夢の後

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6月18日に開幕した能楽堂オペラ「リヴィエッタとトラコッロ」「アクテオン」が、昨日26日無事千秋楽を迎え、好評のうちに終了しました。
お出でくださった皆様、全てのお客様に心より感謝申し上げます。

きっと長いこと暖められていたこのプロジェクト、私が参加したのは最後のたった3ヶ月足らずくらいなのだけれど、それでも初めてプロデューサーや演出家とお会いした時のことや、あちこちのスタジオで音楽稽古や立ち稽古をしてきた日々が、昨日楽日公演の時にはさすがに脳裏を過っていった。
何度も何度も繰り返し歌い、稽古の録音を毎日チェックしながらイタリア語の歌詞や音程を完全にご自分の身体に入れてしまった善竹富太郎さん、演じ慣れたオペラの演技と全く違う所作やホールのステージのようにバミったり出来ない能舞台での動きを、最終的には全く自然にこなした臼木あいさんのお二人の「どうしてもいい舞台にする」という強い意志と力に押されるように、毎日稽古に通っていた。

昨日の楽日公演は、やはりというか、不思議な気迫が充満していてとてもいいものになったと思う。
実際全公演を見守ってくださっていたスタッフや、複数公演をご覧になったお客様からもそういう声があった。
体力的にはそう楽でもないのが楽日だが、たしかに昨日は「アクテオン」の見せ場のひとつ、主人公が鹿に姿を変えられて水面にうつる己の姿に気づいて嘆く場面では、足の下の方からゾワッとしてきて、おまけに目がじ〜んと熱くなってきて困った。演奏者はどんなことがあっても演奏しながら泣けるなんてことは滅多にない(というかするべきじゃない)けれど、昨日は、獣の面を付け美しい力が支える姿で立ちつくし又移動してゆく櫻間右陣先生の舞を視界のごくごく端にかすめ見ながら、きっと毎回同じ精神で舞っていらっしゃるとは思うのだが、何だったのかな、昨日はそこから「何か」が流れ出してきて、それがこちらまで伝わったかのごとく。
オペラのストーリーとか音楽そのものに原因があったのではなく、何か全く別の、そこに突然絞り出されてきた凝縮された空気のようなものに圧倒され、心を掴まれた感じだ。

能管の調べと私たちの洋楽器アンサンブルの音が重なってゆくのが、ただただ心地よい。
和楽器、特に能楽堂に響く能管て、本当になんて素晴らしいのだろう。開演前に吹かれる「お調べ」(調律を兼ねた試し弾き、吹き)でさえも、なんと心打つことか。
(本当はあの後で調弦なぞしたくなかったのだが、段取りとして、非常に狂いやすいガット弦が張られたバロックのコピー楽器は「1秒でも演奏開始に近いギリギリに」調弦しないと酷いことになる都合上、仕方がなかった。初日から楽日まで、とにかく酷い湿気に悩まされ続けた)

今回の公演を通じて、あらためて再認識したこともいくつかあった。
まず、自分はやっぱり舞台作品を創ってゆくという作業がすごく好きなんだということ。
それから、音楽のことも。
「アクテオン」を何度か弾いていて、やはり感じたこと。
西洋音楽は感情が高ぶったり、何かを訴えたいときに、音楽は必ずぐわ〜〜んと広がってゆく。上へ、まわりへ、遠くへ。楽器や身体から放たれて、外へ外へと飛んでゆく=飛ばさねばならない。
今回の「アクテオン」で、鹿になった自分の姿に驚き悲しむその瞬間もそうだ。音楽は「嘆き」と題されながら、和音は刻々と移り変わり、音は鳴り続け、休むことなくこれでもかこれでもかと繰り返される。
しかしその時舞台上で起こっていたのは、シテ方が緊迫した空気を全身にまといながら指1本動く事なく、一歩一歩後ろへ後ろへと下がってゆくという光景。
一時の休みもない通奏低音奏者が舞台をかいま見ることはまず出来なかったのだが、この場面では目の端にその片鱗をかすかに捉えながら弾いていた。
そして、その「逆方向のベクトル」を感じながら、それが異種(正反対)だから反発するということなく、双方が同じ力で逆に引っ張り合うことで美しいバランスを保ちながら、そのぴーんと張った糸がキラキラと紡ぎだされているような感じさえした。

以前にも書いたことがあるが、留学生活を含む、ドイツに住んで音楽をやっていた時代、最終的には「日本人にしか出来ない西洋音楽」の存在とその意義に確信を持った経験、それが今の私の音楽の全て、そして音楽家としての存在意義やプライドを支えている。
「アクテオン」の音楽が鳴り止み、シテ方が目に捉えられないほどゆっくりと揚幕に向かう途中で、拍手する人は一人もいない。初めてお能を観る人でさえ、おそらく同じだろう。
誰にも指示されないのに、その空気を察し、まわりの動きをはかるという感覚を私たちは生まれながらにして持っている。
そして、ルイ・クープランを弾く時、そんな息づかいが自然に出てくるのも私たちの大きな「表現」のひとつなのだ。
今回そんな場面に多く遭遇しながら、この美しき感覚を再び誇らしく思ったのだった。

「コラボレーション」は掃いて捨てるほど供給されている今日。
多くの人が既に気づいているように、何かと何かを一緒にやればそれがコラボレーションというわけでもない。
そして多くの人が言うような「異種のものの融合」がコラボレーションの意義、楽しみだという考え方には私はあまり共感していない。
くっつけるだけでは何も生まれない。
大変な準備と研究、勉強、努力、ひらめき、工夫、努力、協力、そして体力・・・その結果生まれるのは「お互いに解け合ったもの」ではなくて「解け『合う』ことなくそれぞれの存在がはっきり感じられる強さと個性の残る共存」、それこそが本当の「コラボレーション」と呼べるのではないかと私は思っている。
その意味で(私はどうしたって物理的精神的に客観的には観られなかったのだが)、今回の公演はおそらくその数少ない「本物」だった気がしている。
演出家の伊香さん、そしてプロデューサーの大平さんに乾杯!

打ち上げでは、ほぼ6時間近くワイワイと話に花が咲き、じつに楽しい時間を過ごした。
次の企画、夢、希望、壮大な野望(!)などが出るわ出るわ、皆の話はいっこうに尽きない。
いつかまたどこかで一緒に仕事ができますように、と皆が思いながら。
スタッフ、キャスト、そして能楽堂の方々、お客様にただただ感謝。

オマケの写真。
レチタティーヴォの苦労を共にした善竹さん、臼木さんと。
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そして「リヴィエッタトラコッロ」で「最も印象に残った場面」ナンバーワンの、開幕直後に登場した善竹さんの絶品の笑顔を載っけちゃおう。この場にいた全員のリクエストに答えて。
「これPCのデスクトップ画像にしたら、その日いちにちハッピーに過ごせそう」「携帯待ち受けにしたらいいことが起きそう」と大評判!
もちろんこの表情も、狂言師の修行の賜物です。
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Commented at 2011-06-28 23:36 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saskia1217 at 2011-06-30 00:45
O様
コメントありがとうございます!
お久しぶりですね。お元気そうでよかった。
オペラ、お出でいただけなくて残念でしたが、本当に楽しかったですよ。
また何かの機会にご都合が合えば、ぜひお出かけくださいね!
おなじく、お元気でご活躍ください!
by saskia1217 | 2011-06-28 04:01 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(2)

今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!


by saskia1217