目眩

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もう先週のことだけれど、日展を観に国立新美術館に行った。
「書」部門だけをみた。
それだけでも結講な数だ。

字と字の渦の中をゆっくりと歩きながら、全ての作品と著者名に目を配った。
こんなにもたくさん、書をやる人がいるんだ、というのがともかくの印象。
ご案内をいただいたお友達の、じつに清々しく美しい作品などを特にゆっくり拝見してから、またぐるりと逆戻りしたり、ウロウロしたり。
一応全部をみた。

細いもの、太いもの、大きなもの、小さなもの、漢字、平仮名、中国っぽいもの、フォントみたいなもの。
赤い紙、金色の紙、銀色の紙、オレンジの紙・・・
う〜ん、やっぱり白い紙が好きかなあ。
あまりに作品が多すぎて、クラクラ、ぐるぐる、フラフラと目眩さえしてくる。

好きな字は時々あったし、一つ一つの作品はそれぞれ、美しかったり、力強かったり、繊細だったり、バランスが見事だったり…
書いた方がどれほど心を配って書かれたか、思いをはせる。
それでも素人には、いくつかの形式に分類された膨大な作品たちは、その形式の違い以外はどれも同じように見えてしまう。
どうしても「形式」があり「決まりの上」で書かれているからそうなのだろうか。
そこにはきっと「独自のなにか」があるのだろうけれど、素人にはそれがさっぱりわからない。
なかにはちょっと独自な感じのものもあったけれど、「唯一無二」かつ足を止めさせられるように惹き付けられるものはなかなか無かった。
結局、すべてはいくつかのタイプに分類されるのだろうか。
そのどれにも属さないものはここには無いようだった。
お友達の作品はもちろん、素晴らしく、好きだったのだけれど。

たぶん。
演奏と同じで、そのあたりの「わかる」「わからない」が、判断、評価につながるのだろうな。
それはそれ。
それは当然の話。
それがなければ、そのモノの世界は築けない。
そして、それとまた別のところにも、ココロを動かすモノの存在があって、それを感じる人は自由にその身いっぱいに受ければいいのだ。

ひとつひとつの作品の前に佇んでメモをとってゆく若い人の姿や、作品の作者なのか、スーツの胸にリボンを付けた貫禄ある男性のミニ解説のツァーをウンウンと頷きながら聞く人たち、入賞作品や重鎮の方々とおぼしき作者の作品の前にズラリと並んであれこれと評価を語る人たち、ガラスケースの一角の小さく繊細な作品のまわりに頭を寄せて集まり、お国言葉で身内であろう作者を褒め合う人たち・・・
公募のこの大きな展覧会は、作品をというよりも、それを観に全国から集まっていた種々雑多な人たちを見ているのがとても面白かった。

作品のなかにはいくつか、作者名を記したプレートに小さな黒いリボンが付けられているものがあった。
「遺作」
そうか、残るんだ。
残るものの幸いと、残らないものの辛さ。
永遠の時間を許されるものの苦しさと、一瞬で彼方に消え去るものの気楽さ。
どちらも残酷で、どちらも尊い。
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by saskia1217 | 2015-11-30 22:58 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)