他不是吾〜永平寺参禅・初日〜

福井って遠いんだな・・・
仙台や大阪感覚で新幹線に乗っていた私は、米原で特急に乗り換えた時点でそんなふうに思った。
参禅が始まったら携帯やカメラは没収なので、出て来たときに写真が撮れるようバッテリー節電のためにもう行きは携帯の電源を切っていた。ということで、左側に見えた大きな水面が琵琶湖かどうかも確認できない(笑)。
福井に10時に着き、ベンチの端に恐竜オブジェが座ってたりする構内を眺めつつ、永平寺行きのバスまで50分を身支度や休憩に当てようと思いながらバス案内所まで行くと、土曜日なのでそれより早い臨時便が出るという。
早めに行ってあっちでゆっくりするか。
乗客が6人くらいしか居ないバスは、お蕎麦の白い花が散らばる田園風景の中を走り、川を渡り、途中遺跡のようなところの停留所に止まる。
おお、これがあの一乗谷朝倉氏遺跡か!!
「あ〜遺跡〜!!見たい、見たいよ〜(涙)」と思いながら窓からアレコレ凝視。
お客さんは殆どそこで降りてしまい、私とあと1人を乗せたバスはもと来た道へ引き返し、どんどん山の中へ入ってゆく。登る登る。坂がきつくなってくる。
駅から40分くらい走って、緑深い景色の中に突然町並みが現われる。
永平寺町、門前町だ。
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降り立って、ちょっと感慨に耽りながらまわりの山をキョロキョロ、しばしボーッと。
向かいのお土産物やさんの人が割引券を手にしながら「お寺はあっちですよ!」と笑顔。
言われて我に帰り、まっすぐに昇っていく坂道を上目指して歩き出す。
左右にはお土産物、旅館、食堂などが並ぶ。売っているもの、食べられるものはどの店もほぼ同じ。
蕎麦、胡麻豆腐、そして民芸品や「禅」の文字のTシャツ・・・
ソフトクリームやコーヒーを売る店は一軒ずつだったかな。

集合時間13時までほぼ2時間、さてどうしよう。
永平寺にとってとても重要だという地元の白山神社(白山権現はもと合祀、だから今でも雲水さんたちは白山登山をする)に行きたかったけど、道をきいたら少し戻らねばならない。それよりゆっくり肉でも食べておいて(笑)、最終日お天気悪いと嫌だからお寺の中を先にゆっくり見ておこう、ととにかくお寺へ。
門前すぐのお店でソースカツ丼。丼、にしてはかなり上品な盛り(笑)。
お蕎麦のセットは多いかな〜と、なんだかちょっと控えめな気分になり。
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さあ!
来た!
ほんとに来てしまったよ!

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そう、ここは「道場」なのだ。
ここに立ったときは、なにか本当に
「たのもうーーーっ!」
って気持ちだった。
中で何をするのかも、まったくわからないまま。
とにかく前へ、中へ!

ゴロゴロを引きずりつつ門を入ると、左右の緑に息を呑む。
土曜午前中で観光客もソコソコいたけど、何も気にならないくらい壮大な緑。
自然と呼吸したくなる。
緑、水。
のまれる。
すごい。
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右手に流れる川の向こうには、いくつかのお社。
天照大神宮、本山鎮守白山権現の鎮守堂、そして金比羅様。
お寺には必ず神社、神社には必ずお寺・・・その密接な関係が、日本ならではの心が、まだ伝わる。
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おお!
テレビや雑誌でしか見たこと無いこの「ザ・永平寺」な唐門。
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そして、菩薩様が静かに座る美しい池。
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さあ、そうこうするうちに集合時間まであと30分。
ちょっとでも遅刻は許されないと言われているのでまだまだ緊張して、いざ通用門から入場。
トランクを持ってえっちらおっちら。
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3日後ここを出て来るとき、いったいどうなっているんだろ、とちょっと思いながら。
大きな荷物を持ってひとりでやって来る人におそらく声をかけて下さっているんだろう、こちらが何も言わないうちに「参禅ですか?」と受付の前に立っていた年配の女性の声が。
案内されるまま、参拝客とは違う入り口から下駄箱に靴を預けて名前のチェック。
よく磨かれた床をゴロゴロひきずるのは憚られ、手に持ったままそのまままっすぐ総受処へ。
たくさんのお坊さんたちが整然と事務作業をしている大きな総合受付。
「参禅受付」と大きく書かれた受付で名前の確認、参加料の支払い。
私は、両親から預かってきた瓦志納があったので、そのまま専用受付へ。
若いお坊さんが10分ごとくらいに、よく通る声で呼びかけも。
永平寺は雪深いので毎年多くの瓦を取り替えなければならず、そのために随時瓦のための寄付を受け付けている。
ちなみに、一口千円以上を納めると記念品(永平寺の文字入り数珠、経本、冊子)を頂け、さらに毎朝のお勤めで先祖代々の供養をしていただける。

これからどれだけ体力を使うのかわからないので(笑)集合場所で静かに待とうと、指定場所のソファで備え付けの雑誌や写真集などを見ながら待つ。道元のことや、坐禅の作法など、この間にプチ勉強ができた。
荷物を持った参禅参加者たちが集まって来る。皆緊張しているのか、お互いに声をかけることもせず、ただ淡々と待っている。こんなときいつもなら隣りの人に話しかけるタイプの私も、さすがにそういう気持ちにはなれなかった。13時、参禅係の修行僧さんたちが迎えにやってくる。
許可証の提示と名前の照合、そして男女別に整列してその同じ建物(受付や売店、そしてすべての研修施設のある吉祥閣という鉄筋コンクリート4階建ての大きな建物)の4階まで昇る。
ちなみに研修中、私たちはエレベーターは禁止、すべて階段。
これから4日間寝る控え室(男女別、何畳くらいかな、9人分の布団しいて一杯くらい)にまず荷物を置き、用意された着物&袴にすぐ着替える。素足。振鈴(起床)から開枕(消灯)まではいつもこの服装でいなければならない。
10分後に隣りの広間(集合して説明や研修の時はここ)に集合。
まず財布など貴重品、腕時計(必要ないので)、化粧品(メイク禁止)、携帯電話、カメラを袋に入れて預ける。
用紙に動機などを書き、スリッパに付ける名札を書く(つまり・・・ヒドイ脱ぎ方したり、他の場所に行ったりしたらすぐ誰だかわかるのだ)。

今回は男性9名、女性9名の計18名。だいたいいつも20人までくらいらしい。
中にはキャンセル待ちで前日に参加決定した方も。
さて、そこから夕方いっぱい、今度はまず山内のお作法をミッチリ教えていただく。

参禅係というのは永平寺内にある何十という部署のひとつで、我々のような一般人の参禅者の受付から面倒から指導までを一手に受け持ってくださる係、当然ながら修行僧さんたちがその仕事にあたる。今回私たちを指導してくださったのは6人の修行僧の方たち。
詳細はわからないけど、たぶん会社のように各部署の一番上には経験を積んだ先輩の(おそらく位もちょっと上の)お坊さんが束ねたりしているのだろうな。
「日本曹洞宗第一道場」である永平寺といえば有名なのが修行僧さんたちの存在だけど、昨今の大学と同じで近年は数も少し減ったそう。ちょっと前は200人くらいで今は150人ほど。全国の曹洞宗のお寺の跡継ぎがやはり多いらしいけど、そうでない方もいる。20歳前半(大学でてすぐ、など)で上山する場合など、圧倒的に若い方が多いけど、かつて60歳過ぎていらした方もいたときいた。
修行期間は最低で約2年、修行の区切り、いつ下山(あさん)するかは本人に任せられているらしい。地元に帰って実家のお寺を継ぐ方、ひきつづき他のお寺で修行を続ける方、または10年20年と永平寺に残りそこでだんだん上の位にのぼっていく方。

そう、山内でのお作法。
三進退=基本の作法(手の位置は必ずこのどれか、ということになる)
叉手→左手を親指を中にして握り、右手を中指の第二関節が合わさるようにしてかぶせ、みぞおちのあたりにつける。歩く時、立っている時、とにかく手をブラブラさせていることはあり得ない=怒られる
合掌→指をきちんと付け肘は直角に近く張り、合掌した指先が鼻の高さ、顔との距離は拳一個分。高さが変だと注意される
法界定印→座っているときの作法。左手が上、右手が下で、手のひらを上にして重ね、両親指を付かず離れずくらいに触れさせる。綺麗な栗や桃みたいな感じに形づくり、汚い形に崩してはいけない。坐禅中もこれ。足に気を取られて形が崩れると直される
※「合掌低頭(ていず)」「叉手低頭」もよく使う(90度頭を下げる)
三拝(五体投地)→合掌してすぐにひざまずいてから上体を前に倒し、頭を地につけて両手の平を上にして耳の高さまで平行に挙げる。よく「ゆく年くる年」の除夜の鐘で、ひとつ打ったらやってる、アレ。お鈴が鳴ったらすぐ行い3回続けてやるのでかなり敏捷にやらないと遅れる。衣や袴の裾が長いと立つ時にコケるので注意。毎朝の朝課(法要)や、朝礼(朝の挨拶)で行う。
山内は左側通行、歩く音は静かに(袴にスリッパは慣れるまでなかなか難しい)。
私語厳禁(特に三黙道場と言われる「禅堂」「浴司(浴室)」「東司(トイレ)」はゼッタイ)
スリッパを脱いだらいつもキチンと壁側に先がつくよう揃える、他人の分も揃える
部屋(東司、浴司、洗面所などすべて)を出るときは電気は必ず消す
使ったものはすぐ元へ戻す
集合時間は厳守(部屋に大きな時計はある)
東司&洗面所前に祀られている「烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)」には、入る時と出る時必ず合掌低頭
浴司に祀られている「跋陀姿羅菩薩(ばっだばらぼさつ)」にも、入る時と出る時必ず合掌低頭
山内の各箇所を横切るときの合掌低頭(山門で、上の仏堂中央にいらっしゃるお釈迦様に向かって。階段途中で反対側に当たる承陽殿の道元禅師の御真廟に向かって。大庫院前の韋駄天に向かって・・・)
お経本(研修中に2種のお経が貸し出される)は必ず押し頂いてから両手で扱い、袱紗は左右の順に閉じ開けるときは反対。部屋では必ず棚の一番上に置き、運ぶときは必ず袱紗のまま懐に入れる。

・・・キリがありません

そして、今度は坐禅のやり方や禅堂内での作法を教わる。
禅堂には左足から入り、真ん中にいらっしゃる文殊菩薩様に合掌低頭。
自分の単(畳半畳の自分の坐禅スペース。高さは結講ある。入堂した際にはすでに単の上に各自の名札(単票)がかかっていて「ああ、今日から本当に自分はここで座るんだな」という実感が湧く。ちなみに「単位」の「単」はここからきている。修行僧は「座って半畳寝て一畳」という個人スペースで修行生活を送る。布団を敷て寝るのも同じ場所。彼らは布団のしき方のお作法もスゴイんだろうなあ・・・)の列に入るまえに低頭、自分の単の前で隣位問訊を横の人と合わせて。
右から180度回って通路向こうの人と対座問訊。
また180度右へ回って壁に向かったら、自分の坐蒲の形を整え白い札を向こう側にしたら、牀縁(じょうえん=単の縁にある木の部分。食事のときはここをテーブル代わりにして応量器を置く。)にお尻を付かないように後ろ向きに坐蒲に飛び乗る(これが難しい)。
足を牀縁に付けないよう半跏趺坐を組み、左手を床に伸ばして履物を揃え、石段の縁に綺麗に立てかけ、180度坐蒲ごと回って壁に向かう。
足の組み方を整え法界定印、「欠気一息」(大きく吐いてから大きく吸う)から、両手のひらを上に向けて左右の膝に乗せ「左右揺振」(身体を左右に大きく揺らして段々小さくしながらちょうどいいところを捜す)。
座り方は道元の「普勧坐禅儀」とおり、結跏趺坐または半跏趺坐。
座っている時間が比較的長い曹洞宗では(基本の単位はお線香1本が燃え尽きる時間・一炷=40分)半跏趺坐のほうがいいとなっているともきいた。
ここで初めて「面壁(めんぺき)」という「準備できました」状態、つまりまだ坐禅は始まってない(苦笑)。
例えば「3時30分面壁」という指示であれば、25分には禅堂に入って以上の作業を全て終えてなくてはならないが、かといってあんまり早く入ってしまうとそれだけ足を組んでる時間が長くなる、ってこと。
(←これは非常に良くない考え。煩悩まみれ!だけど事実でもある・・)
堂頭(どうちょう=坐禅の監督係のお坊さん)が来て検単(全員がちゃんと座れているか)後、「止静(しじょう)」で釣り鐘が3回鳴らされて坐禅開始。
「警策(きょうさく)」は自分から受けても、堂頭から受ける場合も。ただし今回はあまり向こうから、は無かった気がする。咎めや罰ということではなく、励ましの意味。自分で自分を励ます、または励ましてもらう。
坐禅の終わりは「放禅鐘(ほうぜんしょう)」終わりの時間が近づくと、堂頭の修行僧さんが歩くのを止め警策を置きに行く音がし、御簾が上げられ、鐘を打つ槌を手にとる音がかすかに聞こえて来る(笑)。これが毎回、どんなに待ち遠しかったことか(←ちなみにこれもものすごい煩悩・・・だそうです)
続けて何回も座るときは、その合間に「経行(きんひん)」という「歩く坐禅」の時間があり、単から降りて皆で長方形になって同方向に半歩ずつゆっくりゆっくり歩く。
「抽解(ちゅうかい)」は禅堂から出て東司(トイレ)に行ったりしてもいい休憩。
例えば、40分座る→経行→また40分座る→抽解→さらに40分座る、みたいな感じ。

そして坐禅に加えて、もっともっとタイヘンだったのが食事!
「食作法(じきさほう)」の指導に移る。
普段の立ち居振る舞いよりも、食事作法のほうがたぶん10倍覚えることがあるなあ。
教えてくださったのは6人の修行僧さんたちの中の、いつも主に号令をかけて下さるメインの方でない、別のお坊さん。(・・・ていうくらい、これに特化する必要があるくらいタイヘンだということがこの後だんだんわかってくる・・・)
すべては道元が記した「赴粥飯法」に定められてることなんだけど、これはもう到底文章で正確に表せないくらい細かいので(苦笑)どっかで読んでください
仏教ではもともと昼食だけの一日一食(お寺でよく言う「お歳(とき)」)だったから、今でもお昼(中食=ちゅうじき)が一番正式な作法でいただくことになる。
めいめいに与えられた食器セット(応量器)は、マトリョーシカ式にすべてがひとつに重ねられる4つの器(大・中・小・極小)と、布製の箸袋に入った箸、匙、刷(せつ)、膝掛け、白いふきん、そしてそれらすべてを包む大きめの袱紗で1セット。
(ググると写真などが見られるので、その方が一目瞭然かも)
この日の説明は畳の部屋に足をたたんだテーブルが並べられ、その上に応量器を置いて習ったのだけど・・・
何がタイヘンかって言えば。

まず何よりも
毎食、禅堂で坐禅を組んだ状態のまま頂くということ。
普通に坐禅するときの作法のとおり禅堂に入り、自分の単で面壁して待つところから始まり、食事のときは対面になるので外(通路側)に座ったままぐるりと回転して向き直り、食事開始。
浄人(じょうにん=給仕してくれる僧)が入って来て牀縁を拭くところから、すべての挨拶のタイミング、所作などが細かく決まっている。
さて、その食器セットを広げる(展鉢=てんばつ)のが一苦労。
まず応量器そのものを擎鉢(けいはつ=応量器を目線より高いところで捧げ持つ)するところから始まり、袱紗の結び目をほどくところから、どの部分をどっちの手のどの指で押さえ、何をどの指で持ち、広げたものをどの指で伸ばし・・・などすべてが決まっている。
器は両手親指で内側から持って広げてゆく。あ〜、これだこれだったか、テレビでいつも見ていたのは!
音はゼッタイにさせてはならない。
こぼしてもいけないけど、こぼれたものはちゃんと拾いに来てくれる係があとでやってくる(けして無駄にせず、かつ清潔に保つ)

ちなみに器のなかで一番左に置くご飯やおかゆをいただく最大のものを「頭鉢(ずはつ)」と言ってお釈迦様の頭の骨を模したものだそうなのだけど、毎食必ずこれを擎鉢してから食べ始める。
で、これを万が一床に落したりしたものなら、一昔前なら(今も?)即刻強制下山(破門)ものだったらしい。まあド素人の参禅者がもしやらかしたら、我々がどうというよりも、指導の参禅係の方たちが大目玉になるそうで・・・そんな緊張満載の食事なわけ。

給仕の受け方(二人一組で給仕されるので、左の人と右の人はタイミングや作法が少し違う)も細かく決まっている。
合掌低頭から始まり、香飯(きょうはん=ごはん)、粥(しゅく=おかゆ)、香菜(きょうさい=つけもの)、香汁(きょうじゅ=みそ汁)、別菜皿(昼や夜に付く別盛りのおかず)の受け方、置き方。
特筆すべきなのは、それぞれの量はすべて自分でコントロールすること。よそってくれるのを見ながら「もうその量で十分です」のサインを、浄人にはっきり見える場所で右手の手のひら(主に人差し指と中指)を上にし、上方へ挙げて知らせる。
食事はその場にいる皆(またはその場の一番上の位の僧、例えば私たちの目安は男性女性それぞれの場所に1人ずつ座ってくださってた参禅係)と、同じ早さで終えなくてはならず、しかも残すことは許されないので、自分の空腹加減だけでなく、食べるスピードなども計算しながら量を決めることになる。
ホンモノの修行僧さんたちにはお替わり(再進=さいしん)制度もあるらしいが、その作法もまた加わるとかなり複雑になるし(食べるスピードもだけど、坐禅組んでる時間がもっと長くなるわけなので・・)で、今回はナシ。
全員無事に食べ終わったら、今度はお茶やお湯を頂いて食器を洗うお作法が待っている。
ここで登場するのが、シャバではまず見かけないあの「刷(せつ)」という道具。
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箸、匙、刷だけ記念に下さったので持ち帰り!
一番上が「刷」。
へらのようなものにガーゼみたいな布が付いていて、これでいろんなものを刮げとるわけ。
映像で見ていたけど、結講便利もの。
まずこの刷で食器に付いてるご飯つぶやみそ汁の残り、漬物のカスなどを食べる。
それからご飯のあとにはお茶を入れ、よーく回して綺麗にし、全て飲み干す。
(山内での飲み物は全てほうじ茶で、参禅中の飲み物も同じく。いつでも24時間廊下の「茶処」にはポットに入ったものが置いてある。普段お水とお茶しか飲まない私には特に不自由はなかった。茶話会や最終日に参籠参加者と一緒に摂った略飯台での薬石でも、全てがほうじ茶。カフェインないからかな)
そういえば、亡くなった祖母や実家の母も未だに食べ終わったお茶碗にお茶いれて飲むよなあ。理に適ってるっちゃあそうだ。

ここで「折水の偈」というお唱えをし、その後お湯を貰って刷で内側を綺麗に洗い、隣りの「中」の汁碗にお湯を移して「大」を横に入れて左手で回しながら側面を洗う。という具合に全ての器の中と外を洗い、最後に一口だけのお湯を残し(浄人の持つ手桶に、右手3本指で汁碗を持ち、左手で中身を隠しながら、桶の縁に椀を付け水音をさせないように。全ての水音はNG)捨て、最後の一口は飲み干す。
食べ物の残りカス、水、すべてを無駄にしない、ということ。
梅干しのタネも回収されて使われるわけ。
ちなみにお箸や匙も左手で隠しながら舐め、それから椀の中のお湯で刷で洗い、決まった指で持って箸袋へ。
まあもっともっと書ききれないくらいお作法やらお唱えがあるのだけど、特に興味深かったのは、お昼だけにやる「生飯偈(さばげ)」=出生(すいさん)の偈
これは浄縁の先3センチほど出して置いた刷の先を、香汁(みそ汁)の中に指を少しいれて濡らしたので湿らせ、手でごはんつぶを7つぶほど取ってそこにくっつける。
「全部自分で食べるのではなく、他の生き物(餓鬼)に施す」という意味。
自分が食べ始める前にやるってのが肝心なのですね。
あと「三口食(さんくじき)の偈」これは「一口為断一切悪、二口為修一切善、三口為度諸衆生、皆共成仏道」というもので、一口目は「悪いことはいたしません」二口目は「少しでも善いことをします」三口目は「他のもののために」「全て仏道の成るために」と唱えるのだけど、これを言ったあとではご飯をまず三口食べて、それから自由に食べ始めるのだ。
これはとっても面白かった。

小食(しょうじき=朝食)、中食、薬石(やくせき=夕食、昔1食だった頃、空腹のあまり夕方は熱した石を懐に抱いて飢えを凌いだところから命名)、それぞれ使う食器やお作法、そして食前食後、展鉢前後、などそれぞれのシーンでの読経や偈文(げもん=短いお唱えごと)が違うこともタイヘンなことのひとつ。
食前のお唱えで一番有名なのが「五観の偈(ごかんのげ)」だろう。

「一つには功の多少を計り、彼の来処を量る」
(この料理が今自分の前に来るまでにいかに多くの人の手数と苦労が費やされているかに思いを留め、すべてに感謝していただきます)
「二つには己が徳行の全欠を忖って供に応ず」
(私はこの食事、命をいただくだけのことを全うしたか、欠けたことはなかったか。欠けた部分を補うためにもいただきます)
に始まり、三毒(貪り、怒り、妬み)を抑える誓い、空腹を満たすだけでなく良薬としていただく誓い、そして全ては成道(じょうどう=仏道を全うする)のために頂く誓い、をする五項目。
これはね、今回のEテレの番組で知って、やっぱりちょっと心にきたものだった。
子供のころ実家では食事中にはテレビは必ず消すことになっていたし、会話や談笑はあっても、途中でトイレに中座したり、モノをこぼしたりしたらとても怒られたけど、今は平気でテレビつけながら料理に目を落すことなく食べてしまうことも多々ある。
食材やそれに関わった人たちのこと、そう昔なら料理してくれた祖母や母や・・・に思いを留めることの、なんと大事なことだろうか。

なぜこんなに食作法が細かいのか、それは言わずと知れた道元の最も大事な理念「異議即仏法」「行住坐臥」から来ているわけで。
「形から入る」っていうと悪いイメージだけど、これはそういうことじゃない。
どちらかというと「形から入る」タイプの私は、すべてを最初からウキウキとやってみていたけれど、さすがに
つまり・・・
そんな拷問のような食事シーンを計8回、やってみてだんだん感じられたのは、すべての動作が本当に理に適っていて、きちんとできると無駄な動きがひとつもなく、美しく、1本の線となって流れること。
そしてそれはただ美しい、というだけでなく、清らかであること。
清潔であることも道元の教えのひとつ。

初日、その気の遠くなるような膨大なお作法をきいたあとですぐ、私たちの最初の食事時間(薬石)がやって来た。
皆不安げに禅堂に集まる。
今習ったばかりでまさか少しは出来るよな〜と思いきや、なにせ足を組んだ状態+手とかコトバとか頭のなかがパニックの食事である。
もちろん、5分前に習ったばかりの超初心者なので、係の修行僧さんたちがひとつひとつ号令をかけ、シーンの名前と意味とやり方を全て口頭で言ってくださったので、その通りにやっていけばよかった。ただ、どうしても全員ぎこちないので、ゆっくりしか出来ない=時間がかかる=足がぁ〜〜っ!
正直この初日の夕食には、どんな料理が出たのか全く覚えていない。
美味しかった、とても美味しかったのだけど、「次はどの手がどこだっけ?」「箸は常に先が自分のほうへ」「ひとつひとつ器を置いてから次のものを食べる」「こぼさないようにしなきゃ」「あ〜、沢庵の音がぁ・・」「あれ、隣りの人もう終わりそうだ、急がなきゃ」・・・
そんなこんなで、足は痛いわ、早食いするわで意識の無いまま食器は空に。
ただひとつ、厚揚げの煮たのがあったのを覚えている。何故覚えていたか。結講大きかったので箸で音のしないように、また粗相しないように切るのに時間がかかり苦労したからだ(笑)。
麦飯(完全精進料理のため、ビタミン補足のためらしい。普段玄米や麦飯ばかり食べている私にはありがたかった)は硬すぎず、やわらかすぎず、美味しいお米だった。
年に一度、大きな樽にいくつも、1万本ずつ典座僧を筆頭に修行僧さんたちが漬けるという沢庵(最近は必要数が減って今年は3千本とか)。足袋と草鞋を履いた足で上から踏んでいる作業の写真を見せていただいた。これだけのために「香菜蔵」という建物があるそう。
「永平寺では沢庵を音をさせて食べると怒られるらしい」という伝説があまりにも有名で、どうやったら音をさせずに食べられるのか、家でずいぶん試してみてたんだけど(笑)、奥歯で噛んでも若干音するし、飲み込むしかないのか〜なんて思っていた・・・ら、まあ修行僧さんたちばかりの場ではなく参禅者ということでそこは全く注意されなかったし、参禅係のお坊さんたちも皆「カリカリ」音をたてていたのでちょっとホッとしたり。
でも、とても薄く、小さめに切ってあるのは、きっと音をたてにくくしてあるんだろうな。
そういえば、香汁(みそ汁)の具の、青菜は1センチ四方くらい、豆腐も小さい立方体に切ってあったし、「お箸で、しかも音をたてずに食べなきゃならない」食べる人のことを考えた手間ひまなんだろう。
何百人も調理する大庫院、たくさんの修行僧さんたちが働いているとはいえ、出汁(基本は昆布と椎茸、そこに使わなかった野菜のヘタや、乾燥した野菜クズ)を取ったり、煮物の灰汁を取ったり、小さく切ったり、朝食のお粥に必ず付くごま塩なんか塩もちゃんと煎ったり、ととても手間のかかることをしているのが、頂いていてよ〜くわかった。
味が美味しいことはもちろん、「人が、食べる人のことを考えながら、その手で作った」実感がものすごくありがたく、すべてが美味しくて涙が出そうだった。
大げさでなく「あんな美味しい食事、いただいたことがない」と思ったくらい。
「六味」の最後「淡味」とおりの上品な味付け、なのに全てがしっかりと味がしている。
素材の味。
しかし・・・・足が、足が痛すぎてもう破壊寸前なので、メニューを確認したり味わったり出来るようになったのは3日目くらいだったかなあ(苦笑)
ただ不思議なことに、細かい作法や食事の美味しさにちょっと気をとられて、足の痛みをちょっぴり忘れられていたということもあったなあ。
食事時間はおそらく正味5分くらい、でお作法含むと初日は1時間半ほどだったらしい。
これがその後どうなっていくか、ということを参禅係はきちんと記録していた。

初日のこの苦行のような薬石(おそらく16時半くらい?)が終わると入浴。
浴室はこの建物の地下1階。
4階から整列して階段を黙々と降りる。
慣れない袴につまづきそうになる人も。
全ての行動は参禅係に引率されて列で移動するのだが、考えてみたら係もタイヘンだ。
浴室前にはなぜか大黒様も居て、もちろん「ばっだばらぼさつ」様にご挨拶してから入浴。
私は出かける前日に「修行に行くんだからなるべく全てを削って簡素に」と気合いいれて髪をバッサリ切っていったので何とかなったけど、女子はドライヤーなんかかけたりしてたら全てを30分で(階段上がって集合するまで)こなすのはかなりギリギリ。
私は半乾きのまま出て、坐禅中に自然乾燥・・・みたいな感じでなんとか凌げたけど。
それでも皆頑張って、お風呂入ったのに汗だくで集合。
浴室で私語厳禁て、必死すぎて私語どころじゃあない(苦笑)。

お風呂のあと、寝る前に夜坐。
この日は初日ということもあったせいか(?)おそらく30分くらいだったかなあ。
文殊菩薩様のお線香の素晴らしくいい香りに包まれ、ちょっと汗だくで坐る。
足・・・痛い。
こんなんであと3日も持つのか、と思いながら、成るか成らないか、というより、もう淡々とこなすという静かな覚悟みたいなものが出来ていた。
だってやめるわけにもいかないし、やめたくないし、始めたらきっと終わるし。
足が壊れるまでは、続けるんだろうなあ、なんて。
大げさだと思われるかもしれないけど、そのくらいすごい危機感と緊張感があった。
いつでもどこでも眠れると普段豪語している私が、朝4時起きの旅路の果てだったのにもかかわらず緊張のためなのかなかなか寝付けない。
小さな煎餅布団とザワザワ音のする蕎麦殻枕の上で21時開枕(消灯)。
翌朝は3時振鈴(起床)。
さあ、憧れの朝のお勤めは?
そ、その前にまず坐禅だ・・・・

10月1日(土)
13時受付集合
部屋にて着物&袴に着替え
大広間に集合、財布携帯カメラ化粧品を預け、記録表記入(名前、動機など)、スリッパに名札入れ
山内作法
禅堂作法(禅堂にて)
食作法(大広間にて)
薬石(1時間30分ほどかかる)
入浴(30分)
夜坐(たぶん普勧坐禅儀を唱えた?)
明朝の朝課での読経箇所準備、経本に印をつける
21時開枕

(つづく)

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by saskia1217 | 2016-10-08 19:39 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!


by saskia1217