)その音楽を聴いて、あの頃の瑞々しさに加え、落ち着きのある音楽作りも感じられてとても楽しみました。

2時間番組とはいえ、限られた時間のなか、ヴュルツブルク愛を語るにはさすがに短かったのですが、街の魅力をお伝えできれば幸いです。
平日の真っ昼間ですが、もしお時間あったら是非お聴き下さいね。

NHK・FM「ベスト・オブ・クラシック」
特集「ヨーロッパ夏の音楽祭2017」第1回 ヴュルツブルク・モーツァルト音楽祭より
フライブルク・バロック・オーケストラ演奏会

ハイドン「交響曲第70番」
モーツァルト「5つのコントルダンス」
歌劇「ポントの王ミトリダーテ」より「愛する人よ、あなたから遠く離れ」
歌劇「羊飼いの王様」より「穏やかな空気と晴れた日々」
モテット「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」
交響曲第38番「プラハ」

ソプラノ/クリスティーネ・カルク
指揮/ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ」
フライブルク・バロック・オーケストラ





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by saskia1217 | 2017-08-01 18:32 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

あの人の字

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「あの人、こんな字!〜歴史上の人物たち・日本篇〜」
マゴマゴしてるとまた会期逃しちゃうので(笑)開幕早々観てきた。

書道博物館久しぶり!
いつ来てもシーンと貸切状態、またはひっそりじっくりゆっくり観る人がポツリポツリ…なのがこの博物館の素敵なところ、大好きな場所💕
(ま、最初に知ったのはエレカシ宮本さんのラジオでのトーク「なんかねー中国のよくわかんないすごい硯とかいっぱいあるんですよー」だったわけだが😅)
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お目当ては空海、逸勢、嵯峨天皇のお三方、あと大好きな東風…だったのだけど
意外なものに出会えたり惹かれたり。

最近知った江戸時代の僧・慈雲の作品をはからずもみつけて、その「カッスカス」の掠れ具合に自然体を感じたり(「動揺揚古路(日常生活に真実を発見する)」はその柔軟で大らかな教えを彷彿とさせる)
藁の茎を束ねた「みご筆」というものを愛用していたそうで、そうか、昔から筆って毛ばかりじゃなかったのね😉

「貸してある鷹を返してくれ」という用件のみ簡潔な書きっぷりが気短かさも感じさせる信長、対照的に、墨が少なくなってもバサバサせず落ち着いた品の良さで字をまとめる伊達政宗…
主君浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介を切りつけた事件を、大石内蔵助宛てに緊急に文に認めた赤穂藩士の書は、美しい書体ながら段々と行間が乱れてくるのに鬼気迫るものがある。

すっっっごく僭越ながら私の字にちょっと似てる!…というか傾向がね、理想のような?とびっくりした細井広沢(こうたく)の書。

あたたかい句とともにやさしい絵もかかれ、署名の横に小さく「画も」と書き添えられたのが可愛い小林一茶の作品。

小野道風の「秋萩帖」はウットリ何度も観に戻る。
ほんと、やっぱり大好きだぁ😍
いつまででも見ていられる…

空海さんのは、あの益田池完成の際の碑銘の模本の法帖。あのフシギな書体。見れば見るほどオモシロイ。
ほかに伝とされる「隅寺心経」は緻密でかっちりと揃った文字が少し意外。
その空海さんの流れをくむ大師流を学んだ真言僧・松花堂昭乗の書は良かったなぁ。

でも今日一番感銘を受けたのは、最澄さんの「空海請来目録」
空海が唐から持ち帰った品の目録で、オリジナルは東寺にある。
スッキリと端正で緻密で、連綿ないのに流れていて動いていて。
ただの品物の羅列のはずなのに、何かを訴える書状のような血の通った叙情さえも感じる。
なんだろう、空海への眼差しだろうか。
細かくみていると、恵果や空海の名も目に入る。「海」の字のサンズイが「水」の形で「毎」の下に書かれていたのがおもしろかった。

石碑や刻石、墓誌や仏像、また青銅器や甲骨文、硯などがある本館の常設展は今まで何度か観てきて同じ展示なのだけど、仏像や鰐口、磬、香炉、瓦経などは今みると一段と面白く興味深く楽しめた。
仏像のところに貼ってある「触っても御利益はありません」「触らないの、観るの!」て注意書きがいつも笑っちゃう。
つい撫でちゃうんだね、人間(笑)
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しかし。
昔の人はほんとみんな素晴らしい字を書かれるのだなぁ。
お坊さん、文人はじめ、総理大臣、政治家も!
突然訪ねた相手が留守で、後日「お目にかかれず残念、奥様にお会いし用件言付けました…云々」などというちょっとした日常の計らいや、正岡子規が大親友中村不折の結婚の際に「すこしばかりかつおぶしを」と贈った添え状…
今ならまず手紙は書かないであろうシーン、会いたい時にすぐ会えなかったり、用事が伝わらなかったり、すこしばかりタイムラグのある時間の流れ方を思うとき、時間がかかっている間に自分の気持ちが整ったり、相手のことをおもったりできたんじゃないかなー
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なーんて思ったりして、ゆーっくり帰路についたら、なんと早速電車が事故で運転中止。
にやにやしながら、歩いたり別の線に乗ったり…結果、根岸薬師寺の名残にぶち当たったり、思いがけないランチにありついたり、朝顔市に行き当たったり。
日々冒険、すべてはお引き合わせ、ご縁だね。
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by saskia1217 | 2017-07-04 19:44 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

さくひんてん

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石とか枝とか〇〇とか××とか…
何で書いたの〜?
って会話で埋まる神楽坂パレアナ

何で書いても
いつ見ても
どこで見ても
誰が見ても…
どんな気持ちで観ても
有吾さん

わたしはスプーンで書きました
ひさしぶりの神楽坂
いろんな想い
やっぱりうれしくてなつかしい
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by saskia1217 | 2017-06-28 19:34 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!


by saskia1217