静寂と力と日本人

午後テレビをふと付けたら、見覚えのある舞台の景色。
能舞台の中央に四角い作り物、そこに挿されたススキ。
能「井筒」だ。
しかもつけたときにちょうど
「筒井筒〜、井筒にかけし、まろがたけ〜〜」
と、有名なところ。
伊勢物語からの出典だ(ちょっと変わってはいるんだけど)。
今日のは宝生流。
あ〜、はじめっから観たかった!

お能が大好きだ。
そんなに頻繁には観に行けていないが、伝統芸能の中で何か一番好きかと問われれば、やはり一番はお能だろう。
生まれて初めて観たのが、この「井筒」だった。
ピアノ科時代の大学の授業「日本音楽史」でこの作品を習い、全く未知だった世界にいたく感動したんだった。能管、大鼓、小鼓などの楽器もすごく魅力的だったし。
授業で謡本を詳しく読んでから観に行ったので、かなり楽しめたのを覚えている。
お能の間に挟まる狂言も好きだし、なによりも「能舞台」という自分には非日常的な空間に惹かれたなあ。

お能の音世界のなかで繰り返し訪れる「静寂」。
それは、言い古されているごとくたしかに「日本文化特有の魅力」なのだけれど、例えばチェンバロのレパートリーでは非常に重要な位置をしめる、フランスバロックのノンムジュレ(拍子のない)プレリュードなどに、私は非常に近いもの、同じものを感じることがある。
タメ、放出、停止、静寂・・・おんなじだなあ、と。
それは私が日本人だからだろうか?

音楽家としての存在意義として、私が最も強く信じるのが「日本人の自分にしかできない音楽」だ。この「音楽」はなんでもいい、バロックでも古典派でも、あるいはクラシックでもポップスでも・・・。
昔、私のクープランのCDを推薦盤にしてくれたドイツの音楽雑誌が書いた批評の最後に、こんな印象的な一文があった。
「すでに多くの日本人アーティストのバロック音楽の録音にもみられるとおり、ここでもまた、様式感の弾き分けの確実さにおける文化的国境の確かな克服が感じられる。そしてそれは、何人かのヨーロッパ人にはただ夢見ることしかできていないのだ。」
この録音はたまたまよく出来ていて、そしてたまたまこの批評家に気に入ってもらえたのだろうが、この一言は私にとってそれは大きな力となった。やっていてよかった、自分の信じてきたことは間違っていなかった、そして日本人のアーティストとして出来ないことなど何もないのだということを、あらためて信じることができたのだ。
もちろん、これは逆方向も同じこと。

国境はあるのだ、たしかに。
そして越えられないものもたしかに存在する。
当たり前だ、「違う」んだから。
でも、私たちにできることはきっと、意外と自分たちが思っている以上にあるような気がする。
力まないで、でも・・・

「胸を張ってでかけようぜ!!」

日本人、素敵。
日本人でよかった。
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by saskia1217 | 2008-11-08 19:00 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

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