二度と戻らない瞬間たち〜スガダイロー五夜公演「瞬か」第5夜 with 近藤良平〜

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池袋あうるすぽっとにて、スガダイローさんと近藤良平さんの「即興」のステージを観る。
守備範囲がそんなに広くない私にとってスガダイローさんはお名前もステージも初めて。
ジャズピアニスト、というだけのインフォメーションしかない状態。
近藤さんは・・・そうだな、いつもの感じなのかしら、それともどうなのかしら、という感じで。
ふんわりと会場に着く。

着いたらロビーで誰かが何かのパフォーマンスをやっていてお客さんが大勢それを囲んで見入っていて楽しそうだったのだけど、そこで耳に入ってきた音と音楽とビジュアルは、そのときの私には正直ちょっと辛すぎてもう1分もそこに居られない感じだったのと、あとは昨日の第4夜の映像が流れ始め、今日のステージを観る前にそれ以外のものをインプットしたくなかったのとで、早々に会場内に入場してしまった。
どんなパフォーマンスでも、受け取る側の状況、状態に左右されるよね。
別の日だったら私も面白く聴き入っていたかもしれないから。
ただ・・・楽器を暴力的に鳴らしたり、既成の音楽をパロディーしたりする時に、無理な力が加わっているものって苦手かもしれない。
あ、ノイズやクラスターや不協和音が嫌いってわけじゃ全然ないし、パロディーだって大好きだ。
けど、ただ破壊してみた、ただねじ曲げてみた、っていうのはどうも受け入れにくい気がした。
ビジュアルも同じ。
まあ、好みってことなんですけど。

スガダイローさんはお坊さんみたいなビジュアル(と髪型)と出で立ちで、ステージからごく普通に登場。
そして近藤さんは客席からリュックとスーツケース(しかも私物!)という「旅から帰ってきた」様子そのままでステージにのぼって来た。
2人の「はじめまして」で躙るように始まった「即興作品」は、あれよあれよという間にお客さんを引込んでゆく。
スガダイローさんは演奏に徹し、近藤さんはホワイトボードにセリフを書きながら持ち物を派手に広げ始め、時々しゃべり、歌い、楽器を奏で、スガダイローさんにちょっかいを出し、そのうち一緒にピアノを弾き出し・・・

今日のステージに登場したのは4台のピアノ(…と、黒いグランド型のミニチュアビジュアルのトイピアノが1台。下手一番手前のグランドの上に子亀のようにちょこんと乗ったそれは、鈴のような本当に素敵な音がした!)。
おそらくホール備品のスタインウェイのフルコン、メーカーは見なかったけどグランドが2台、そしてホンキートンク(正確にはそうではないけど、複数弦の調律をズラしてあるもの)のアップライトが1台。これはあとでプリペアドとしてハンマー状の棒でグリッサンドしたりダルシマー的に叩いたりしていたから、前面の板が上下とも外されて裸になってる状態(なので燦然と金色に輝いてた)。
そう、だからあれは別に「ピアノの先生には怒られない」んですよ〜、「正統的現代音楽奏法」なので(笑)。

そのうちに近藤さんが何回か着替えながら、だんだんとダンスの分量が多くなっていったのだけど、それにしてもスガダイローさん、楽器から全然離れない(笑)。
音楽家、とくに鍵盤奏者ってそうなのか。
近藤さんが離れるように誘ってみている瞬間が何回かあったんだけど(私にはそう感じられたのだけど)、スガダイローさんはちょっとシャイな感じで、まるでゴムでピアノに繋がってるみたいに、どうやったってピアノの前に引き戻っちゃう。
ちょっと足あげて、履物とばしちゃってもよかったのに、って思う(笑)。
もうちょっと中央まで出て、歩いたり手を伸ばしたりするくらいしてもよかったのに、って思う。
でも、それをしないところがきっと個性だったんだろうな。

私はジャズのことは本当に素人でとんとわからないのだけど、私にとってのジャズピアニストのイメージである、鍵盤の下から上までを使って「延々と」行ったり来たりする、ちょっとクラスター的なフォルテの、ちょっぴり暴力的なパッセージというのを、今日のスガダイローさんも結構何度も使っていた。
近藤さんが、もしかしたらきっと静かなものを望んでいるかな?という気配のときも、敢えてそれをしていたところが面白かったり気の毒だったり(苦笑)。

即興だけで1時間以上やり続けるっていうのは、やっぱり進めながらメリハリや配分を多少は考える必要があって、その「起伏」みたいなのはどちらかというと近藤さんがイニシアティブをとっていたように見えた。
とにかくそんなものをお客さんに見せる、ってこと自体、なんというかお客さん側は皆それぞれどういう思いで受け取ってるのかな〜っていうことにも興味があった。
お笑いの舞台でも観るように手を叩き大声で笑いながら、そして時々ペットボトルのお水を飲みながら(笑)楽しんでいた人、終始席から身を乗り出してにこりともせずに近藤さんの姿を追っていた人、途中で緊張と集中が切れて落ち着きなくなってきた人・・・私の周りにもいろんなタイプの楽しみ方があったみたいだった。

でも即興って、たぶんやっぱり、やってる人が一番楽しいんだと思うな。
観ていてつい、「あ〜、ここはこうやりたい!」「そう来たのか〜、じゃあこうじゃないの?」なんて、自分だったらこうしたい的な欲求に襲われまくっていた。

しか〜し。
ピアノってつくづく、即興にはもってこいの楽器だよなあ。
あんなに自由になる楽器はないから。
オルガンやチェンバロはどうしても制約が多いから、例えば相手のある即興をする時に不自由に感じる場面がとても多い。特に相手が楽器や歌などの音楽じゃなく、演技やダンスのようなパフォーマンスの場合、どうしたって「負けちゃう」感がつきまとう。
だから、ピアノってやっぱりいいな〜ってずっと思ってみていた。

2人が4台のピアノを渡り歩いて自由に即興アンサンブルしている音と姿をみていて、そういえば高校時代、レッスン室の2台のピアノで、毎日毎日休み時間や放課後、時間を忘れて友達とまったく同じことをしていたな〜なんて、ものすごく懐かしくなったりして。
思えば、あの時間て実は最高に「音楽的」な瞬間だったのかもしれない。

今日のこの「作品」が終わってみての感覚だと、スガダイローさんはずうっとピアノを弾いていて、近藤さんはいろいろやっていてちょいちょい「音楽より前」にいて、それにスガダイローさんがついていっていたように私には見えた。
「動き」と「音」は、ほとんどの場合が「動き」が先にあってそこからのイメージで「音」が出ていて、それがときどき「同時」のこともあったけどすぐに前者に戻る、という感じ。

普通クラシックを中心に演奏してる音楽家は、どうしても「楽譜」というものがないと弾けなかったり、ただ楽器を与えられて「さあ何でもいいから弾け」みたいなことが苦手な人が多いのだけど、ジャズの音楽家は「普段やっている普通のこと」が即興だから、手慣れているだけに、あんまり冒険はなかったように感じたのだけど、どうだったのでしょう。
想像していたような何かこちらが吃驚するようなこともなく、どちらかというとクラシックのような(という言い方は変なのだけど)響きと、断片の作り方。
でも、パフォーマーが2人いたら、かえってどちらかがそういうのでもいいのかもしれないな。

この夏に近藤さんと即興をしたときに色々思ったことがあったのだけど、それをまた反芻したり確認したり、客観的に見ているといろんなことが透けてみえてきたりして面白かった。
出て来た音や動きを楽しみつつも、じつは2人のその瞬間の思いや力関係が見えるのが面白い。
どっちがどうしようとしたいのか、とか、あ〜考えてる考えてる、さあてどっちに転ぶか、とか。

再生芸術でもある「演奏芸術」のなかで、「その瞬間」にたった一度しか生まれない奇跡。
最近では、それが「苦手」なクラシックを勉強する若い人たちにも、さすがに垣根や余計な枷のない、柔軟で素晴らしい「即興」が出来る人が増えて来たと思う。
それを「観せる」ことが成立するのか否かはまた別のこととして、演る方も、それを取り巻く方も、本当の楽しみの瞬間がつくり出せる、またそれについて考えることのできる「機会」があるって、素晴らしいことだなと思う。
あうるすぽっと、面白い企画、また是非やってください!
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by saskia1217 | 2013-11-06 17:52 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

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