ことば
2006年 03月 26日
昨日までブリュッセルで行われていた、EU首脳と労使代表たちによる経済会合でのこと、フランス人のセリエール欧州産業連盟会長が、演説の途中でフランス語から英語に切り替えたところ、フランスのシラク大統領が怒って退席したという。
シラク大統領は「フランス人がEUの場で英語を話したのでとてもショックだった。聞きたくなかった」と言ったらしい。
フランス人のこうした考え方やリアクションは、そう珍しいものではない。フランスばかりでなくヨーロッパの各国では、若い世代を中心に自国語の中に英語を交えることが非常に多くなっているが、なかでもフランスの「自国語を守ろう」という傾向は、特に国をあげてすごいものがある。どこの国でも同じだが、自国の文化や言語を誇りに思い、それを守ろうとする意識は特にフランスでは非常に強い。例えば広告にはフランス語以外の言語の使用を法律で禁じているし、文化省を中心に若者の「アメリカ化」を嘆き、フランス語を守ろうというアクションが多々ある。
なかでもシラク大統領はかなりこの問題に敏感に反応するイメージがある。彼の言い分はわからないでもないが、でもまぁ今回の「事件」の場合、複数の国々が同席する中での振る舞いとしてはいささか子供っぽいというか、一国の指導者としてどんなものかなぁと正直思ってしまった。(もっと可笑しかったのは、ドイツのメルケル首相が「彼はトイレに立ったんだと思ったわ」と微笑んでいた、というフランスヤフーの記事だったけど・・・)
もちろんフランス語は英語とは別の意味で最も「国際的」な言語であり、世界中で公用語として主要な位置を占めている。オリンピックでは必ず使用されるほか、国際郵便など、公式の言語として非常に重要な役割を果たしている。
でもセリエール会長の主張である「いくつかの国の代表が集まる、特に「ビジネス」を扱う国際的な会議では、英語を使うのが当たり前だ」というのも十分納得できるし、共感できる。
今日午後のフランス語のクラスで、たまたま私はこの話題を切り出してみた。フランス人の先生は、シラクの振る舞いを全面的に肯定できないとしながらも、今やフランス語(自国語)が英語(正確には米語)に浸食されている現実には実際非常な危機感を覚える、とおっしゃっていた。日本をはじめ、世界中が「アメリカ化」されていくなかで、言葉まで乗っ取られてしまうことはすなわち「魂を乗っ取られる」ように感じるのは事実だろうと思う。
そういえば最近、若い世代になればなるほど、自国語の「語彙」が減っていくように思う。言葉は時代とともに移り変わり、あるものは消え、新しいものが生まれる、それは自然なことだし止めようもなければ止める必要もない。けれど、ある感情を表現する言葉(語彙)がそれぞれたった1つか2つくらいに狭められているように感じるのは私だけだろうか。逆に、何をあらわすのもある1つの言葉または表現で済ますようになった。(例えば「やばい」は今や、「美味しい」「かわいい」「嬉しい」「めでたい」「どきどきする」「美しい」「素晴らしい」etc. etc.・・・・の全てをあらわすようになってしまった)
文部科学省は「わかりにくい外来語をわかりやすい日本語になおす」アクションなどを起こしているが、それよりも先になんとかもっと、この日本中に溢れかえる「よくわからない日本語」を元の生き生きした色とりどりの世界に引き戻してもらえるような、いい案を出してくれないかな〜と思う。
こちらへ伺うと、表現を生業とする方の文章にハッとしたり感心したり、ある分野に秀でた能力を持つ人は、何事にも通じているのだと感じます。色とりどりの日本語の世界、、、ステキです!