彼の岸

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実家のお墓がある曹洞宗のお寺に出かける。
今日はお墓参りだけじゃなくて、お彼岸の法要(彼岸会)に参加。
小さい時から法事で何度もお寺を訪ねたことはあったけど、いわゆる講話を聴いたりお経を唱えたりする会に出たのは生まれて初めてだったかも。
つまりいってみれば教会の礼拝とおんなじことなんだけど、お話にある程度長い時間をもうけてあることとか、会衆が声を出すのは歌じゃなくてお経だとか(ま、お祈りにあたるわけだけど)、いろんなことが面白い。参列している以上、般若心経を唱和してみたり、いろいろとチャレンジ。
大勢のお坊さんたちの所作も見ていて飽きないし、いろんな木魚や鐘などの「鳴りもの」の音や鳴らし方、お経の読み方も面白い。

子供の頃からお寺の本堂のお香やお線香の香りや、木魚の音とか、薄暗いなかに座ってお経をきくのがかなり好きだったので、今日は色々と懐かしい思いもした。
畳にずらっと並べられたパイプ椅子に時代を感じたけどね。

「お彼岸」の意味から始まって、キリスト教やイスラム教の考え方などにも触れながらいろんなエッセンスが含まれたお話を聞くうちに、少し知るようになったヨガ(つまりヒンズー教)の考え方や心の整え方との共通点にいっぱい思い当たったり。
(もともと仏教とは強いつながりがあるので当たり前なんだけど)
座禅の仕方とか呼吸法とか、「悪いことをしない」という考え方とか。
他にもいっぱいあったんだけど、盛りだくさんだったので全部は覚えてません・・。

こっち側、私たちが住むこの世界「此の岸」の向こうには、川を挟んで「彼の岸」があり、そこには亡くなった人がゆく。「彼の岸」はもちろんポジティフで理想的な世界なのだろう。
そういうイメージが強いけど、じつは「此の岸」(現世)にも「彼の岸」を実現できるのではないか、という考え方は興味深かった。
仏教における「(部分的な)性善説」は、時々仏教の話をきいていると実は正直少しホッとする一瞬なのは嘘ではない。

先月、私が生まれた時から実家を離れるまでずっと一緒に暮らしてきた祖母が他界した。
物心ついてから近しい肉親と別れたのは初めてだったからやはり悲しさは大きかったし、こんな思いをするならもう自分が生きていくこと自体があまりにも辛すぎると思ったし、とにかく葬儀までの全てに立ち会った中で色々と思うところは多かった。
昨日まで目の前に実在していた人間が、一瞬にしてそっくり「無く」なってしまうことの不条理感と不思議さ。
でも人間、骨になるまでが人生なんだなあ、とも実感。
そのプロセスを経て、最後にそこまで示すことでもって、どんな人もまわり全てに何かを伝えてくれるのだと。

彼岸花がまだ咲かない、雷鳴と嵐のお彼岸。
嬉しいこと、辛いこと・・そんなことには容赦なく、ただ「時」に休みなく背中を押されて前に進まされていく自分と、いまこの同時代を生きる様々な人たちを思った。
チクタクチクタク。

お寺から頂いてきたおはぎは、とっても美味しかったデス。
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by saskia1217 | 2010-09-24 02:21 | 感じろ、考えろ、思え! | Comments(0)

今日もまた日が昇る・・出かけてゆこう!


by saskia1217