連休真夏の渋谷で狂言会

昨日、朝、なぜか5時30分ぴったりに目が覚めた。
反射的にテレビをつけたら、決勝戦はなんと延長戦に入っていた。
ぼんやりと「2対1」という数字が目に入いったとたん「負けてしまうのか?」とうっすら怖くなったので、そのままテレビを消して寝てしまった小心者。
この日は狂言会に行くことになっていたので、昼間眠くなってはいけないと前夜珍しく早寝したのだったが、それでもこの時間に目が覚めたのは奇跡。
それにしても、勝てて良かった。
おめでとう、なでしこJAPAN!

またまた灼熱の猛暑日、連休の雑踏に息もできないほどの渋谷。
松濤の坂を登って観世能楽堂へ。
学生の時以来なので、かなり久しぶりだ。
しかし、東急までの喧噪と人混みが、角を曲がったとたんに静寂と凛とした佇まいに豹変する驚きは相変わらず。
やっぱり素敵な一角。
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能楽堂すぐ手前にある大山稲荷神社の前を通る。
稲荷フェチとしてはお参りしなければなるまい。こういうちいちゃな稲荷はホントに魅力的だ。
御由緒の詳細はなかなかわからないのだが、高台にあることから昔このあたりを「大山」「大山町」といったらしく、名前の由来はそこらしい。伏見神社の系列という説もある。ふうん。
お狐さんがすごくマンガチックで可愛い。
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伺ったのは、先日セルリアンタワー能楽堂のオペラでご一緒した善竹富太郎さんが出演される「善竹狂言会」。
お能も狂言も、詳しくはないものの結構好きだが、こういうキッカケでもないとなかなか自分でチケットを買って観に行くという習慣はなかったですね。
だから今回はすごく嬉しくて、ずっと楽しみにしていた。

とはいえ、狂言ばかりが上演される会は初めて。
大抵はお能が2曲に、その間に狂言が1曲、というスタイルは馴染みがあったのだが、今回の会は善竹十郎さんを中心とした善竹家、大蔵家の方々が勢揃い、という狂言師の方達の会だったので「狂言組」という形だったのだろう・・・と勝手に想像。
(たぶんそういうことですよね?・・すみません、全くの素人なのでよくわかりませぬ。普通はお能と狂言というセットで「番組」なので、セットじゃない場合はそう呼ばなかったかと。)

満席に近い大勢のお客様は、やはり年配の方が多めではあったけれど、小学生くらいのお子さんから大学生くらいの若い人までいろいろ。素敵な和服姿のご婦人たちもいらしたけれど、ラフなスタイルの若者もいて、堅苦しくない楽しい雰囲気。

素囃子の早舞から始まる。
切り戸口から空気のようにすすすすす〜っと囃子方が出て来て、お辞儀も拍手もなくそのまますんなりと演奏が始まる、あの自然な感じがいつ見てもいいなあ。
続いて、最初の狂言「二人袴」
ここでシテの聟を演じたのが富太郎さん。オペラの舞台でのお姿しか接したことがなかったので(笑)この日は本来のお仕事ぶりが拝見できると、とても楽しみに鑑賞していた。
このお話、いつまでも親離れできない息子と、子離れできない父親の滑稽な一幕を描いた愛すべきストーリーなのだが、聟の親を演じられたのが富太郎さんの実のお父上である善竹十郎さん。
最初のほうで、父親が「まったくいい歳になって婿入り(お嫁さんの実家に挨拶にいくこと)にもきちんと行かず、いつまでもしっかりしないで本当にしょうがない」と嘆きつつ息子を呼ぶ場面で「富太郎!」と実名で呼んでらしたのが可笑しくて、会場もドッと湧いていた。
登場した富太郎さんはその恰幅のいい外見もさることながら(失礼!)、オーラというか、舞台に出られただけでもうその存在感がとても大きく、表情や声も観客にしっかり届く強い力が感じられて素晴らしかった。けして威圧的でなくあくまでも楽しいものなのだけれど、あれは生まれ持った才能と修行の賜物との両方なのでしょうね。
自分より大柄の息子に袴をはかせてやるシーンで、両手をいっぱいに拡げて袴の紐を締めるお父様の姿には温かさがにじみ出ていてしみじみしましたね。
1枚の袴の狭い布の上で立ったり座ったり踊ったりは、さぞ腹筋を使うだろうなぁ、なんてくだらないことを思いながら、ずっと笑いっぱなし。
とても楽しませていただいた。

続いて「鱸包丁」
この「叔父と甥」によるお話は、大蔵吉次郎さんとそのご子息教義さんによって演じられた。
伝統芸能の世界ではそう特別なことではないのかもしれないが、こうやって血縁関係の役を実際そうである人たちが演じるのって、観ているほうは2倍の楽しみがあるような気がする。
現代劇やテレビドラマだって、そういうキャスティングは興味深いものね。
これは、作品の大部分をシテ(叔父)がたくさんの言葉でずうっと説明しているようなもので、演じるのが難しそうだなと思った。
最後に「参った」感と「まだまだ青い」感を出さねばならない甥も難しそう。

休憩を挟んで小舞「貝盡し」。
竜宮での酒宴の場面での舞で、華やかにいろんな貝の名前が出てきて面白かった。
続いて3つめの狂言「神鳴」。
「かみなり」と読むけど、な〜るほどっていう文字(笑)。ちなみに和泉流では「雷」と書くらしい。
ここで神鳴を演じたのは富太郎さんの弟さんの大二郎さん。
オペラの打ち上げでお会いした時は、きちんとしたスーツ姿で、しっかりして落ち着いた青年という感じの方だったが、この舞台ではお顔の見えないお面姿。紅い髪と愛嬌のある鬼のような「神鳴」のお面。装束もきらびやかで、なんといってもお腹に付いた小さい太鼓と両手に持って離さない小さなバチがとても可愛い。
囃子方が出てきたので、雷の登場には楽器が鳴るのかなぁ、どうやって登場するんだろうとドキドキしていたのだが、この神鳴さまは「ぴっかりぴっかり」と言いながらぴょんぴょん飛び跳ねて登場。時々「がらりごろり」と雷鳴も。
その擬音と仕草、途中野原に座り込んでヤブ医者と話しているその姿も、医者の言いなりになって針治療で痛い目に合ってる姿もなんとも愛らしくて、本当に楽しかった。
この作品はほかにも医者が「がーしがーし」と針を差したり、「あいたあいたあいた」と神鳴が痛がったり、医者が「くわばらくわばら」と怖がったり、擬音がたくさん出て来て面白かった。その言葉には昔のものという感じを全く受けず、そのニュアンスがどんぴしゃでよ〜く伝わってくる。
最後にめでたしめでたしになるところもホッとできていいな。
 
最後は「六地蔵」
シテのすっぱを善竹十郎さんが演じられた。
4人が出て賑やかな舞台。現代の演劇ではあまり無いような気がするが、狂言では例えば2人ずつ2組が同時にそれぞれのやり取りをすることがある。つまり2組のセリフが被ることが時々あるのだが、そんなときも不思議とそれぞれの会話がちゃんと聴こえてくるのがすごくて、それがとても新鮮だった。
他愛もないコントのようなやりとりが何度も何度も続くこの作品、そのバカバカしさがひとつもくだらなさに繋がらず、私たちが「あ〜わかるわかる」という「あるある」に通じるから、共感しながら安心して観ていることができる。
現代のお笑いには、ヘン顔や下ネタに頼って強引に笑いに繋げようとすることも多いけれど、こういう単純な仕草ややり取りで笑いを引きだすのって、本当は「お笑い」の源流なのかもしれない。
観ていてふっと思い出してしまったのは、ドリフターズや漫才などにあったような昭和の演芸的な笑い。もちろん全く同じではないのだが、私たちが日常で経験してきた不条理や恥をかいた思い出などと直結する「笑い」のエッセンスは、ある意味どちらもとても正統的な日本の笑い、という気がする。
すぐに消えて行ってしまうような薄っぺらい笑いではなく、いつまでも心に残り、いつでもどの時代でも人を笑わせられるように「残る」ものは貴重だ。
それを綿々と淡々と絶やさずに伝え続けている方たちは本当に素晴らしいと尊敬するのみ。

私はそうたくさんの作品を観てきたわけじゃないのだけれど、たくさん予習していかなくても、狂言のストーリーは殆どどれも他愛のない日常的なものが多いこともあって、セリフを聞いているだけで大抵は何を言っているのかが分かるし、ストーリーも理解できる。なかには聞き慣れない昔の言葉も出てくるけれど、ちょっと想像して見当がつくものも多い。
そういう時、あ〜自分は日本人なんだなあと実感する。

やっぱりもっともっと観に行きたいな。
自分を、いつもと全く違う世界に置いて、結局自分が見えてくる。
ごちゃごちゃやクタクタやドロドロをリセットするには必要なことかもしれない。
本当に気持ちのよい、素敵な一日だった。
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by saskia1217 | 2011-07-19 20:59 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!


by saskia1217