再現芸術という仕事

数日前のことになるけれど、この前の日曜日、とある講座でお話をする機会があった。
ピアノを勉強する学生さんや卒業生、趣味で弾く方たち、ピアノを教えている先生達などの集まりで、テーマは「バッハ」・・・だったのだが、チラシには「バロック時代の鍵盤楽器演奏への提案」という立派なタイトルがついていたのですね(驚)。

会場になった埼玉県内のとある小さなホールには、グランドピアノと共に、堀栄蔵氏作の常設のチェンバロがあり、今回は珍しくその2つの楽器がステージに並ぶことになった。サンプル演奏をして下さる方たちにはピアノを弾いてもらい、それを土台に私がチェンバロで音を出しながら、いろいろとお話する、という形式。

とは言っても、実はそれってとっても難しいのだ。
チェンバロとピアノは全く別の楽器であって、そしてそのどちらもが素晴らしい楽器で、その上そのどちらもバッハを弾いてみると素敵で楽しいわけで・・・実はそれ以上のことは何も言うことができないんですね。
でも、そんなことを言っていても実践の場では始まらないわけだし、事実こういう会が催されるということは、ピアノを弾いたり教えたりしている人たちが、バッハやバロック時代の曲に関わる時に実はいろいろと悩んだり困ったりしているからなのだろう。

私もず〜っとピアノを弾いてきたので、そういう悩みはよくわかる。
「装飾音はどうやって付けるの?」「繰り返しの時は何か変えなきゃいけないの?」「八分音符は全部切らなきゃいけないの?」「ペダルは使っていいの?」・・・・・・etc. etc.

私個人の考えはこうだ。
どんな時代の曲でも、それが現代に限りなく近い場合以外は、大抵その当時のその地域の人たちが、どんなふうにそれを弾いていたか、なんてことは絶対にわからない。・・・とか言い始めると、そんな段階以前に「その曲が作られた時弾かれたように弾かなくてはいけないのか」という、究極の疑問にぶちあたってしまうわけだが。
でも、どんな場合でも、「その時にその楽器を弾いていた人たちはがどんな習慣に従って弾いていたのか」については、可能な限りたくさん調べて知っていたほうがいいと思う。その点、現代はおびただしい数の書籍や、ネットの普及によって、考えられないほどの情報が一瞬にして手に入るようになった。自宅にいながらにして、世界中の最新の研究もホットなうちにすぐ知ることができる。遅れずにそれについていくことが、もはや大変な時代になった。

演奏なんて結局のところ、最後は演奏者の「好きなように弾けばいい」んだし、つまり「何でもあり」なのだが、そういう「様式」を知って弾くのと知らないで弾くのとでは、やっぱりその曲の「居心地」が違ってくるんじゃないかな。
音楽学生が学校で勉強することはもとより、音楽にかかわる人たち全ての仕事は結局、この「様式」の追求なのではないかと思う。

ある状況、ある条件の中で作られた音楽は、そこに帰してやることで生き返り命を吹き返すのではないだろうか。
ちょうど、美味しいお酒や地域の特産品が、その国その気候のなかで味わってこそ一番美味しいのと同じように。
そして、生まれ故郷に帰った人間が生き生きとした表情になるように。
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Commented by ふいご屋 at 2006-04-07 21:33 x
「様式」を真に深く確実に捉え、その上に音楽を構築するならば、使われる楽器が何であろうと関係ないのでは、と強く思える、そんな演奏に接することがありますね。
先月足を運んだHさんのオルガンリサイタル。某ホールの巨大な、ばりばりモダンなオルガンで、最初に弾かれたのがティトゥルーズ。あの楽器であのルネサンスの音楽が一体どのように紡ぎ出されるのだろうと固唾を呑んでいたら、最初の一小節を聴いただけで、すぐにぶっ飛びました。それから後は、もう楽器のことなど意識の外。
今年聴いたコンサートの中で確実に五指に入るであろう、強く印象に残るものでした。
Commented by saskia1217 at 2006-04-07 23:44 x
そのコンサート、とても伺いたかったのですが、仏語会話レッスンのために涙をのんで諦めたのでした。やっぱりさぼって行けばよかった・・・残念。
by saskia1217 | 2006-04-07 00:54 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(2)

今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!


by saskia1217