ひとつの仕事、特にコンサートよりも舞台作品の場合、終わった後に残る興奮や熱や仲間との別れのちょっとした切なさなどが楽日後にドッときて、しばらく身体の中に残ることが多い。
でも今回は何かが違ったのかもしれない。
いつもならその日のうちに思いのたけをドバッと書かねば気が済まない私が、なかなか書く気持ちになれなかった。
いつものような寂寥感、喪失感がないかわりに静かな充実感と温かい平安・・・そんなものに包まれて3日ほどフカフカしていた。
3/9~10、2日間にわたる「埼玉回遊特大号~風と土地のロマンス」が無事幕を下ろした。
「埼玉回遊」それは30周年を迎える彩の国さいたま芸術劇場がリニューアルのために1年半閉館する間、芸術監督である近藤良平さんが劇場を出て、埼玉県内の色々を訪ね、集め、掘り起こしてスポットを当てるという企画。
そもそも私がこれに関わるキッカケになったのは、劇場HPで地味に募集していた「回遊先の推薦」。
「他薦のみなのか、なるほど~・・・ハッッッ!?そういえば久保田チェンバロって新座だったよね、新座って埼玉だよね」と締め切り日前夜にフラっとフォーム記入して送信。
それっきり忘れていたら劇場から連絡が。「ご推薦いただいた久保田チェンバロ工房が回遊箇所のひとつに選ばれました」
おお、良かった!
チェンバロをもっと広めることができるかも、と遅ればせながら工房にご連絡(申し込み時にはお知らせしてなかった笑)。
以前から楽器大好き近藤さんを久保田さんにご紹介したかったし、何より工房をご案内することができたのが嬉しかった。
大好きなさい芸のお役にも立てたかな、と。
お役目終わったと思っていたら、それから9月にショートフィルム参加決定、12月の歓喜院での撮影が雨天中止、年明け1月に極寒の撮影(一生忘れない笑)・・と知らないうちにズブズブと「埼玉回遊」に呑み込まれていった。
そして最後にはなんと「埼玉回遊特大号」の舞台作品への参加という大仕事が待っていた。
ずっと言い続けているけど、私はこの劇場には特別深い思いがあって、その節目の時に関わらせていただけるのは本当に嬉しく、まさにこの作品に賭ける気持ちだった。
2001年1月、BCJの室内楽でバッハの「音楽の捧げ物」を師匠・鈴木雅明さんと2台チェンバロで演奏したのが私とこの劇場との始まり。(この日は大雪で埼京線が止まりお客様が半分しか来られなかったという忘れられない日になった)
以来、「光の庭プロムナードコンサート」では近藤さんはじめコンドルズのメンバーとの共演で何度も素敵なパフォーマンスを経験、特に20周年のオープンシアターでは光の庭に1000人を集めてしまったオルガン+ダンス+書のイベントで、踊ったり(踊らされたり)大筆で書いたり、歌ったり、ある意味「新しい自分」を発掘(笑)。
そのなかで、どんな時でも細やかで正確で究極プロフェッショナルな各部署のスタッフさんたちのお仕事ぶりに、毎回感動と感謝だった。
埼玉県民じゃないけれど、子供の頃から遠足や家族旅行は巾着田、物見山、森林公園、飯能、秩父・・大学は入間市に2年通ったし、古墳大好き行田は聖地!という埼玉愛は誰にも負けない。
そんなこんなで、今回の「回遊」先にも興味が湧いて、どんな風にクロッシングに加われるんだろう、と2月の顔合わせにワクワクして参加。
車人形、里神楽、怪談、法螺貝、木遣り、ダンサー、そして初めてご一緒するパーカッション。
顔ぶれの面白さに期待と謎。
最初に近藤さんから提示されたコンセプトは、わかったような、わからないような・・・でも近藤さんらしい何かは確実に香っていて。
2月中旬からほぼ毎日、稽古に参加。
近藤さんの作品づくりの方法やテンポは良く知っているつもりだったし、どんなに見えてこなくても結局は絶対に素敵なものが出来上がることもわかっていたから、その時その時に自分が出来ることをやるしかなかった。
場面場面で、どんなオーダーがかかっても対処できるようにいろんな曲や音を集めて、毎日楽譜や五線紙を背負って劇場に通った。
そして以前近藤さん作品でご一緒したダンサーさんとの再会も嬉しく、また初めてのダンサーさんたちも皆若くて実力のある、ポジティブで諦めない力に満ちた素晴らしいアーティストばかりでいつも元気付けられていた。
出演者、スタッフ1人残らず、素敵で、プロフェショナルで、気持ちが良くて、温かく思いやりがあって・・・どんなに夜遅くまでかかっても、どんなに疲れていてもリハに行くのが楽しくて仕方のない毎日、それが近藤さんの現場。
久しぶりにそれを堪能した。
公演には県知事、副知事はじめ多くのメディア、ステージには上がらなかったけれど大切な回遊先の皆様がいらしてくださった。そして何より多くの埼玉県民、県民以外のお客様がいらしてこの作品を目撃してくださったこと、埼玉県という枠を超えて「どこの土地にもそれぞれの『命』があってそれをだいじに思うこと」をお伝えできたことが嬉しかった。
初日乾杯は県内近隣の飲食店から美味しいお料理が並び、出演された蒔田さんの法螺貝の祝砲(!)あり、様々な交流を楽しんだ。
そして楽日には終演後に、スタッフと出演者だけの「終わりの会」が近藤さんの強い希望で設けられ、缶ビール片手に皆で丸くなって床に座り、全員が1人ずつ思いを語るというこの上なく素敵な時間になった。
その会の締めには川越の木遣りの方々が、滅多に歌うことがないという「皆の幸せと健康を願う」木遣りを披露してくださった。
私は直立不動でそれを聴きながら、なんだかわからないけどありがたくて幸せで皆んなの幸せを祈りたくて、人間の全ての創造や表現の尊さとその力を信じていけるような強い力を感じて泣きそうになっていたのだが、ふと横を見ると近藤監督の目には光るものがあって、その瞬間そこにいた誰もが同じ何かで繋がっていると確信したのだった。
初日、楽日、それぞれの緊張感と高揚感。
出会いとともに舞台は必ず別れが付きまとう。
でもいつもの寂しさがないのは、きっと何かが特別だったんだろう。
ただ静かな充足感と、微かだけれど確かな再会の予感だけが残る。
力と技とココロの大結集。
全てをまとめた近藤良平監督に感謝と拍手を。
近藤さんが子供の頃からずっと思い描いていたS字にくねった道に佇む誰かの画に、作品ラストで命が吹き込まれて良かった😌
1年にわたって自分を探して彷徨っていたモドキと共に、私の旅も終着点に辿り着いた。
モドキは何処に行ったんだろう。
花は何処に行ったんだろう。
力と技とココロの大結集。
全てをまとめた近藤良平監督に感謝と拍手を!
舞台は一期一会でありつつ、ここからまた花咲く道も繋がる🌸
みんな元気でまたいつか会いましょう。
ありがとう。