懐かしい人

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ミューザ川崎での、東京交響楽団メンバーによるニューイヤーコンサートが終了。
お正月にたくさんのお客様。
本番終わって駅に向かったら、ものすご〜〜い人、人、人。
さすがにお正月。

さて。
年末に録画したN響の第九を、昨日になってやっと見た。
大学を卒業してからというもの、私は生にしろテレビ放送にしろ、年末に第九を聴くことはまずない。
学生の頃はわざわざチケットを買って、都内のオケの第九に出かけたりしたこともあったし、テレビでやれば必ず見ていた。
大好きな曲なのに、なんだろう、食傷気味だったのか、ただの天の邪鬼だったのか?

そうして今年。
12月末になって、N響第九を振るのがヘルムート・リリングさんだと知った。
驚いた。
リリングさんが、N響?
それも第九?

ヘルムート・リリング。
この人がいなかったら、この人の音楽と出会わなかったら、私はチェンバロをやることはなかった。
バッハの教会音楽やオルガン作品、そして合唱音楽に興味のある人には、その分野のベテランとして名前を知られた指揮者&オルガニスト。
世界各地でのバッハの教会音楽を中心にしたワークショップのひとつとして、1983年日本バッハアカデミーが行われたのだが、その頃バッハのカンタータに傾倒しはじめていた私はその講習会への参加をきっかけに、チェンバロを自分の専門としてやっていこうと決めた。
そう、ただただバッハのカンタータが弾きたかったから。

毎月1巻ずつ発売されていたリリングさんのバッハ・カンタータ全集を、バイト代を貯めて買い揃えすり切れるほど聴き、その歌詞を理解するため、またリリングさんはじめドイツの音楽家たちとお話したいがために(!)一生懸命ドイツ語をやった(・・・今でも基本、おんなじことをやってる気が・・笑)。
そして84年、85年の東京、そして芸大にチェンバロ科の学生として入学後も、仙台での講習会などに出かけていき、たくさんのカンタータを弾き、そして一度でいいからお話したいと尊敬し憧れていたリリングさんとお話し、写真をとっていただき(笑)、サインをいただき(笑)・・・

そんなことを脳裏に浮かべながら録画を見ていたら、冒頭のドキュメンタリー部分で紹介された映像で、95年東京でのバッハアカデミーで「マタイ受難曲」のオルガンを弾く自分がいきなり映って度肝を抜かれた(笑)。
そばにはリリングさんと、今は亡きチェンバロ&オルガンの先生、ハンス・ヨアヒム・エアハルト氏の姿も映っていた。
涙が出そうになった。

20年経って、画面を通して見たリリングさんは、もちろん歳をとっていらした。
でもその眼光は全く変わっていず、本当に久しぶりに聴いた大好きな「第九」が、こんなにも「リリングさんらしく」響いていたことに驚愕した。
なんというのか・・N響っぽくない(!)。
第1楽章冒頭であまりにもはっきり聴こえる弦のトレモロ、遅すぎない第3楽章、速すぎない終楽章のコーダ・・・あちこちのテンポ設定がとても彼らしい。
「あれ?ここ、こんなんだったっけ?」
思わず、何年もしまい込んであったスコアを引っ張りだして、テンポ設定や音型を確認してしまったほど驚いた。
ご自身のインタビューを聞くまでもなく、彼がその生涯を通しての信念ともいえる「言葉と音楽の密接な関係、言葉を立たせ、生かすこと」を、この弾き尽くされ聴き尽くされた名曲にも例外なく吹き込んだことがわかった。
ベートーヴェンが書いた譜面からは生まれて来ない、個人的感情に基づく無駄なものはいっさい音にせず、ベートーヴェンが書いたことを徹底的に音にして届ける・・・そんな職人的作業は本当に昔から変わらない。
そして、ソリストがインタビューで語っていたように、彼は本当に所謂「マエストロ」タイプではない。皆の間に入っていって、語り、笑い、音楽をする。
それを彷彿とするような演奏だった。

素晴らしい。
私は個人的に彼の音楽が好きだから共感するけれど、それと共に、この1人の音楽家が長い長い時間、自分の信念に基づいて、全くブレることなく音楽をし続けていることに感銘を受けた。
ひとりの音楽家が、音楽をし続けて生き抜くという姿。
こんなふうに生きたいという鏡は、あちこちに生きて、その後ろ姿を見せてくれている。
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by saskia1217 | 2011-01-03 19:34 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)