キリシタンの里へ

熊本での演奏会の翌日、天草にお住まいのメンバーの方が車で迎えにいらして下さり、まだ薄暗い朝7時半に熊本を出発。
そう、ずっと行きたかった天草へ。

市内から電車&フェリー&バスを乗り継いで行こうとイメージしていたのだが、私が行きたかった教会の場所からして、日帰りでそれをやるには少ない路線バスの乗り継ぎが超綱渡りになる危険性があることが判明。
そりゃそうだ、行ってみてわかったが、天草は熊本から車でひたすら走り続けて2時間以上。そりゃ考えが甘かったわ〜。
結局、地元をよくご存知の天草の方に車でグルグルまわっていただいたお陰で、全く時間の無駄なく、目的の場所を全て見、美味しいものを食べることが出来た。
帰路をやはり車で熊本市内まで送って下さった団長さんはじめ、皆さんに本当に本当に感謝。

ただ、前日まで見事なお天気だったのが、この日に限って一日雨の予報。
前回の熊本城観光も土砂降りだったし、きっと私の心がけが悪いんだな〜。

熊本から宇土へ。この頃やっと空が明るくなってくる。
途中から道路の左側に並行して走る線路が見えてくる。単線の天草三角線だ。しかも車両が1〜2両。一度だけその姿をみたが、かわいい!
ちょっと乗ってみたい。
宇土半島の海岸線を西に走る。三角築港記念館のレトロな建物が見える。ここからもイルカが見えることがあるそうだ。
海が見えてくるのはテンションが上がるのだが、とにかく今にも泣き出しそうなグレーの空と、境目がわからないくらいグレーの海。残念ながら見えるはずの島や半島が何も見えない。
天草五橋の第一号橋・天門橋を渡り大矢野町へ入る。五橋のうち、この第一橋だけが離れているそう。天草四郎記念メモリアルホールの、どこか南米風の建物とヤシの木の前を過ぎ、ひたすら走る。
南下を続け、二号橋・大矢野橋、三号橋・中の橋、四号橋・前島橋、五号橋・松島橋を立て続けに渡る。眼下に小さな島々がいっぱい見える。
島の海岸は岸壁のようなイメージがあったので、海水浴場の標識がたくさんあるのがちょっと意外だった。
いよいよ「上島」に入る。このあたりは松島温泉。温泉がある街に入ると、ホテルや旅館がいくつか姿をあらわす。今回は体験できなかったけど、また来る機会があったら温泉にも入ってみたいなあ。
松島から有料道路を通って「ありあけタコ街道」に合流する。ここからはまた海辺の道だ。有明も温泉。このあたりには南蛮寺跡や、天草島原の乱のキリシタン軍上陸、終戦の地などが続く。
相変わらず灰色の空の下、上島と下島を繋ぐループ橋(瀬戸大橋)を渡る。ここは本渡港。ほどなく、最初の目的地「天草キリシタン館」に到着。
降り立つと、いよいよ雨が降ってきた(涙)。
e0081334_20554757.jpg

入館する前に、手前にある「殉教戦千人塚」を見る。
ここはかつて天草氏の拠点だった本渡(戸)城があったところ。
e0081334_20571838.jpg

e0081334_20573129.jpg

となりに小さい金比羅さまも。
e0081334_20592286.jpg

キリシタン館へ。天草四郎の小さい像が迎える。
e0081334_210256.jpg

e0081334_2101350.jpg

入るとすぐ、天草の歴史や重要な展示品を簡単に紹介した映像を見せてくれる。
ここの目玉は「天草四郎陣中旗」。天草島原の乱で原城に籠城した一揆勢が使っていたもので、国指定重要文化財。刀で切られた跡や血痕が残る。その大きさを実際みると、これを本当に掲げて使っていたと思わせる。

天草島原の乱を時系列で細かく記した年表を軸に、それにまつわる品々を展示してある。読んでいくと、幕府軍、一揆軍とも矢文が大変活躍したことがわかる。ロザリオやメダイ、十字架をあしらった鍔、キリシタンの墓石など、いずれも本物の持つ力が宿っている。
天草島原の乱は江戸時代以降、芝居や芸能でその話が脚色され有名になっていくのだが、そのせいもあってそれについて書かれた書物、記録が多いのだろう。陣中の様子を書いた図や屏風がとても詳しくて興味深かった。
あの宮本武蔵がこの乱に参戦していたことは知らなかったからちょっと吃驚。原城攻めに参加したものの石に当たって足がたたなくなり、退いたそうだけど・・・。
踏み絵やマリア観音は有名だけれど、他にも血のにじむような工夫の極地にため息が出るようなものが多くあった。なかでも「銭仏」は、ただの硬貨を縦に6つ、横に1つずつ、計8つを十字架の形に並べたもの。「丸(銭の形)が8つ」で「マル+ヤ」、つまり「マリア」なのだ。
同じく、形の「丸い鏡」を「まる」=「マリア」としたもの。

そして、恥ずかしながら初めて知ったのが「五足の靴」の話。1907年に与謝野鉄幹(寛)が北原白秋ら4人の学生を連れて九州を中心に旅したときの記録、紀行文。
それにまつわる色々も展示されている。
5人は長崎からこの天草に渡り、当時大江天主堂に赴任していたガルニエ神父にも会い、その後牛深まで行ったあと三角港から島原へ渡っている。
(・・・と、これはAmazonに注文した岩波文庫が明日届くので、楽しみ〜!)

展示を見たあとお土産売り場を覗いてみたら、色々にキャラ化された天草四郎のグッズがいっぱい(苦笑)。天草四郎って江戸時代からある意味「キャラ化」され続けてきて、もはや実在の人物じゃないみたいになっちゃってるのも事実だけど。
e0081334_18412139.jpg

キリシタン館をみた後は、すぐその下にあるお寺をみにいく。
向陽山明徳寺。
天草島原の乱の後、天領になったこの地を治めた初代代官鈴木重成が、人心平定とキリスト教からの改宗を目的として兄の禅僧鈴木正三和尚の助力を仰ぎ正保2年(1645年)に建立した曹洞宗の禅寺。開山は中華珪法。
雨が一段と強くなってくる中、重厚な山門をくぐる。
e0081334_18415686.jpg

車で連れて来てくださった団員の方が、あらかじめお寺に連絡してくださったお陰で、ちょうどご在宅だったご住職と奥様に色々とお話を伺いながら本堂などを見せていただくことができた。
きけば、九州とくにこの地方に禅寺はとても少ないという。たまたま私の実家が曹洞宗なのでそのお話をすると、なんとご住職は東京のうちの菩提寺をよくご存知だった!・・・ということでしばし盛り上がる(笑)。なんというご縁。
寒い本堂で、お寺の縁起からはじまって我々一行がいろいろと浴びせかける質問にひとつひとつ丁寧に答えてくださったご住職に感謝。
見事な梅の咲く境内を後に、立派な楼門を振り返る。この市指定文化財の山門の両側には「祖門英師行清規流通仏陀之正法(始祖の優れた師は清い規則を行い、仏陀の正法を広める)」「将家賢臣革敞政艾除耶蘇之邪宗(将軍家の賢い臣下は弊政を改め、耶蘇の邪宗を取り除く)」と書いてある。
e0081334_1852923.jpg

e0081334_1853792.jpg

e0081334_18532164.jpg

もうひとつ。
この山門から下の道に降りる長い長い石段の途中には、何ヶ所か十字の印が刻まれているらしい。
本当は登りながらじっくり探すと面白いのだけど、なにせものすごい土砂降りになってきた(苦笑)・・ので、ご住職の奥様に大体の位置を伺ってから傘をさして皆でウロウロ。
e0081334_18574313.jpg

あった!
e0081334_1858810.jpg

「踏み絵」の替わりだという説もあるようだけれど、ご住職は首をかしげておられた。
山門の隣りには小さなお社、活尾稲荷大明神。
e0081334_1904511.jpg

さてさて、お腹がすいた。
再び車で本渡港ループ橋のたもとに戻り、そのすぐ下にある活魚のお店「とらや」へ。
お店に入ると地下から1階まで3〜4段に重なったたくさんの生け簀が。
e0081334_1943115.jpg

e0081334_1944577.jpg

あらかじめ予約しておいてくださったお座敷は、なんと建物から繋がった港に浮かぶ船の中。
窓の外をときどき通過する船に手を振ると、乗ってるオジサンが手を振ってくれる(笑)。

メニューを見て、迷う迷う(笑)。
お刺身も食べたいし、ウニも食べたい。案内してくださった方によれば、このあたりのウニは絶品でいつでも獲れるけど時期、季節によって、またお店によって全然味が違うのだとか。
で、結局両方を注文(爆)。
お料理を待つ間、近くの橋が船が通るたびにグワ〜ンと持ち上がるのを眺めたりする。地元の人には日常なのだろうけど、こんなことも珍しくて面白い。

見事なお刺身がきた!
この写真をみた九州出身の友人は「これぞ九州のお魚」と言っていた。へえ、そうなんだ〜・・・。とくに白身のお魚(タイとかヒラメ?)がコリコリ、プリプリで美味しい。
前回の訪熊で気に入った甘めの刺身醤油でいただく。
e0081334_1984182.jpg

憧れのウニ丼。
東京で食べるウニ丼はご飯の上にウニがうす〜く広がってる。でもって、ウニが薬臭い。
このウニ丼はウニ部分が厚くてなかなかご飯が出てこない(笑)。そしてウニの味がちゃんとする。トロッとしてちゃんとした海の香りと味。
ばんざ〜い!!
e0081334_19114839.jpg

お腹がいっぱいになった一行は、止まない雨のなか再び車に乗り込んで、いよいよ下島の南西の端を目指して出発した。
(つづく)
[PR]
by saskia1217 | 2013-02-16 19:15 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)