年末その2〜旧友の歌声〜

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お蕎麦屋さんに予約しようと電話をかけて「あのう、年末は何日までやってますか?」と訊いてしまった。
私はバカか?
昼間3時頃、マンションのエレベータで一緒になった同じ階の方におもいっきり「こんばんは〜!」と挨拶してしまった。
大丈夫か、自分?

そんな相変わらずのボケ続けの年末のとある夜、小森輝彦さんのシューベルト「美しき水車小屋の娘」を聴いてきた。
小森くんは学生時代の数年間、ほぼ毎日(笑)一緒にオペラを作り、そしてほぼ毎日リート演奏に取り組んでいた音楽仲間の友人のひとり。
17年のドイツ生活から今年帰国したばかり。
今までも帰国のたびに演奏会を開かれてたので、ときどき聴きにいってはいたのだけど、今回は昔よく一緒に練習した「水車小屋」をやるというので格別に楽しみにしていた。

長い年月を経て経験を積まれ、当然私なんかが言うまでもなく技術的にもステージングも素晴らしくなっていたけど、25年前にムリヤリ全曲通して練習したままの音や様子が脳裏奥深くから蘇ってきて自分で可笑しかった。
歳とると昔話ばっかりになっちゃう、っていう、たぶんあれと同じ感覚に違いない。

当日はベーレンライター版を使用していたとかで、バリトンにとってはかなり高めの調が続いていた。私は個人的にはチクルスの各曲どうしはオリジナルのままの調関係のほうがいいと思っているので、この日はそれがこの曲集が持つ特有の空気、主人公の若さや新鮮さ、不安定さ、ピュアな感じを伝えるのにとても意味があったように思った。テノールが歌う原調でさえが持つ、あの全体的に「高くて透き通った感じ」が、バリトンが歌っても損なわれない。
(きけばやっぱり歌うほうは難しさも伴うみたいだけれど)
20曲が見事にひとつになっていた。

長年に渡るドイツの生活で自然と豊かになった「ドイツ語と自分」の距離感も、聴くこちらとの壁が全く無く直に届けられた。それはまあ、25年前の小森くんのドイツ語力のみならず、もちろん当時の私のドイツ語力にも帰するわけだけど。
まるで母国語で語りかけてきてくれる感じ、それもちょうどいいアピール度で、押しつけでも単なる独り言でもなく、淡々としてはいるんだけど他人事でもない臨場感もあって。
感情的になりすぎない、ある意味どこかセーブされている美しさというか。
聴いていて、あたかも受難曲のエヴァンゲリストみたいだった。

文化の小ホール、ステージの上方に吊るされたスクリーンには、水車小屋や川や花の美しい写真を背景に訳詞が映し出された。お客はずっと演奏家をみていることが出来るし、プログラムをくう音がしなくていいと思うな。
それらの写真は「緑」の印象で貫かれていたが、それはこの曲集のテーマをやはり意識していたのかもしれない。それがあまりにも美しすぎて最初はなんか感傷的、(あまり良くない意味での)ロマンティックすぎる気もしたのだけど、あとでそれは演奏家の曲へのアプローチと近いと感じられて納得できた。
「水車小屋」はもっと素直でまっすぐなものなのかもしれない、と思ってみたり。
私がずっと持っていたこの曲のイメージはもっと茶色というか少し暗めのトーン、もう少し現実に近い深刻さみたいなものだったのだ。
が、この日の小森くんの演奏はストレートに「若者の初々しい生きてる感、感傷されも少しだけ擦るようなナイーブさ、絶望」みたいなものが表現されてたように思って、なんか久しぶりに何か新しくて爽やかで生き生きした風のようなものを思い出した気がした。

内容は若者のお話だけど、「今」の小森くんが歌うことの、曲との距離感のバランスがとても心地よかったな。
ちょうどシューマンの「子供の情景」がけして子供のための曲ではないのと同じで、「若さ」を通り過ぎた人がその位置から見たときにしか表現できない、大きさ、深さ、ちょっと痛くてせつない感覚なんかも含んだ美しいバランスと落ちつき。

会場で、やはり当時、さんざん一緒にオペラやミュージカルを作ってきた演出家の高岸未朝さんと嬉しい再会。彼女はこないだの神楽坂セッションハウスを見にきてくれて以来。当時明大の演劇科の学生だった彼女は、今では俳優座の演出家と、東京芸大オペラ科で学生の指導をしている。
二人で終演後の小森くんを訪ねると「お〜、タイムスリップ?!」と大笑い。

あの頃はそれぞれがそれぞれの立場からずいぶんオペラにのめり込んだけれど、「みんな、あの時があっての今だねえ」という高岸さんの一言がすべてを語っていたと思う。
旧友たちの活躍がほんとうにしみじみ嬉しく、そして楽しみな「中堅」時代の到来。
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by saskia1217 | 2012-12-25 22:51 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)