生々しい虚構〜山海塾「うむすな」〜

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あ!
・・・と思ったときに行ったりやったり見たりしないと。
幸運の女神は前髪しかない、っていうもんね。
逃したものもたくさんあっただろうけど、でもかけがえない大事なものと人にピシャンと会えたのは、すべてタイミングのおかげ。

今年はなぜか(笑)いろんなダンスを観てる気がする。
2月に大駱駝艦を見て、じつは子供の時からずっと気になってた「舞踏」をやっと観ている嬉しさを、やっぱりどうしたって「山海塾」で充実化したかったんだ。

昨年9月に横浜でやった「日中韓芸術祭〜ダンスで交信〜」で、初めて山海塾のステージを観たのだけど、その時はたくさん出演した団体のひとつとしてごく短いヴァージョンの公演で、「おー」「うーん」「すごい」「いいなあ」とか思ってるうちに終わっちゃって、いつかちゃんとした作品を観たいとずっと思っていた。

今年1月の「神楽坂とさか計画」の打ち上げの時、その日挟み込まれていたいろんなダンス公演のチラシを皆で見ておしゃべりしてた時、大駱駝艦の公演を知ってすぐにチケットを買ったんだった。
でも山海塾はHPを見てもなかなか国内公演が無かったからすごく残念で、そのうち諦めちゃってたのだが、最近「今たしか新作やってるよ」と友人に教えられ、即アクセス。
新作のほうは日程が合わなくて観られなかったが、再演の「歴史いぜんの記憶ーうむすな」を観てきた。

世田パブの3階最前列は意外と見やすい。
いつも思うのだけど、照明や、ステージ奥で起こっていることや、立体的なものを観るには、2階、3階席はとてもいい。前や真ん中で観るメリットはもちろんあるけど、値段が高い席が「いい席」とも限らない。

開演前の会場には静かなSEが流れ、廊下やロビーには山海塾の舞台写真などを集めた「写真展」。
なんだかもうすでに、深海魚になった気分・・・。
一度真っ暗になって、作品が始まる。

冒頭は無音だが、ステージ後方中央に、天から落ち続ける砂の線。
その音が3階まで聞える。
上下それぞれに、砂時計を思わせる円形の物体が吊るされている(横浜のステージで見た気が・・)。
隣りの席の人の呼吸まで聞える。
なぜか「山海塾」に初心者がもつ(?)イメージとおりの、ゆっくりした動き。
音楽が流れ出して、動きがすこしずつ音に寄り添って行く。

音楽。
胡弓やヴァイオリンなどの「録音」も含まれていたのだけど、私の思い違いでなければ、シンセなどの電子音も多く使われていたようで、私にはそれが少し意外というか残念というか、ちょっとした違和感があった。
舞踊手の様子、動き、舞台装置、光・・・そこから私が受けたのはとても生々しいものだったから、そこで鳴っていた音が非常に人工的だったのが、私にはうまく混ざり合わなかった。
演奏を録音したものであっても、音質が非常に美しいので(エコーなども含め)、ほぼ全てが電子音のような「つくりもの」に聞えてしまう。
もしかしたら作り手は、その無機質な部分を敢えて意図してそうしていたのかもしれないけれど。
どうしてもね、美容院でかかってる「ヒーリングミュージック」に聴こえてしまうんだよねえ・・
失礼を顧みず言えば、すごくチープに聴こえるから、同時に行われてる全てもチープに見えてしまう。
ごくごく個人的感想ですが。

「うむすな」
神社検定の勉強で習った(笑)「産土神」のことを思い出してたら、2つめ?のところで照明が赤に変わって少し動きのある、厳しくて「力」を感じる踊りのところで、それがピッタリした。
この日はアフタートークがあって、天児さんが「うむすな」について少し語っておられた。
本当は「うぶすな」と呼ぶのが一般的だけど、敢えて「うむすな」にしたのは「産む(あるいは生む?)」の意味も持たせたかったからだと。
「うぶ」は「初めて、穢れていない」というあの「うぶ」だよね。

私は普段、例えば画家や映画監督が自作について語ったり書いたりしたものを読むのがあまり好きではないのだけど(自分がどちらかというと「説明」を求めたり、自分でしたくなったりする傾向が強いので、敢えて)この日は、初・山海塾ということもあって、踊り手でない天児さんがどんな方なのかを拝見したくて残ってみた。

「うむすな」の「す」は「巣」でもあるそう。
「すな」はもちろん「砂」でもあるだろうなあ。

細い滝のように、作品冒頭から終焉まで止まることなく落ち、流れつづける砂。
それは、その時々の照明、舞踊手のうごきによって、水・血・光・時・・・いろいろなものに変化する。
見えたり隠れたりするのも、そして終盤、ソロの舞踊手と唯一「触れ合う」一瞬で、それらのものと「人」との関わり合いが見えたり。
そういえば、8人の舞踊手は、作品を通して一度も「触れ合う」ことが無かった。
コンタクトのないダンス、かなり久しぶりに観たかもしれない・・(ふだん「コンタクトダンス」を見過ぎなのかもしれない・・・笑)。
砂といえば、床に薄く撒かれた砂も、舞踊手の手にとられた砂も、それぞれその時に「意味」があったようにおもった。

敢えて説明は必要ないにしても、ところどころの仕草、たとえば白塗りした顔においては非常に印象的でいろんなふうに見える「開いた口」。
「ポッ」って音がして、魚みたいだったな。
(天児さんによれば、「口を開く」というのは肛門とひとつになって「開く」「外界と繋がる・・」ということらしい)

無音の場面もいくつかあって、その説得力や、そこから広がるいろんな想像や妄想が、お客さんの集中を誘って、やっぱりいいね。
たとえばもう何度も観ている近藤良平さんの無音のソロは(特にコンドルズの舞台で、群舞のあとの急な転換など)、スピードとキレ、柔軟と優しさ、みたいな対比を孕みながら進んでる感じを受けるのだけど、この日の山海塾で観た無音シーンは、その前後にある音のあるシーンから全く段差なく移行するので、もはや音が鳴っているのか鳴っていないのかがわからなくなるような錯覚に陥る。
つまり、そこで極度の緊張感が突然やってくるのではなくて、呼吸がずうっと続いている、心臓のドキドキじゃなくてお腹の底での緊張感。
だから、作品を時間の移行として捉えたとき、何かが始まって発展・進行して終わりに向かうとか、盛り上がりとか、起承転結とか、そういうことじゃない、終わって時計を見たらなんだかワープしてた!みたいな感じだったな。

山海塾の他の作品を全く知らないので、そのへんを無責任に言うとしたら、(たしか横浜で観たのはかなり激しい踊りもあったように記憶している)、ものすごくアグレッシブなシーンも見たいし、一番気になった音楽の面では、生演奏で踊ったらどうなるかな、ということを強く思った。
生に生で、生々し過ぎるかもしれない?
でもそれがどう生々しいか、観てみたい。
その「作用」があるのかないのか、も。
ま、またチャンスが来ることを願って。

アフタートークはそれなりに面白く、
「舞台は虚構の世界だから、現実に引き戻されるような音はたてない(身体が倒れる音とか)」というお話も印象的。
んー、でも一番は
「山海塾の白塗りの粉は、すべて資生堂が提供している」
というお話だったかな(笑)。
微かに甘い、いい匂いがするそうです。

身体の動きを見ていると
身体を動かしてみたくなる。
身体を見て見たくなる。
お風呂に浸かりながら、ちょこっと天に向かって腕をねじってみた。
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by saskia1217 | 2015-05-30 19:34 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!
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