卵かニワトリか、音楽かダンスか

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ヨガのサットサンガで築地にいき、地下鉄から地上に出たらいきなりそこが東京マラソンのまっただ中で吃驚。
そういえば今日か、という認識(笑)。
夕刻から、学習院女子大で行われたシンポジウム「音楽とダンスのインプロヴィゼーション」を聞きに早稲田へ。
このプロジェクト「コンテンポラリーダンスの美学と制度の研究」を担当されている舞踊美学の貫成人先生の司会、実演はダンスの近藤良平さんと黒田育世さん、そして音楽担当の石渕聡さんと松本じろさん。

シンポジウムというだけあって、5人のトークセッションの時間もたっぷりあって、ダンサー、音楽担当それぞれの思いがきけたので楽しかった。
あたまの部分の貫先生のお話は、あんまりダンス関係の学会などに出たことない私のような素人にとっては、もっとたくさんききたかった部分ではあったけど、今日のコンセプトは別にあったからまあ仕方ない。

最小限の打ち合わせで即興された4人全員でのプログラム、いつも組み慣れていない「新鮮な」2人組(近藤&松本、黒田&石渕)のもの、同じ音楽で2種類(ダンサーが男性主導の場合と、女性主導の場合)の比較、そして会場からのお題による全員での即興パフォーマンスなど、多用な試みが実演された。
私自身はダンスとの共同作業は今まで数えるほどしかやってこなかったけれど、数少ない「鑑賞」経験からも(特にコンドルズを観ていて)ダンスと音楽、それも即興というテーマには大いに興味があるので、今日ステージでまさにその場で作られたホヤホヤ、一回きりの生ものの動きと音は、どれもとても面白かった。
面白かった・・・ってオカシイ言い方だけど。
実演して下さった方達(特に音楽チーム)は今日のテーマに沿って多少なりとも「サンプル」としての気遣いもあったようだったけれど、それでもかなり自由な、そしてそれぞれが「今までずっとやってきて、持ち前の引き出しとなっている自然なあれこれ」をいつもどおり出し合っていた様子がとても楽しかった。

一番興味深かったのは、ダンスも音楽も「具象化」「具体化」つまり「ベタ」になることを恐れないという場面。
例えば「トロピカル」というお題が出たときに、音楽家による楽器の選択(ピアノ、ギター、ジャンベ、サズ・・他ありとあらゆる楽器が用意されていた)からダンサーの振りや声まで(近藤さんはしょっちゅう楽器も使っていた)が、迷いもなく即座に「トロピカル」を彷彿とさせるものがたくさん使われていたこと。
このときはお題と共に「ジャンベ」という楽器だけは指定があったのだけれど、例えばこういうお題が与えられたときに「ベタ」であることを避けようとあえて「そういう楽器」は使わない、という力(圧力?)も音楽家にかかってくることがあるんじゃないかと思う。
少なくともかなりニュートラルな楽器であるピアノを使うとか、今回はなかったけど極端にいえば例えば「お琴」を使うとか。
クラシックの音楽家のステージで同じ実験をしたら、きっとほとんどの音楽家がなかば自動的に「より抽象的な素材」を使って、使う旋法もリズムも「それっぽいもの」を最小限にして即興するような気がする。
固定概念なのか、既成概念なのか、暗黙の仮定常識なのか?
たぶんそこには「具体化」することへのちょっとした軽蔑というか、そういう自分に対する評価がおそらく低くなるだろうというヘンなプライドとかが潜んでいるんじゃあないだろうか。
「ベタになること」を恐れない潔さと自信と、それ以上に「どうでもいい天の邪鬼にならない自然さ、開放されたもの、素直さ」を持っている人は、私のまわりにはあまり多くない。

多少なりとも知っていた石渕さんの音楽や近藤さんのダンスも、今日のような新鮮な状況、条件下で、しかも客観的に聴いたり観たりすると、あらためて認識させられることや逆に新鮮なこともあったり。
黒田さんのダンスはじつは初めて拝見したけれど、しなやかとかお茶目とかしっかりとした意思表示とか、全て含めて・・・やっぱりダンスも「その人」を表しちゃうのだなあ、と思った次第。
終演後にちょっとお会いできてほんの一言だけお話したときに、ごく少ししか観ていないそのダンスで受けた印象通りの、なんといえばいいのかな・・雰囲気?・・話し方、声の感じ、全体的な印象・・
全くの初対面なのに、あ〜さっきのとおりだ、という感覚。

そして、松本じろさんのギターが本当に素晴らしくて、今日これが聴けたのは今日のすごい収穫。
ギターから出る音そのものがとにかく素敵で、いろんな色があって、リヴァーブをかけてもそれが失われなくて、時々混じる「声」や「コトバ(意味はない音)」の入り方も絶妙で、つまり全身で難なく音楽になっちゃう方で。
弾き始めた最初の1音からウットリしちゃうってあんまり無いのに、まさにそういう魅力。
たしかに「即興」なんだけど、不安感がまったくない流れ方。
黒田さんのダンスと同じで、やっぱり「その人自身」(弾いてる人が持っている理想の像)がじわ〜んとその音楽から匂い立つんですよね。
あとでお話をきいたら、最初はクラシックギターをがっちり学んで大人になってからジャズをはじめ色々な音楽をされるようになったとのこと。失礼ながらお名前も演奏も今日まで存じ上げなかったのだけど、こんな素敵な音に出会えて本当にいい日だったなあ。
ライブとかあったら、もっともっと聴いてみたいな。

石渕さんも、近藤さんも、そして松本さんも、楽器に支配されずに楽器を自分の身体のなかに取り込めてしまうそのしなやかさが本当にすごい。

「即興」は私が長年身を置いてきたいわゆる「クラシック」の世界において(特に日本では!)、プロと言われる人たちの間でも正直どこか「腫れ物に触る」的な、ビクビクした恐怖感や劣等感が付き物だったし、今でもたぶんそれはそう大きく変わってはいない。
私がふだん演奏している音楽が出来たバロック時代、今のように分業化されていなかったから「音楽家」と呼ばれる人たちはマルチが当たり前で、つまり今から考えるととんでもないスーパーマン級の人だけが音楽家をやっていた。「即興」なんて出来て当たり前、以前に出来なきゃ仕事にならなかった。
だから「ピアニスト」「作曲家」「指揮者」と分かれてきてしまった中に「即興家」というジャンルが出来なかったのはある意味残念なのだが(笑・・・ジャズやポップス、ロックに完全にとられてしまいましたね)本当は各ジャンルのなかにそれが組み込まれるべきだったんだよね。
それが消えてしまったことについての話は置いとくとして、今の若い音大生の中にはもちろんそれをちゃんと身につけてる人もいなくもないけれど、私自身はといえば、小さい頃「即興」の訓練は多少してきたにもかかわらず、そして「通奏低音」という即興技術を扱っているにもかかわらず、やっぱり圧倒的にその取り扱いが出来ていないというコンプレックスがいつもあったことは事実。
だから「即興大好き」「即興楽しい」と思っているのにもかかわらず、マンドリン&チェンバロライブをやるたびに「あ〜石渕さんすごいなあ〜、私全然出来ないじゃん」って落ち込むんだよね(苦笑)。

ただ、それゆえに、今日そういう場面をいっぱい見ていたら「やってみたら面白いだろうな〜」ってドキドキしましたね。
近藤さんのおっしゃるとおり「即興はやってる本人が一番楽しい」のは事実だから。

ダンスと音楽が両方即興の場合「ダンスが先か、音楽が先か」というような、やっている本人たちにしかわからない影の「丁々発止」、きっかけの面白さ、信号に気づいたときの駆け引き。
私がいま一番気になっているそんなあれこれは、やっぱり「実地」でやってみないと先が見えてこないかな〜、でもこれからそんなことをもっと追求したいなあ、と大いなる夢を見ながら、夜空を見上げつつ帰途につきました。

「ああ、私に翼があったなら」
言ってみればそう。
即興するって、たぶん空をとぶことなんだと思う。
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by saskia1217 | 2012-02-27 01:23 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!


by saskia1217