思い出すこと

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長野県の小諸には、私のお気に入りの宿がひとつある。
以前はよく友人などと訪れたのだが、ここ数年は残念ながら行く機会がなく、残念に思っている。
その小諸に行った時に私が必ず足を伸ばす場所がある。
しなの鉄道で小諸駅から5つ乗ると、上田駅に着く。そこから車で約20分、小高い丘の上にコンクリート打ちっぱなしの十字架の形をした僧院のような建物がぽつんと建っている。

「無言館」
戦没画学生慰霊美術館である。
もう10年ほど前になるだろうか、初めて小諸を訪れたときにはこの美術館のことを、私は全く知らなかった。一緒に行った知人が「以前から行きたかった」ということで、連れられていったのだった。上田駅からタクシーに乗り込み、まず「信濃デッサン館」(夭折画家による素描作品を展示した美術館)をたずね、そこからススキの中の道を歩いて「無言館」に向かったのを覚えている。

1997年に開館したこの小さな美術館に展示してあるのは全て、太平洋戦争で戦死した元画学生や、絵や彫刻などを志していた若者たちの作品。その多くは東京美術学校(現・東京芸大)出身だが、他にも多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)や工科学校出身、あるいは独学で絵の勉強をしていた人など様々だが、いずれも享年は20代後半から30代はじめ。出征直前まで描かれ家族のもとに残された作品、実家に残され戦後遺族の方が大事に保存されていた作品、中には未完のものもある。
静謐な空気に包まれ、自分の足音が耳に痛い空間で私たちが見るのは、どれも心いっぱいに描かれ、作られ、そして残された、「無言」だがしかし「多くを語る」物的証拠。
戦争で命を落としたすべての人たちの「何か」を、たまたま画学生だった彼らの作品がここに展示してあるということだけで、奇しくも、そして残念ながら「表現する」ことになってしまったことになるのだが。
なかなか言葉にはできないものを感じることのできる、貴重な空間だ。
信州に行かれた際には是非立ち寄ってみていただきたいと思う。

私は子どもの頃から、疎開させた子どもたちに遠く心を砕きながら苦労した祖母、また食卓につけば「ふすま」の入ったすいとんや、もはや見るのも嫌だったさつま芋の話を折りにふれてしてくれた両親を身近にもって、直接経験こそしていないが、まだそれをかなりリアルな光景としてギリギリ想像できる。そんな世代である。
私を含め、「体験していない」人が増えていくのは当然のこと。むしろそんな経験はないほうがいいに決まっている。でも「知らない」人は、もう増えないほうがいい。

8月15日。
今日は、62回目の終戦記念日。
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Commented by 馬酔木 at 2007-08-15 23:55 x
今日という日にふさわしい話題ですね。体験者に物故者が増えて行くことで、戦争体験が風化していくことを恐れます。(「原爆はしようがない」とか言明してしまう某閣僚もいたりする国だから…) 娘には夏休みの本の一冊として『ガラスのうさぎ』を与えました。私も非体験者ですが、語り伝えることは途切れないようにせねば、と思います。
Commented by mjfh0916 at 2007-08-16 23:09 x
九州では毎年夏になると学校で平和授業を受けます。8/6は登校日、修学旅行も長崎や広島で、生々しい体験談や写真の数々に胸がつまり、正直夏がつらかった多感な時期でした。そして、知ることの重要性もまた否定できないと思いました。
宿題も登校日もない今の子供たちの夏休み、親の役割の重さを痛感する日々です。
by saskia1217 | 2007-08-15 17:55 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(2)