永遠

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ヨガスタジオを出たところにある桜の樹。
街路樹、といっても前にあるお店の人が植えたのかな、通りじゅう植わっているわけではなく、この1本だけポツリ。
佐藤錦だそうで、どおりで昨年夏に実ったとき、甘くて美味しかったわけだ。
今年も先生やクラスの人たちと赤くなるのを楽しみにしている。

久しぶりに朝からのレッドクラスに出たら、フルプライマリーでちょっと怯む(笑)。
家での練習やマイソールクラスではもちろん、過去に出ていたレッドもずっとハーフプライマリーだったので、最後のほうのいくつかは本で読んだか1〜2度習った程度のアサナが続き、その間邪魔にならないようにマットの端にすわって皆がフィニッシングにくるのを待つ。
アシュタンガ的には、本当は途中で身体を休めないほうがいいとは思うのだけど。

それでも、レッドクラスに出るメリットはある。
家で1人で練習していると、どうしても自分のリズムでしかやらなくなる。
私は比較的呼吸もリズムも速いので、レッドに出て先生の(私には)かなりゆっくりめのカウントでやると、持久力、忍耐力のみならず、精神的な強靭さなどが結構鍛えられる。
自分は自分に甘いからなあ。

サットサンガで読んでいる「バガヴァッド・ギーター」は、今日で第8章まできた。
8章は、不滅な「ブラフマン(普遍な存在」)についての章。
途中、インド哲学では有名な「ユガ」(インド哲学でヴェーダを元にする「時間の概念」)が出てくる。そこには宇宙の創造から破壊までの時間が数値として出されているのだが、いきなり膨大なゼロが並んでいてじつにクラクラする。
ザックリ言えば、その「ブラフマー(創造者)」の昼、夜がそれぞれ43億年、つまり86億年あまりが彼にとっての「1日」。しかもブラフマーには尽きる寿命はなく、これが延々と繰り返される。

ヨーギーが死ぬ時どうなるか、についての箇所で「人が肉体を手放す時、その人はいつも考えていることを死の瞬間も考える(生涯思い続けていたことを死ぬ間際にも思う)」とあって、先生が時々話してくれる「僧侶と娼婦」のエピソードがまた話題になった。
道を挟んで住んでいた僧侶と娼婦、僧侶はいつも娼婦のことを「イヤな人間だなあ」と蔑んでみていた、そして娼婦は僧侶を「なんて立派な方でしょう」とずっと思っていた。ふたりは死ぬ時もそのことを思っていたが、その後、僧侶は娼婦に、娼婦は僧侶として生まれ変わった・・・という話。
つまり、死に際に「ケーキが食べたい」と思ったらケーキに生まれ変わり、天井を這ってるゴキブリをたまたま見ちゃったらゴキブリに生まれ変わる・・ってこと。
こわいですね。
言わんとしていることは「だから、いつでもアートマン(真実)を思っていなさい」ということなんだけどね。

そしてその「真実」を知ることは、「得る」とか「なる」とか「行く」のような「達成」や「到達」ではない・・・という考え方は深い。
「自己実現」というとどうしてもそっちのイメージが強いし、人間それを求めて生きてるんじゃないのか、って考えるのが普通だけど、本当の「自由」はむしろ反対の方向にあるらしい。
いやいや、「全てを越える」のは大変だ。

さくらんぼの実が赤くなる時間なんて、ブラフマン的には瞬くスピードの何百、何千、何万倍の一に違いないのに・・・
私たちは無邪気にも、そんなことに一喜一憂している。
人間はまったく、愛すべき存在だよ。
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by saskia1217 | 2012-04-30 00:55 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

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